自分らしさ 2


浜崎あゆみさんについてにわか勉強で書いています。それなりに資料を集めてあまり独断に走らないように心がけているつもりですが、浜崎さんファンの方が読んだら「わかったような顔して偉そうに書かないで!」と怒られそうなことも書いてしまっているでしょうね・・・・。

でも決して軽い気持ちでかいているつもりはありません。それだけはご理解ください。


H13,5−3 

ほめられる苦痛-A song for xx-

 4月にスタートラインの歌詞を題材にしていろいろな事を書きましたが、今度登場するのは浜崎あゆみの歌です。(連載ではないですが・・・)

 事のきっかけはねこ娘さんが借りてきたCDです。このところ歌詞分析の話題が多かったので「コピ−しておきますか?」とねこ娘さんに聞かれお願いしておきました。すると翌週16曲分の手書きの歌詞を渡されたのです。かなりの文字の量です。「大変だったでしょう?」と言うと笑顔で「うん、でも書いてみたいな−と思って。やっぱり読んでいるのと書いているのとは違うわ」との返事。

 本題からは外れますが、この感想は物事の深い部分を理解していくのにとっても重要です。勉強でも参考書などに要点をまとめてあるのを暗記していった方が能率的に手早く手軽に勉強が進むかもしれません。しかし手軽ではあっても自分の手と頭を使ってまとめていった場合と比べると雲泥の差がでます。やはり大切なポイントになるところはきちんと自分でまとめた方がトータルで考えるとホンモノの得点力にだって結び付きます。ぜひこうした感覚を実際に味わって自分の能力を生き生きと伸ばすコツを自得してください。

 さて、何故浜崎あゆみなのかということにもう少し触れておきましょう。最初にことわっておきますが、私は浜崎あゆみについては全くといっていいほどわかりませんでした。ただ、ああした自分を人形のように演じている姿とそれに沢山の若者(だけでもないそうですが)が共感している背景にはどんなことがあるのかな、とは思っていました。しかし漠然とそう思っていただけで歌詞の内容を気にしたことはありませんでした。

 ちなみにミッキ−さんが貸してくれたCawaiiなる雑誌の中で浜崎さんはこう語っています。


『どの曲にもあゆらしい部分があるの、わかる?たとえばどの詞も超ハッピ−!って感じじゃないよね(笑)どこかに切実な感じとかが入っていてて。幸せ全開のラブソングも書こうと思えば書けるけど感じた事を素直に書くと・・・(笑)

ただいつも必ず思うのは自分1人だけの気持ちを書いているわけじゃなくてあゆとみんなの共作ってこと。あゆの感じ取っている中からみんなもきっとこう思うよね、ってテーマを見つけてね。

・・・・あゆの歌を聞いているよ、好きです、ってみんながいってくれると、こう思っているのは私だけじゃないんだ、って安心できるし。あゆは1人じゃないんだって思える。・・・・みんなとそうだね、って同じ気持ちを感じ合いたいから、あゆは歌い続けてるんだと思う』


 個人的な見解ですが、仮に歌詞の内容に共感できない場合でもそれはそれでいいんだと思います。それで自分の内面がより深く意識できるようになれるし、ひょっとしたらさらに無意識では浜崎さんと同じような感情があるのに何かの理由でそれと逆であるかのように本音をおし殺していたことがわかる場合だってあるでしょうから。


 前置きばかり長くなりましたが、今回16曲の中からどれを取り上げていいのかわからなかったので高2具利院さんに選んでもらったのがA song for xxでした。キ−となる歌詞の部分はこれです。


いつも強い子だねって言われ続けてた 泣かないで偉いねってほめられたりしていたよ そんな言葉ひとつも望んでなかった だからわからないフリをしていた・・・そんな風に周りが言えば言うほどに 笑う事さえ苦痛になってた


 小学生でも学年があがってくるとほめられた時の受け止め方も実に多用になってきます。素直に喜ぶだけでなく『本当はおだてているだけなのではないか』『こちらを思い通りに動かすためにヨイショしているのでは』『からかっているだけなのでは』・・・と。

 ほめた方が純粋な気持ちであっても他人からの期待に答えようと(無意識にでも)なってしまうとこの歌詞のようなことになってしまいます。鋭い発言を周囲に「オ−!」なんて反応されると次も何か特別なことを言わなければならないとプレッシャ−を感じてかえって発言できなくなってしまうというのも同じような心理状態です。称賛された状態から抜けられなくなるんですね。

*ちなみにこの歌には『もう陽が昇るね そろそろ行かなきゃ いつまでも同じ所にはいられない』という部分もあります。

 さてみなさんはいかがでしょうか?どんな自分が見えましたか?


