☆本音を出し合い話し合う
(学級活動 ドラマ作成を通して)
ワニワニ学級もモットーは「おうち気分」になれる教室でした。だからと言ってそれは「ダラダラ過ごす」ということではありません。ナマの姿をさらけ出し合い、ありのままのお互いを認め合うことです。
そこで重視したのが「話し合い活動」です。
1、何故ドラマを素材に話し合いをしたのか
通常の学級会で話し合うのをみてみると、子供達にとっては「建前で済む話題」がどうしても多い。それでは本音を出し合い認め合い、どうすればみんなが満足できる道に行けるのかが探れない。ドラマの場合は小人数であり、自分でも「何の役をやるのか」という切実な問題が出てくる。
ドラマ作成は演劇教育のメリットと同様、共同作業であるから一人一人の役割・責任を自覚して活動が出来る。単に主役だけが偉いわけではなく分担された役や仕事すべてがかみあってうまくいくものである。そうした自分とみんなとの関係を自覚しやすい。
とりわけミニドラマは演劇作りよりも短時間に結果を出せるし、また、グループごとの小作品なので話し合いをしていた時の自分の態度、作成中にはたした役割がどう具体的に形になるのかがすぐに確認できる。それを次に改善してみるチャンスも得やすい。
2、話し合いの約束
*どんなにもめてもグループの編成はやり直さないから、けんかや対立があったら、じっくりと解決を模索してみよう。
*多数決はなるべく行わない。対立した意見でもとことん話し合い、全員の考えをどこかに取り入れられる道を探ろう。
*嫌だという役を「みんなで決めたんだから」という数の暴力で押し付けることはしない。(誰にも拒否権)
3、子供達に強調したこと
*ひとりひとりがドラマに対してやる気を出せば出すほどいろいろな夢をそれぞれが広げるから意見がぶつかるようになる。たくさんの意見が出てまとまらないのはむしろいい証拠。真剣になれば激しく口論になることだってある。
そうしたプラスのケンカは大いに結構。それを乗り越えることがみんなにとってどれだけいい勉強になるかわからない。
こうした狙いにそった話し合いで最も生々しく(?)話し合いを実践し、成長していったのがこのクラス。1学期から「男女の仲も学校中で一番!」という自負があったクラスですが、2学期後半から始めたドラマ作りでは、その作成過程にいろいろなドラマがありました。
3学期の最後に書いたみんなの作文を紹介します。随分と過激な文面もありますが、それは「安易な妥協」「どうでもいいや」ではなかったからこそぶつかり合ってしまった結果、と捉えたいのです。
そうした対立を乗り越えて作品を作っていった、だからこそ4年の最後には「このクラスをクラス編成で解散させたくない!」とみんなが心のこもった最後の作文を書くようにまでなったのです。(その作文はまだ載せていません)
ビデオドラマ「昭和61年度4年3組・62年度4年1組作品」コーナーで
いろいろなグループのをわざと順不同でいれています。
作文「ドラマ作りの思い出」より
・僕はけんかをした。「僕が主役だ」と言ってわがままを言っている。A子が頭に来た。男と女は離れた。いいきっかけがみんなの耳に入った。それがきっかけでえけんかはおさまった。めでたしめでたし。
・僕は新ドラマを作る時にとてもむかついた。「そんなに嫌ならグループを抜けたら?」と言われてはっきりいってむかつきました。それからある女子が僕以外の男はえこひいきしたからです。僕はなぐりたくなりました。でもなぐったら嫌われるし、どうしたらいいのかさっぱりわかりませんでした。
・僕はむかついたことがあった。それは僕が終わりのマークを書こうとしたら女子が「あんたは字がヘタだから書かないで」と言われそのグループを追い出された。でもすぐに「戻ってきて」と戻された。その時むかついたの気分がなくなって、ほっとして仕事にとりかかった。
また、こんなこともあった。話し合いの時に女子が勝手にかげで話をして、こっそり寄って聞くと「男子が悪い役をやってどうのこうの」言っていたから「何で僕たちだけそんな悪いのしかやらさないんだ」と怒鳴った。そして頭にきて男子だけで女子のことを言い合った。言った言葉はここには書かないけれど、その後はちゃんとできて、たくさんドラマが作れた。
・話し合いの時にBさんが話をしようとしているのに、みんなはそれを聞かずふざけていた。その時に話を聞いていたのはたった二人だった。Bさんは泣いてしまった。僕は聞いていない人達に腹を立ててA君と一緒に「あ−あ、こんな人達と一緒のグループにならなければよかった。」と言った。その時は本当に気分が悪かった。
そして教室に戻った。するとBさんが来て、もう僕たちしか信じられない、と言ったのだ。その時僕は、人が信じられなくなったのかと思い本当にかわいそうだった。
