「ひとりぼっち」で過ごしている子供を観ると、とかく大人は「遊び相手が出来ないのか」「いじめられているのか」と心配になります。

勿論心配な場合もありますが「純粋な自分と向かい合っている」姿であることもあります。そんな子供達の言葉です。



平成5年度4年生に書いてもらった「ひとりぼっちでも楽しい時」という作文です。

「おうち」や「るすばん」の意識調査から、自分のイメージの世界がはっきりしている子供ほど場合によっては「ひとり」の方が楽しいと感じているのではないか、という素朴な疑問から書いてもらいました。


☆最初は、課題を板書するなり「エー!そんなことないよー」と叫んだ子の作文です。


*ちょっとまった−!「一人」だと!とんでもないでござんすよ。こわいったらありゃしない。それに一人でるすばんしている時、楽しいことを考えたりはするけどさ、でも本を読んだり食べ物をあさって食べたりするけど、いつまでたっても家の人が帰ってこない時はこたつの中に入ってとじこもって待っている。でもそれじゃつまらない。その中でマンガを読む。帰ってきたらつい「やっと帰ってきた」と口癖で言ってしまう。

*楽しい時もあるけど、でもこわい方に気持ちがいってしまう。でも、みんながいるときは一人でいるんだ。


☆次は「楽しい時間の過ごし方がある」という子供達です。
*きれいな芝生で寝ている時、あと食べ物がいっぱいある時、きれいな川もあるといい。そこでつりをするから。

*こたつの中。こたつに入りながらテレビをみている時。テレビゲームをやっている。ふとんの中を動き回る。トイレに入って出した時だけホッとする。その後はこわい。こたつの向こう側におかしを置いて反対側からもぐって反対側のおかしに向かって進む。

*一人でも楽しい時はこたつの中にもぐっておかしやゲ−ムボ−イをやっている時。
*段ボールを家にして屋根をビニールのふろしきをかけて作る。中に人形を入れて子どもにして一人で楽しく遊んでいた。人形の名前はうさちゃん。雨がふっても屋根がついているから外で遊んでいた。

*まずはこたつに入って昼寝をするとき。それとダンボ−ルとざぶとんを投げてプロレスゴッコをするとき。つかれると、またひるねをするのだ。

*まずは家じゅうのカギをしめてテレビをつけておかしを用意して○○君のことを考えて・・・れいぞうこを開けてジュースをのんでマンガを読んでワハハハハ・・・。

*5さいのころはおかあさんのけしょうだいやアクセサリ−の置いてある部屋に入ってつけて遊びまくった。今は一人で楽しい時は自分の将来の姿を描くとき。あれほど楽しいものはない。たぶん・・・。

*安心する場所はこたつの中。こたつの中でムクムクあったか−い。こたつの中に頭まで入れてあたたかい気分になってこたつの中でいろいろ想像している。

*おとうさんのヘソクリやいろんなひみつなものをみつけられるから楽しい。あとは勝手におやつとか食べちゃう。後は昼寝。

*ひとりぼっちで特に楽しいのは土曜日かな。家に帰ってもだれもいないし、妹は友達の家にいっちゃうんだ。まずやるのはファミコンかな。お母さんもいないし敗れてもとても楽しい。あおれであきてしまうとことつに入って寝ているんだ。起きるとこたつでかくれんぼもやっているときがある。こたつの中でこたつの探検ごっこをやるときもあって楽しいな。一人の時はとっても楽しいな。

*ひみつきちにいって自分の世界を作る。もう何かをかぶって、すご−い小さい世界を作る。その方が安心する。マンガを読んでいる時は一人でもこわくないけれど、いざ読み終わると一人でいることを思い出してしまう。まずいぞ。どうしたらいいんだろう。急いで庭にいったりする。・・・・もう一つ、一人の時にイメージを広がらせる場所がある。それはこたつの中である。・・・


どうしてこうまでも「こたつ」は人気なのでしょうね。最後の子がはっきりと書いていますが「小さい閉じた世界」ということに秘密がありそうです。

児童の言語生態研究会の「穴とるすばん」調査の結果をふまえると、母胎にいた頃の無意識の記憶と深い関係があるようです。

現実対応に気を使わず、こうした自分の純粋なイメージの世界をふくらませる時間・空間の中に身がおかれていれば、それが見かけは「ひとりぼっち」であってもそれは楽しいひとときなのでしょうね。

そして、そうした純粋な自分を取り戻し現実にまた対応していく元気を回復する場が「おうち」だったハズです。家でも現実対応に追いまくられている現代人が子供も大人も疲れ切っているのは当然なのかもしれませんね。