上原先生語録より

民俗学に根ざした教育論なので初めての方は復古主義???と思われるかもしれません。でも子どもの生命力そのものを復活させるには大変有効だと信じています。

「神」というような言葉も、「トトロ」や「千と千尋の神隠し」などの宮崎アニメの感覚でとらえて頂ければわかりやすいのではないでしょうか・・・


現代人の生きる方向「神秘性の復活」

教育

教育学

お盆の話題から「ふるさとの教育」


現代人の生きる方向「神秘性の復活」・・・H15,4,11の命日に更新

*山奥で長い伝統の神楽を守り続けている小さな村に行ってきた話題から出てきた話です。「神に喜ばれる」という表現が出てきますが、それは日本各地のふるさとに残る素朴な生活感情と捉えてください。

せっかく外人は西洋流の考え方と別のものが東洋にあるっていうので来たがっているわけでしょ。それなのに日本人が「道(どう)」を追放したらどうなりますか。「なんだ、そんなのだったら我が国にもあるよ」ってみんな帰ってしまいますよ。そう思いませんか?

 だから今我々がやらなくちゃならん事はね、やっぱり神秘を考えることだと思いますね。若い人たちに私は「神秘を何とかして探ろう」っていう気持ちを持って欲しいと思います。決してSFとかそんな事を言っているんではないんですよ。人間は神秘さを感じ取れるものなんです。人間という動物は。それをもう一度、もっと鋭敏にしなくちゃだめなんですね。・・・

 現代人はどんどんどんどんその自惚れていって、そして教育自体が「人間尊重」「人間尊重」ばっかり言うもんですから・・・そして人間はすべてダメになるんでしょうね。

 人間はもっと何かに奉仕したほうがいいよ。社会福祉に奉仕しろと言っているんではないんですよ。もっと昔から伝わってきたものに使われていこうと・・・素直に使われてみようとした時に人間本来の生き方というものが歴史とつながっていくことができるんじゃないでしょうかね。

我々がおごってはいかんのです・・・人間が。人間なんておごりうる存在ではなかったハズですよ。自然の驚異にもっともっとビクビクしていたハズですよ。「今日生きられた」ということをどのくらい喜んでいたかわからない動物ですよ。その時に神の怒りに触れないように、っていう生活をし続けたに違いないんです。神に喜ばれようと・・・神に喜ばれない限り人間の存続はあり得ない、と考えていたに違いないんです。

(日本教育史特殊講義より)

教 育
* 小学校の先生の第一の目的、しなければならない事は『子どもの日常性の獲得である』と。これはやっぱり真理だと思うんだよね。その「日常性」という言葉を指導要領自体が削ってしまった。あれは大変な間違いだった・・・。

近代以前の日本人の生活っていうのは「この世の中は安定している」んだって、「人が代わるだけで、日本人は同じ生活をしていく」んだっていう生活をずっと続けてきた。この時には子どもは素晴らしかったんだ・・・。

 我々日本人が考えた教育っていうのは『すじ』の教育をすることが教育だったんだから。『すじ』をたてていくことなんだね。  (平成二年合宿)


* 教育は天性を伸ばす事ですよ。ひねくれているのは誰かがひねくれさせたんです。  (昭和六十三年五月例会)

* 教育は『伝承過程』の中でしか考えられないんですよ。・・・『過程的教育観』が必要なんです。今の教育は過程抜きだから、せっかちすぎる。学習過程を大切にしてやるんです。・・・

 扱う子どもの「生から死」に全部つきあうんではないのですからね。その一部分を担当するんですよ。 (日本教育史特講)


* 『教えない素晴らしさ』の確認も必要ですね。二十一世紀に向けて慌てすぎている。(平成六年忘年会)
 日本人の考える教育とは師に子を使えさせることから影響を受ける事だったんです。指導してもらうんじゃないんです。偉い人の身の回りのお世話をするんです。それで玉川も小原先生の世話が大切にされていたんです。玉川に助手が少ないのも、それは学生がすべき事だからです。

 折口先生は『教育は感染作用である』と・・・当代の威力を次の代に移していく事だったんです。                   (国文学)


* 『世の中には「合理性」と「感性」の二つがあり、両者は違う』とはっきり子どもに示してやるのが教育の役目です。  (平成二年四月例会)