H13,5−4
  
心の疲れと休息
-Boys&Girls-
 −Depend On You −

前回の特集について学習会のメンバーからは『ほめられること』について「うれしい」「別に・・・」「うれしくない人っているの?」・・・いろいろな反応があって面白かったです。いくつかのクラスではかなり深い語り合いをすることができました。今まで自分の心の奥底にありながら気が付かなかった心と出会ったり、周囲の人をみつめる時に今までよりずっと広い観点からできるようになったり・・・・

 そこで今回は前の文章で私が個人的に書いた部分と関係あるところを今週は中2ゆでたまごさんが選んでくれた中からさらに考えたいと思います。


まずはBoys&Girlsから


    
本当は期待している 本当は疑っている
    何だって 誰だって そうでしょ
    『イイヒト』って言われたって
    『ドウデモイイヒト』みたい



 浜崎さんがどんな人生を歩んできたのかは知るよしもありませんが歌の根底には『人間への深い絶望というか不信感』と『やっぱり人を心から信じてみたい』という二つの面が同居しているのでは、というのが先週何人かの人達との話ででたことでした。

 これは単純に『信じられる人』と『信じられない人』がいるというような問題ではないような気がします。もっと人間全体というか・・・自分がこの世で生きる意味そのものを自問自答しているような印象を受けます。現実には疑いを持ちたくなることばかり起こる今の状態が真実なのか、そうでないのか・・・今の状態が真実ならどうしてそんな世の中で生きていかなければならないのか?もしもそうでないのなら、何時になったらお互いが裏切らずに信頼できる世の中がくるのか?・・・そうしているうち心が疲れてしまう・・ 

人間不信という以外にも、例えば私のように『称賛されるのが苦手』という場合もあります。他人からけなされたり邪魔者扱いされ1人でいることだったら小さい頃から慣れ過ぎてしまって(たとえ本当にこちらを認めて言ってくれているとわかっていても)称賛され過ぎるとどうしていいかわからなくなって困ってしまい疲れてしまう事さえあるのです。(無論けなされるのも疲れるし嫌な苦痛なことですが・・)

 こうした一種のクセをもってしまった心の世界は『屈折感情に支配されている』という言い方もできます。そして人間は誰でも多かれ少なかれどこかに屈折感情を抱いているものだと思います。(本当に純粋な人はないでしょうが現代の世の中で生きていれば屈折した部分は持ってしまうでしょうね)この度合いが多ければ多いほど『心に深い傷をおっている』という思いが自分の中に渦巻いているのでしょうね。

 私もそんな思いが渦巻いていていろいろな人から「気にするなよ」と励まされてきましたが場合によっては余計に自分自身へのマイナス感情を深めてしまいました。「気にするな」と言われても気にしてしまうから悩んでいるのですから・・・

それなのに、自分は中学生や高校生に『気にするな』と言っているのが矛盾してるんですがね・・・。私のような穴に落ち込んでほしくないという願い、みなさんには私とは違って屈折状態から解放された生き方を見出だしてほしいと思ってしまうから言ってしまうのは大人の習性です。


 ゆでたまごさんが選んでくれた曲の中にはこんな歌詞もあります。     

ずっと飛び続けて 疲れたなら
     羽根休めていいから 私はここにいるよ
                 -Depend on you-


 『別になぐさめてくれなくたっていい、ただそっとしておいてもらえれば』という心境にもつながるでしょうか。

 余談ですが、よく私の周囲にも「それくらいで苦労してるなんて思わないで!甘ったれるんじゃないの!だらしない!」と言うのが口癖のような人が少なからずいました。たしかにもっと苦労した人から見れば、それはそうなのかもしれませんが、やっぱり本人にとっては大変な状態なんですから『疲れた』と一休みしたいことは理屈抜きであります。変な激励はかえって火に油を注ぐ事になります。

 屈折感情から解放されるには助言などを受ける事はあっても最終的には『自分で乗り越える』という事しかできないのではないと思っています。そのエネルギ−を蓄積するための休息は必要ですね!