僕は帰りにみんなを呼んでBさんの話を聞いてやれと言った。みんな来てくれた。しかし女子2人が「早くしてよ」と言ったからBさんはまた話すのをやめてしまった。そしたら2人は「じゃ−ね」と行ってしまった。僕たちが「ちょっと待てよ!それでも友達かよ!」と言ったがそれでも「別に」と言って行ってしまった。もう本当にBさんがひとりぼっちになってしまい、もう明日から学校に来ないと思った。
だから僕は先生に言いに行った。そうしたら「ケンカを乗り越えて作ることがいいんだ」と言った。僕はその言葉で元気がついた。その時、これからも頑張ろうとおもった。そうしてまた話し合って意見を出し合い、次の準備が進んでいる。
・話を決めるまでに図工室でけんかが大変でした。きっかけは忘れたけれども、とにかくド迫力ですごかった。物を投げたりした。落ち着かせるのが大変だった。いつも僕がとめにいく。「おれの気も考えろ」と言ってとめる。ケンカが始まるたびにやめさせて、話し合ってドラマの撮影ができました。
・題名が決まらないで、3日ぐらいしてやっとのことで決まったのが印象に残った。
・話し合いの時にE君がFさんの意見にケチをつけたので大げんかになってしまいました。だんだんかんかが大きくなって、他の班のひとにも迷惑をかけてしまいました。結局それで何も決まりませんでした。
次の日には、2人とも仲良くしていたのでびっくりした。どうやって仲直りしたのかはわかりません。
・他のグループが撮影をしているのお観て「ア−ア・・・」と思って教室に戻る僕たちだったのです。
・うちのグループはケンカをしたり、解散しそうになったりとかいろいろな事がありました。話し合いの時は今考えてみると時間を無駄にしてたと思います。私なんか参加をしていた時もあるし、みんなが話し合っているのに絵をかいていてみんなに注意されたこともありました。話がきまらなかった時にはどんどん作っているグループをみて「いいなあ」と思います。
でも今はもう2本もドラマを作っているので、あまり前の大変だった頃なんかのことは気にしていません。
・私たちのグループはなかなか話がまとまらなくていっつも嫌な思いをしてたまらなかった。それに対してみんなは話し合いのたびに「ピ−ピ−ギャ−ギャ−」ケンカをしてむかつくったらありゃしない。あたしなんか「ここで怒っちゃだめなんだ」と心に言い聞かせて我慢しているのに、みんなはもう顔を合わせるたびにケンカをして!だいたいみんな我慢することが出来ないのよね!我慢しているこっちの身にもなってほしい。
しかし、グループが解散寸前になった時には、もうこらえきれなくなって自分も一緒にケンカをするハメになってしまった!Q君が「グループは解散だからな!」と言って、私が「うん、私、グループやめるよ!」と言ったら「ちがう!やめるんじゃなく解散するんだ!」なんて偉そうにムキになって言うんだもん。その言葉を聞いて私は何か一言いいたくなった。何故かその言葉を聞いて頭にきたのだ。どうしてそんなに頭にきたのかはわからない。
R君が怒りまくった時は、みんなR君の悪口を言っていたけれども、私がR君が原因だとは思わない。だってみんなが話し合いで勝手なことばかりしていてR君は注意をしていた。それなのにみんなあ無視しておしゃべりをしていた。だからそれが原因だった。私はみんなに怒鳴ってやりたい気分だった。
でも、私はクラスのドラマで一番いいのは、もちろん私たちのグループの作品。だって自分のグループの作品だもん!!
・私たちのグループはぜんぜん話し合いがまとまらないからつまらなかった。たとえばいつものことだけれど、Dさんが自分の意見に賛成されないと勝手に泣いてしまう。Dさんのストーリーには無理なところが多いのに、すぐ泣いてしまう。せっかくいい意見があっても気に入らない人の意見だとぜんぜん取り入れない。
こんな苦労があって男子たちが考えたストーリーでドラマが作られた。
・私たちの話し合いの時には、いつもGさんが泣く。みんなももめて一人一人がチ−ムプレイをなくして自分勝手なことをやり始めてしまう。私も勝手なことをしていた。Gさんとも無視のしあいとなった。
だけど、私とGさんは一日たったらケンカを忘れて、おしゃべりを始めた。小さい頃に一緒に遊んだ思い出をしゃべっているうちにもっと仲良くなった。そのことがドラマ作りで一番心に残ったことだ。
・女と男が分かれたりした。それは意見がまとまんなくなってしまったのだ。グループの中で話し合うのは難しい。
・丸太をスッパン割ったようにグループはまっぷたつに分かれた。他のクラスと同じように男女で境界線でも出来たようだった。私はどうしてだったかは忘れたが、何となくこのケンカの原因だったようなので仕方がなかった。
でも、先生が「今はケンカをしていてもみんななら大丈夫」と言ってくれたおかげで、やっとこさいつも通りに私たちになったわけでとにかくよかった。ただ今次回作を製作中です!
