父からの言葉


H12,7,1記

「酒を飲まないと本音を出してくれない人間は、まだ本当の友達とは言えないんじゃない?」

妹が二十歳を過ぎてからのことです。たまたま飲み会の意義についての話題になりました。(私はわきで聞いていたのですが・・・)

飲み会のプラス面として妹が
「お酒の席だから本音を出して話をしてくれる、っていうのは大事な事だと思う。」
という意見を出したときに、父が言ったのがこの言葉です。

妹は
「そうなるためにもお酒を飲みながらじっくりと語り合うんじゃない」
と反論していましたが、父の真意は
[ふだんは言えない事を酒の力を借りて言うのは、自分の行為と言葉に責任を持っていない。酒を飲んでいたから時に無礼な発言も許される、という安易な姿勢にもなりかねない]
ということにあったようです。


「青春」がお笑いのネタになり「親友」とかが死語になりつつある現代、真剣にお互いの気持ちを通わせるために時として火花を散らすことは大変苦手な人間が増えています。それが結果としてアルコールの力を借りて鬱積した不満を吐き出し時に暴走してしまう結果にもなってしまうのでしょう。

昨今の成人式での酔って無法ぶりな行為に及ぶ若者の姿を見ると特にそう思います。


本音をだす手段として「お酒」があるのではなくて、
心許せる仲間とお酒を楽しむという飲み会が理想なのでしょうね。


H10,12,21記

「悪い所は誰にでもわかる。すぐには分からないような良さまで見つけることができる力が教師の力量だ。」

教育実習をしていた頃のことです。図工を実習させて頂いて「評価を書いてくるように」と言われたので子供達の作品を持ちかえって眺めていました。「その時言われた言葉です。

「どう感じるんだ?」と聞かれて「うーんと、この絵は塗り方がちょっと雑で・・・」と言った瞬間、おだやかながらピシャッとこの言葉を言われてしまいました。その後ポツリと「子供の欠点を次から次へと見つける事が指導力のある先生だと勘違いしている先生が多いんだ・・・」とも言っていました。

ではおだてればいいのか、というとそうではありません。本気で誉めているのかどうかは子供達は鋭く見抜きます。だからこそ本物をみる目を養わなければならない、とも言われました。それと関連したのが次の言葉です。



「贅沢をしてはいけない。でも本物は知っていなくてはならない。特に教師になりたいんだったら。」

これは父が知り合いの人から手作りの梅酒を頂いてきた時の言葉です。それまで私が飲んだことがあるのは市販の梅酒でした。

この梅酒は今まで味わったことのないようなおいしさでした。(数日であっという間に飲んでしまい、父ががっかりしていました。「あれ、10年寝かせた梅酒だったんだ。」とその時言われました。「ガーン、もっとじっくりと味わえばよかった。」と当時は父の気持ちよりそんな事を思ってしまいました。

本物を知るという事では、休日も出勤していてめったに私らを連れてどこかへ出かけるなどということはなかった父でしたが、教師を目指していた頃、一度だけ国立博物館に連れていってくれました。その時も本当にいい作品の見方・感じ方のヒントを話してくれました。