浜崎あゆみと一休和尚  H13,5−5
 高2具利院さんから提供された雑誌に載っていた浜崎あゆみさんのインタビュ−を一部引用します。(プチセブンno.10)


 
・・・転機という意味では『vogue 』『Far away』『 SEASONS』っていう三部作だったな・・・。・・・その時期はアーティスト活動をやめようと思っていました。


・・不安だったんだと思います。自分に向けられる目が怖かったっいうか・・。デビュ−して以来“私はこうなんだ。私はここにいるの!”って思いながらやってきて、みんながこっちを向いてくれるようになって、それが嬉しい反面、違ったところばかりフュ−チャ−される面もあって・・・。


“おしゃれのお手本にしたい有名人1位・浜崎あゆみ”とか“メークの参考にしている有名人・浜崎あゆみ”とか(笑)若い子が注目されるのを見て、大人は“教祖”だって(笑)そういうことがあったりして、すごくプレッシャ−になった。

“私がここで何かしたら、すごく影響を与えてしまうんだな”っていう。自分の発言や、フアッションが若い子に影響を与えて、それを見た大人がまた“社会現象だ!”って騒ぐっていう三角図式の1点が自分だっていうのがすごくイヤになっちゃって・・。ここに居続ける意味はあるのかな?って思い始めちゃったんです。


 だったら私、カワイイ服を着てキレイにメークして“イエ−イ”って言っとけばいいんじゃないの?って。歌を歌ったり詩を書いたりしなくても、きっと浜崎あゆみという人をみる目は“カリスマ”とかくだらない冠をつけたまま変わらないんだぁ、って思ったからすごくネガティブな感じだったんです、すごく(笑)。



 また浜崎さんの当時の発言をいくつかのホームページで調べたのですが『次はどんなことで驚かせてくれるのか』という周囲の期待がかなりのプレッシャ−だったことを盛んに言っています。

 この部分を読んでフッと思い出したのがトンチの一休さんと言われた一休和尚が高名なお坊さんとして世間で認められた頃のエピソードです。



ある位の高い人達の集まりに招待された時に最初はボロボロの衣を着てでかけていったら『乞食坊主の来るところではない!』と誰もそれが一休和尚と気が付かずに追い返してしまったんだそうです。

その後今度は立派な衣を着てでかけていくと大変丁重に迎えられた。その時一休和尚はいきなり衣を脱ぎそれを置いて帰ろうとしたんだそうです。驚いて理由を尋ねる人々に「先程私が汚れた衣で現れたら追い返された。しかしりっぱな衣を着てきたら歓迎された。皆さんは私よりもこの衣に用があるのでしょう」というような事を話したというのです。


これは現代人への警告でもあります。 『注目されればそれでいいのか?』『ほめられるために頑張るのか?』この自問自答は重要です。

特にコンテストや部活で優秀な成績をとった時には周囲の渦に巻き込まれる危険が大ですから。また大きな注目でなくても日常のささいな周囲の反応をどの程度気にして自分が態度を決定してしまっているかも意識している必要があるでしょう。自分の中のホンモノに目を向けているか否かです。


 先のインタビュ−の中で触れている3部作は絶望3部作と呼ばれているそうなのですが、今はその2つ目のFar awayとその後に作られた『SURREAL』の一部も紹介しておきます。


