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05.11.07 物乞いの最新手法

 自動扉があまりないイタリアでは、デパートの扉をいちいち押し開けなければならないのですが、感心するのは先に開けた人が次の人のためにしっかりドアを開けて待っていてくれること。小さな子どもまでがそれをしてくれるので、知り合いのいる空間では礼儀正しくするけど、パブリックな空間では自己中心的な日本人とはどこか違います。社会の中での自分自身の位置づけがしっかりなされている。これはカトリックを信奉するお国柄が原因しているからでしょうか。他者に対して何ができるかを常に考えている。ボランティア活動といった概念を持ち出すまでもなく、ごく自然に、他者の手助けをします。

 列車の中でも、バスの中でも、ギターとともに現れた人間が1曲奏でて、お金を集めるというのもよくあること。みんな、いやな顔も、照れた顔もせずに、額の多少に関わらず、そのときの自分にとって可能なお金をごく自然に差し出しています。
 
 ただ、最近、ローマのテルミニ駅で乗った電車で、ちょっと意外なことがありました。二十歳ぐらいの青年が私の坐る席を含めて、その車両の乗客の目の前にすばやく紙片を置いていく。手紙にはこう書いてある。「僕は大変貧しい。4人の弟が腹をすかせている。どうか、お恵みを!」
 見回すと、すべての乗客が自分の財布を出し始めている。私も1ユーロ取り出す。と、青年が順に席を巡って、硬貨を受け取っていく。私のところに来たときにも、さっとコインを掠め取るのですが、ついでにその紙片も奪取。回収した紙片を片手に持ち、次の車両にめがけて歩いていく。

 うーむと感じ入ってしまった。音楽を奏でるわけでもなく、手紙も置いていくわけでもなく、何度も何度も手紙をリサイクルして物乞いをし続けるとは!手紙を配る、施しを徴収する、手紙を回収する、その作業の機械的な繰り返しのためか、青年の顔はどこか無表情。なんだか味気なく、またイタリアっぽくない最新手法でした。


05.10.06 物価高

 イタリア語もイタリアブームで市民権を得たと思います。雑誌、車の名前もイタリア語、目白押し。イタリア料理を入口としても、かなりのイタリア語が流通、定着したと思います。ただ忘れがちなのは、ひとつの言葉にもいくつかの複数の意味があるということ。日本語もしかりなのですが、外来語は意味に幅を持たせない形で流入し、シングルの意味で定着してしまう。
 たとえば、vita(ヴィータ)という言葉。この言葉も、dolce vita(ドルチェ ヴィータ)というセット語で、かなり流通しているので、「あまい生活」という意味合いから、ヴィータを生活、人生と正確に意味を解する人がいまやたくさんいます。日本にも。
 私もこの意味合いで、それこそ日本でも日常的に触れているので、ヴィータ=生活としっかりインプット。でも、ヴィータはこれだけの意味じゃないんですね。ほんとうは。

 最近、イタリアを旅行するとタクシーのおじさんやみやげ屋のおばさんたちからこんな質問を受けます。「東京での生活はどう?」なんてことを。私はこれまで聞かれなかったことなので、べらべらと話します。おお、やっと、日本や東京に興味を示すようになったのかと思い・・・。新しいビルがたくさん建ち始めたこと、小泉首相のこと、ヒートアイランドで暑いこと。話していると、質問したくせに、なんだかイタリア人たちの反応はすこぶる鈍い。
 不可解に思いながらも、また別の街に行くと、「東京での生活はどう?」なんて聞かれる。だから、またべらべらと。でも、やはり反応はいまいち。

 帰りの飛行機の中で、あっと思いました。赤面しました。彼らの質問でのヴィータ。それはヴィータ=生活ではなく、ヴィータ=暮らし向き(経済面)だったんです。そう、イタリアは今、大変な物価高。エウロ(ユーロ)導入の以前と以後とでは、だいたい何でも倍になっている。昔、ブランド品が日本で買う1/3なんて幸運な時代もありましたが、今は帰国して同じ商品を見て、「こっちの方が安い!」なんてことも多々ある。

 今、イタリア人たちの頭にあるのは物価のこと。それで「東京の暮らし(生きるための生活費)はどう?」と聞きつつ、「イタリアはむちゃくちゃ高い」と愚痴をこぼしたかったのでしょう。しかし、私はぜんぜん関係ないことを延々と話していた、ということ。修行が足りない。。。
 ちなみに、vita(ヴィータ)には、ウエスト(胴回り)という意味もあります。

05.10.02 イタリア語版『千と千尋の神隠し』

 ヨーロッパで売られている映像ソフトは帰国後日本で観るには何らかの機器が必要になります。DVDもそのひとつで、いつも買うことを躊躇されますが、今回だけは例外。ローマのAVショップで半額で売られているDVD『千と千尋の神隠し』には後先考えずに飛びつきました。
 私はかの作品の大ファンで、おそらく50回は見ています。これをイタリア語で観れるのであれば・・・こんなうれしいことはありません。何とかなると思い、日本に連れ帰ったのでした。
 やはりDVD機器で再生できない。ところが家のパソコンVAIOにあるDVDの口に差し込んだら、あら、なんと、難なく再生。イタリア語の理解力はいまいちでも、次に来る台詞は覚えているから、流れから結構理解することができます。いやあ、これは最高。また、イタリアは基本的に外国語の映画は字幕は使わず、ほぼ100%が吹き替え。ゆえに吹き替え術には大変長けていて、千尋の声もハクの声もぴったり。少しも違和感はありませんでした。隈なくきちんと翻訳されているのにも感心。すべてに完璧なのでした。

 ただ一点気になったのは、すっかり汚濁を取り除かれた川の神様が湯につかって「よきかなあ」と気分よくつぶやくシーン。吹き替えの声はsei stata bravaと言っている。これは翻訳すると「(千尋)おまえはでかしたぞ」ってところ。すっかり綺麗になったのは千尋のお陰だけど、この「よきかなあ」は単純に綺麗になった体で湯に浸かる、その喜びをかみしめている図。風呂に対する日本人のこだわりはイタリア人の理解の外と聞きますが、こんな吹き替えにもそれがよく現れていて、結構興味深いシーンでした。


03.1.14 ケータイのシェアin ITALIA

 イタリアのケータイ文化についてはこのサイトで何度となく書きました。要するにイタリア人のおしゃべり好き、あたらし物好きの相乗効果でかなり早い時期から、つまりは日本よりもだいぶ前から道ゆく人々はケータイを手におしゃべりに興じるという光景が溢れていたのです。しかしどうでしょうか。日本でのiモードを端緒としたケータイのめざましき普及、そして最近ではカメラ付き端末といったヒット商品もあり、ケータイ大国・日本というイメージはますます強力です。
 量販店に行けば様々な色と形のケータイが所狭しと並べられ、子どもも学生も主婦もサラリーマンもみんなケータイを所持している。逆に持っていないことのほうが珍しいことのように語れ始めています。
 こうなると、いくらイタリアで昔普及速度が早かったとはいえ、もうすでに日本のケータイ所持率の方がとっくに凌駕していると推測されるのです。ゆえに私も数年前まで、日本よりもイタリアの方がケータイ多いよと人に語っていたのをなんとなく自重するようになってしまいました。
 ところが・・・。ごく最近の調査(国際電気通信連合)によれば、イタリアのケータイ普及率は世界4位。住民100人に対し、実に83.9人の人がケータイを持っているのことです。となると、1位のルクセンブルク、2位の台湾、3位の台湾はいかに普及しているか?ということになります。ちなみに日本は58.8人ですから、世界的に見るとまだまだ。
 日本はIT化に遅れ、その反省からe−JAPAN構想なるものが立ち上がったぐらいですから、その分野では新参者ということでしょうか。とにかくイタリアはケータイ普及度については依然健在ということです。


02.10.25 イタリアサッカー弱体化

 
  国際サッカー連盟(FIFA)が10/23発表によれば、イタリアが世界ランキングで上位10位から姿を消したそうです。ウェールズにまさかの敗戦を喫したイタリアは、前週の10位からトルコ、米国よりも下位の11位に後退したとのこと。ここで強調されるのは最新で、ワー
ルドカップ(W杯)で3度の優勝を誇るイタリアが?!という点です。
 カルチョ(サッカー)は全然わかっていない私から言いますと、何とも評価しにくい話ではあります。
 ただ今年開催されたワールド・カップでは初めてイタリアチームの試合運びを拝見させてもらいました。素人目で見たときに技量があるかないか判断しづらいのですが、確かに安心して観戦を楽しむことはできなかったのが正直なところ。審判のミスジャッジなるものもあったし、たとえば敵地(韓国のスタジアム)で試合をした等の運を呼びにくい面もあったようですが、そのあたり状況はないものとして見た時に、単純なところハラハラしてテレビの前にいた記憶が今も鮮明に残っています。
 とはいえ、アッズーリのためにあれだけ多くの日本人ファンがいることを実感できたのは、大変うれしかったですね。ベッカムの人気には凄まじいものがありましたが、それも何となくイングランドに対する熱狂よりも個人に向けてのファン心理が感じられました。一方、イタリアについてはその国のサッカーに対する「愛」のようなものがあったような・・・?
 ま、10位から転落したイタリアですが、日本からの熱愛ぶりは衰えていないようなので、ぜひ挽回してもらいたいな、とそんな風に祈
っています。
 


02.4.15 あからさま

 イタリアの首相ベルルスコーニ氏は民放テレビ3局を握り、その結果国内のメディアの80パーセントを所有していることになります。

 1国の主がテレビ界を仕切るとどうなるかと言いますと、それ以外の局が弱体化します。つまり今回のケースでは、国営テレビの視聴率が芳しくなくなる。
 イタリアの国営放送はライ・ウーノ、日本で言えばNHKのようなものです。このような局面を迎えた時、国営放送はその威信にかけてどうするでしょうか?
 一般的にはより高品質な番組作り、視聴者のニーズを第一に好感度の高い俳優、アイドルなどを起用する・・・。日本のNHKならそんな正攻法でいくかもしれません。テレビではないけど、「硬さ」からの脱却をねらい文庫本すべてにカバーをつけたり、人気の新書により力を傾注したりする岩波書店のように。老舗であるところのプライドは恐らくあくまでも「品格を落とさない」、これにつきます。

 しかしイタリアはまるで違う!
 日付は確認できず申し訳ないのですが、先日の毎日新聞の「メディア欧州通信」に面白い記事がありました。ライ・ウーノはキャスターに「お色気番組まがいに胸の開いたドレスを着て、限りなくベッドに近いソファにしどけなく体を横たえて」レポートすることを要求するようになったといったことが書かれているのです。視聴者は内容でなく、胸の谷間に注視している。ライ・ウーノはそう言いたいのだと。記者の木立玲子氏はそのことに対する友人(ジャーナリスト)の腹立ちを伝えています。メディア王ベルルスコーニとの視聴率戦争によるライの変容・・・。
 確かにこの話はいただけないです。ただそうした内容はともかくとして、ベルルスコーニが昨年の5月の総選挙前にオールカラーの自伝を全家庭に郵送したというエピソード同様、ここから自らの「欲望」に隠すことなく忠実で、それを素直に表明してしまうイタリア人気質の一端を垣間見るようで、婉曲さを尊ぶ日本社会に身を置く者から見ると、なんとなく微笑ましく思ってしまうのです。
 そう、こんなことは日本ではまずありえない。実にマンガちっくなお話です。国営放送たるものが視聴率のために「胸の谷間」を武器にしようとするのですから。首相候補が選挙戦に勝つために自費で自伝をばらまくのですから。(ユーロ切り替えに際しては全家庭に換算機を私費で配布したらしい)
 ベルルスコーニ氏が退陣したら、またライ・ウーノは正常さを取り戻すか?・・・とは言っても、イタリアのテレビは総体的に「欲望」に忠実で素直なことには変わりないでしょう。あの騒がしくお色気たっぷり、時間に対して極めて不正確、そして人間的すぎるアレは・・・。


02.3.24 ナンニ・モレッティの『親愛なる日記』をやっと観た、しかし・・・

 イタリアが好き、特に南伊が好きで、ヴェスパが好き。すると『親愛なる日記』ということになります。なぜならば、ヴェスパに乗ってローマの街をさまよい、シチリアの島々をめぐるとい
う内容ですから。それでいて観ていない。これはちょっとばかり恥でした。ごく新しい映画ではない。10年近く前の映画でありながら・・・。
 そんな折、偶然ショップのDVDコーナーにて『親愛なる日記』を発見。誰もいないのにお目当てのバーゲン品に遭遇したときみたいに、ワッと奪取したのでした。「出たんだ〜」と感ひと
しお。しかしよくよく見ると去年の発売になっている。私は一体何をしていたのでしょう?
 第1章:「ヴェスパに乗って」 ヴェスパ(イタリア製のスクーター)で、ローマの街をさまよう。のびのびとしたタッチで、ローマの夏の心地よさが伝わってくる。
 第2章:「島めぐり」 テレビ中毒になってしまった友人とのシチリアの島々への珍道中。美しい風景の中で展開する、ユーモラスな旅。
 第3章:「医者めぐり」突然の皮膚の痒みに右往左往。完治を求めて医者から医者を巡るモレッティ。遂には、癌と宣告されてしまうのだが・・・。
と、3章の内容。
 待望の映画ということで、家のソファに深々と身を沈めていざ鑑賞。起伏に富んだストーリー展開というものはなく、観るというより感じるタイプのこの映画は不思議なほどに睡魔を呼び寄せます。したがって3回鑑賞したはずが、最後まで観るまでもなくなぜかいつも夢の世界。
 けれども、まだ観終わっていないことを嬉しく思っています。楽しみはこれからだから。
 1994年カンヌ国際映画祭監督賞受賞作品。

02.3.3 イタリアに今もっとも近いのは日本で言えば何処でしょう?Part2

東京港区汐留(しおどめ)地区。東京の都心で最後の再開発地区と言われるゾーン。
 山手線の東側、旧国鉄汐留貨物駅の跡地と山手線西側の地区のあわせて31ヘクタール。ここに「職住隣接」をキーワードに2006年までに居住人口4000人、就業人口40000人の
巨大な新都市が築かれる予定です。巨大高層ビルが現在、東側地区を主としてトンカントンカンと建設されているのです。
 そして高層ビル群の出現する東側地区とは趣の異にする西側地区、ここが私にとっては非常に注目したい、いえいえ、注目せざるを得ないゾーンなのです。というのは、ここ西側地区はなんとイタリアをイメージした地区だからなのです。

 「本物の『イタリア』の街並みを造るため、ブランドショップ設計などを数多く手がけるイタリア人の建築家ピエランジェロ・パベージ氏の監修を受けて、街全体で統一的なデザイン設計
を進めている」らしい。そして「イタリア企業の誘致にも乗り出す計画で、誘致や街並みの計画作成などにも取り組む会社『チッタ・イタリア』も設立した」そうな。
(毎日新聞2002.2.25朝刊より)
 イタリアを始めヨーロッパの街並みは高さ制限はもとより色彩、建築様式、看板などに非常に厳しい規制が敷かれていて、その功罪はともかくとして、少なくとも私たち旅人の目には「目からくる快感」とでもいいましょうか、とても心地よいものがあります。
 旅が終わり日本に戻り、改めて自国の街を歩けば、その街並みの在り方に「パブリックな場所」という概念がコマーシャリズムのもとに欠落してしまっていると強く感じてしまいます。
 まあ、そうした私見はともかくとして、これほど楽しみなことは、そうあるものではありません。なんといっても行政の規制を持ち込まず、街並みをいびつなものにしてきたコマーシャリズムが今回イタリアをテーマに「統一された街並み」を築こうとしているのですから。
 気候も言語も人種も違うのですから、もちろん忠実な再現にはならないと思いますが、「アジアにおけるイタリア文化発信基地」にしたいという思いに縁取られたプロジェクトです。
 2006年が待ち遠しいです。


02.2.5 イタリアに今もっとも近いのは日本で言えば何処でしょう?