・みんなの意見がきまらなくてケンカが始まったこともあったけれど、その後にはすぐに仲良くなって、やっと決まりました。それでそのドラマをとりました。ドラマの話し合いは人の意見と自分の意見は違うという事がわかりました。
・一番嫌だったのは話し合いで私の意見を男子に無視されたこと。いろいろあって本当に最初はケンカばっかりの映画作りだったけれど、4年も終わりの頃になるといろんなのがあって、観ていてすごく楽しい。
ドラマを撮っている時に、こんなに時間がかかるなんて思わなかった。こんなに役者が大変なんて思わなかった。でも演技をしている時ってすごく楽しいの。
みんな話し合いする時はケンカをしたりしてるけど、人が我慢しなければドラマなんか作れない。そりゃ意見が通らなくて、それで通らなけりゃ、他の考えを考える。いろいろなことを経験しながらやるとみんなの楽しめる映画になると思う。
・話し合いの時にみんなの考えがよくまとまっていなかったので何故だろうと思った。そうしたら、僕たちが考えているものは無理が多いから多分まとまらないのだろうと思った。
僕たちはまだ1作しか作っていないのに、もう何作も作っているグループもある。どうして同じ4年生なのにここまで違いが出てくるのだろうか。僕たちの話し合いは何か意見が出るとほとんどの場合「よし、それでいい」となる。だからだめなのだろう。意見が出たらもう一歩深めて考えるのが大事なのだろう。
・僕たちのグループは仲がいいと思います。早く撮れるのは楽しくやっているからです。時々ケンカもするけど、なるべく、いや絶対にケンカはしたくありません。でも、いっぺんにみんなの考えを一つにするのは難しいから、どうしてもケンカをしてしまう時があります。
・ドラマを撮る前に絵コンテやスト−リ−を決めます。その時にみんなの意見が「これがいい」と一致しなければいけません。そのためにいろいろなアイデアを出しました。
・2作目の時は大変でした。男子と女子がケンカになって、それからず−っと言い合った。それから私たちのグループが2つに分かれてしまった。それからは口もきかなかった。そのことについて先生に話してみた。でも「先生が仲直りさせればいいの?」と言われて自分達で何とかすることにした。
それから数週間もたったらいつの間にか仲直りをしていた。私は何故仲直りできていたかはわからない。
仲直りできても主役を誰にするのがいいのかはいろんな意見がでてなかなかまとまらなかった。これは長い時間をかけて決めた。この作品はケンカをしながらも一生懸命作ったので心に強く残る思い出になりました。撮影の時はNGもたくさんありましたが、迫力があってりっぱな作品になりました。
・一番嫌だったのは僕が考えた話をみんなが「やだやだ」と言ったことだ。それは非常にむかついた。ぼくにとってはかけがえのないドラマの考案だったからなのである。
しかし、そんなことをけんめいに乗り越えて、たえて、その後のドラマを作っていったのだった。
・ものすごい思い出があります。それは最新作を準備している時におこったケンカです。私がJ君とケンカをしました。私は「絶対こいつらとは映画を作らないぞ!」と決心しました。でもケンカをしたのは「おあいこ」ということでおたがいに謝ってドラマが出来ました。
・今思い出すと最初の作品を作る時は本当に大変だったなぁ・・・話し合いの時間にいっつもL君がどこかのグループに遊びにいってしまう。みんな「あいつなんか放っておこう」って言ったけど私は「えっ、でもさあ、一人でも抜けちゃったらドラマなんて出来ないよ。」と言った。
「わけを聞いてみよう」ということになって、私は無理やりL君を連れてきた。「どうしてこのグループにいないの?」「だってさぁ、面白くないんだもん」それを聞いてみんな怒って「だったら勝手にお好きなグループに入ったら。バイバ−イ」と声をそろえて言った。そして話し合いを始めて題名が決まったが、しかし全員は言いたい事が言えなかったみたいだった。
結局L君ももどってきて、大事な役をやって、それからいくつも作ることができた。
・1作目を作るのは大変だった。まだみんなドラマ作りに慣れていないのでケンカもした。MさんとNさんが口げんかをしたり、O君がどこかに行ってしまったり、話し合いのたびに何をしていたのかわからない。
2作目の時は話し合い方も分かってきたらしく、ケンカにもならなかった。前までケンカをしていたMさんとNさんもいつのまにか仲良くなっていた。
・私たちは何回も撮ったけれど時には口げんかもした。言葉では言い尽くせないような状態であった。だが最後にはまとまりつつある私たちである。今はスト−リ−がありすぎて迷っている。でも、もう4年も終わりだからスト−リ−が決まってもとれないさ。
・ドラマでの思い出と言えば、まず思い出すのは大げんか。私とPさんのすごい大げんかだった。でもそのケンカのおかげで何故か話がポンポン進んでずいぶんたくさん撮れた。でもポンポン進んだのはいいけれど、本当にあれでよかったのかな?って、たま−に思う。だって、ほとんど話しを決めていたのは女子で、男子はそれに賛成するか反対するか、それだけだったから少し後悔している。
でもやっぱり私たちのグループが最高だ!(注、この後グループのドラマについての感想がずっと続いたその後で)やっぱり、みんな最高だ!