*新しく 私らしく あなたらしく  生まれ変わる
*どこにもない場所で 私は私のままで立っているよ
 ねえ君は君のままでいてね いつまでも君でいてほしい


 こうした姿勢は大事だと私も思うのですが、そう歌っている浜崎あゆみさんに対して素朴に思うのは今の姿が本当の浜崎さんらしいのかという点です。最近以前作られたプロモーションビデオを観たのですが今の浜崎さんしか知らなかった私にはちょっとした驚きでした。私個人としては以前の方が素朴な初々しさが感じられたからです。

またホームページで読んだインタビュ−集でも『商品としての浜崎あゆみ』という言い方をご自身がしているのも不思議な感じでした。(生身の自分を呼ぶ時は“あゆ”なんだそうですね)


 この点については先程の一休和尚のエピソードにあるのと同様な一般大衆の両極端な姿勢に浜崎さん自身が二極分化してわりきっているようです。商品の飾り付けを自分がしているという形で・・。

 次回はそのところをSEASONSの衣装と『もののけ姫』の仮面を関連させながらもう少し詳しく考えてみたいと思っています。


浜崎あゆみと『もののけ姫』   H13,6−1
 さて予告では今週はSEASONSで書く予定だったのですが、他にいろいろな資料が手に入ったので違うネタで『もののけ姫』との関連を考えてみたいと思います。

前回の『自分らしく』ということにこだわりながら、どうして浜崎さんはああした姿をしているのかという点です。その事を通して、皆さん自身が『自分らしく生きているか』と自問自答して生きていく力が向上すればOKです。ですから今回は私自身のコメントは書いていません。


 では浜崎さんの言葉です。注意してもらいたいのは『本人の言葉であっても、それが心の奥底そのものとは限らないこともある』という点です。無意識にこそ人間の実体があるし、それが現実の気持ちや行動を導いているわけですが、それは自分では意識できないものです。だから本人が思っているのと別の心が自分の心の奥底に隠れていることもむしろ普通なのです。


*『TO BE』・・・デビュ−して1年で何が変わったのかなと考えたんですけど、やっぱりあゆは落ちこぼれのままだなと思った。というよりむしろ、あゆはそのへんの道端にころがっているガラクタのままでいいやと思ったんです。


*『For my deear・・』・・マネ−ジャ−がいるんだけど「あゆ9位9位!」と電話してきてすごい喜んでいて、すごい嬉しかったんだけど、その時はね、「イエ−イ!」とか言って電話切ったんだけど、もうなんかね、恐ろしくなっちゃって。

・・・すごくいろんな人にあゆって存在を知ってもらえたってうれしさと、でもその反面、なんか自分の知らない所で自分が遠くなっていく、自分から。あゆにとって浜崎あゆみって人がすごく遠くなっていく気がして、その恐ろしさだったりとか・・・


*(自分の姿や言葉遣いへの批判に対して)こういう風に思っている人はね、多分多いと思うんですけど、・・・別に作っている訳でもなくて、まあ、あゆは恥ずかしがり屋なんで、その裏返しという。(1998,12,28)


*(年末のオ−ルナイトニッポンの反響後)・・女子高生の新教祖とかね新聞に書かれてて何かあゆは別にうれしくもなく悲しくもなくという感じで。たった2時間しゃべってあれを聞いてくれただけでそんな風にいっちゃって大丈夫なんでしょうか?と。

・・要するにあゆが言いたいのは、あゆの事をそんな簡単に決めない方がいいってことで、もっといろんな顔を持ったあゆもいるんだから、それをみてから決めてもらおうって事ですね。


*(『バ−ビ−人形になりたい』?)え−っとあゆはバ−ビ−人形じゃない、リカちゃん人形になりたかったの。


*(Fry highのプロモのこと)あゆも客席にいようかなと思ったの。幽体離脱みたいな感じ。同じ人は同じ人なの。・・・


*(約束の取材を2週間程度キャンセルした後)あゆとしてはちょっと浜崎あゆみっていうアーティストに何て言うの、マンネリみたいなものを感じて。よく雑誌とかに「次は何をして僕らを驚かせてくれるんだろう?」とかいってさ・・・