 単に「近い」と言っても、物理的な距離、在日イタリア人の数、イタリア料理店の出店具合やらパスタの年間消費量……、いろいろ切口はあると思います。ただそこに住む住民が何
らかの形で好き嫌いに関わらず、今、イタリアを意識せざるを得ない状況にあるのは恐らく仙台市だと……。
 ワールドカップの開催期間中、イタリアのキャンプ地となった仙台市では現在、万全の受け入れ態勢を整えているそうです。
 仙台市職員の有志は時間外に自腹をきってイタリア人講師を招いて会話の勉強に励んでいるし、商店街もイタリアにちなんだセールを展開しているそうです。
 仙台商工会議所などが「フォルツァ・アズーリ・クラブ」なる市民団体を作り、様々な応援の企画を検討中。
 迎賓館「カーサアズーリ」の設置し、イタリアを紹介する展示場、イタリアサッカー協会の事務所、プレスルーム、イベント用スペース、サロンなどが設け、協会やスポンサーの幹部、選手の家族らイタリア関係者向けの施設ともなるそうです。現在市民への開放についても議論しているとのこと。 また練習場となるドーム施設「シェルコム」は既に完成しているそうな……。
 イタリア年はまだ終結していませんが(今年5月まで)、それでも「イタリアまつり」などの大イベントは2002年にはそう開催されないと思われ、そんな中、日本にいながらイタリアを感
じたいならば仙台行きが正しいチョイスかもしれないなどと勝手に思っています。
 ちなみにイタリア代表の仙台キャンプは5月22日から6月14日で、それに合わせて「カーサアズーリ」は5月22日から6月12日までの間に設置されるとか。
 初夏の仙台というのも、なかなか魅力的かもしれない。


02.2.1 永久のチネチッタ(映画都市)

 ローマの地下鉄でムッソリーニが作ったと言われる映画撮影所チネチッタへ行ったことがあります。今から10年以上前のことですが。
 夏のヴァカンス・シーズンのためか門は閉まっていて残念ながら内部をうかがい知ることすらできませんでしたが。それで仕方なくショッピング・モールのチネチッタ2(ドゥーエ)へ。映画とはおよそ無縁の現代的な建物で雑貨を買いジェラートを舐めた思い出があります。
 その後ハリウッド映画興隆の陰でイタリア映画が全体として衰退するという状況が続き、かつてフェリーニがせわしげに出入りしていた黄金期も過ぎ去り、チネチッタはどこか寂れたイメージを持たれ始めていました。私自身の意識からも、このすばらしい撮影所がすっかり抜け落ちていました。
 そんな折、イタリア映画人気がここ数年再燃し、そうした背景もあってか、NHKのBSでこのチネチッタが取り上げられたのです。
 「チネチッタ 感動の夢工場〜イタリア映画・名作誕生の秘密」というのがそれで、私は先月の27日、再放送を見ました。
 そこには映画を支える舞台装置の人間や非常に狭き門の映画人の養成学校の学生、あるいは著名な映画人が出てくるのですが、彼らの映画に対する気持ち、映画をたまらなく愛している様子が伝わり、なんともいえない感動の連続でした。黄金期を支えた人々が70を越えた今も現役として生き生きと働いている。
 世のトレンドばかりを見つめて、チネチッタはもうすっかり寂れてしまったなどと考えていた私は自分を大いに恥じました。
 「永久の都-ローマ」という意味が、チネチッタという空間から改めてわかったような、そんな気分です。


02.1.1 イタリアのお正月
 
 
明けましておめでとうございます。(イタリア風に言えばフェリーチェ・アンノ・ヌオーヴォ!《幸福なる新しき年!》)
 イタリアのお正月は日本とはだいぶ違うようです。
 それは格付けとして、ナターレ(クリスマス)よりはやや劣るということ。ゆえに正月三が日という概念はなく、仕事も2日にはスタートするようです。(他に山のようにヴァカンスがあるから気の毒に思わなくてもいい)
 一方ナターレには盛大なるお祝いをし、家族で祝うため日本にいるイタリア人たちも事前にはお国へと帰ってしまうほどの力の入れよう。カトリックの国ですから当り前といえば当り前です。(ただクリスマスを商戦と結び付けている日本とは異なり、ツリーで街が彩られるのは12月に入ってからのようです)
 恋人がいない人がよく「一人だけのクリスマス」などと自嘲することが日本ではありますが、家族で過ごすナターレ、イタリアではそのフレーズがつぶやかれる事はまずないと思われます。
 さて、イタリアの正月はカポダンノ(カポ=頭、アンノ=年)と言われ、ここで特筆すべきは花火と爆竹。新年を迎えた途端、あちらこちらから爆発音と煙と色とりどりの光。死者もたくさん出るようです。従ってこの時期イタリアを旅行される方はカウントダウン時には屋内にいるのがベター。ナポリとなると、窓から不要な家具などを投げ捨てると言う凄まじき慣習がいまだ
に残っているとのことなので、ますますもって要注意。
 カポダンノではナターレほどにはご馳走にありつけないかもしれません。ただ鰻のフライを食すという習慣はあるようで、年末には市場や街頭の屋台でたくさんの鰻が売られるようです。


01.12.30 『マレーナ』鑑賞記 

 トルナトーレ監督の新作『マレーナ』をビデオで観ました。
 この映画は一般的に主演女優のモニカ・ベルッチに焦点があたったため、いくばくかの抵抗感が拭いきれず、鑑賞はかなり遅れてしまいました。
 シチリア好きな私としては、かの地を出身地とするトルナトーレ監督作品(『ニュー・シネマ・パラダイス』、『みんな元気』、『明日を夢見て』等)はどれもが好きで、画面から横溢するシチリアの風景や雰囲気に見惚れ、「ああ、シチリアへまた行きたい」と思うのでした。ですから、当然のこと、この「マレーナ」ももっと早く観るべきでしたが、どうもイタリア好きの、特に女性の評判がすこぶる悪い。(「モデルあがりの大根役者」「人形にすぎない」「ソフィア・ローレンの恋人?演技もできないのに」等等)
 そうした話を聞いてしまうと、どうも観る気にならなかったのでした。しかし実際に鑑賞してみると、この映画はなかなかの出来ばえでしたね。
 第二次世界大戦中のシチリアの様子が、ムッソリーニ、配給制、上陸するドイツ軍、民衆の閉鎖性などをキーに語られていく。加えてシチリア独特の白っぽい風景と海や空の青。
 これまでのトルナトーレの作品以上にシチリアそのものが前面に出ていました。少年レナートが自転車に跨り、走り抜け、そして停止する空間にはいつもシチリアそのものが存在しています。
 そして、問題のモニカ・ベルッチ。やはりこれはどうあがいても魅力的な女優でした。すばらしい肢体。その顔はハリウッド女優に多い、美しいがきついというタイプではなく、優しげでどこか淋しげ。彼女がモデルあがりで演技ができない女優という印象を持った人は多いかもしれません。しかしそれは役柄ゆえのような?
 マレーナ役は、第二次世界大戦中のシチリア島に生きた、昔の典型的なイタリア女性。来日した際のインタビューで彼女は「演じるのがとてもむずかしかったわ。当時の女性は男たちによってつくられるもので、アイディンティがないの。黙って男についていくといった感じで、台詞が少なく、表情と歩き方、それに肉体で表現しなくちゃいけないから」と語っています。
 『マトリックス2』に出演予定のモニカ・ベルッチ。そこではマレーナとは全く異なる演技を見せてくれるかもしれません。

 撮影はシチリアの中の60の場所から選ばれたシラクーサで8週間行われた後、ノト島、モコッロ等で行われたとのこと。
 今年の締めくくりの映画はイタリア映画『マレーナ』。そして年明けにはイタリア映画『息子の部屋』(ナンニ・モレッティ主演・監督)を楽しめればと思っています。


01.12.7 新聞はタダが当たり前?!             

 ミラノ在住の知人がユニークな新聞が駅に置かれていると言います。「売っている」とは言わずに「置かれている」というのがミソで、実はこの新聞は無料なのです。
「小ぶりだから通勤の間に読むのに適している」と事前に聞いていたので、ミラノ中央駅でスタンドの中に普通の新聞よりもかなり小さ目のそれが差し込んであったので、思わず1部いただいてしまいました。もちろん「non costa nulla」(お金はまったくかかってません)という但し書きを改めて確認した上で。

 メトロ(metro)がその名。全24Pでタブロイド版、イタリア国内、国際関連、ミラノ情報、経済、株式、労働関係、読み物、テレビ欄、催し物、映画情報・・・と無料とは思えない多彩な紙面づくり。上部に分野名が書かれ、各分野おおよそ1ページ。すっきりとした紙面、写真の多様。大きすぎて重く、バラバラになるという通常の新聞の欠点(メトロは真中でホッチキス止めしてあります)をみごとに克服しています。
 こんなものを見てしまうと、やはりイタリアはすごい!とつい叫んでしまったのですが、得意げに帰国後に「メトロ」談をする私に友人達はすぐさまに反論。「ロンドンにもあったけど」「オランダでも読んだなあ」と。え?まさか?ネットで調べたら確かに・・・あるある。

 通勤客を狙った日刊無料紙は90年代後半、世界各地に広がっている模様。先駆はスウェーデンのモダンタイムズグループ社で、95年からスタートしたそうです。今では世界16カ国で総部数400万部!大量発行で広告マーケットを獲得し、2年で黒字にする戦略らしいです。チェーン方式。まさに新聞業界での脅威。イタリアではメトロに次いでレッゴというフリーペーパーも登場したそうです。

 考えてみれば、新聞で書かれているような情報について、誰もが実にスピーディに無料でネットを通じて得ることができるようになりました。インターネットを日常的に使いこなしている
層にとっては新聞にお金をかけることは無意味なことになりつつあるのかもしれません。
私が小さい頃、ジャポニカ学習長帳のコラムに「水を買うフランス人」という記事があって目を丸くしました。それが日本でも当たり前の時代となりました。無料新聞に驚く日本人の私で
すが、さて近い将来それを当たり前とするのかな?
メトロのとった手法を知るに、日本でも最近訴訟沙汰となった無料タクシーのことを想起せずにはいられません。日本にもメトロが上陸する日も近いかも?!


01.12.1 トーポ・ジージョが日本で生まれる日 

イタリアではゴキブリ(scarafaggio スカラファッジョ)よりもネズミ(topo トーポ)の方がポピュラーで、ミラネーゼのF氏によれば「スカラファッジョを初めて見たのは成人してからで、それもアメリカでだった」とのことです。ゴキブリ大嫌いの友人にこの話を聞かせると日本脱出を本気で考え始めていました。
 ・・・というわけで、ネズミの方がイタリア人にとっては身近な存在のようです。ゆえに人形芸術家のマリア・ペレゴさんによる、あの大きな耳と眠たそうな目を持つTopo Gigio (トーポ・ジージョ)のようなキャラがイタリアで生まれることになったのかもしれません。(日本でも人気のジージョはなぜか「トーポ」でなく「トッポ」と呼ばれています)。
一方ネズミよりもゴキブリの多い日本ですが、それでもネズミの数が都市部で激増しているという記事を本日新聞で見つけました。
 ネズミ被害に対する相談件数が9年前の6倍、99年度全国の件数で4万3000件にのぼるそうです。
 ドブネズミよりもひとまわり小さいクマネズミがその主たるもの。各自治体は対策に乗り出したようですが、このクマネズミは大変警戒心が強く駆除剤が効かないことも多々あるとのこと。となると、70年代以降すたれぎみだったネズミは今後繁殖を続け、その結果日本でもトーポ・ジージョ並みに世界的規模で有名なネズミ・キャラが誕生するかもしれません。
 と言いつつも、そんな日が訪れないことを祈ります。

【Topo Gigio に関するイタリアのHP】

'01.11.10 イタリア・カルチョ対日本・サッカー

 先日、サッカーの試合で日本代表とイタリア代表との初めての日本での対戦がありました。
 サッカーはもとよりスポーツ全般に対して興味がなく、ゆえにサッカーのルールも、両国の実力がどれほどなのかも何もわかりません。そこで普段サッカーの話ばかりしている知人に今度の試合はどんな結果になるんでしょうねと訊いたのでした。彼は即座に答えました。
 「イタリアが大人ならはっきり言って日本は赤ん坊。最低(最低の得点差)でも5-0ぐらいじゃないの」
 私は大きく頷き、内心かなり嬉しかったのです。サッカーもなにも分からないのですが、イタリアフリークとしてはやはり心情的にイタリアチームに傾くのです。(日本のファンの方、すみません)
 そんなわけで普段サッカーなんて見たこともないのですが、20時前にハッと思い出してテレビをつけたのでした。そして目を疑いました。0-1でイタリアが負けている?にわかには信
 じられなかったのですが、アナウンサーはしきりに「日本、1点を守れるか」と叫んでいます。
 そんな結果を見ると私の血もたぎってくるから不思議なもの。応援するチームがいるってことは観戦にも魂が入るものですね。ご近所は恐らく日本を応援しているのでしょうから、きっと私の叫び声と詠嘆のため息なんかは周囲と完全にずれていたのだろうと思うと怖いものがあります。とにかく非常に興奮しました。

・・・そして、結果は予想を大きく裏切って同点。なんだイタリアって弱いんだとはせず、へえ、日本もずいぶん成長したんだと思いました。イタリアフリークとしては。でも、どうも納得がいかないのです。だって、大人と赤ん坊の差と聞いたのに・・・。
 しかしサッカー通にしばらくしてからイタリアが善戦できなかったわけを聞かされました。かれらが実力を発揮できなかっただけというのが彼の自説で「前日に到着したため時差ぼけ、長時間の飛行機、交通渋滞で練習時間がほとんどとれなかった、ピッチが柔らかすぎた。引き分けできただけでも奇跡だよ。たいしたものだよ」ということでした。
 「でも」と続ける。「日本はやっぱり強くなっている。1点いれた柳沢なんかは、イタリアのどっかのチームが引っこ抜くね」と言っていました。
 これを機会にもうすこしサッカーの試合をみるようにしようかなあ、と思いました。
 今回テレビで観戦して分かったのですが、カルチョというのはものすごく興奮度の高いスポーツ。コロッセオに集まった古代ローマ人もあんな気分だったのかなあ・・・。


'01.11.6 最後の晩餐

 ミラノといえばレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。
 ミラノに行くからには、必ず鑑賞すべしと誰もが言います。そして、最近ミラノに行ってきた人たちは決まって「絶対に予約しなくてはダメ!運良く観れると思ったら大間違い」とアドバイスしてくれます。
 長かった修復を終えた「最後の晩餐」の鑑賞には、予約制、人数制限、時間制限が導入されたのでした。予約したのはひと月前のこと。ひと月前だと無理かもよーと友人に言われ、内心ひどく焦っていたのですが、運良く午後にふたコマ残っていました。あの時は、電話口でほっと息を漏らしたものです。(予約方法は「地球の歩き方」などにあります。残念ながら
 ローマのボルゲーゼ美術館のようにネットでの予約はできません。電話のみ。英語かイタリア語で対応してくれます。)

 当日は30分前にサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会へ赴き、予約ナンバーを窓口で告げて切符を買い、ガイドのイヤホンを借りました。その時、窓口をふと見ると「本日の券売り切れました」と日本語で書いた紙が張られていました。噂どおり当日券のゲットは大変難しいのだと痛感しました。
 入口の扉手前のベンチで待ちました。時間ぴったりになると、係員が入場券に検閲しながら入れてくれます。しばらく行くと自動扉。しかし、それは解除されないと開かないもので、数分経つといきなり開きました。
 高鳴る胸をおさえつつ、中に入り、そして、いよいよです。修道院の食堂の壁にその絵はありました。
 15分間。誰もが口もきかず、静粛で厳かな雰囲気の中で「最後の晩餐」に見惚れました。この時、予約制、人数制限、時間制限という制約を誰もがむしろ歓迎したと思います。そう、この絵は不特定多数がワイワイガヤガヤとした雰囲気の中で見るものではないのです。
 「最後の晩餐」の修復に費やされた年月と人々の努力についてはいろいろなところで語られています。
 たしかに素晴らしい修復でした。修復以前よりもずっと「自然」な感じがする。正直、絵を観てここまで感動したことはありませんでした・・・。
 
 ・・・というわけで、ミラノ行きが決まったら「まずは最後の晩餐の予約」と覚えていてください。
 
 
'01.10.17 ミラノ初体験           
 イタリア旅行歴10年にして、初上陸した街がミラノでした。もちろんローマに行くときは必ずミラノで乗り換えますから、マルペンサ空港は馴染み深い。しかし、果たして街の雰囲気を空港から読み取れるかというと、まずは不可能。空港はどこの場所であろうとある意味で日常から切り離された空間なのです。ゆえに、マルペンサ空港を6回歩いても、ちっともミラノ体験にはならない。
 かくして南イタリア狂の私は10/10初めてミラノ入りしたのでした。
 たった3日間の滞在ですから、ここでミラノはああだこうだとは評価することは憚れますので、とりあえず「南」を比較材料にしてミラノ第一印象を語ってみましょう。それも非常に私見に満ちたもので申し訳ないのですが・・・。
 まず明らかに、違っていたのは植物でした。空港からいつも街中に向けてタクシーで移動するのですが、南では感じない木々のフワフワ感がありました。南だとキノコのように上部に深緑色の笠をつけた松や屹立する糸杉、シチリアでは夾竹桃などが目につくのですが、ミラノでは木の持つ強烈な個性みたいなものは消され、種類のちがうものがふわふわと寄りあつまっている。そんな印象でした。紅葉をはじめたものがまざっているので、南的なくっきりとした色調がないのです。(南のものは常緑樹ばかり?)
 その意味でミラノの木々は、東京での見慣れたそれでした。
 それから、ミラノの中央駅周辺にタクシーが入ってから、すこしドキッとしたのは、背広姿のビジネスマンの存在。ローマと言う大都会でもそんな姿はお目にかかりませんでした。
 そして、道路。タイヤからいつもながら伝わってくる独特の振動がない!石畳の道でないからでしょうか?
 そして、問題はタクシーの走り方。
 あのいつものギリギリ感、スピード感、無骨さ、しかしながらものすごく巧いという走りを決して見せてくれないのです。ナポリやパレルモはすごかった。ぶつかるかと思いながらも、スピードを決してゆるめない。それがないのです。そして、こんなことはあまり体験したことがなかったのですが、タクシーを乗るために行列を作るということ。ドゥオーモや中央駅付近では時間によってかなり待たされました。
 しかし店はたくさんありました。日本でいくら探しても見つからないサンリオのバッドバツマルの製品が山のように。(二万円近い出費でしたが、見たことのないようなものばかり。)
 洒落たディスプレと品揃えは東急ハンズ、西武ロフト以上のものでしたね。
 タクシーの運転手に女性が多いのも印象的でしたね。初体験の多いミラノ(北)でした。


