
「戦争」を考える
☆上原輝男著「忘れ水物語ーある被爆者の記憶」
1989年主婦の友社 P143「かぼちゃの少女」読み聞かせ後
・・・平成元年度6年3組
注 この課題は「作者の人間観を読み取る」という課題で書いています。
*私はこの人はすごくきいれいな人間なんじゃないかと思う。人間のきたない部分に対して臆病・・・っていうとちょっとちがうけど。本来そういう物を持っているんだけれど戦争って言う厳しい現実の中で人間らしくできなくなってしまった人の一人だったのではないだろうか。それがかぼちゃの少女のおかげで本来の人間らしい心が持てたのだと思うこれって「ヒロシマのうた」にも含められていたと思う。戦争という中でどれだけ人間らしくいられるか・・・・それがかぼちゃが盗まれた怒りと女の子の「むく」な人間らしい心に対しての気持ちがまざりあってこの筆者の人間観ができたのではないだろうか。
この筆者の人間観・・・人間に対してどう思っているかだけど、多分この人は「人間には汚い部分ときれいな部分がある」っていうことを実感として思える人だと思う。きっと人間を見抜く力っていうか、そういうのがずいぶん鋭い人なんじゃないかな。強いて言えばこの人にとっての「人間」っていうのは善悪にわけられるものじゃなくて(偏りがない)両方を持ちあわせた「球」の状態(でこぼこも偏りもないからね)。それがこの人の人間観。そして善の部分を大切にする人じゃない?・・・かなぁ、すごく。善の部分に対してと言うかなんと言うか・・・悪にそまりたくないっていうかきれいなままでいたいっていう人なのではないでしょうか。
だから人間として人間でありながら、人間でなくなるっていうことに対して恐れを感じる人・・・。うーむ、何と説明していいのだろうか・・・・(なやみ) Mさん
*筆者は「人間」に対し「おろかなヤツ・・・」っていうように思っていると思う。特にかぼちゃの少女のようなけなげで人間味のある子と一緒にいたから他の人がおろかに見えたと思う。
筆者は被爆経験者だから戦争の恐ろしさを私なんかより図ーっとよく知っていると思う。だから人々が何故こんなになってしまったかもよく分かっているのだろう。でもみんながおろかになってしまった中、筆者はそれに負けなかった。そういう筆者はスゴイと思う。 Yさん
*ぼくはこう思う。黒人や白人などの差別などの場合と同じだと思う。たとえば肌の色がちがっても同じ人間だから、この作者もこのようなことを思いながら書いていると思う。この作者のイメージの中にプラスの心、マイナスの心がうまくつりあっているのではないか。げんばくのイメージの中でこの作者は人間とげんばくとの深いつながりあいのねんが、この物語とのつながりにあるのではないか。・・・
S君
*あんまりこの話はよくわからなかった。でも思うに人間のことを愛しているのだと思う。だってかぼちゃの器をとられた後、ちゃんと物事をよい方へ考えているし、そう思いたかったんだと思う。人間はおろかじゃないと。・・・
私は今、この作者のような考え方はできない。でも、そういう心が出来たとき、この物語と作者を思い浮かべられたらいいなと思っています。 Tさん
*まず「人間とは精神の容器に魂が入ったもので、暗黒の中では人は既に人ではなく亡者と化し、あるきっかけ・・・神に近い行為・人の優しさ・温かさを感じることによって人の心が蘇る。そして人の心は情である。神と悪魔を張り合わせたような人間でも、人間として人のこの世に残す印象は常に働いていて、常にそのことについて考えなくてはいけない。
筆者が『人の生命には終焉がある。その終焉の折りに人が振り返って思う過去の時期が「人生」だとしたら、限りない懐郷心は一体何か。たとえそれが死に近い生命体の末期現象だと言われようとも、自分にとってあれは決して終焉どころか始まりであったような気がする。そして潔く死なねばならない』という感じのことを書いているところからみて、常に魂・精神・情・心・印象・意志がひとつとなり精神の容器に入って人間と考えている。そしてそのどれが欠けても人間ではない。意志があるのかないのかと言う状態になると亡者のようになったり、何か人間のやさしさのようなものを感じる事によって・・・いや、それは単なる「やさしさ」とか「思いやり」だけではかたずけられない重みがあるような気がする。
また、どん底へ落ちていった者を蘇らせるエネルギーというか光というか、そういうものを人は持っている。 T君