何か自分は楽しくてラインスト−ンいっぱい貼ったりさぁ、何か色々髪型変えたりしてたんだけど、みんな驚いてたんだ、とか思って。何かさぁ、ビックリショ−みたいになってきてるじゃん、浜崎あゆみが。そういうもう見られ方なんだなっていう感じ。それも何かそこの辺に絶望すら感じたみたいな。あゆはもっとちゃんと伝えられてると思ったし・・



 ここでもののけ姫の登場です。あの中で山犬に育てられて人間と闘っているサンという少女は「私は人間ではない。山犬だ」と自身の事を話しています。そのサンが登場する時には生身の顔の時と奇妙な仮面をかぶっている時とがあります。・・その心象と浜崎あゆみさんの心象とは共通点があるように思うのです。

 その共通点を考える時も自分を振り返ってみる時も、決して単純に「こうだな」とは決め付けないでください。「こうかな」と思った後、他の可能性を考えたり、あるいは「そういう無意識が働いたのはさらに下にどんな無意識があるからか?」「どんな経験があったからそうした無意識を持つようになったのか?」と次々と想いを広げ深めていってください。


 それが他人への深い思いやりの心を育てることにもなるし、それで人間関係が深まっていけばさらに『自分らしく生きる』という姿勢にもつながっていきます。
 


自分を見つめる自分

−Fry high とSEASONSの衣装変化−  H13,6−2

 前回の浜崎さんの言葉の中である中学生と話した事に「本人は“あゆも客席にいようかなと思ったの。幽体離脱みたいな感じ。同じ人は同じ人なの。”と言っているけど、本当に同じ人と言えるのか?」という事が問題になりました。同じと言っている割にはステージで歌っている表情と客席にいる表情は別人です。やはりステージにいるのは『商品としての浜崎あゆみ』で客席にいるのは『あゆ自身』ということなのではないかという結論でした。

 それは例えばFor my dearの部分で“なんか自分の知らない所で自分が遠くなっていく、自分から・・・その恐ろしさ・・・”という受け止め方をしている『自分』とは誰かという事ともつながります。だいたい『幽体離脱』という事も現実の世界に生きるための『体』という入れ物から『魂という自分の本体』が離れる事なのですから。


 こうした心の中にもう1人の自分がいて、相手や場面によって態度をいろいろと変えていく自分を見つめているという感覚は浜崎さんでなくても誰もが持っているものではないでしょうか。

 小さい頃から『いい子』と親や先生に褒められてきて、ある時期が来てから「ほめられるために頑張っている自分って一体何なんだろう」と疑問に思うのもこれです。また何か良くない事をしようとしている時にフト心に痛みを感じるのもそうです。どんなに周囲はごまかすことが出来ても『自分だけは知っている』という・・。

 だからどんなにマスコミが称賛したりCDの売り上げが膨大になってスゴイ!と言われても『絶望』という気持ちになってしまう本当の自分の気持ちはごまかせなかったのでしょう。

 本当の自分の心が意識され始めた時の人の姿勢はいろいろです。あえてそれを認めることを拒絶する人、本心に素直に従って切り換える人、どうしていいかわからず暴れだす人(小さい頃はおとなしくていい子だった、という子にありますね)、誰と会うのも嫌になってしまう人(ふさぎこみや不登校など)・・・・浜崎さんの場合はそれをイメージ世界に具現化することで打開をはかっています。



 その頃に発表した3曲は『絶望3部作』と言われているそうですが、本人は
「みんなに宛てた遺書みたいな気持ちで作ったんです。この3部作を出しても何も状況が変わらなければこれを最後にしよう、って。」そしてそのしめくくりのSEASONSのプロモで浜崎さんはお葬式に着る喪服を身に付けて歌っています。ラストは自分の姿が映しだされているスケッチブックを遺影のように持って寂しげに立っている姿で終わっています。『21世紀の迎える前に20世紀の古い自分を葬り去ろうと思った』という気持ちだったそうです。

 そして昨年の20世紀最後の紅白歌合戦で浜崎さんが歌っていたのがこのSEASONS・・・しかも彼女自身がデザインしたというその衣装は純白のドレス・・・発表した時黒の葬式衣装で悲しそうに歌っていた歌を20世紀最後の晩には笑みを浮かべて純白のドレスで歌っていました。