'01.9.26  チーズ、山羊、そしてイタリアの心  

 アルコールに強くないため、イタリアのリストランテでもせいぜい食前に度数の低いスプマンテを嗜む程度。ワインがいける口ではないってことは、チーズの知識も著しく低いということになります。(チーズはやはりワインと合わせて食するのがベストです。)そんなわけで、チーズは好きな方ですが、450種もあると言われるイタリアのチーズについて、いったいいくつ名前を言えるのことやら・・・。そんな中、NHKのBSで今晩「伝統のイタリア・食の大図鑑 神父さんのチーズは草の香り」という番組を見ました。
 北イタリアのピエモンテ州の小さな村。神父さんの営む農場の物語です。作家・島田雅彦と農場の人々とのふれ合いが描かれていますが、視聴者は何よりもそこで次々と登場するチーズに魅了されることでしょう。見ているだけで、思わず手がのびていきそうな、素晴らしいチーズのオンパレード。熟成のさせ方への工夫からも実に様々なチーズできる。チーズの卸業者が、「チーズの熟成の具合はチーズの新しい古いということから決まるのではない」と言っていたのが印象的でした。
 そして、何よりも心に残ったのは、チーズの原料を生み出す山羊への愛情。この農場では、山羊の子の出産からチーズづくりが始まります。薬物依存を克服するために農場でチーズづくりに専心する人々が山羊に愛情をそそぎ、そのことで自分の存在価値を見出していく・・・。

 現在、日本では狂牛病にかかった牛が出たということで大騒ぎになっていますが、この病の蔓延も、もともとは肉骨粉を牛に食べさせるという、人為的な共食いを人間が行なったためです。牛は処分される、モノでしかない。その視点と比べると、非効率ながらもこのロッキーノ農場で行なわれていることは、家畜への感謝と尊敬がこめられていて心あたたまります。あらためて、イタリアの心みたいなものに感じ入ったのでした。

 今ではすっかり豊富な品揃えとなったスーパーのチーズ売り場をのぞいてみようという気持ちになりました。


'01.9.24  ファーストフードVSスローフード

 マクドナルドがイタリアの外食産業に参入することになったとき、イタリア国内で様々な議論がなされたと言われます。しかし一度入り込んでしまえば、その手軽さ、気安さ、安さからマクドナルドはイタリアを席巻し、非常にローカルな場所にもマックの看板を見かけるようになりました。
 イタリアにはもともとファーストフードとも言える切り売りのピッツァやパニーノなどがありますが、席について食べるとなると、やはりマクドナルドの方に軍配があがります。
 なぜならば、バールの場合はテーブル席につくと立食にくらべて価格は跳ね上がるし、バールへ女性がひとりで入るというのはあまりないことらしい(旅行のとき、このことを知らない私はそういえばひとりで入ったバールで注目の的でした)し・・・、とくればやはりマック派が増大するのは自然な流れなのでしょう。
 しかし、こうした食のファースト化に対抗して、スローフードという考え方が台頭してきているのも確か。
 4月の下旬のことです。イタリア料理の専門家から成るイタリア料理協会は会議を開催したのですが、その時のテーマが「イタリアの正統的料理を守る」ということだったようです。食に対しては本来的に頑固なイタリア人も、ここのところのマックの健闘ぶり、スターバックスへの熱烈な歓迎ぶり・・・といくらか変わってきていて、それに対するひとつの警鐘とも言えそうです。
 来月、ミラノに行く予定のです。ここには行列で有名な回転すしの店、ZENがありますが、それを尻目に友人の勧めに従い、スローフード協会ご推奨のリストランテに行ってみるつもりです。
 これには深い思いがあるというのではなく、ファーストフードざんまい(@日本)の生活を旅の間だけでも綺麗さっぱり捨ててしまいたいからです。(本場に行って、イタリア料理以外のものを食するというのは、なんとももったいない話です)
 (追記:といいつつ、やはり便利さに負けてミラノ中央駅付近のマックに入ってしまいました。世界中同じ味を標榜しているだけあって日本のとは大差なし。ただパンは心なしかイタリアの方が上かも。値段は安くはないけど、でもハンバーガーの種類はどうであれ9.900リラと同一価格。ポテトとドリンクが特大なので、やはり日本より安い!)


'01.9.10  すべてのエッグチョコはイタリア旅行者

 「日経トレンディ」10月号に気になる記事(20p)がありました。卵形のチョコにおもちゃが封入されている例のチョコエッグのことです。
 記事によると、おまけのおもちゃについて日本でフィギアを制作し、それをもとに中国で量産し、イタリアでチョコに封入してからまた日本に持ってきて発売しているとのこと。
 なぜこんな面倒なことを?と普通に考えると思うはずですが・・・。
 「中国で量産」というのは分からなくもないです。人件費が日本のそれと比して非常に安価なので。ユニクロなんかの経営戦略はまさにそれの極みです。
 疑問なのは、わざわざイタリアでおもちゃを詰めるということ。同じアジア圏ならともかく、人件費と地理的な問題を合わせると決して効率的は言えません。となると、答はイタリアの持つテクノロジーという問題が介在しているってこと。そう、卵型チョコレートにカプセルを封入する技術は、いまのところイタリアにしかないようなのです。
 現在50か国で売られているこの卵型チョコ。となると、すべてのものがいったんイタリア入りするということ?これはなんとも妙な光景。

 私は数年前、ナポリの売店で『キンダーサプライズ』(フェレロ社)を見つけてお土産用に1ダース買って帰りました。そのうちふたつは卵が割れてしまい、自分で食べ、そして幾人かの友人に配ったのです。が、お礼を言われはしましたが、いまいち「驚き」が足りないのです。
 なぜかと思ったら、ちょうど私がイタリアに行っている間に、日本にもこの卵型チョコが上陸し、盛んにテレビでCMが流れていたらしいのです。
 こんなタイミングの悪いことはなかったですね。



'01.9.1  エロス・ラマゾッティの人気は衰えず

 昨夜のNHKのBS11で「ワールド・ミュージック・アウォード・2001」が放映されました。今年の会場はモナコ。狙っていたわけではないのですが、たまたまテレビのチャンネルがBS11になっていて、偶然にしてイタリア最優秀アーティスト賞の発表という言葉が聞こえてきて、それでテレビに釘付けになったのです。
 私はどちらかというとイタリアの現代ミュージックに強い方ではないので、たぶん知らない人だろうと思って見ていたのですが、予想は裏切られ、1番CDを持っている、すでに老舗とも言えるビッグなあの人が登場!そう、エロス・ラマゾッティその人だったのです。
 アルマーニの似合う男として名高いナイス・ガイですが、その時のいでたちはジーパンとシャツという組み合わせ。何処にでもいる、人のいいお兄さん風でした。
 しかし、あの甘い歌声はやはり彼ならではのものでした。司会が言うことにはアルバムが300万枚売れたとか。まったく知りませんでした。
 いまだ衰えを知らないその人気ぶりには驚かされます。
 ちなみにアジア最優秀アーティスト賞は浜崎あゆみが受賞しました。


'01.8.30 ふたつのヴェネチア

 夏休みは残すところ、あと1日。そして、あと5日というと、なんでしょう?
 ヒントは浦安、ミッキーマウス。とくれば「東京ディズニーシー」。
 すでにマスコミ関係者や地元住民に対しては開園しているディズニーシーは、いよいよ9/4にオープンします。
 広さは71.4ヘクタールで現在のディズニーランドとほぼ同じ。3年前から着工し、3380億円が投じられたと報じられています。海のイメージを象徴するように、パーク全体の1/5が港や水路となっていて、約16万トンの水がたたえられているそうです。(節水が叫ばれた今年、施設管理にあたっては水道局から何か言われなかったかな?)
 ここの目玉はパーク内がテーマによって7つの寄港地にわかれていることです。
 アメリカン、アラビアン、といろいろある中で私が1番行きたいのはやはり「メディテレーニアンハーバー」ですね。ここは南欧の古い港町をイメージしたゾーンで、ヴェネチアのゴンドラの浮かぶ運河が設えてあるのです。
 写真で見る限りでは、濃い青みのかかったような運河の水はヴェネチアのイメージをうまく演出しています。町並みも実に巧みに再現されています。
 オープンしてからしばらくはパーク内はかなりの人出で超過密となるに違いありませんから、一年ほど経ったら、ぜひこの非現実な空間でゴンドラでの遊覧を楽しみたいと思います。

 しかしディズニーシーのヴェネチアはどうあがいても本物には勝てないでしょう。なぜならば、重層する歴史というものが不在だからです。
 今月20日からスタートした政府委託事業体「ヴェネチア・ヌオーバ」の取り組み。それはまさに本物のヴェネチアのみが持つ「魅力」を掘り起こす偉業と言えます。

  「・・・海水くみ出し作業が始まった。16世紀に水没した旧市街の一部の島が再び姿を現す事業の行方に注目が集まっている。この島の旧市街の観光名所、サンマルコ広場の南にあったボッカラマ島。14世紀に浸水が始まり住民が避難、16世紀には完全にアドリア海のラグーン(潟)に水没した。作業は約一週間続けられ、11世紀に建てられた修道院や13世紀に使われた戦闘用のガレー船(全長40メートル)など中世の船2隻も水面に姿を現すとみられる。」(毎日新聞8/23朝刊から)

 なんともロマンティックな話ではありませんか。21世紀の今、様々な世紀をまたがったヴェルチアが掘り起こされるのです。
 ディズニーシーには在りえない浸水や高潮。それはそれで、世界中の人々を魅了してやまないヴェネチアを生成する要素である、という見方もあるいはできるかもしれません。


'01.8.11 リラとの別れは近い
  
 昨年イタリアを周遊した知人が「かなりじっくりイタリアを見てきたから、2年ぐらいはイタリア行きをお休みにする」と言っていました。ところが、どうしたわけか半年もおかずにまたイタ
 リアへ行くと言うではありませんか。
 その理由は、リラの紙幣と硬貨をひととおりコレクションにするためらしい。言われてみれば、確かにリラとの決別の日は近いのです。
 単一通貨「ユーロ」の名が発表されたのは1995年で、以後、参加国を決めるにあたって様々なスッタモンダがあって、ようやく99年から金融機関同士の取引などではユーロ建てとなったのでした。そして、とうとう来年2002年1/1から、ヨーロッパの3億人が日常的にユーロを使い始める。
 当然、私たち日本人も、欧州12カ国に旅行に出れば財布からユーロを取り出して買い物、となるのです。総額70兆円のユーロを製造するために、各国の造幣局は今現在、不眠不休でがんばっているようです。
 1月からユーロはヨーロッパ中に行き渡り、2月の末にはリラもフランも使用の全面停止。ものすごい桁数になってしまう、あの愛すべきリラが本当の意味で姿を消すというわけです。
 そのことにハタと気がついた知人は、ゆえにイタリアへ行くというわけなのです。
 「日本の銀行だと両替してもらっても、1万リラ以上の大きい紙幣しかないから」
 しかたないなという感じの彼ですが、しかし本当のところ、イタリアへまた行きたくなったというところでしょう。
 日本に持ち帰った小額紙幣や硬貨を「そんなに欲しいなら」と言って差し出したところ、「要らない。そういうのは自分で集めてこそ価値がある」なんて理由にならないようなことを言って、慌てて身を引いていましたから・・・。


'01.7.26 エトナ山、噴火!

 一週間前にエトナ山が噴火し、そして25日には火口から勢いよく溶岩を噴き出しました。
 その時の写真が本日の毎日新聞夕刊の1面に掲載されていました。噴き出す溶岩はダイナミックナな花火のようで、それはそれは凄まじい自然の脅威そのものです。
 エトナ山は、イタリアのシチリア東部カターニア地方に位置している3,310mの火山で、山全体は巨大な円錐形をしていて、どこなく富士山に似ています。
 私はこのエトナ山を昨年、タオルミーナのギリシャ劇場の舞台から眺めたものです。イオニア海に臨んだ美しい景勝地から眺めは格別なもので、ゆったりと裾野をひろげるエトナ山はとても溶岩を噴き上げる山とは思えませんでした。
 ギリシア神話に登場する鍛冶の神、ヘパイストスの仕事場でもあります。
 カターニアの街は、1669年に起きたエトナ山の大噴火によって溶岩に埋まり、また記憶に新しいところで、1983年3月、エトナ山は歴史に残る大噴火を起こしました。
 エトナ山の爆発は、それが活火山ゆえにほぼ10年に一度の割合で起きています。いつ起きてもおかしくはない噴火で、いつも近隣の住民は不安をかかえているようです。
 今回は山すそのニコロシ村から4キロの地点まで溶岩が迫る勢いでかなり危険な状態と言えます。
 ただイタリア政府は火山活動は安定化に向かい、居住地域に達することはないとしているのがせめてもの救い。
 この噴火でカターニア空港は2日間も閉鎖されたそうです。 


'01.7.15 追悼 カリメロの父

  カリメロの作者、トニー・パゴット氏の死が新聞に報じられていました。(7/7 ミラノにて死去。80歳)
  スヌーピーの作者が亡くなった時ほどは話題にはなりませんでしたが、それでも自分の幼年期の思い出とともに、なんともいえない寂しさを感じた方もいることでしょう。もちろんそれはトニー・パゴット氏の死そのものへの感慨というよりは、ひとつの過去との、本当の意味での決別とでも言いましょうか・・・。私にとってもカリメロは大事な思い出です。
 カリメロがイタリア人によるキャラであるという認識を私は早い時期から持っていました。というのは、1974年頃放映されていたアニメのエンディング・テーマが、かの有名なカンツォーネ「オ・ソレ・ミオ」の替え歌だったからです。冒頭の「オ〜ソ〜レミ〜オ」のみ同じで後は違う日本語の歌詞。
 声楽をしていた私の母は過敏に反応して、「これはイタリアの曲よ」とよく子どもの私に言っていたものです。黒いひよこのカリメロが抱くプリシラへの片思いが中心の物語ですが、恐らく(よく覚えてはいないのですが)スパゲッティなんかをよく食べていたのではないでしょうか。ひよこはひよこ
 でも、カリメロはイタリアのひよこですからね。
 10年前にイタリアでカリメロのアニメを見たときには、「フランダース犬」のように原作の輸出先である日本で作られたものをイタリアが逆輸入しているのだなあという印象を持ったものです。しかし実際には、アニメ「カリメロ」は日本とイタリアの合作だそうです。(制作は日本で行われたそうですが)
 イタリアだけで放映された作品もあるようです。
 原産国イタリアには、公式サイトまであるほどの人気ぶり。動く画像が多く、イタリア語がたとえ分からなくても、愛らしいカリメロを楽しむことができます。

イタリア版 カリメロ公式サイト


'01.7.1 必要は発明の母

 すこし前の記事ですが、毎日新聞の6/15付夕刊に、「安全のコスト」というコラムが載っていました。
 千葉県松戸市のあるマンションが大規模な修繕を機会に、かねてから要望の高かったピッキング対策として、全面的に戸口の鍵を取り替えることになったそうです。たしかにここのところ、マスコミでもピッキング被害については大いに報道されていて、デパートなどに行くと、防犯用品の売り場にはピッキング対策コーナーなるものが設けられるようになりました。特に死角の多いマンションでの被害が続出しているということですから、このマンションで鍵対策が懸案事項として浮上したのは当然の流れでしょう。
 修繕委員会では様々な鍵が候補としてあがったそうです。そして、最終的に採用されたのは、そう、案の定、やっぱりイタリア製の鍵だったのです。「ワンキー・ダブルロック」型。キーを2回まわして鍵を深く差し込むので、ピッキングはもとよりバールでもこじあけられないというメイド・イン・イタリア。
 このようなスグレモノを生み出したイタリアは、周知のとおり泥棒多発地帯。時として驚愕とともに感心してしまうほどの泥棒の手口は、今日もどこかのイタリアの住宅街で披瀝されていることでしょう。当然、対抗策も進化していく・・・。
 逆にゴキブリのほとんどいないイタリアには、日本のようにゴキブリ・ホイホイに代表されるすぐれたゴキブリ駆除製品はありません。やはり「必要は発明の母」。
 日本の安全神話がこの先どんどん崩れていくとなると、メイド・イン・ジャパンの鍵もイタリア製と肩を並べるようになる?それもあまりいい話ではありませんが・・・。


