平成11年5月中旬
平成11年5月7-8日「月・火星・Double
Star・他」
(5月8日夜 記)予定としては最初に火星、それからDouble Starの撮影実験をして、上がってきた月を撮って2時頃には終わるつもりでした。が、重星狙いのためにいつもより南に1メートルほど寄ってセットしたので月を撮ろうとしたら隣の家の張り出した枝に丁度重なり、1時間以上中断しました。
ところがそれがかえって幸いして、始めようとした時より目に見えて空気のゆらぎが少なくなり、機材は同じなのに今まで見てきた月面とは別世界で改めて感動し、夜明けまで過ごしてしまいました。
*「重星ルポ」
昨年、アルビレオを初めて導入出来たときに武藤の冷却CCDのRGBで撮りましたがうまく雰囲気を出せませんでした。その後、導入がうまくいかないので重星見物はしてきませんでした。
おととい、スカイサンサーの「座標入力での導入」があるのに気がつき(呑気ですね。説明書を意識して読んでいない証拠です)やっと楽しむことができました。それで今度はカラーCCDで狙いました。
撮ったばかりのデータをフロッピーに呼び込み、すぐさま家の中のデスクトップで見てみると、画像処理してもただの白い丸が打ってあるだけのようでがっかりしました。すぐさま作戦を変えて通常のフィルムによる撮影にしました。それぞれ3通りの露出で24枚撮り1本使ったのですが、何とか見られたのは載せた3枚です。(一番上がアルビレオ)
ちなみに、先日の「更新時のひとこと」でぼやいていた屈折で天頂付近を拡大撮影する時の問題は、ずっと前に買って袋に入れたまま忘れていた「赤道儀のハーフピラー」があることを思い出したので、屈折のまま何とか撮れました。(ひざをついていたので痛みが今もありますが)
*「星雲星団ルポ」
せっかく冷やしたCCDも、このままではもったいないので月が出てくるまでの間撮りました。例のごとく自宅なので月がなくても北斗七星がかすかにしか見えない状態なのでM13以外は眼視ではほとんど位置がわかりません。M11は初めて撮ったのですが、周囲にこんなに星が写っていたので眼視とのギャップをうんと感じました。M13以外は1分の4枚加算です。M13も3分の2枚なのでさすがに「形がわかる」という段階です。
平成11年5月11日「重星」・12日「M11,M13」
前回重星を撮った時はくっついたりつながったりしたのが多かったので、今回は口径の大きいR200ssの方でやりました。途中で雲が出てきていいところで中断。残念!
出来上がった写真はほとんどぶれた写真でした。このところ火星など高倍率のものが続いたので、改めて赤道儀のモーターのカチカチ音で細かくふるえているのが気になります。
それで比較的良好なのを選んで画像を強めに強調させた後に、ぼかし(ガウス)をかけて乱れをなくし、トーンカーブでキュッと画像を締めてみました。
中途半端にフィルムもあまったので学習会後に花立に行きました。思ったほどはモヤはかかっていませんでしたが特に地平線から数十度までは薄雲がかかっているようでした。天頂付近では天の川が見えるのに、最も濃いはずのあたりは双眼鏡をつかってもアルタイルなどが見える程度でした。
ただ、空気のゆらぎは少なかったようです。いつもより球状星団のツブツブが画面上にはっきり見えていました。M13の後、お気に入りのM22も撮ったのですが薄雲を通したので処理すればするほどきたなくなって諦めました。
赤道儀も今までなかったようなタイプの不調でしっかり追尾してくれなくてほとんど撮れないまま夜明けを迎えてしましました。
今回は武藤のモノクロCCDによるLRGBです。L画像は1X1の2分を4枚加算です。
この晩、最も印象的だったのは駐車場に寝そべって双眼鏡で夜空を眺めた時のベガでした。丁度ほぼ真上だったので自分がベガと対面して無言の対話をしているような感じがしました。双眼鏡をおろし寝そべったまましばらくベガを見つめていました。
遠い宇宙と自分の間には何もない・・・