 よく私は『本当の気持ちと思っている心が本当に自分の本心かはわからないんだよ』と強調しています。もう1人の自分は無意識の世界に隠れています。そこから時の場に応じていろいろな顔をみせて生きている自分に時おり本心をささやきているのです。

 問題はそのささやきに耳を傾けようと意識しているかどうかです。どちらかというと耳をそむけてしまう場合の方が多いですから・・・なんだかんだ世の中や周囲や常識のせいにして。きちんと本当の自分からのささやきに耳を傾けていると自然に古い自分を捨て去るチャンスに巡り合えるのかもしれません。

 もう一つ注意してほしいのは『古い自分』『本心と違ってしまっていた自分』がダメだということではないことです。それは例えば昆虫などの成長がヒントになります。脱皮して今まで自分を包んでくれていたものを脱ぎ捨て、サナギという仮死状態を突き抜けて初めて『成虫』という真実の姿に生まれ変わる・・・。


 さてみなさんはどういう構えでささやきに向かっていますか?



内なる本当の自分を引き出す

−Fly high−  h13、6−3

  全てはきっとこの手にある  ここに夢は置いていけない
  全てはきっとこの手にある  決められた未来もいらない
  全てはきっとこの手にある  動かなきゃ動かせないけど
  全てはきっとこの手にある  始めなきゃ始まらないから


 浜崎さんを題材として『自分らしさ』を探る今回のシリーズは一応今回で一区切りするつもりです。そのしめくくりとしてこの部分を取り上げたいと思います。


 歴代のうちのクラスのメンバ−だったならしつこく言われ続けていた言葉に『手本は自分の中にある』というのがあります。私の父譲りの言葉です。勉強に限らず何事も自分の内面にしっかりと目を向けていれば最も良い手本がみつかるという事です。

大学時代の恩師である上原先生の『人間がどう生きなければならないかも子供はみんな答えを知っているんだよ』も同様の事を示しています。上原先生は専門が心意伝承なのですが、生命の指標となるべきものは無意識世界に既に持って誕生してくることを解いているのです。『幸せの青い鳥』などの扱っているテーマも共通しています。


 それを現代では自分の外側に手本や理想を求めてからおかしくなっているわけです。流行をむやみに追いかける、マスコミに踊らされる、おしゃれではなく間違った化粧や安易な美容整形に走る・・・みんな外にある幻を一生懸命追いかけて自分を見失っています。

 内なる自分のささやきに耳を傾けるのがポイントであることはこのシリーズでも触れてきました。感覚を研ぎ澄まし自分の内側に意識をしっかりと向けていくことが『自分らしく生きる』カギです。

 ただゆうべ徹夜でかつて担任した大学生のT君と語り合ったのですが『他人からの指摘は関係ないのか』という疑問が出されました。実はここには微妙な問題が含まれています。他人からの指摘に安易に従えばいつのまにか外にある価値観に支配されてしまうことだってありえます。他人に振り回されてしまうことだってあります。


 他人からの指摘というのとちょっと違いますが浜崎さんがラジオでファンからの電話相談にこのように答えているところがあります。

あゆ『ええと・・・人と打ち解けるのも、人と合わせるのも苦手なのでなかなか友達ができないと・・・あゆは人に合わせるって事をほんとしないのね。・・・昔はあゆもそういう事言えなくて(みんなに無理に合わせていて)そんな自分が嫌で。・・・・今は言う。嫌いな人がいたらこれ以上あなたとお話ししたくありません、ってあゆは言っちゃう(笑)』

なみこ『はっきり言っちゃうんですか?』

あゆ『そう。自分の時間が無駄じゃん。自分の人生は自分の為に一番使いたいでしょ。・・・だからやりたくないことはやりたくないでいいと思うし、やりたいことは誰よりも何よりも先にやっちゃっていいと思うし。あゆはそういう風に思ってる』

なみこ『じゃあ無理して友達に合わせたりしなくてもちゃんと友達っていうのはできますか?』

あゆ『うん、あゆは本当の友達見つけるのに20年かかって。だからなみこちゃんも何年かかるかわからないけど本当の友達っていうのは絶対みつかると思う。だからそのままできっといいと思う。』