'01.6.24 パパ(ローマ法王ヨハネ・パウロ二世)の軍服姿           

 21日付けのイタリア紙「ジョルナーレ」に法王の軍服姿が掲載!
 といっても、宗教活動に入る前の19歳の写真です。(6/22毎日新聞夕刊に掲載)
 写真は、第二次世界大戦の勃発する2ヶ月前の1939年の夏のもの。当時、ポーランドの学生だったパパは、ライフル銃を携え、軍服姿で整列しています。
 あのカトリックの総本山、バチカンの法王が軍服に身をつつんでいる姿は、見る者をして何ともいえない不思議な気持ちにさせますが、落ち込んだ眼窩と角張った輪郭は、やはりヨハネ・パウロ二世その人のものです。
 この大戦で、法王はどのような経験をしたかは定かではありません。ただ、ここで人の生き死を見てきた体験が、宗教の世界へ入るきっかけの1つとなったと推測します。
 ライフル銃を抱え、前方というよりは心の深淵を見つめるかのような表情から、これから起きる戦争に対する高揚感とは異なる、ある「想い」みたいなものも読み取ってしまいました。
 と言いつつ、それは異なる宗教をもつ国々へ精力的に回る法王の現在の姿から、つい想像してしまったことにすぎませんが・・・。


'01.6.18 ピサの斜塔 (続編)

 昨年の9月にとりあげたピサの斜塔のこと。昨日テレビで知ったのですが、11年間に及んだ修復がようやく終り、今年の11月に一般公開が再開される見通しとのことです。
 ニュースによれば、12世紀に作られたこの塔は14世紀から傾きはじめたとのこと。塔の立つ地盤が砂地のため、斜塔になってしまったようです。今回の修復作業では、この脆弱な地盤を人工的に入れ替え、19世紀始めの状態に戻したとのこと。
 このニュースで謎に感じたというか、いかにもイタリアらしいと感じたというのは、修復は済んだのにもかかわらず、公開は晩秋だということです。この、スピード感のなさに不思議な気持ちにもなります。が、ピサにとっては最大級の観光の目玉にもかかわらず、ゆっくりと公開に漕ぎつけるあたり、斜塔の位置付けが単なる「名所」ではなく、今後も受け継がれていく「文化遺産」であるという認識を感じ取り、さすがイタリアと思うのでした。
 今回の修復のお陰で、徐々に傾いていくという事態はこの先300年はないとのことです。


'01.6.10 「道」の大道芸人とアンソニー・クイン

 今日、TVを見ていたら、俳優アンソニー・クインの死が報じられていました。
 アンソニー・クインは、私にとってはフェリーニの代表作「道」に登場するザンパノです。ゆえに個人的には、アンソニー・クインはイタリア人でした。しかし、改めてブラウン管に映る彼の名前を眺めると、どうしたってイタリア名ではない。映画に詳しいという方ではない私は、早速この俳優についてインターネットであれこれ探ってみたのでした。そこから得た情報はだいたい以下のとおり。

 「1915年、メキシコ生まれ。アイルランド人の父とメキシコ人の母。ドラマ・スクールで演技を学び、名匠セシル・B・デミルに見いだされ、西部劇「平原児」に出演。「革命児サパタ」で
 はでアカデミー賞助演男優賞を受賞。「炎の人ゴッホ」で、画家ゴーガンを演じ2度目のアカデミー助演男優賞に輝いた。ほか、「道」、「ノートルダムのせむし男」、「その男ゾルバ」な
 どで数々の代表作を生んだ。」

 イタリアの血が入っていない彼をイタリア人と思い込んでいたのも、映画「道」で、イタリアの風景の中にイタリアの大道芸人として、すっかり溶け込んでいたからです。ザンパノとしてイタリア語を話し、ジュリエッタ・マシーナ扮するジェルソミーナとなんとも言えないイタリア人夫婦を演出している。国籍をまったく感じさせず、その時の舞台設定で人物になりきってしまうあたりが、名優の名優たるゆえんなのでしょう。そういえば、「アラビアのロレンス」に登場するハウェイタット族の族長扮するアンソニー・クインは、どこから見てもアラブ人でした。
 フェリーニが亡くなり、その妻ジュリエッタが亡くなり、そして世紀が変わりアンソニー・クインがこの世の人でなくなりました。なんとも名状しがたいものが胸につきあげてきます。今宵はビデオデッキに「道」のカセットを差し込み、喪にふしたいと思います。


’01.5.27 「日本におけるイタリア年」イベント探訪報告2 (イタリアン・テクノロジー展@東京ビッグサイト編)        

 先日、標記の展覧会に行ってきました。5/21〜24までと、たった4日間。ちょっと無理かなあと思ったこともありましたが、万難を排してでも行くべきものだったので、イタリアまつりで記憶の新しいお台場まで、再び向かったのでした。
 以前にもこの展覧会のことについて書いたように、イタリア年ゆえに企画されたもので、今後はイタリアの企業(特に中小企業)をとりあげたこの種のイベントの実現は難しかっただろうと思われます。
 副タイトルもそのことをいみじくも語っています。 「先進技術の真髄を『日本初公開』」 「あなたの知らなかった、もうひとつの『イタリア』」
 これが同じ会場?と目を疑うほど、イタリアまつりのような騒然とした風景はそこにはありませんでした。会場はゆったりとしていて、人も土曜のわりにあまりいない。いるのは大人ばかり。イタリア人の企業関係者がところどころで集まってボソボソと話していました。
 ただディスプレイは非常に洒落ていました。「作るためのテクノロジー」「食べるためのテクノロジー」「住むためのテクノロジー」といった具合に6つのブースが色分けされていて、スクリーンの色やデザインが刻々と変化し、さらにイベントのキャラクターが光の画像となって床から壁へと走っていく。
 参加企業は50社ほど。ご存知、バイクのドゥカーティ社、ピレッリ、カンノン社、フェラーリの他、名前は初耳ですが、自然にやさしい塗料を作るケリーカラー社、先端医療器具のブラッコ社、エザオーテ社、すぐれた包装資材を提供するウチマ、高度な大理石を製作するアッソマルミなど興味深い製品がずらりと揃っていました。
 今回感じたのは、さすがモノ作りの国だけに、優れた技術を有する会社が多いということ。加えて、そうした中小企業が「組合」「工業会」「協会」という形で互いに連携をとりながら技術協力をし合っているということでした。日本も最近では、企業間で生き残りをかけて「再編」といった具合に企業の協働といったスタイルが増えてきていますが・・・。
 出口では、入り口でもらったプレゼント券をだすと、来場者全員にプレゼントがもらえました。
 イタリアっぽい、携帯のネックストラップとキャップ。入場無料なのに、とても得した気分でした。
 時間の関係でバールでカップチーノを一杯というふうにできなかったのが、少々残念・・・。


’01.5.19 イタリアの選挙結果

  13日に行われたイタリアの上下両院総選挙。その結果は日本のメディアでも通常にはないことですが、結構大きく取り上げられました。
  それにはわけがあって、野党の中道右派連合が7年ぶりに政権を奪回したからです。ベルルスコーニ元首相率いる「自由の家」が、与党である中道左派連合の「オリーブの木」を打ち負かしたのです。欧州単一通貨ユーロ第一陣への滑り込みを果たした「オリーブの木」ですが、生活改善を実現しない与党への不満もユーロ熱の低下とともに高まり、今回の逆転劇が起きたという見方が強いようです。そして、今回の政権交代はイタリア国内の問題にとどまらず、欧州からの注目が集まっています。
  と言うのは、この政権には旧ファシスト党の流れをくむ国民同盟、移民排斥を唱える北部連盟から構成されているからです。こうした政権が生まれたことはイタリアの右傾化の現れとして、近隣諸国が危険視しているのです。

  先にイタリアの移民のことについては触れましたが、人口の現象に歯止めのかからないイタリアはやがては労働力として移民を今よりも受け入れざるを得ない運命にあるのです
 が、その過程において、今後様々な政治的論争が取り交わされていくことでしょう。
  ベルルスコーニ氏のプロフィールも今回、かなり取り沙汰されました。まるで、物語の中で行われた人物設定を地でゆく人物…。

   「全国テレビ網や人気サッカー・チームACミランを一族で所有するメディア王」
   「選挙戦では1000万部を超える世帯に『イタリアの物語』と題した半世紀を送付する」
   「事業資金獲得にマフィアが関与したとの疑惑もある」
   「自らを『世界最高の指導者』『現代のナポレオン』と称したことも」          (「毎日新聞」5/15朝刊「キーパーソン」から抜粋)


’01.5.10 イタリアの外国料理

  ローマのスペイン広場近くに、マクドナルドのイタリア1号店がオープンしてから10年以上が経ち、政府が懸念したほどには、この種のファーストフード店は増えないなと感じていました。相変わらずバールはイタリア人の生活から切っても切り離せない存在だし、リストランテと言えばやはり圧倒的にクチーナ・イタリアーナ(伊料理)ばかりです。 
  それでも、ここ何年かの間に、恐らく好況も手伝ってマクドナルドや米系のカフェは増えてきました。なによりも主要都市ではない街にもマックが出現し始めているのです。たとえばシチリアの高速道路を車で走っていると、こんな辺鄙なところに?といった場所でマクドナルドの案内プレートを垣間見たりするのです。
  伝統的なイタリア料理が外国料理に侵略される。そんな危機感を抱いたイタリア料理協会は、4月の下旬、グッビオで開かれた会議で、この現象に対し警鐘をならしたと新聞に載っていました。なんでも、ファーストフードの急増、米系コーヒーチェーンの開店申請、北アフリカの代表的料理のクスクスが給食メニューに加えられたといった事例が発表された模様。とは言うものの、そうした食のグローバル化は日本に比べたら、まったく進展していないも同じ。なぜなら、依然、外食産業の90パーセントはイタリア料理なのですから・・・。
  日本では文明開化以降、どんどんとそれも急速に食のグローバル化現象がすすみ、今では和食店よりもイタリア料理店の方が断然多い。
  日本に住むイタリア人は日本のこうした外国料理に対する寛大さ、イージーさをありがたく思っていると時折耳にしますが…。

  日本と同様に少子化の傾向が著しいイタリアでは、今後50年間に総人口が28%減り、約4100万人になると予測され、国連は「かつてない規模の移民受け入れが必要となる」と
 指摘しています。となると、イタリアも頑固に自国の料理にこだわることなく、ますます増えるであろう移民向けにと食を多様化させたほうがいいのかもしれません。
  でも、個人的には本場のイタリア料理は未来永劫、決して衰えることなくこれまで以上に隆盛してくれることを願いたくなります。


’01.5.3 「日本におけるイタリア年」イベント探訪報告1 (イタリア祭@東京ビッグサイト編)      

 4/29の日曜日に早起きをして、お台場のビッグサイトで開催されているイタリアまつりへ行ってきました。雑誌や電車の吊り広告を見ると、なんだか軽いタッチ。なんとなく子ども騙しのようなものを感じ、でも、今年限りのモノとなるとやっぱり行かねば、でも、ちと遠い・・・・と様々な思いがないまぜになり、これではイカンと考え、強制力を自らに与えんがため前売りをチケットぴあで購入したのでした。
 フランス年の時の「フランスまつり」はめちゃくちゃ混んだという噂を耳にしていたので、1H前に会場入り。が、まだ列と言うほどのものは出来てませんでした。すこし拍子抜けしましたが、しかし開場の15分前にはかなりの列ができました。

 全体を概観すると、思っていたよりは割とイタリアの雰囲気が醸し出されていました。
 と、言うのは、各州のパビリオンや食べ物屋さん、物産店にはかならず一人以上のイタリア人が配されていたからです。普段日本ではほとんどお目にかからないイタリア人がこれだけいると、やはりなんだか気分がうきうきしてきます。
 各州のパビリオンから無料のパンフをたくさんもらい、なにげにひと言ふた言、イタリア語を交わす。日本にいながらにして、なんとも嬉しい経験です。イタリア人同士の「チャーオ」という挨拶も耳に入ってくる。
 午後になると人は増えるばかり。赤いフェラーリが3台飾られている一角や、テレビ中継の部屋などが人気。しかしやはり何といっても超人気なのは、ブイトーニなどのメーカーがタダでスパゲティやカプチーノを給してくれるコーナー。行列と熱気の嵐。この祭への結構な動員数は、ほとんどこれらイタリア料理に支えられているといっても過言ではなさそう。伊料理の人気の高さをあらためて実感しましたね。私といえば、もらったパンフや資料を集めにあつめて、リュックにどんどん詰め込んでいく。胃袋はほとんど空で、背負うリュックの中はぎっしり。州ごとの情報ゆえに、なかみが濃いようです。ここで得た情報をこのHPで生かせれば、と思いつつ、今たくさんの資料の整理をしています。


’01.4.22  オリーブ・オイルのこと

 10年ほど前と今とでは、様々な事象に変化が生じています。そうしたもので一つ挙げるとしたら、私としては、やはりオリーブ・オイルですね。
オリーブ・オイルと日本人といった大きな括りで考えると、10年で輸入が10倍以上となりました。恐らくどの家庭でも1本はこのオイルが常備されているのでは?と想像します。
 そして、個人的な経験からオリーブオイルのことを考えると、少し恥ずかしい思いにとらわれます。実は10年前の私は、オリーブ・オイルにはエクストラ・ヴァージンとピュアといった違いがあることすら知らなかったのでした。
 昔むかし、スペイン料理店でサラダを頼むと、それを運んできた給仕の人が「それでは味付けをさせていただきます」と言って、ワインビネガーを少々振って、次にオリーブオイルをふんだんにかける、そして塩と胡椒を振り、そして混ぜ合わせてくれました。ドレッシングしか知らなかった私の目にはこの一連の作業が妙に新鮮だったし、食べてみると非常においしかったのでした。なめらかな口当たり、それでいて後味がくどくない、野菜の持ち味が存分に生かされている。
 すっかり気に入って、家のサラダにもこの方法を試してみることにしました。帰りがけ、デパートに寄り、「これだコレ」と思って棚からオリーブオイルの瓶を取り出し、ついでに適当にワインビネガーを一本買いました。
 そしていよいよ家でサラダをこしらえると、スペイン料理店の場面をイメージしながら、味付けをしました。しかし、どうも違う。いやいや全然違う。やはり、素人の自分がやると駄目なんだと思い、かなりがっかりしたものでした。
 しばらくしてから再び訪れたレストランで、またサラダを注文。そして、そこで気がついたのは、オリーブ・オイルの色が違うということでした。家のものは黄色、しかし店のものは黄緑がかっている。帰りにまたデパートに行ってみる。よくよく見ると、同じオリーブ・オイルでも色が違う!
 黄緑の瓶には、エクストラ・ヴァージンと書かれいる。私はこのことを通じて、「サラダにはエクストラ・ヴァージン、加熱用にはピュア」という基本原則を学んだのでした。エクストラ・ヴァージンに変えただけで、レストランの味を見事に再現できたのです。
 最近では、パンにバターではなく、オリーブ・オイルの入った皿をつけてくる店が増えてきました。何年か前だとこのような組み合わせも真新しく、いちいち給仕の人が客に説明をしていたものです。それが今では、何も言わない。オリーブ・オイルはすっかり日本社会で市民権を得たという感が深い。
 しかし、たとえば観光客の多いヴァチカンあたりのピッツェリア(ピザ屋)へ行ってサラダを頼むと、サウザンアイランドの入った瓶がテーブルに置かれたりします。イタリア人のテーブルには、オリーブ・オイルとビネガー、塩、胡椒といった基本セットがちゃんと置かれているのですが…。そんな時、私はイタリア人客のテーブルを指して「アレに変えてください」と頼むようにしています。カメリエーレは「へえ、分かっているのかい」みたいな顔で「スービト(すぐに)」と応える。
 イタリア文化が定着しつつある日本の現状。そんなことを彼らには知る由もありませんが、私のような行動をとる日本人が増えれば、自然、黙っていてもオリーブ・オイルが観光地でも出されるように変化するかもしれませんね。