はるかかなたと自分の意識がつながっているんだな・・・
そんな気分でした。
連日続いている天体写真、さすがに徹夜が重なると体がだるい。だからゆうべは仕事の後も一応空は見上げても「雲はそんなにないな。でも北極星がどこだかわかんない状態じゃあな・・・きっと花立に行っても今の季節はゆうべのようにモヤがかかっているだろうし・・・」と自分で納得して家に入りました。
朝の天気予報がはずれてひまわり画像でも目立った雲はなかったので里美牧場に行きました。途中里美村のコンビニに寄った時も星がバッチリと見えていたので大いに期待が高まったのですが、ナント着いたらほとんど雲に覆われていました。先客の車が2台あったのですがやはり何も出来ないでいた様子です。
とりあえず望遠鏡だけだして様子をみました。9時半から待ち始めやっとかすかに見え始めた北極星で極軸を合わせることができたのが3時間半後の午前1時頃でした。時間がないので冷却に時間のかからないカラーCCDの方を使うことにしました。あちこち雲だらけで先日のような素晴らしい夜空ではなくがっかりしながらも、今日の予定のひとつに買ってまだ使いこなせていない2台のオートガイダーのうちのビクセン製品を試すことがあったのでマアかえって実験にはいいかな、などと自分に言い聞かせて行いました。
ところが以前もそうだったのですが、ガイド鏡を着けると重すぎるのかモーターがきしみを上げて止まってしまったり不安定になってしまいます。ガイド星も薄雲ですぐに明るさを変えてしまい、オートガイダーの点滅は説明書にないようなパターンが飛び出す始末。あっという間に時間がたちもうすぐ夜空の明るさが変わり始める3時になってしまうのでアセリました。その上パソコンの画面の上半分が網がかかったような状態になって各ツールの文字もまともに読めない状態!こんなことは初めてで「故障か???」となおも焦りました。(帰宅して画面をだしたら正常でした)
あと2時半になってオートガイダーは諦めて普通にM27を撮りました。試し撮りの1分は何とか流れなかったのですが、3分ではニャッキの大行進でした。(この言葉の由来をご存知ない方は「裏話」をどうぞ)もう一枚もニャッキが大量にいました。
ここでガイド鏡をプレートごと外して極軸やスカイセンサーの初期設定をしていたら夜明けです。「せっかく遠いところまで来たのにな・・・・」という暗い気持ちで一杯になりました。ドット疲れも出たので「もう帰って寝よう」と思い片づけました。
車のドアを開けて中に入ろうとしたとき、うらめしい気持ちで空を見上げました。確かにあちこち雲があり先日の里美牧場とは違う星空でしたが、夏の大三角付近にはちゃんと天の川が流れています。
「そうだ、これだって自分の家の空では味わえない世界じゃないか」そう思ってゴロンと寝そべり手足を伸ばして星空を眺めました。考えてみれば今日はパソコンの異常な画面やオートガイダーのランプの点滅にイライラしてちっとも星を観ていませんでした。当たり前の事ですが私は本来ここに星を観に来ていたハズなのです。
いろいろと考えているうちに、ずっと周辺で鳴いていたカエルの合唱が何故かピタリと止まりました。こんな風に鳴き声が止まったのも前回も含めて初めてでした。「シーンと静まり返る」の見本のような時間が数分すぎました。と、そこに流れ星の細い筋がスーッと天の川を横切りました。そのうちかすかな風の音がして1匹遠慮がちに鳴き始めました。後について他のカエルたちも再び鳴き始めました。
それからも15分くらい寝そべっていました。3時すぎて星がだんだん薄くなってきたので今度こそ帰宅のために車に乗り込みました。この時は満足した気持ちに変わっていました。
帰宅して画像処理しながら最近は流れていたら消去していたニャッキ画像にも親しみが感じられました。初期の頃一緒によく写真を撮っていた小学生に「この頃先生のニャッキ写真がなくてつまんない」と最近言われた事や、当時子供達に強調していた事を思い返していました。