* 我々が育てようとしているのは固体ではなくて、その固体から発しているものを育てようとしているんですよ。    (平成三年合宿)


* 親が「先生はうちの子を見つけてくれている」と思える様な教育体制が必要ですね。      (昭和六十三年五月例会)

* 日本人の教育観には必ず『道』が入るんです。  (児童言語)


* 『予測』と『先取り』の能力をつけさせてやるんですよ。やった事、覚えた事のみわかる、っていうのではだめです。  (国語教材)


*教育で人間と人間がつながる意味を考えなさい。・・・教育っていうのは『子どものイメージを開く仕事』ですよ。 (文学)


* 教育するという事は決して既成の文化をもう一度子どもに考えさせる事ではない。(昭和六十三年合宿)

* 教育っていうのは危険を伴っている仕事なんだよ。安全圏内で何かをする事なんて教育じゃないですよ、絶対に。次代の子どもを作ろうとするんだもの。危険に決まっているじゃない。次代が分かっているわけじゃないんだもん。・・・吉田松陰はどうだった。でも吉田松陰がいたから明治維新はできたっていえるだろうね。    (平成五年合宿)


* 教育は『天下国家を動かすもの』ですよ!母親を動かすレベルではないんですよ!(平成七年二月例会)


教 育 学(H12,1,19追加)

* 教育学は人間のすべて、『生態』そのものをあつかわなければならないんです。・・・ 日本人の根源的生命観に根ざした教育論が少ないんです。               (国語教材)

* 教育学の一番の魅力は直感を解き明かそうという事だって。それは今日ちっとも答えが出てこないし、忘れてしまったんだろうね。    (平成四年合宿)


* ひとつの事でもそれが日本人独自なのか、西洋でも同じなのか、きちんと調べていかなければ何にもなりませんよ。役に立つ教育学にしていかなければね。

* 教育学はロマンチシズムでなくてはいけない。教育者もロマンチストじゃなくちゃね。今の教育学はただの「子どものわがまま」です。    (児童言語)


* 教育学は哲学・史学・文学と比べても浅い学問ですからね。だから逆に新鮮さが必要なんです。・・・体系づけの試みをする段階なんです。「教育方法学」なんていう方法を対象とするのがあるのも、教育学がまだ未熟だからですよ。方法論なんて安っぽいじゃないか。人間が消耗品化してしまう。(日本教育史特講)


お盆の話題から「ふるさとの教育」(H13,8,14)

注 児童の言語研究という大学の演習の時間(昭和59年)より

鼻血がナンでぇ P,15
お盆の迎え火・送り火に関心を持った甥と姪
かよ「おばあちゃん、はやくやろう」
送り火をすませたあと、家に入ってみるとこどもたちの父親がソファーに寝ていた。
かよ「おとうさん、なんでおとうさんのおとうさんのおくりびなのに、いっしょにしないのかな・・・。アッそうか。おとうさんとおとうさんのおとうさん、なかわるかったからな・・・。」(2年女)


(学生)子供たちは送り火っていうあまり見た事がないものに関心をもっておばあちゃんに早くやろうってせがんでいるけれども、お父さんの方は面倒くさかったのかもわからないけど中にいて、子供は自分のお父さんの送り火なのだから当然すると思っていたんだけれども、考えてみたらおじいさんが亡くなる前にお父さんとケンカをしていたのを思い出して仲が悪かったから送ってあげなかったと納得した。

(上原)まあ解釈・・・・一般的な解釈をしたんでしょうね。それでしまいですか?それで済ませてしまうから教育にならないんですな。

むしろ前提の方が大事なんでしょ。・・・この場合だったら送り火をしていた中に入ったら父親がそれに参加しないで寝ていた、でそのことと前の事柄の送り火をしたという事柄との合理的説明を子供なりに試みたということなんです。あなたの言ったのは後を言っただけのことですよ。最初の前提については何等説明がない。「おばあちゃん早くやろう」っていったこちらの方には何等意味がなかったんですか?