’01.4.15  「殻」待望論

 雑誌「DIME」の4/19号の71〜73Pに連載記事「幸服の哲学」というものがあります。
 ビジネスピープルに贈る本音オシャレ術というものです。
 今回は、スーツ姿でいかにケータイをオシャレに持つか、というのがテーマ。携帯ストラップは基本的にカジュアルなものだから、スーツとなじまない。首からさげるネックストラップも派手なので、いただけない。結果、超薄型を胸ポケットに入れるのがベターということでした。
 ここで、以前このコーナーで書いた「イタリアでは携帯ストラップがない」ということ(あくまでも個人的な観察にすぎないのですが)と、この記事にある「オシャレな着こなし」ということが妙に結びついてしまいました。
 つまり、あれは、イタリアのような「オシャレ先進国」にあっては、NGということでしょうか。つまり、ケータイのような持ち物として目立つものにストラップというのは、イタリア人にとってはダサい。のかもしれない・・!?
 まあ、それはともかく、記事の後半に書かれているのは、海外ではTPOに合わせて、番号を変えずに異メーカー複数のケータイを「着こなし」ているという点でした。海外では、GMS方式というのが主流で、これだと電話番号などの個人情報の入ったSIMカードを差し込むやり方なので、いろいろなケータイで使えるとあります。そう、イタリアもまさにそうでしたね。
シチリアでパレルモからエンナに向かう高速バスに乗っていた時、前に坐っていたイタリア人青年がカバンからゴソゴソ何かを出していた。出てきたのはケータイ各種。5つぐらいありました。ひとつから、カードみたいなものを取り出して、しばらく考えてから、ある1つのケータイを選んでカードを差しこんでました。彼はこれから自分が向かう空間に合わせて、「着こなし」を行ったのでしょう。
 ケータイのことをイタリアでは「殻」という意味のイタリア語で呼称することがあります。こんなシーンを見ると、ああ、なるほど「殻」ですね。あれは。
日本も早くこの方式になってほしいです。飽きっぽい人、オシャレな人には、やっぱり「殻」がイイです。


’01.4.6 未知のイタリア

 4/5
付の毎日新聞に東京外語大の和田忠彦教授の面白い雑感が掲載されていました。イタリア語専攻の新入生の印象を語ったものです。新入生の主要な志望動機は、テレビのイタリア語講座がきっかけというものが目につき始めたと和田教授は指摘しています。テレビに映るイタリア人(おそらくジロラーモやダリオのことでしょう)の明朗さに惹かれて、というのがきっかけでイタリア語を学びたくなったとのこと。
 ここで和田教授が気になるのは、そんな彼らのイタリア熱も、サッカー、ファッション、デザインといったものに支えられていて、歴史的知識となると皆無に等しいということです。イタリアブームにのって浸透したイタリアのイメージや情報を鵜呑みにせず、歴史や芸術についての知識や興味を養ってほしいと語っています。

 確かに、ここ10年の間、イタリアは日本においてどんどん大衆化している傾向にあります。そんな中で、イタリアの未知の部分にまだまだ光が照らされていないという気もします。でも。と私は思ってしまうのです。
 レストランではナポリタンかミートソースしかなかった時代、イタリア語で「ありがとう」が何て言うかなんて誰も知らなかった時代、塩野七生の「ローマ人の物語」がいまだ世に出ず、いや出てもあんな厚くて高い本がベストセラーになることなど考えられなかった時代・・・に比べたら、イタリアは食やファッションのみならず、文化、歴史を包含しつつ確実に多角的に日本に深く食い込みはじめています。
 何よりも、イタリアの文化や芸術などの本が、こんなにもたくさん書店に並べられる時代です。
 未知のイタリア。その扉は日増しに開きはじめていると、そんな風に思えるのです。そして、扉を開く手の数が増えつづけていく。
 一度知ったら病みつき。だからイタリアブームは10年たっても衰えることなく、ますます盛りあがっていく。
 あと、10年経ったら、マルチにイタリアを語れる新入生がたくさんやって来るかもしれません。


’01.4.2 イタリアのテクノロジーはすごい!

 私が今年展開される「日本におけるイタリア2001年」で最も楽しみにしているイベントは、「イタリアンテクノロジー展」です。東京ビックサイトで5月19日から24日にかけて開催されるこの展覧会は、イタリア工業技術を紹介するものです。
 50社以上ものイタリアの企業が出展を予定しています。イタリアのビジネス関連の展覧会で、これほどの規模と内容のものはないということです。イタリアの展覧会、イベントと言えば、ルネッサンス展といった美術展、あるいはオペラといったものが多い。「イタリア年」でなくとも、その種のイベントはいつでも花盛り。
 そんな中で、イタリアの工業を技術をひとつの大きな展覧会としてしまう試みは珍しいもので、これも今年が「イタリア年」ゆえに実現したものだと思います。
 イタリアというと、カンツォーネや美食、風光明媚な景色といった、人間の生の謳歌そのものの国といったイメージが強く、あまり経済や工業の側面からイメージされる土地ではありません。しかし、実際には非常に工業化の進んだテクノロジーの国という側面があるのです。イタリアとは逆のイメージで語られるドイツ。質実剛健で高い技術力を誇り、「鉄の国」という印象があります。しかし、その国を代表する産出物であるクルマ、そのパーツの75%は、実はイタリア製なのです。
 イタリアは、実は日本、アメリカに続く第3位の工業機械生産国。そう、イタリアは柔らかいだけではなく、非常に技術力に富むテクノロジー大国なのです。
 「作る」「食べる」「住む」「動く」、あらゆる側面からイタリアンテクノロジーをさぐるこの展覧会は、かなり見ものであるに違いありません。


’01.3.20 座り込むイタリア人

 日本の新聞にイタリアのことが報じられるのはあまり多いことではありません。雑誌であればファッション、グルメ、旅など特定のテーマで特集を組むので、イタリア関連記事はかなり見受けられるのですが。
 2001年は「日本におけるイタリア年」。ゆえに日本でのイベントは時折ニュースになりますが、イタリアそのものを報じる記事はほとんどありません。一方、国際ニュースが載る面に必ず 登場するのは、やはり大国アメリカ。
 そんな中で毎日新聞のMAIL BOXにはイタリアの旬がたま〜に掲載されて、その度に楽しく読まさせていただいています。
 ローマに住む井上卓弥という特派員が、ショートコラムでイタリアでのエピソードと感想を綴るというものです。
3/15からの記事では「ナポリからローマへの列車が突然ローカル線をう回し、2時間程度の帰り道に7時間もかかった」という話が載っています。その理由たるやおなじみのショーペロ(スト)でなく、「ナポリのごみ処理業務が滞り、自分の自治体に運び込まれて処分されていると知った住民が、線路に座り込んで列車を妨害した」ためとあります。普段は細かいことに目くじらを立てない南部人も怒れば実力行使に出て痛快だ、という井上氏のコメントつき。
 確かに日本であれば、清掃工場の建設にからむ住民の抵抗というケースはあっても、ごみの処分をめぐって「線路に座り込む」というのはあまりないかもしれません。
最近刊行された『中坊公平・私の事件簿』(集英社新書)で、中坊氏がM市場の立ち退きにあたって住民に「座り込み」を強く勧めるシーンがあります。

  これは日本人全体に言えることですが弁護士任せ、政治家任せ、他人任せにするのではなく、自分の問題であり、自分自身が足を踏み出さないと解決しないということをわかってほしかったのです。
  ・・・と中坊氏は当時を振り返る。

 イタリア人は日本人に比べると、実に頻繁に「政治問題」を話題にします。老若男女にかかわらず。線路に座り込んだのも、ごく自然に「ごみ問題」を「自分の問題」と捉えたからなのでしょう。
 イタリア人の、生活とクロスした政治への認識。感服します。


 ’01.2.17 G7の会場はシチリアの州都パレルモ          

 本日、7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議がパレルモで開幕したことをご存知でしょうか?
ごく普通の一般人にとってパレルモがイタリア(シチリア)にある街である、ということはそれほど認知されたことではないかもしれません。ただ個人的な感情から見ますと、今回のような国際会議がシチリアの街で行われているというのは、何ともいえない喜びを覚えさせることです。
 ニュースでパレルモという文字が現われる度に、なんだかドギマギしてしまいます。昨年日本の、それも沖縄でサミットが行われた際も大変嬉しかったのですが、今回はまた喜びもひとしおです。
 世界中にある珠玉の街。いくら高度情報化がすすんでも、いまだに私たちはそれらについて何も知らないのと同じ。
 パレルモと言うと、長い間諸外国に統治されていたシチリアの、まさに象徴とも言うべき街です。建造物、美術、食べ物、街をゆく人々、そこに様々な文化の共存、混沌が見受けられる。
 リストランテのボーイには黒い肌の人々が多く、サボテンの実をデザートに食しながら、ここはどこだろうという気になってきます。とんでもないくらいに魅力的な街でありながら、イタリアと言えば定番はローマやミラノ、フィレンツェやヴェネツィアといったところ。
 ゆえにパレルモでG7というのは、国際的にここの魅力をアピールする、またとないチャンスです。
 各国の財務相は私の泊まったあのホテルに宿泊しているのでしょうか?あの有名なリストランテでいわし料理に舌鼓をうっているのでしょうか?想像はいくらでもふくらみます。
 G7の報道とともに、あの素晴らしいシチリアの青空が映らないものでしょうか?
 しかし、下の日経の新聞を見る限り、会場のことはどうでもいいといった雰囲気。米経済の減速がもっぱらの話題なのです。
 ま、それでも暗い材料を抱えたG7だからこそ、あのパレルモが会場に選ばれたんだ。そう、解釈することにしましょう。

 〜以下、日経新聞から〜
 G7会議が開幕へ・米景気減速への懸念共有へ

 【パレルモ17日=小竹洋之】7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議が17日昼(日本時間同日夜)、開幕する。会議では米景気の減速が世界経済の波乱要因になりかねないとの懸念を共有し、日米欧が自国経済の失速や金融市場の安定に向けた政策努力を続けていく方針を確認する見通しだ。最大の焦点である米経済については機動的な財政・金融政策によって景気後退を避けることが重要だとの認識で一致。景気回復の遅れが目立つ日本も財政・金融両面から景気を下支えするとともに、不良債権処理や構造改革に取り組むよう求められる見通しだ。 G7会議の開催は米ブッシュ政権の発足後初めて。同日夕(日本時間18日未明)に共同声明を採択して閉幕する。昨年9月にチェコのプラハで開いた前回の会議ではユーロ安と原油高への対応が主要議題になったが、今回の会議では昨年後半から急減速している米景気の動向や米新政権の政策対応に注目が集まる。


’01.2.9 東京タワーがイタリア国旗に!         

 「2月8日午後6時30分過ぎ、カウントダウンに合わせてイタリア外務省事務次官のウンベルト・ヴァッターニ氏によって点灯スイッチが押されると、東京タワーは鮮やかなイタリアンカラ  ーの光の衣を纏って夜空に浮かび上がった。このライトアップイベントは、3月からいよいよスタートする「日本におけるイタリア2001年」を記念して行われたもので、照明デザインを担  当したの石井幹子氏。日伊友好の光のメッセージ」であるこのライトアップは、次回、2月9日午後5時から12時まで予定されている」

 以上は、「日本におけるイタリア2001年」の公式サイト(http://www.love-italy.net/main.html)からの抜粋です。
そして、東京タワーに行けない私のような人のために、インターネットを介してこのトリコロールを中継してくれてます。(同サイトからアクセス可能。ただ文面から見るに、この3色旗計画も本日で終わり?)
’00.3.3の思いつきコラムでこのイタリアの国旗 について取り上げました。1851年、サボイ王家が制定し、61年のイタリア統一後も引き継がれたものであると、その際に説明を加えましたっけ。
 1851年、それから2度めの新世紀を迎えた今、この国旗は遥か極東の国、日本において、その首都TOKYOで、象徴ともいうべきモニュメントの外観を飾っているのです。
今、日本では「イタリア年」であることを一体どれほどのイタリア人が知っているのでしょうか?
東京タワーを飾るイタリア国旗。たくさんのイタリア人に、ぜひ教えてあげたいものです。


’01.2.5 つり銭不足

イタリアに旅立つ前に何万円かのお金をリラに両替しておきます。
むこうに行ってから両替した方が効率がいいし、またカードやTCの方が安全だということも承知しています。
けれどもアリタリアでミラノやローマ経由にて南イタリアへ行く私にとって、目的地に到着するのが夜中近い。当然、銀行はとっくに閉まっています。が、ホテルのポーターやタクシーの運転手には現金で料金、チップを渡す必要があるのです。
そんなわけで事前に換金しておかねばならないのです。しかし日本で換金する場合、1万リラより小さいお金には換金できません。「チップで必要なので、もっとくずせませんか」と頼んでも、「現地でお願いします」といった答しか返ってこないのです。
チップに1万リラは600円程度なので少々お高い。
そんなわけで、経由の空港で私はいつもちょっとしたお菓子や地図、時刻表を買うことで1000リラなどの小さな紙幣をゲットするように心がけるようになりました。
小額紙幣はだから貴重で、できるだけ釣をもらうように旅行中留意しています。
けれどもイタリアの店や美術館、博物館には何故かつり銭のストックが極端に少ないのです。「南イタリア周遊記」のナポリ編(エルコラーノ)の項でも書きましたが、お釣がないから銀行で両替して出直してほしいと切符売り場で言われたほどです。
ローマのテルミニ駅のショッピングモールでフェラーリの直営店へ入った時も、若い女性の店員が私の出した1万リラに4000リラの釣がないと言って、店内にいるすべての客に「こまかいのを持ってないかしら?」と聞いて回り、私は顔を紅くしてうつむくばかりでした。
日本の店、スーパーやコンビニなどどこのお店でも、お釣がないという事態にはまず陥らない。給料日付近では、1万円札を出す客を見込んで大量のお釣を用意していてくれるほど。
日本ではイタリアに比べると、一人あたりに対し流通しているお金が圧倒的に多いのだと思われます。
その証拠に、リラ札はモノによっては皺だらけ、解体寸前、セロテープで辛うじてつながっているものも頻繁に見かけます。貫禄のあるお札、とも言うべきもの。
リラはじきにユーロへと完全に切り替わります。
そう考えると、旅行後に僅かに残ったリラ札が妙に別れがたいものに感じられてきます。換金せずに記念にとっておこうかな、などと思ってしまいます。
特に、店で出し惜しみされる1000リラ紙幣は、酷使された歴史とともに「ごくろう様」と言って、額に入れたいほどですね。


’01.1.26 クハラ無罪判決とムッソリーニ

 今日の毎日新聞の夕刊に、「おしりなで1回、瞬間的なら黙認!? 伊・最高裁判決 女性議員カンカン」というものがありました。べネト州のお役所で、上司におしりをなでられた上に「黙っていないと昇給させない」と脅されたと被害女性が訴え、しかし最高裁判決は証拠なしとし、被告の無罪を確定したというものです。半分はこの逆転無罪に関する記事。そして半分は、この判決にカンカンになっている女性議員のこと。この女性議員とは、アレッサンドラ・ムッソリーニ。
 記事は、この女性議員が「第二次世界大戦中の独裁者ムッソリーニの孫」であることを告げています。
 中心的な話題は「セクハラ→無罪」ということでしょうが、同時に記者は「独裁者ムッソリーニの孫」が現在議員をしているという事実にも着目しているようです。
 このアレッサンドラ・ムッソリーニが議員の職に就いたのはわりと前のことです。その際一般的に、「えっ、あのムッソリーニの孫が議員?」という衝撃が走ったように記憶していますが、ここにもってきて、やはり激怒する議員は「ムッソリーニの孫」といった注釈が入ってくるのです。
 「おしりなで1回」が最高裁までいってしまうこと、その判決に異議をとなえる議員がムッソリーニの孫。イタリアでのことは「理解できない」という思いこそが、この記事を書かせたのかもしれません。確かにイタリアは不思議な国なのかもしれません。しかし、日本は日本で、世界にとって、ある意味、不思議な国なのかもしれません。
 「あんなに低い支持率の首相が、いつまでも政権をとり続けていられるなんて不思議ね」とイタリア人の友人が先日首をかしげていました。