当時は失敗写真の中にも別の観点からの魅力を子供達と一緒に見つけ面白がっていました。(これらの事も「裏話」にあります)また、失敗していても「ここは前より良くなった」というプラス思考で見ていました。プラス思考が大切だということは今でも学習会で強調しているのですが、最近は自分がそれを見失っていました。
星空にしてもそうです。先日ここで素晴らしい夜空を見てしまったことで、今日の夜空には不満な気持ちを抱いてしまいました。でも、そうすると素晴らしい星空に感動するためには素晴らしい夜空を観てはならない、という逆説になってしまいますよね。(理屈っぽくなりますが)よくオリンピックのメダルやサッカーのワールドカップのことで子供達に話していたことですが、人間っていうのはつい「結果」が以前のレベルや期待より下回ったりすると、実際には恵まれた状況にいるのにそれを忘れてしまします。もしも「下回ったらいけない」となったらこれほど苦しいことはありませんね。失敗は許されないのですから。またレベルダウンするようになったら価値がないということですから。価値を保つためにはいい結果を出してはいけない、ということになってしまします。
勉強でも何でも、なまじ定期テストでいい順位をとってしまったり、表彰などをされてしまうと、今度は結果が目的になってしまうために本来の「学ぶ楽しさ」「そのこと自体をする楽しさ」が失われてしまいます。それをいつも子供達に注意し、「結果ではなく過程でどれだけ充実した気持ちになれるかだよ」ということも言っていたハズなのですがね・・・。
思いはドンドン別の方面にも飛躍してしまうのですが、最近の「老人介護」にもそれが言えると思います。「結果を出せなくなった人間」という発想が世の中の一部に無意識にあるように思えてなりません。だから役に立たない、という本音が時に見え隠れしたりもするのでしょう。「老人は弱者」というレッテルも同じようなことがあるかもしれません。「若さを保つ」ということになりふりかまわなくなっている人もそうでしょうね。見た目の結果が下回る事への不安・恐れです。
実はこうした恐れは私自身の中にもビッチリトあります。教育活動にしても入れ替えアルバムの画像を作りながら「以前は子供達と楽しくやっていたのにな・・・」「自分も一緒に汗だくになって遊べたのにな・・・」と体を壊してしまう前の頃の事にどうしても基準をおいてしまい、今の自分をダメとしています。それこそ自分の老後なんか(そこまで生きれればの話しですが)蓄えも身よりもなく・・・・ついには無縁仏になるかな・・・なんていうこともいつも考えてしまっています。
でも、少し前までは一般にお年寄りは「長老」「知恵者」とされてきた時代があったわけですよね。形の上では若者と同じ事はできなくても、やっぱり若者とはひと味違う、それを社会全体が尊重していた雰囲気があったのでしょう。
なんだか星のページだか何だかわからなくなってしましましたが、結局「ありのままの今」の中に隠れた価値をみつける眼力を養うことを高める精進をしていこう、というのが星を眺めながら反省したことでした。前回より条件の悪い夜空にも自宅からのほとんど星の見えない夜空にも何か価値を見いだす。(以前「つぶやきのお部屋」に載せた文章にも書いているんですよね。当時は。そうした心も失っていたのですね)今回のような失敗写真にも価値を見いだす発想の転換。それを復活させたい・・・。
平成11年5月20日「M81,M101」
わざわざ里美牧場まで行ったのですが、あれだけ湿気があれば花立でなくても霧は出てしまうのでしょう。月が沈むまでは素晴らしい星空で「夜明けまでに今日は何を撮ろうか」とワクワクでしたが、準備が終わって撮像を始めた頃から西の方に霧が発生、M81はまだよかったのですが、M101の時にはまたたく間に流れてきて斜鏡にも水滴がつきはじめ画面にノイズとして出てしまいました。(ノイズの強い周辺部はトリミングしてあります。)
0時半には退散しました。霧のほとんどない山道を下ったところの道路わきでしばらく双眼鏡を使って天の川の川下りを楽しんで帰りました。