だから私は今度これをやるのに意識の方ではなく無意識の方でやれと言っているのに、無意識は無意識のまま流れてそのまま素通りしてしまっている。あまり小賢しいね・・・お父さんはおじいちゃんと仲が悪かったからだかやらなかったんだ、なんていうのは大した知恵じゃないですよ。面白くはあるけどね、そういう風に合理的につかまえていく知恵が発達してきたっていうのは分かるけれども・・・。


それよりも面白いのは「おばあちゃん早くやろう」っていうのが面白い。つまり「送り火」・・・送り火っていうことに何でこの子供は関心を寄せているのかということですよ。こちらの方がずっと大事な事じゃないですか?

こんな分かりにくいものはないですよ。火をたいてね、そして送り火「おじいちゃんどっかへ行ってしまうんだ」って・・・どうしてこの火が送ることになるの?っていう風に考えそうなものなのだけれども、そういう事には決して疑いを持たない。

これですよ、人間っていうのは。こういうもんなんです。子供は決して疑いませんから。その送り火によっておじいちゃんの魂が帰っていくんだよ、って・・・それに対して子供はむしろ楽しさを感じる。「魂がやってくる」こんな事の方が子供は不思議だななんて言いそうでしょ、今の子供なんてコンピューターを使っているんですよ。それでもそんな事には全然不思議さを感じない。親父の方がおかしいんですよ。「そんなことやったってつまらない。そんな事をやったって効果はないんだ。でも昔からのしきたりだからマア女子供にやらせておこう」なんて父親はソファーにふんぞりかえって寝ているんです。これが一番くだらんですね。

子供は信じやすいんだから、子供はそうやって人間の世界へ入り込んでいるんだから、これは大事な場面だと思って父親が参加してやらんといかんのですよ、これは。親の方が不信感を持ち始めているからソファーの上でひっくりかえれるようになったんですよ。ところが子供は素直にやってるわけ。

人間は何が尊いのか、何を大事にして生きていかなくちゃいけないのか、わかりにくくなりはじめている。

今言っているのは単にそういう感受性を大事にしなさいってことじゃなくて、もっと大きいことがあるんです。それは私が折口学を信奉しているからなおさら言っておきたいんだけれども、永遠に続く問題なんですよ。我々の魂の故郷はどこかっていう問題は人間はいつも感じていく動物なんです。ノスタルジアなんですよ。ノスタルジアっていうやつは教える教えないに関わらず人間は持ち続けるという問題なんです。

そういう大きな問題が出てくるとですね、諸君らは教育として何を考えなくちゃならないのかという大反省をしてもらう時が来つつあるんだと私は言いたい・・・ですね。ちっぽけな知識なんて問題にならん。

私の師匠である折口信夫はこのノスタルジアを問題にしたんです。よく東京人が「我々のふるさとだ」なんて・・・お粗末の限りですよ。私だって故郷は丹波篠山だって思っている、だけども私はよく旅行するけれども旅行した時に「あー、丹波篠山なんて故郷の代名詞みたいに言っているけれども丹波篠山なんかよりこっちの方がもっと故郷めいた所だな」なんて所が何箇所かある。

特に沖縄に行った時、昭和29年に私は行った・・・その時には折口先生がやはり感動を記しておられるけれども、当時沖縄は那覇には船がつかない。那覇の外港??というところに着いた。まだ戦火の後が生々しかった。そのままぐらいです。その時に港に着いてそして沖縄の土地に自分の足をしるした時に涙があふれるほどに出てきたですね。

つまり・・・なんていうことないんですよ・・・沖縄の野山が私の目の前に入ってきたというだけで涙がダーッと出るんです。私の感受性が強いからと思ったんですけど連れていった玉川の学生たちがみんな涙をこぼしている。これは嘘じゃないんです。証人だっているんですよ。音楽の先生で宮城かつひさ先生っているでしょ。あれは私の教え子ですけれどもあのかっちゃんが涙ながらに沖縄に着いたその時にですよ、タクトをとって歌を歌ったんです。歌っているその写真もある。かっちゃん泣いています。

それは「みんなで泣こうよ」なんて言ったわけじゃないんです。あの涙は一体何だったのかと思いますよ。嬉し涙であるわけはないよね。じゃあ悲し涙であるわけもない。何だかよくわからない。だけども私はふるさとだっていう感じがしたんですね。私のうちは沖縄とは何も関係がない。だけども「あー日本人の故郷はここだ」っていう風に思えてしょうがないんです。これは一体何なのか?