 この部分に対してある高校生は反対の立場をとっていました。一応いろんな人とも交流してみたいというのが大きな理由でした。それも大切な立場ですね。本当の友達となりうるかというのが最初からわかるとは限らないですから。また気の合わない相手と接する中で自分の中の真実が開眼していくというのもまた事実ですから。むしろ嫌なやつと思っている相手から思いがけないヒントを得ることだってあるというのはいろいろな人間の人生訓にも現れています。

 他人に一生懸命合わせて生きていて『一体自分は何なのだろう』と疲れている現代人も一杯いるし、逆に『他人なんて関係ない』という感覚で人に迷惑をかけても平気、さらには他人の命を簡単に奪ってしまっても平気、という現代人も一杯います。これではどちらも本当の自分とは離れている姿です。

 本当の自分はきっとこの自分の手の中にある・・・その自分と出会っていくために自分の内面を重視する事と、他人とどう関わっていくかという事をどうつなげていくのか・・・それもみなさんが生活を通して奥底の自分に教わっていく事なのでしょうね。


遠回りで辿りつく  浜崎新曲 Dearestより    H13,10-3

 ねこ娘さんが浜崎の新曲を手書きで書いてくれました。交際宣言をした後の気持ちがにじみ出ているような歌詞です。

本当に大切なもの以外 全て捨ててしまえたらいいのにね
現実はただ残酷で   そんな時いつだって目を閉じれば
笑っている君がいる

Ah-いつか永遠の眠りにつく日まで どうかその笑顔が
絶え間なくあるように・・・・
(中略)
Ah-出会ったあの頃は 全てが不器用で 
       遠回りしたよね    傷つけあったよね
(中略)
Ah-出会ったあの頃は 全てが不器用で 
       遠回りしたけど    辿りついたんだね


歌詞の前半にも「余計なものを切り捨てて純粋に」というような大切な事が書かれているのですが、今回こだわったのは後半の「遠回りしたけど 辿りついたんだね」の部分です。

 現代社会は「早く手軽に」を追い求めてきました。勉強でも食生活でも人間関係でもそうです。煩わしい事、面倒くさい事、地道な事は悪であるかのような風潮さえあります。

 しかしその結果はどうなっているでしょうか?いつも携帯の悪口ばかり書いているようで恐縮ですが、やはり私には手軽に友達とのつながりが感じられると皆さんが言っているわりには、人間関係が薄くなっているようにしか思えません。お互いに面倒な事になったら嫌だから携帯という電子機器を間にはさんで生身の人間にからんでしまうトラブルを手軽に避けようとしているようにしか見えません。

 ギャンブルで手に入れた大金はパーッと身を離れていってかえって不幸を導くとも言われますが、それと同じ事が人間関係にも起きているのではないでしょうか。

 これは勉強でも同じです。「手軽に簡単にこれさえやれば」という教材などが氾濫していますが、仮にそれで一時的に得点が伸びてもすぐに壁にぶちあたってしまうことは多くの事例が示しています。目先の勉強に走らなかった人ほど中3の後半になってきちんとした結果を出している・・・それは事実なのです。

 「早く手軽に」は確かに人間にとって強い魅力があります。私もパソコンのソフトや天体の機材でその誘惑に負けた経験があるので偉そうな事はいえません。ただ、冷静になって考えるとやはりそこには歪んだ道への罠があるように思えます。

 「本当に心から喜べること」「心の底から幸福感に満たされること」がそんなにお手軽にホイホイ手に入るわけはない。手軽に手に入らないから大きな喜びであることはちょっと考えればわかることです。先ほどの「遠回りしたけど 辿りついたんだね」という歌詞でいえば、「遠回りしたから」「出会ったあのころは不器用だったから」大きな幸せに辿りつけたという心境になれたとも言えるわけです。

 テロの問題もますます泥沼の状態になってます。今後どのように世界を巻き込んで展開していくのかわかりませんが、本当に世界平和につなげるのだったら、テロリスト達に対する武力攻撃ばかりではなく、反米感情の渦巻いている人たちが、どうしてそんな気持ちになっているのかの地道な検証も欠かせないでしょう。