’01.1.22 所得格差

 22日の毎日新聞朝刊に「広がる所得格差」という記事があります。格差を表すデータとして世界的に用いられている「ジニ係数」。それは、「分布の集中度からどのくらいの格差があるかを測る。平均的な位置に数値が集まっていると平等とみなされ係数はゼロに近づく。データにばらつきがあれば不平等と判断されて1に近づく」というものです。
 日本は’79に0.271だったものが、’94に0.297となり、’99には0.301。不平等度は20年間でかなり増しているとの報告です。ただイタリアは’93のデータで、0.35ほど。アメリカをやや上回る不平等さ、それも日本のようなゆるやかなカーブではなく、’85の約0.30から急カーブで所得格差が生じています。データが旬のものではないので現状はどうだかわかりませんが、所得格差はもっと広がっている可能性もあります。
 とにかく先進国では貧富の格差が大きい国、それがイタリアというわけなのです。北と南の経済格差が頻繁に取り上げられるますが、そうした格差が「ジニ係数」なる客観的なデータとなって現われているのかもしれません。
 なんだか変な気持ちなってしまいます。と言いますのは、イタリア人、とくに南イタリアの人は素晴らしい気候の中、おいしくて安い食材に恵まれ、いかにも人生を謳歌して生きているような印象があるからです。しかし一方で、今は落ち込みぎみではありますが、数値の上ではまだまだ金持ち、そして「ジニ係数」も大きくなりつつあるも微増にすぎない日本)が、果たして豊かさを実感でき、平等な国(ジニ係数は伊、米、仏より低い)かと言うと、異論も多いはず。
 イタリアは貧富の差が大きいようですが、でも、あの国でなら、もっと人間らしく生きられるような気がしてならないのです。
数値は必ずしも生活者の快適さを表していない、そんな気がしてなりません。
 

’01.1.9  オベリスクの里帰り

 イタリアのものではないのにイタリアのローマにたくさんあるもの。それは、オベリスクです。
古代エジプトで太陽神を象徴した四角柱。太陽信仰に基づく記念碑。現存するものの21本のうち13がローマにあります。ようするにオベリスクが見たければ、ローマに行くのが手っ取り早いというわけなんです。
 16世紀後半に教皇の任にあったシクストゥス5世は、このオベリスクを巡礼者のための道標と考え、6つの巡礼路と4つのオベリスクを整備したと伝えられます。現在では、ローマっ子たちの待ち合わせスポットとなってる模様。
 さて、そんなオベリスクも今年2001年には13から12本に減ることになりました。ローマのコロッセオ近くの1本です。1936年ムッソリーニがエチオピア侵攻時に略奪したもので、高さ24メートル、エチオピア文明の揺籃期(2-3世紀)のものと言われています。(毎日新聞 '00.12.27)
 戦後、長きにわたってエチオピアから返還要請があり、そしてこの度、やっと返還が実現することになったのです。戦利品として他国のものを奪ってしまうというのは、何もオベリスクに限ったことではありません。絵画にしろ彫刻にしろ、あらゆる芸術作品や歴史的なモニュメントが異国の空のもとへと運び去られたのです。そして、その対象はモノだけでなく、土地や人々までもが含まれていたのです。
今回里帰りするオベリスクは64年ぶり。それは、長いようでいて、むしろ短かったとも言えます。モノによっては、何百年も異国の地に縛られているからです。
 ムッソリーニという、「独裁者の略奪」と言う点が、今回の返還に正当性を与えたのかもしれません。オベリスクがひとつローマから消えてしまうというのも何だか寂しいですが、しかし、このオベリスクがそびえ立つ地は、やはり自国であるエチオピアのほうが似合っているのかもしれません。


’00.12.25  日曜の朝、NHK衛生第1…

 と、書いて「ああ」と頷く人もだいぶ増えてきているのではないでしょうか。そう、BS7の8:10から、10分間ですが、イタリアのTVニュースが見れるようになったのです。この試みは先月1周年を迎えたわけですが、初めて見た時は、感慨もひとしおでした。イタリア語に完全に切り替えて聞くに、非常に早口で何を言っているか断片的にしか分かりませんが、イタリアの街中が映ったり、独特のサイレンの音が聞こえてくると、思わず笑みがこぼれてしまいます。また、テロをめぐる報道を聞くと、イタリアのシリアスな面を垣間見る思いで、自分自身の認識の甘さを痛感したりもします。
イタリアの情報は、今や様々な形で日本に入ってきていますが、特にここ数年は飛躍的に情報量が増えたという印象があります。
 セリエAやアレッシィのグッズ、イタリア製ブランド品、ワインにオリーブオイル…、非常に日常的な部分からもイタリアは日本に入ってきています。いまや日本での料理店の数において、フランス料理店をゆうに抜き去ったイタリア料理店。本場でしか食べれなかった本格イタリアンも日本にいながらにして味わえる時代になりました。
 新世紀となり、2001年にはいよいよ日本でのイタリア年。イタリアに関するイベントが各地で開催されることでしょう。
 イタリアファン獲得の年でもあります。
 

’00.12.17  日本の象徴            

イタリアで散策をしていると、いろんな日本語を浴びせかけられます。
話しかけられるのではなく、浴びせかけられるというは、なんらかの形でそのイタリア人とコミュニケーションをとっている時でなく、いきなり走りゆくヴェスパから「○×△□…!」と叫んできたり、なにげにすれ違いざまにつぶやかれたりするからです。
少し前ペルージャで中田が活躍していた頃には、「ナカタ〜」というのが頻繁で、その他恒常的には「サヨナ〜ラ」「コンニチワ〜」というのが多いです。他にも、日本の有名メーカーの名が飛び出ることもあり…。
そういった挨拶言葉は今回抜きにして、イタリア人にとって、日本を象徴するコトバとは一体なんでしょう?今まで考えていなかったことですが、ここでそのことに言及したくなったのは、実はワケがあるんです。今年乗ったアリタリア航空の機内食で、妙なものに視線が釘付けになったからなのです。
アリタリアの機内食はお世辞にも、レベルが高いとは言えません。(あくまでもエコノミークラスでの話ですが…)
ただ日本人客の多い便には、ほんの少しお寿司が付くといった心配りは一応あります。塩、ナプキン、フォークがビニール袋にパッキングしたものが一緒に出される場合には、楊子までご丁寧に同梱されていたりもします。
そして、問題はこの楊子なのです。
楊子は小さな紙の袋に入れられていて、そこには小さなアルファベットでなにやらつづられているのです。
日本発のアリタリア航空機。当然、乗ってくるお客様は日本人。彼らは楊枝が楊枝と呼ばれているのを知らない。しかし何かしらの名前をつけなければならないと思ったのかもしれません。そこでちょいと考えてみた・・・。
針みたいな形状が、なんとなく日本古来の武器を彷彿とさせたのかもしれません。
袋には、そう、「SAMURAI」と印字されていたのです。イタリア人の誰もが知る、日本特有のコトバ。日本の象徴。これをつかえばまず間違いはない、そんなコトバ…。安易と言えば安易ですが。でも、なんとなくニュアンスはこれで通じるような気もします。
シチリアでガイドをしてくれたアントニーノは、イタリア統一の英雄ガルバルディの彫像を指さして、ひととおり説明した後で、にんまりと笑って「SAMURAI」と言いました。それは、あたかも、国の違いはあっても一言口にすれば感覚を共有できるコトバとして、彼がここぞとばかりにつかった日本語だった…のかもしれない。楊子の袋を手にしながら、そんなことをふと思ったのでした。


’00.12.15  遺跡と猫とやさしさと

 すこし古い記事ですが、TBSブリタニカの雑誌『pen ’00.11/1号』(23p)に「遺跡でのんびり暮らす、野良猫たちの優雅な日々。」というコラムが掲載されています。
 シーザーが殺されたローマのアルジェンティーナ広場の遺跡に、ボランティア組織によって世話をされている野良猫たちがたくさん住んでる、とここには書かれています。遺跡に捨てられていた猫の世話を2人の女性がしていたのがことの始まりで、今では国内外からの寄付金で、7人のスタッフが食事や予防接種、けがの治療に努めているとのこと。(トーレ・アルジェンティーナ協会  www.romancats.com)
 少し前にスカパーのごく短い番組でも同じくローマのピラミデ付近に、ボランティアの人々が日夜、遺跡に住む猫たちの予防接種をしたり、食事の世話をしていることを報じていました。夏のヴァカンスへ行く前に飼っている猫を遺跡に捨てていく人が絶えないそうです。
 雑誌やTVでこうしたイタリアの事情が度々語られるのは、日本ではこんなことは稀だし不思議なことだし奇特なこと、だからこそニュース・ソースとなり得るのでしょう。
 日本の野良猫は少なくともふたつの点で、イタリアの野良猫よりもアンラッキーです。ひとつは、ローマのように街中に、湿気を適量にはらんだ古代から綿々と受け継がれたパラダイス(遺跡)が存在しないこと。(ここには、観光客という餌付け人も大勢やってくる)
 そして、もうひとつは、野良猫に餌をやることを犯罪とは決して見ない、いやそれどころかむしろ保護することをホスピタリティの厚さと見なす風潮が、日本にはほとんど存在しないこと。(ま、野良猫イコール公害となってしまう、日本のごちゃごちゃした街の作りが、1番の原因だと思われますが…)
 フェリーニの名画「甘い生活」で主人公扮するマルチェロ・マストロヤンニが、「ローマは猫だらけなんだ」と女優に言い放つシーンがあります。映画の上映から40年近く経った今日も、ローマはいまだに猫だらけ。永遠の都では、遺跡も野良猫たちも、世紀をまたいでも、やはり変わらずに存在し続けるのでしょう。


’00.12.8  待ってました「スマート」       

 2000年のイタリアの街中で、特に目をひいたのはダイムラークライスラーの「スマート」。小さくて、、丸っこくって、それでおしゃれ。かわいいというより、小利口な感じ。イタリアのみならず欧州でも人気のこのコンパクト・カーは、イタリアの石畳によく似合っていました。
 ローマやパレルモなどの都会には、「スマート」を宣伝する大きな看板。そして、かなりの頻度でスマートに走り去る「スマート」を目撃。その人気の大きさを物語っていました。こんなのが日本にもあったらなあ、という思いで私などは、駐車された「スマート」に羨望のまなざしをおくったものでした。
 それが、ついに、今月4日から日本でも売り出されることになったのでした!新聞報道によれば、この「スマート」のスペックは以下のとおり。
 排気量600cc、2人乗り、全長約2.5m、全幅約1.5m、燃費はリッター19キロ、6速オートマチック、価格は130万。
都会生活には、なかなかグッドな車です。イタリアの、たとえばローマのような、遺跡で道が塞がれたり、2重駐車で動きがとれにくかったりする街にはぴったりのサイズ。日本でだって、東京なんかではうってつけでしょう。
 ただ難を言えば、左ハンドル、そして車幅が軽の規格より大きいため取得税が割高なこと…。ま、こういった問題も将来的にはクリアしていく方向にあるとのこと。
年間販売目標は7000台。
 人気が出ていっぱい走るようになってくれたら、日本の景観もすこしはスマートになるかも。
 と、そう思わせるほど、なんとも言えず素敵な車です。            


’00.11.23 携帯ストラップって…       

イタリアでは、無いのでしょうか?
そんなことはない。イタリアの人気2大ブランドであるグッチ、プラダにはちゃんとその手の商品はある、と反論されるかもしれません。でも、あれは結構日本人向けにプロデュースしているもので、イタリア人は使わない商品も多いなんて噂も聞くし…。
とにかく、ケータイ市場はイタリアでも急成長。街を歩いていても、ケータイそのもののラインアップは非常に多いし、周辺アイテムも日本並みにぶら下がっています。中でもおびただしいしい数があるのは、ケータイケース。イタリアらしいビビットな色彩のものから、革のもの、柄つき…と、いろいろです。それに加えて、ケータイの模様替えのためにピタッと貼りつけるタイプのプラスチックのカバーも様々に売られていました。
しかし、どういうわけか日本であれだけ売られているストラップはトンと見ない。かなり不可解でした。
日本の友達へのプレゼントにイタリアの携帯ストラップなんていうのもいいなあ、ともくろんでいた私は少しがっかりしたものです。
…そして、しばらくしてこの「欠落」の謎も解けることになりました。
日本に戻ってきて、イタリアのショップでもらってきたモトローラーやノキア、ソニーなどのケータイ・カタログを何気に眺めていた時のこと。あることに気づいたのです。素敵なモデルたちがページのところどころで、楽しげにケータイでコミュニケーションをとっている場面。
ここでも誰一人としてストラップをぶら下げてない。そして、製品の実物大の写真。前、横、裏。そう、そこにはストラップを通す「穴」がないのでした。なるほどと思いました。
もちろん「穴」つき製品も一部あるのかもしれません。
しかし、あれだけストラップが見当たらないということは、恐らく「穴」のないのが一般的なのかもしれません。
思い起こせば、ケータイ片手に大声で話すイタリア人たちを見かけましたが、ストラップはなかったように記憶します。
根底には日伊の文化の差違みたいなものがあるのかもしれませんが、単純に「紐なし」は不安だと思ってしまうのは私だけでしょうか?


’00.11.20 イタリア旅行の必需品 〜ホテル編

 いざ温泉旅行に行こうと思った場合、いわゆるグルーミング用品は基本的に持っていく必要はありません。シャンプー、リンス、化粧水、ドライヤー、歯ブラシ、手ぬぐい、石鹸などは、ふつうの旅館やホテルには、たいがい常備されています。
 イタリアのホテルだって然り。ちょっといいところだと、使い捨てのものではありますが、スリッパだってちゃんと部屋に用意されています。シチリアの景勝地、タオルミーナのサン・ドメニコ・パレスという最高級ホテルでは、そういった常備品がすべてエトロのパッケージだからスゴイ!使うのが惜しくなるくらいです。だから、スーツケースの準備をしていく過程で、日本の温泉宿と同じに、「ま、あれは間に合ってるな」と思って、つい手を抜きたくなります。そうなる心理も当然のこと。海外旅行ゆえに、行く前の荷物はできるだけタイトにしておきたいものですから。しかし、グルーミングで、これだけは是非持っていってもらいたいものがただひとつだけあります。
 それは歯ブラシセット。
 なぜか、どんなにラグジュアリーなホテルでも歯ブラシセットがない。これは個人的な経験から言っているにすぎませんが、少なくとも私の知ったところでは、歯ブラシも歯磨きチューブも見当たりませんでした。
 いちど、ローマのマジェスティックという、これもなかなか評判の良いホテルで、この「ないない」を経験して、私は思わず内線電話をしてしまいました。しばらく待たされたましたが、結局答は「ノン チェ(ありません)」。非常に怪訝な思いにかられましたが、以来、イタリア旅行には必ず歯ブラシセットを持参することになったのです。
ちなみに、すべてエトロでビシッと決めたサン・ドメニコ・パレスにも、歯ブラシセットはありませんでした。


’00.11.7 ポケモン(ピカチュウ)人気     
 メイド・イン・ジャパンのアニメや漫画がイタリアで人気があることは、「イタリアの真髄」のコーナーでも書きました。
 さて、2000年のinイタリアは、どんなものでしょう。
 答は、ずばりポケモン。そして、ひとことピカチュウ。そう、ピカチュウのたったひとことに尽きるのです。
 2000年の特色は、主役がピカチュウだけということです。過去にイタリアを訪れた時は、複数のキャラ、たとえばシティハンターやらうる星やつら、サンリオキャラやらいろいろありました。しかし、今年は、ほんの少しだけドラゴンボールを見かけ、後はすべてがあの黄色のピカチュウなのです。Tシャツ、サッカーボール、風船、ぬいぐみ…。黄色、一色。イタリア各地で、ポケモングッズと遭遇しました。
いつだったか、ポケモンのTV放送時に画面の光で子どもが倒れるという騒ぎがありました。遠くイギリスでも同じ現象が起きたと報道され、へえ、イギリスは日本と同時進行でポケモンをやっているんだと感心したものです。
 そんな感慨を得たのも、イタリアの場合、ずっとずっと前に人気を博した日本のアニメがイタリア語に吹き替えられて流されていたからです。
 今、時間差は失われ、人気キャラはひとつものへ特化していく。 おそらくポケモンは、アニメ・キャラである以上に、ゲーム・キャラであるからなのでしょう。(11月の22日任天堂の発表によると、売上高は前年同期比でやや減少したものの、経常利益は約2.4倍の300億の伸び。「減収でも増益」という異例の事態は、欧州でのポケモン人気で「ゲームボーイ」関連商品の売上が好調だったためとあり。)
 道案内のお礼にと、手渡した日本製ポケモン・シールブックにシチリアの少年は満面の笑みを浮かべます。
 ちょっと前だったら、だいぶ遅れてドラエモンってところだったかも…。
 