つばめだけが帰巣本能を持っているのではないんです。人間は故郷へ帰ろう、故郷へ帰ろう、っていう気持ちを持っている。持っているからですよ、遺骨収集なんていって戦争で死んだ人の骨を持って帰るじゃないですか。何のためにあんな苦労をしなけりゃならないんですか。それは恐らく人間は故郷へ帰りたがっているんだということで遺骨を持ちかえるんです。死んだら親元へ遺体を送り届ける、そういう習慣は一体何なんですか?それは我々が偽りのない何かをズーッと無意識でも持ち続けているということ、潜在意識ですよ。

折口先生が書いておられる。大正9年。「数年前」と書いてあるから大正の初年ですよ。その時に折口先生が紀伊半島の突端、ダイオウガ崎って言ったかな・・・あの突端に立たれた時に今私が言ったようなことが書いてあるんですね。その突端に立たれた時にですね「この海のかなたにきっと故郷がある」っていうように思えて仕方がなかったって・・・それはいたずらな詩人の感傷というものではない、と言うんです。

私はそういう学問をやろうと決めた、という意味のことが書いてある。これが何だろうかって。このノスタルジアっていうのは何だろうかって。だから折口先生は「実感を大事にしなさい、大事にしなさい」って言われたのは当たり前なんです。そういう学問なんです。

そしてそれは遺伝だとも書いている。間歇遺伝なんて難しい言葉が書いてある。今はこんな言葉は使わないでしょうがね。これはずーっと潜っていてパッと出てくる。それがさせるんではないだろうかということを書いておられている。そして折口先生は古代研究っていうあの天下の名著と言われている3冊の本を書かれたわけです。

諸君らは教育学だろ!この前演習の時にも言ったけどもう一度言いたい、あえて。教育学っていうのはロマンチシズムだよ!間違えちゃいけない。教育学っていうのはロマンチシズムですよ。

夢を描けというのとはちょっと違うよね、私の言いたいのは。人間はいかなる感覚のもとにこの世の中をどう見ようとしているのか・・・「見果てぬ夢を見る」っていう言葉を使うでしょう、それがみんな人間の想いなんですよ。だから教育学をやろうとしている人たち、教育者はロマンチストでなくちゃならんのですよ。諸君らが教壇に立とうというのはチーチーパッパやってね、「そこ読んでごらん」「ハイ足し算引き算やってごらん」そんなことじゃないんですよ。

私は何のために諸君の前に現れたか、諸君の心の胸の火を消さないように、燃え盛らせるために先生はあの世からやってきた、と言わなけりゃならんのですよ。あの世からとは言わなくてもいいけどね。

そうでしょう。そういう事なんですよ。人間をわからせるっていうことが教育者の何よりの・・・我々は案内者なんですよ。案内者なんですから。水先案内人なんです。案内人っていうのはいつでも杖をついていくんです。これも折口学だけどもね。杖をつくっていうのは旅人である、っていうんですよね。あの世からやってきたと先ほど私が言ったのはそういう意味です。旅をしてきたんですよ。そしてこの世の人たちにあの世へ送り届ける仕事をするんです、我々は。

だから我々は同時に宗教人なんですよ。ペスタロッチだけが宗教人ではないんですよ。隠者の夕暮れを書いたペスタロッチだけが隠者ではないんですよ。我々が隠者なんです。この世に住まいながら我々はこの世の人間ではないんです。そうでなくちゃいかんですよ。そして我々の仕事っていうのはこの世の人をあの世へ送り込んでいくんだって・・・そうでしょ。「先生ありがとう、私迷わず冥土へ行けます」っていうことをさせているようなものじゃないですか。そうでしょう。チーチーパッパの先生なんて・・・。本当にしっかりしていかなけりゃならんですよ。

先生がもしその子にとって生涯忘れることの出来ないような何か感銘を刻むようなことが出来たらその子は幸せなんだもん。そうでしょ。「チーチーパッパしかあの先生は教えてくれなかった」って言ったらどれくらい不幸かっていうことですよ。子供にとって。そうでしょ。

そこ笑っているけど・・・よく考えてみなさいよ、本当に・・・自分があたった子が幸せになるか、自分があたった子が不幸になるかなんですよ、我々の仕事っていうのは。そうでしょう。私がそこの学校に行かなかったら・・・誰か行くに決まっているんですから、公立学校なんですから・・・