 武力で押さえ込む、反対者を亡き者にするというのは、ある意味では手軽な方法です。それを主たる解決手段としていたら一体どんな世界に辿りつくでしょうね・・・・・・


本当に望んでいる状態か?
浜崎あゆみI am と 成人式 H14,1-5

 先週の便りから「自分が市長だったらどんな成人式をするか」というのが一部で話題になりました。

ねこ娘さんは「成人式の厳粛さって言うか・・・先ずそれはわからせないとやる意味がないじゃないですか。だから和服とか着ていても、もっと身分の高い貴族みたいなのを・・・自分にプライドというか気品というものを持たせるような・・・。自分が成長したっていう、しっかりしなきゃって思えるような服。」と話していました。

 単なるチャラチャラした意識で豪華な服を着るというのではなく、「厳粛・気品・成長した」という意識を持つために衣装を捉えている点は早く現代人が思いだして欲しい感覚です。

厳粛な式典というと、今までの堅苦しい退屈な成人式を復活させることを願っているのかと誤解されそうですが、形式的なものになってしまっていては、やはり意識の転換を伴いませんから意味がありません。ただ、「大人になる」という事の重みをしっかりと受け止めれば、自然に厳粛な部分も出てくるでしょうし、落ち着いた態度になるのではないでしょうか。

浜崎あゆみさんのニューアルバムに I am という歌が入っています。ねこ娘さん恒例の手書きの歌詞から一部抜粋します。

 

 どうか解って  そんな事を言っているんじゃないの
  どうか気づいて こんな物が欲しいわけじゃないの
  どうか放して  そんな所へ行きたいわけじゃないの
  私はずっと   たったひとつの言葉を探している 


一体浜崎さんは何を「こんな物」とか「そんな所」と歌っているのかは大変興味のあることです。そしてどんな「たったひとつの言葉」をどこから探し出そうとしているのか?どんなに周囲の人たちが認めてくれようが、本当に自分の望み通りになっているのかと自問自答する姿勢がここには見られます。そしてそれが浜崎あゆみさんの一貫した構えとも言えるでしょう。

 新成人の人たちばかりでなく、みなさんにもいつも自問自答してほしいのがこのことです。例えば成人式で遊園地に招待されて笑顔一杯だった人たち。確かに楽しかったでしょう。

でもそれが自分にとって意義ある一日だったのか?本当にそんな成人式で良かったのか?

例えばゆでたまごさんはこんな事を言っています。「(自分も)ディズニーランドでやってもらったら嬉しいけど、何だか縛られてるみたいで嫌だね。そのディズニーランドっていう輪っかの中に押さえられてるって言うか・・。」

私の前回書いた「まだ中身は子どもだよと地方自治体が公認したようなものではないでしょうか。」と同様の事を直感していたようです。

 そうしたことを投げかけると現代では「そんな堅苦しいこと面倒くさい。楽しければいいじゃない!」と反論をくらいそうです。面倒くさい、つらいのは嫌だ・・・それは誰でもそうでしょう。

 ではどうしてそうした事にも立ち向かって生きる人がいるのか?例えば高校生の部活。入部するかしないかは自由です。入らなければ厳しいトレーニングのようなつらい思いをしなくてもいいのに入る。ちなみに私のリブマックスもそうです。時々好転反応がでる。その時はつらい。でも続けています。何故でしょう?

 それは直感しているんです。その向こう側に本当に自分が心の底から満足できる世界があることを。見せかけや世間の価値からも解放された本当に自由自在の境地があることを。それを感じていこうともしないで「面倒くさい」とそこに座り込んでいるのは本当にもったいない事です。

目先の楽しさ・手軽さ、他人の評判ばかりに目がくらんで「これが欲しかったんだ」「ここに居たいんだ」と今の想いにしがみつきすぎると本当に喜びに満ちた人生から自分が遠ざかってしまう。

それが心の底からの望みというなら仕方有りませんが・・・。