’00.11.7 迷路としてのボルゲーゼ美術館

 2年前、早めに予約しなかったばかりに入ることのできなかった、ローマのボルゲーゼ美術館へとうとう行ってまいりました。
 11/2の朝9時から11時までという時間帯です。8時20分にスペイン広場近くのホテルをタクシーで出て、約10分で到着。かなり広い公園なので、 入口がどこだろうとモタモタしているうちに長蛇の列、なんて最悪の事態を避けるため、徒歩はやめにしたのでした。
 あるサイトに掲載されている情報によれば15分前という指示には従わず30分前には行ったほうがいいとのこと。たしかに入口を覗くと、受付にはすでに10人は並んでいました。私は美術館から送付されてきたメ―ルをプリントアウトしたものを持参していました。予約ナンバーのところに線を引き、その下にローマ字で名前を書き込んでおいたのでした。
 これが功を奏し、すんなりと発券。で、右奥の荷物置き場にリュックを預けると、開館までゆっくりミュージアム・ショップをのぞいていました。
 その奥には、今っぽいバールがあって、そこでお茶する観光客もちらほら。 そのうちに9時となりました。
 しかしここからが問題。入口がどこだか、よくわからないのです。カセットを借りるのに時間がかかっている間に、ほかの観光客の姿もなくなっていました。係員にきいて、右奥の廊下を行くと、やっと券に鋏が入れられます。そして、その後も階段をのぼり、ある程度のぼってから、絵を見るつもりで入ってみると実はトイレ、絵が終わり、彫刻を見ようとするも、どこだか分からない。建物をまわりこんで、上に行ったり、また、下に行ったり。
 カラヴァッジォの『果物籠を持つ少年』、ベルニーニの『アポロンとダフネ』、ラファエロの『一角獣を抱く貴婦人』……。一流の作品が目白押し。
 入場制限でもしなければ世界じゅうからのビジターを収納することはできません。
 難を言えば、その造りの複雑さゆえ、バチカンのように流れるごとく一連の作品を観ることができないこと…。
 でも、わかりづらい迷宮のごとき行程があればこそ、ますます鑑賞物の価値は高まっていくようにも思えるのです。完全予約というシステムも然り、一筋縄ではいかない、でも行ったことが記念ともなる美術館でした。
 

’00.10.1システム化されつつある

 イタリアというと公共料金の振込み制度がなかったり、郵便が遅いなど合理性を日本のように重視しない国だとささやかれます。でも最近はそうでもないなと感じています。
 ま、対象が世界各国からの観光客であるからかもしれませんが、インターネットを介した予約制というのも一部稼動し始めています。 たとえばローマのボルゲーゼ美術館。
 14年も閉まっていて、1997年に再オープンですから、観光客がどっと押し寄せる。ゆえに完全予約制をとっている美術館です。2年前にローマのホテルから明後日行きたいと予約の電話を入れると、1週間先まで埋まっていますとのお答。で、結局見れず、よし今度行く時は日本から一月前には予約してやれと握りこぶしを作ったものです。
 そして、その機会もようやく訪れました、。電話をと思っていたのですが、あるHPでインターネットで予約可能という情報を見たのです。行きたい日時を入れて送信。即座に受領の確認のメールが届き、それを見ましたという証拠の返信を送る(このメールを開くと自動的に向こうにメールが行く仕組みです)と、また翌日には予約ナンバーを付されたメールが届いたのです。それを持ってボルゲーゼへという次第。
 なんてシステマティック、合理的なのでしょう。
 ローマも聖年にあわせ、ずいぶん綺麗になり、便利なったという噂も耳にしています。テルミニ駅の地下では24時間ショッピングが楽しめるそうです。
 11月には、そうしたローマのコンビニ化を取材し、後日報告したいと考えております。

 予約の方法 →→  ボルゲーゼ美術館他の予約サイト  http://www.ticketeria.it/mainENG/online.htm にまずアクセス。
 右上に英語、左下にイタリア語それぞれ選べるようになっていますが、イタリア語はうまくいかないことが多く、とりあえずEnglishを選択クリック。そして、一番上のReserve(予約)を選択クリック。
 画面の下までスクロールさせると、予約のフォーム(書式)が出てきます。Eventのボルゲーゼ・ギャラリーの項で行きたい時間帯を選択。
 Requested date(予約日)は2000年11月1日なら01.11.2000といったスタイルで記入してください。 ZIP codeは郵便番号ですが、3桁しか入りません。3桁だけでOKです。
 Stateはイタリア特有の都市記号。日本の都市のものはありませんので、スペース・キーでここはとばす。
 CoutryはJapan。Telephoneは一応「国コード」の81を入れましょう。たとえば、市外局番が03なら頭のゼロを取る。すなわち03-3111-1111なら、+81-3-3111-1111といった具合に。
 *は必ず入力してください。そして、下から2番目のsend Formを押して送信。
 

’00.9.30 ピサの斜塔は倒れない

 子どもの頃からピサの斜塔のことを知っていました。恐らく私に限ったことでなく、だいたい誰もが知っていたと思います。
 というのも、建物は真っすぐに建っているという固定概念を打ち破ったものとして、ことあるたびにこの斜塔は私たち子どもに物語られていたからです。世界の七不思議のひとつとして、たとえば給食で出されるマーガリンの包みに紹介され、また小学生定番のノートであるジャポニカ学習帳に紹介されたり…といった具合に。
 ガリレオがここで「落下の法則」の実験を行っていたということは知らなくても、「さあ、この斜塔はいつ倒れのでしょうか?」みたいな投げ掛けが常に子どもたちに差し出されていたのです。
 フィレンツェから列車で1時間のピサの街。こうした過酷な運命をになった斜塔が、ここの観光の目玉。運命に翻弄され、翻弄され続けてきた斜塔も、しかし現在救済されつつあるそうです。
 1998年12月から工事が始まり、来年6月まで塔内への立ち入りはストップ。新聞の記事によると、現在13センチほどズレが矯正。今後の1年で42センチ矯正される模様。これで倒壊の危険は去ったというわけですが、しかし「一体いつ…?」というドキドキ感は薄れてしまいました。
 でも、ピサの斜塔は傾いていてこそ斜塔なのですから、市も政府もやや傾けたままの状態で工事を終わらせるものと思われます。


 ’00.7.30 南イタリアの現状 (認識はあまかった…)

 イタリアの南北格差。いわゆる、「北は豊かで南は貧しい」という現状。その点については、「南」を排除せよとうたうウンベルト・ボッシ率いる政党「レーガ・ノルド」の存在が如実に物語っています。
観光客に与えられる情報は、「南は怖い」。ようするに、貧しい南イタリアを旅する際は、スリ、かっぱらいが横行しているから気をつけろということ。
 ゆえに、日本にあってはイタリアと言えば、フィレンツェやヴェネツィア、ミラノといった、品が良く、安全な「北」が一般的な渡航先となりやすい。もっとも、最近は「南」の魅力を語った書籍や雑誌がたくさん発刊されるようにもなりましたが…。
私は自分の体験を振りかえると、どうもこうした傾向にむっとしてしまいます。
 ローマ以南の美しい空と海、人々のホスピタリティの厚さ、素材が抜群ゆえにシンプルな味付けでも格別に美味な料理、大ギリシア時代のダイナミックな遺跡の数々…。数えだしたらキリのない「南」の魅力。 もちろん北もいいです。しかし、どうか南を体験してほしい、と切に願ってしまうのです。
 私の酔っ払い的な「南」崇拝。しかし、しかしなのです。
 7/29のNHK・BS7で放映されたワールドドキュメンタリー「過酷な農作業に耐えて・南イタリア」を見るに、自分の独り善がりの、いいとこどりの、実に観光客的発想に、強烈なパンチをくらわされてしまったのでした。
 「南」の貧しさは、やはり半端なものではなかったのです。 「えっ、これって現代の話?」と思わずつぶやいてしまうような、悲惨な、「南」の女たち(農業従事者)の生活ぶりが描かれているのです。
農園主にレイプされた少女の話、ちっともあてにならない組合、貧しさゆえに刑務所おくりとなった息子、低賃金の過酷な労働…。
 言葉を失いました。
 好きなイタリア、大好きな南。
 そんなふうに本当の意味で言えるには、もっともっと、この国のこと、知らなければならない。そんな風に感じ、反省する今日このごろです。
 

’00.7.23 ローマ字って、イタリア語だったのか…

 ローマ字読みというのは、はじめて習った時に、日本語を英文字で表わすための単なる手段だと思ったものです。つまり、無理に英文字に日本語を当てはめたみたいな…。
 それでも、初めて英文字の読み方、使い方を習得したので、なんだかとても偉くなったような、そんな満足感が得られたものです。そうした小学校時代を経て、中学にあがり、英語を学び始める…。
その時、愕然とするのは、読みと綴りの不一致。先生に「なんで英語はローマ字のようにいかないの?」って、ため息まじりに質問したものです。すると、先生は、「だから、単語と言うのは綴りを暗記するしかないのよ」と諭しましたっけ。
 それから、ずうっと英語は「暗記」と腹をくくり、会話能力を極端に欠いたまま、しゃべれない英語教育にどっぷり。
だから、小学校で習ったローマ字なんてものは、単にアルファベットに慣れるだけのものでしかないと総括することになったのです。 しかし、イタリア語を勉強し始めると、またまたびっくり。
 ローマ字に「ローマ」とつくだけのことはあって、イタリア語は、まさに「ローマ字」読みの世界だったのです。昔習った、あの単純明快な懐かしき「発音」に再びスポットライトが!
 英語のように綴りと発音が異なるということは、原則としてはない。いくつかイタリア語特有の綴りと発音はあるけれど、でもほとんどがそのまま読めばいい。だから、ローマ字を覚えたての小学生にイタリア語の文章を読ませてみれば、だいたいのところイタリア人にも通じる。
 即席に読めて、そして発音もおおむね◎。なんて楽なんでしょう。
 英語なんて、発音がかなり難しくって、正当に発音しているつもりでも現地で全然わかってもらえなくて、自己嫌悪からつらーい思いをするのに。
 イタリア語はそれに比べて、ほんとうに「ローマ字読み」。だから時として、にわかに信じ難い発音もでてくる。特に外来語(英語)。ビジネスは「ブジネス」。コンピュータは「コンピューテル」。
 違和感を覚えつつも、「やっぱり、いいなあ。イタリアは」と思ってしまうのは、私だけでしょうか?
 

 ’00.7.1 インターネットの普及率は

 目前に控えた九州・沖縄サミットですが、そこで話し合うべき議題のひとつにデジタル・ディバイドが挙げられます。 インターネットにアクセスできる層とできない層で社会的/経済的な格差が広がっているという「デジタルディバイド」問題。
 ニュージランドのように、またはワシントンの一都市のように、行政が市民に無償でPCを提供するなどして、この格差を縮める努力も一部見受けられます。が、一般的にはそうした取り組みは世界的にも、まだ稀です。
 イタリアの場合はどうでしょうか。インターネット、eメールの話題や例文など、NHKイタリア語講座のテキストでもけっこう頻繁に出てくるようになったところを見ると、イタリア人も日本人同様にPCへの関心は大きく、使っている人も増えているのだと思われます。事実私の友人にも、南イタリアのターラントにメル友がいる、という人もいるぐらい。(イタリアではインターネットは、綴りのとおり「インテルネット」と呼びます)
 しかし、IBMの調査では、世界7カ国の小企業を比較したところ、インターネット導入率は18%とイタリアはワースト。(日本は27%。ワースト2位。 「週間ウルトラ1 '00.7/4号」からの転載) 新しいもの好きな国民性ではありながら、一方では機械を信用しないがゆえでしょうか。それとも、イタリア国産のPCというのは、確かにあまり聞いたことがないし、街の電気屋さんにもPCはあってもモデルの種類は少ない…そのためでしょうか。(日本の豊富さはまさに驚異!)
 ま、結局値段が高いからだと思います。 国際的にリラの力も弱いし、輸入した外国製PCが市場の主流ならば、きっとめちゃ高。
 イタリアの国としてのデジタルディバイドを縮小するには、強いリラか、優れた国内PCメーカーの誕生を待つばかりなのかもしれません。 と言いつつ、私たち旅行者はつい、弱い弱いリラを願ってしまいます。ごめんなさい。
 

 ’00.6.14 失望させたくない

 イタリアで道をたずねると、ひどい目にあう、とよく言われます。
 ひとりが言うには、あと10分かかると言い、他の人に聞くと、なに、2、3分だと言いきる。実際には30分かかった、なんてことも…。
 また、方向についても、人によってまったくの逆を教えてくれたりもする。 どうしてこうなんだろう、と不思議に思います。
 誰かが言うには、イタリア人は道をたずねられた場合、絶対に知らないとは言わない、言えない、そんな国民性があるらしいです。悪意ではなく、むしろ親切心から、いい加減なことを言ってしまう人が多いとのこと。
 ま、実際のところ、イタリアでは、道案内を頼んだ際、「さあ、知らない」「この辺りはよくわからない」という答えが返ってきたことは、まずありません。ほんとうは知らないのに「いい加減」を口にする人もいれば、そこらじゅうに「おーい、誰かしらないか?」と声を掛けてくれる人もいる。
 イタリア人はきっとサービス精神たっぷりで、失望させることは不名誉なことだと考えているのかもしれません。 だから、あれほど人を喜ばすこと―文化、芸術、娯楽…が発展し、今でも私たち外国人を心楽しくもてなしてくれるのでしょう。

 聖年を迎えるにあたって数年前から、イタリアのあちらこちらで美術品の修復が行われました。 屋外の彫刻をぐるっと目隠しして修復しているのをずいぶん見かけましたが、その目隠しに、隠された美術品を模写した絵が描かれているの を 結構目撃したものです。
 ぱっと見ると、あたかも美術品がそこにあるかのよう…。
 これこそ、せっかく訪れた観光客に対する心遣いのあらわれ。サービス精神のあらわれ。 イタリア人の心に、あらためて感謝したものです。


 ’00.5.28 イタリア人女性はヨーロッパいちの…

 おしゃれ。料理上手。働き者。… とさまざまな評価づけが、さまざまなイタリア・ウォッチャーから示されています。これらは、ま、その方たちの私的経験や主観に基づくものなので、もしかしたら、「いや違う。フランスのほうが…」「イギリスのほうが…」などなど、異論も当然あると思われます。
 しかし、今回、実に客観的な、輝ける「第1位」をイタリア人女性が獲得しました。ずばり、イタリアーナはヨーロッパいちの「スリムな体形」!
 「欧州統計」によると、イタリア人女性の体重は、欧州平均より、各年齢層で3〜6キロ少なく、欧州いちの細身という結果が出たのです。結婚した途端、肝っ玉母さん風のマンマになってしまう。そんな見方が、いろんな本の中でささやかれていますが、ほんとうのところ、イタリア人女性はダイエットを心がけ、スリムな体を保ってるのです。現代では。
 あんなにおいしそうな食べ物に囲まれているのに、食餌制限する。その苦労たるや、尋常なことではないでしょう。
 一方、素晴らしいデザインの、セクシーな服をいっぱい提供しているイタリア。あれを着るためなら、ジェラートや食後のドルチェぐらいは我慢するしかない!と、彼女たちは自らに鞭うっているのかもしれません。
 イタリアで暮らせば、肥るか、あるいはスリムになるか。 私の友人(日本人)は、みんながみんな肥ってイタリアから帰ってきました。 つまり、花より団子だったというわけ。


’00.5.20 イタリアでサンリオ      

 先日テレビで、アジアでの日本ブームという特集を観ました。タイでは、若者たちが厚底ブーツを履いたり、グレイの歌などを口ずさんでいたりしていて、ほんと、驚かされます。
 さてさて、イタリアではどうかというと、もちろん日本文化は若者たちの注目の的です。しかし、Jポップや厚底ブーツはまずほとんど、浸透していないし、人気があるのは漫画やアニメといったところでしょうか。これはすごい人気なのですが…。
 タイでは日本の若者文化がまるごと受け入られているようで、ポケモンやサンリオのキャラクター・グッズまでも人気の対象。
 私事で恐縮ですが、キティちゃんには興味がなく、そのカタキ役的キャラであるバツマルは大好き。バツマルを知らない人は多いとは思います。底意地の悪そうな顔つきのペンギンがそれで、一部に熱狂的なファンはいても、売れないためか、最近サンリオショップにはほとんど商品がないのです。アメリカではわりと人気。英語をしゃべっているバツマルのノートやシャツが結構売られている。一方、イタリアの文房具屋をのぞくと、サンリオの商品はちらほら売られています。
 で、バツマルはどうかというと、日本のものでなく、アメリカバージョンが売られているがゆえに、その流れで、意外にも日本よりもバツマル商品が多く陳列されているというわけなんです。マニアゆえに当然それらの商品に飛びつくのですが、しかし会計をしてもらってびっくり。
 ビニールの安っぽいペンケースが2000円以上。だいたい5倍ぐらいの価格なんです。(きっとアメリカからの輸送費や関税や弱いリラのせいでしょう)
 いくつかの商品を買ってしまった私。結局持ち合わせがなく、カードで支払いました。
 日本にもどり、数ヶ月後に請求書がとどきました。それを眺めながら、なぜ私はイタリアまで行って、メイドインU.S.A.の日本製キャラクターグッズを、高価な値段で買ったのだろうか、なんだかわからなくなりました。