・私たちのグループでの話作りっていったらほとんど話作りって感じじゃなかったことが思い出される。本当はこんなんじゃいけないんだろうけど、私たちの場合、原案の絵コンテは私が出して、そこに他の人が肉をつけていく。こんな調子でやっているからポップコーンみたいに新作ができる。でも、ま、いっか。私たちはトランポリンで飛び跳ねるサーカスの曲芸師みたいなヤツラだから。
こうした話し合い活動をプラス思考で乗り切ることを模索する場が、特に小学校時代には大切だと思っています。あんなにケンカして、もうダメというところまでいっても仲直りして、お互いに認め合って「ドラマ」を作り上げた事実が、今後成長していく中で生きてくると思うのです。
ドラマコーナーと合わせてご覧下さい
あまり具体的に書く事はできませんが、本音を出してやり取りするのにいろいろとあったのが、やはり高学年の担任時代でした。反発されて活動が停滞するのは日常でしたし、こちらも人間として磨かれました。
やはり大切なのは本音を出し合える雰囲気だと思うのですが、6年生という年齢から飛び出してくるナマの言葉、願望、それらをそのまま受け入れる事はんかなかできないし、かといってそれでは「タテマエだけ」のやりとりになってしまうし・・・とジレンマの毎日でした。
学校という枠の中にあるのは子供達ばかりではありません。私自身、つまり教師だってその枠の中での活動です。比較的校長先生などは寛大に思い切った事をさせてくれましたが、やはり保護者の方々にも様々な価値観があり、子供達の本音を聞くことが「わがままを許容することになる」というご批判もずいぶんと頂きました。
たしかに自由に記述された作文には、そのままでは当然受け入れられない内容も含まれます。それを大人の価値観をふりかざすのではなく、どう共に考えていくのか・・・・この頃「学級崩壊」なる言葉が問題になっていますが、そうした「子供の本音と生き方」をどう共に考えていくのかを本気で考えなければならない時期にきています。
象徴的だった出来事が「ドラマ」の企画問題でした。青春ドラマを絵に描いたようなドラマ「トトロごころ」が作られた後、なかば当然のごとく持ち上がってきたのが「悲劇の転校生」という企画でした。転校生がみんなになじめず自殺するお話です。
みんなのこだわりはズバリ「おきまりのハッピーエンドは嫌だ!」でした。
そのあたりの事情はドラマのページにもあるので割愛しますが、条件付きで受け入れ作成されたのが「侵略者」でした。
作品の内容についてはやはり後日クレームがついてしまいましたが、私としては作ってよかったと思っています。ドラマページに感想文の抜粋が載っていますが、彼らの中にいろいろなゆさぶりがかかったのが分かります。
私はこうしたゆさぶりから無理矢理結論を出すことまではしませんでした。こうした最終的には個人の価値観に関わる事は、いくら話し合った結果多数決や大人の演説で結論を出しても、本音が納得しないうちは生きた行動とは結びつかないと思うからです。無論、子供達の本音を聞く以上は、こちらの本音も聞いてもらう、という紳士協定は結んでいたので、私の考えはきちんと教室では話しました。
またいろんな感想を出し合い、誰がいいとか悪いとかより「いろんな感性があるんだな」と実感してもらうことを大切にしました。
さらに重要なのが「本音を出してもらう」ということについても、本人達自身に「それが本当に純粋な自分の気持ちなのか?」と点検してもらうことです。意外とじっくりと点検していくと、例えば反社会的な思いの裏側に、そうでない心がちゃんと隠れています。それを自分で発見していくことです。
そんな点検は、欲求不満で心がいっぱいの状態では不可能です。だから一度本音(本音と思っている事)を、社会的に許される範囲で形にしてみる。そうすると振り返るゆとりが出てきます。ドラマなどは、そうした不満や願望を形にするのにはうってつけです。特にこの学年のドラマやそれに対する感想文には(侵略者以外の他のドラマについても)そうしたメリットがはっきりと出ていると思います。
こんなやり方はナマヌルイというご批判も随分頂きましたが、それが一番基本だと今でも信じています。
これは余談ですが、私自身はやはりトトロなどに代表されるメルヘンというかほのぼの世界が大好きですが、こうした自分の発想とは全く違うドラマをいろいろと作る中で自分の見方や考え方の幅も広がったと思います。