’00.5.4 鮭の皮の寿司

 5/4放映の「プラス1」(日本テレビ)には驚かされました。イタリアで行列の出来る、超人気のリストランテが特集されていたのです。
 イタリアで外食するには、まず予約。そんな揺るぎなき鉄則があるためか、待たされことはもとより、そんな行列はココには存在しないと勝手に思い込んでました。そう、行列現象は日本特有のものだと。
しかし、あるんですね、イタリアにも「行列のできる店」。平均1時間も待たされる店も登場。きっとこんなお店は、始めから意図的に予約システムを取り入れていないのでしょう。
 イタリアのイタリア料理は、ほんとうにどこもブォーノ(おいしい)。紹介されていたお店は、サイズの割に安いという所ばかり。味にそれほど差がないイタリアのイタリア料理ゆえか、そんな「割安感」が勝負の分かれ目なのかもしれません。
 1キロもあるフィレンツェ風ビフテキは、たったの55000リラ。(3100円程度)
 特大のピッツァは、18000リラ。 (1000円程度)  ※1000リラ=57円で計算。      
 まるまる1匹をつかった白身魚の包み焼は36000リラ。(2000円程度)
 でかい、安い、といった料理を出す店の紹介の後に、登場したのはミラノの回転寿司屋。(イタリア初の回転寿司屋!) 25種の寿司皿の間で、ケーキの皿が回っていたのには笑えます。
そして素材で目をひかれたのは、鮭の皮の寿司。イタリア人は、実は鮭の皮が大好物とのこと。
 そこに目をつけた店主がこれを1品に加えたところ、今では一番人気。根菜の皮じゃないけど、この部分にこそ、栄養が集まっているような、そんな気さえしてきます。1度、味わってみたいものです。
 しかし、この番組で1番驚かされたのは、うら若き少女たちのテーブルに積み上げられた皿の、その数。おそらく1人、20枚は下らない。 結局、食いしん坊のイタリア人は、思う存分食べられる店が大好きということでしょうか。


’00.5.2 イタリアで似顔絵を

 イタリア旅行でおすすめのお土産は、肖像画。これにつきます。もちろん、日本でも東京・上野駅周辺には、絵描きの卵たちが似顔絵屋を出している。でも、イタリアの青き空の下、ミケランジェロの子孫たちの手で描いてもらうというのは、なかなかオツなもの。
 それになぜか旅先ならば、似顔絵を描かれる際の衆人環視も、さして気にならない。いや、むしろみんな見てねッという大胆な気分になってしまう。10分、40000リラ(2200円)というのが相場です。これがマンガチックなものになると25000リラ。(1400円程度)※1000リラ=57円で計算。価格も恐らく日本よりも安めと思われます。
 ローマだったら、ナボーナ広場や、スペイン階段をのぼりきった辺りに似顔絵屋が店を広げてます。彼らは自分の画風を見てもらうために、映画のヒット作の主人公や歴史上の人物の顔を描いたものを店のパラソルの側に置いてます。はじめによくよく値段を確認しておくのがいいでしょう。
 なにせ、モノクロ、カラー、漫画タッチ、劇画タッチとあり、値段もそれぞれ。カップルで1画面におさめるとしても、値段はひとり幾らの世界なので、倍になります。
 絵はすばらしく自分に似ている。そして、どこか普段の自分よりイイ。 というのも、描かれた目は日本人のそれではなく、どこかイタリアンしているからです。


’00.4.10 少子化の原因

 日本とイタリアの共通点は多いのか少ないのか、それは分かりません。しかし、今、社会問題になっていることのひとつ、少子化問題については両国ともいたく深刻。
その原因も様々に考えられますが、共通の原因となると、三十歳を過ぎても結婚しないで親の家に寄生し、金銭的な余裕を満喫しているパラサイト・シングルがどちらの国にも異様に多いことが挙げられるでしょう。
 ひと昔前なら、30代と言えば、結婚して子供が幾人かいる、それが平均的な姿でした。 しかし、パラサイト・シングルの命名者である山田昌弘先生の調査によると、現在の日本には、この手のパラサイトたちが1000万人生息しているそうです。
 一方、イタリアはというと、30〜34歳の男性で25%、女性では13%の人間がこれにあたるようです。この数は欧米の中で群を抜いて多い。そして、この数値からも分かる通りイタリアでは、パラサイト・シングルは男に多い。「高い家賃、就職難などイタリアでは若者が独立しにくい状況下であることはたしか」、しかしそれは根本的な理由ではなく、「自由より金持ちであることを選ぶ」傾向にあるのではないか、そして、そのことを男性の方がより体現してしまうのは、イタリア社会に底流するマンミズモ(母親崇拝主義)のせいではないか。内田洋子氏は、その著書の『破産しない国イタリア』の中でそんなふうに分析しています。
 これはあくまでも推論ですが、逆に日本では、女性の方がパラサイト・シングルになりやすい、そんな気がします。「女の一人暮らしはダメ」とする親御さんが多そうだし、母親べったりの女性も他国より多そうだし…。
 いずれにしろ、ごく最近公表された国連の研究報告によれば、日本もイタリアも将来的に移民をどんどん受け入れていかないことには、国は滅んでしまうそうです。(イタリアでは今後50年間に総人口の28%が減り、約4100万人になると予測され、同じ期間に日本は約17%減の1億500万人程度になるらしい。)
 けれども、まっとうに結婚して子供を産みなさいと言われても、今の快適な暮らしを手放すことはできない。それが日伊の若者に共通する真情だと思われます。


’00.4.6 イタリア・ファッションは実は保守的?

 ベネトンが、1年ほど前に東京のストリート・ファッションの若者たちを活写した写真集を宣伝用に製作し、イタリア国内で耳目を集めたという、そんなエピソード、ご存じの方も多いと思います。なぜそこまでイタリア人にうけたのでしょう?ファッションの発信地・ミラノを擁するイタリアで、極東のファッションが、なぜに、そんなにも支持されたのでしょう?。
 毎日新聞に興味ぶかい記事を発見!(4/2朝刊「衣の話」石川貴章)
 この記事によれば、セクシーさばかりを求められるイタリアファッションとは違って、東京のストリート・ファッションは、「ファッションを楽しめる自由さ」に満ち溢れているという点で、彼らには衝撃的だったと報告されてます。
 確かにストリート・ファッションはセクシーではない。ラフな着こなし、白いソックスにエナメルの革靴といった奇抜な組み合わせ。だぼたぼの靴下、頭につけたたくさんの髪留め…。
 男心をそそる装いでは決してない。しかし、なんともいえない自由な発想と、自分だけのための喜びに縁どられている…。
 イタリア人というと思い思いのファッションで自己表現していると勝手に思い込んできましたが、この記事が語るように、意外と日常は保守的なのかもしれません。
 きれいなおみ足をこれでもかとさらけ出すミニスカートに、身体の線がくっきりと出る胸の開いたシャツ。イタリアの都市部には、そんな格好の女性が実に多い。セクシーに見せる、すなわち他人(特に男性)の目を楽しませることに忙しく、自分自身の心地よさは圏外に追いやられている。それが、イタリアファッション(特に女性のファッション)の現状なのかもしれません。純粋にナルシシズムを堪能しているのは日本人女性なのかもしれません。
 そういえば、昔は女の子にとっての熱狂的なアイドルは男が圧倒的に多かったけど、今はどちらかというと女の子が女の子にキャーキャーする時代です。椎名林檎の絶対的な人気も、女の子のナルシシズム絶対視の現われのような、そんな気がしてきます。


’00.3.22 イタリア語にこめられた想い

 イタリア語は字句通りに解釈すると、後で自分の思い込みに赤面することが多い。というのは私だけの経験でしょうか?今日もまた誤解がひとつ解けて、赤面してしまいました。
 旅行に行く度に、見知らぬイタリア人の親切に助けられることになります。彼らの親切心にその場で充分なお礼ができません。と言うのも、感謝を表わすだけの語彙力がなく、また手渡す贈り物もない。で、お礼は後日にすることになり、住所の交換をすることになるのです。お礼状に添えてちょっとした贈り物を発送。そして嬉しいことに彼らとの文通が始まることになります。(すぐに途絶えるケースもあり)
封書を見ると、宛先の私の名の前に「Gentile」とついていることが多い。ジェンティーレとは「親切な」という意味の形容詞。
 私は彼らに親切にされたのですが、彼らも私を「親切な」人物と見てくれているご様子。それも複数のイタリア人にそう書かれると、私は?という気持ちの一方で、まんざらでもない笑みを浮かべているのです。そうか、私って親切な人間なんだ。で、ますますお礼の品にお金をかける。
 ところがどっこい。つい先日発売のNHKのラジオ講座・4月号テキストを見て愕然…としてしまいました。応用編で始まる手紙の書き方講座。96pの宛名の箇所。私が「親切な」と解釈したジェンティーレは、実は「〜様」の意味だったのです。そう深い意味はなかったのです。イタリア語にはこの手のものが実に多い。ああ、またもや赤面。
イタリアの男たちは目さえ合えば「Che bella!ケッ ベッラ」と言ってきて、そのナンパぶりが嫌だと『イタリアを丸焼き!』の著者が怒ってますが(彼女は「よっ、かわいこちゃん」と解釈)、『サン・ピエトロが立つかぎり』の著者は深い意味はなく、単なる挨拶だと言ってます。恐らくそれが真実なのでしょう。
でも、「ほめ上手」のイタリアーノ。今は形骸化されて、ほとんど「誉め」の意味もない言葉でしょうが、もともとは相手を称える、誉めたいという想いから出発して生成されたもの。そんなふうにも『サン・ピエトロの…』の著者は説明してます。
 だから、私の赤面。もとを考えればあながち誤解でもないと慰め、顔に集まった血を蹴散らすことにします。


’00.3.13 フィアットよ、永遠に

 伊フィアット、米GMと資本提携へ=業界筋(ロイター)
 業界筋によると、イタリアの自動車大手フィアットは、米ゼネラル・モーターズ(GM)との資本提携に踏み切る公算が強まっているらしい。自動車部門の経営権はフィアットが維持する、という。フィアットがここ数カ月、秘密裏に提携を持ち掛けていたダイムラークライスラーが提携候補から外れ、GMが最有力候補に浮上したとのこと。

 世界的な企業の再編が毎日のようにニュースとなって、私たちの耳に届きます。
日本でも、日産や三菱自動車が外国の自動車会社とくっついたりする時代だから、フィアットだって生き抜くためには、アメリカに手を差し伸べざるを得ないのでしょう。伝統あるイタリア映画だって、ずいぶん昔からハリウッドの力を借りてるし…。 でも、たとえばイタリア映画はイタリア語でやってもらいたいのが、イタリアファンの心情。ヴィスコンティの『山猫』は、名画中の名画ではありますが、できることなら、英語でなくイタリア語であったら「なお良し」と思ってしまいます。
 今回のフィアットの件は、買収といった問題ではなく、あくまでも資本提携。「自動車部門の経営権はフィアットが維持する」と言っているから、大丈夫だとは思いますが…。( しかしながら、フィアットに対するGMの出資比率は最終的には50%近くまで引き上げられる公算が高く、フィアットはGMの傘下に収まるとの見方も毎日新聞の夕刊にあり )
フィアットの「イタリアらしさ」みたいなもの( たとえば、3/1に書いた120数色からの選択権 )、それが失われないようにただ祈るばかりです。


’00.3.8 中田選手の実力のほどは? (in ITALIA)

 サッカーに興味がないため、日本において中田がいかに実力のある選手だったのか、実のところよくわらないのです。だから、私の熱愛するイタリアへ中田が行ってしまった時、うらやましいと感じたぐらいでした。
 日本並に活躍できるとも思えず、ま、すぐに帰国 だろう、なんて思った覚えもあります。 しかし予想に反して彼は大活躍。そして、ペルージャからローマへ移籍。 (移籍金は三億五千万だとか)
それでも、私は、放映権とか日本人観光客の呼び込みとか、そういった利権がらみの移籍なんだろう、とぼんやり思ってしまいました。
 でも、ローマへ、このたび行ってきた友人が言うには、中田はかなりの人気者とのこと。街を歩いていて日本人だと気づかれると、イタリアーノたちから、様々な日本語の言葉( サヨナラ、オンダ<HONDAのこと。エイチを発音しにくいから、オンダとなる>、アリガトウ等)をかけられるが、その中に「ナカータ」という言葉が仲間入りした、と彼女は報告するのです。
とすると、やっぱり中田は「すごい」のでしょうか? あんなサッカー大国で?
 日本のマスコミはゴールひとつで大騒ぎ。でも、イタリアでは本当のところどうなんでしょう。
そして本日、私の疑問に答えてくれる記事を、ようやく毎日新聞の夕刊に発見。特集ワイド「中田の評判はどうなのか」という記事です。イタリアでは、各試合の翌日、スポーツ紙や一般紙が選手の採点を載せる。そして中田の点数は、チームで最低の5の時もあれば、8の高得点のときも。また、7もあれば6.5もある。
 つまり、評価は必ずしも高価安定ではないらしい。でもでも、即席の日の丸の鉢巻に「NAKATA」と書き込む高校生の写真も載っていて、また、イタリアの目利きのスポーツ紙の編集者の絶賛コメントが掲載されていて…。 私の邪推に反し、中田はやっぱりイタリアでも、なかなか「すごい」選手のようです。


’00.3.7 イタリアはケータイ天国     
i(アイ)モードだけで、2000年の3月、加入者が500万突破。
きっと普及度では、イタリアも日本に超されたことでしょう。しかし、無線電話の生みの親・マルコーニの国だけのことはあって、普及の時期はイタリアの方がはるかに先行。恐らく生活必需度もイタリアの方が上だと思います。
なんと言っても、公衆電話は少ないし、あってもguasto(故障中)がほとんど。
ケータイは日本以上に必要とされいると思われます。
AP共同によると「イタリア北部の小学校が、学校への携帯電話持ち込みを禁止した。理由として校長が、別の学校でしかられた女子が母親に携帯で不平をこぼしていたと報告。」と報じてます。(「毎日新聞」’00.3.4朝刊)
うーむ。きっと日本でも一部ケータイ持っている小学生もいるだろうけど、こんな「お達し」が出るほどには持っていないのでは?真実は、わかりかねますが…。
それに理由がすごい。日本でこんな判断を校長がしたら、ケータイの善悪はたいした論点にはならず、その前にまず「告げ口」されるような教育は「けしからん」みたいな、あるいは「告げ口」を怖れ教育は改革しないダメ教育者みたいな、そんな話に向かうような気がします。
ちょっと笑える、人間臭いイタリアのニュースでした。
 

’00.3.6 イタリアはヨーロッパいち…  

 ヨーロッパの通貨が統一されるのにあたって、ドイツ人の一部は、マルクがイタリアの通貨リラと同じなるなんて、と憮然としたと聞きます。ドイツはある意味、ヨーロッパの雄だから、その心情も、ま、わからなくもないけど。
 でも、日本人が旅行するとなると、ヨーロッパならどこへ一番行くかと言うと,『観光白書』によると、ダントツでイタリアなんです。年間50万以上のジャポネーゼがイタリアへ行く。一方、ドイツには26万人ぐらい。
 そう、ドイツは人気度では、イタリアの半分なんです。だからということもないですが、イタリアも捨てたもんでもない。それに悪く言いながらも、ドイツ人は春になると大挙してイタリア入りするとか。(しかし概してイタリア人はドイツ人が苦手のようです)
 

’00.3.3 イタリアの国旗

 イタリアの三色旗が巷にあふれている。
 イタリアブーム。あの3色を配置しただけで、なんとなくイタリアって感じが出せるということなのでしょうか。
 イタリア料理店の前には、だらりとイタリアの国旗が垂れ下がり,コンビニのスパゲッティの容器には三色旗、イタリアブランドのバーゲンには店員が即興で値札に3色ぬりこむ。しかし、哀しいかな正しくは 左から緑、白、赤の順序も、赤が左、緑が右という誤りをおかしているものもままあります。(印刷物でこれをやられるとちょっと顔がこわばる。)
 緑は美しい国土を、白はアルプスの雪と正義と平和、赤は愛国の熱血を示す。
 1851年、サボイ王家が制定し、61年のイタリア統一後も引き継がれたもの。


’00.3.1 イタリアの多様性 ―フィアットはすごい    

 ’94にナポリから高速道路で2時間の地・メルフィにフィアットの工場が完成したそうです。
 ラインから次々と送り出されるそのボディの色たるや、実に様々。多品種という概念は、最近では嗜好の多様化から、日本でもマーケティングの戦略として叫ばれるようになりました。
 しかし、イタリアのレベルには、日本は到底及ばないでしょう。
 というのも、フィアットでは120数種の色が用意されていて,ユーザーは自分の好みに合ったボディカラーをじっくり選ぶことができるそうなんです。イタリア人の若者が好んで背中にしょっているザイノ(リュック)のインビクタも、まったく同じモデルを探すのが難しいのですが、フィアットも120以上の色があったら、隣近所で同じフィアットを見出すことはまずないのかもしれません。イタリアの多様性を知る興味深い記事でした。(「毎日新聞」’98.12.8朝刊)
 

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