演劇クラブ
昭和63年度


部員が女子29人と、どっと増えたこの年、学校が文部省指定の「国際教育研究協力校」のひとつになり、集会で行われるクラブの劇もそうした観点から制作されるようになりました。

「国際教育」と言っても外国の紹介というのではなく「郷土愛」「相互理解」をベースに「いかに日本人らしく国際人になるか・・・その出発点は日常の生活の中から」という方針で作っていきました。


七夕集会 「ヘラクレスのおろち退治」(1学期)

誌上公開ラインアップ

物語  上演時間12分

むかしむかし、ヘラクレスというとっても力自慢の神様がおりました。その限りなきパワーを妬んだ他の神々たちは、うその罪をなすりつけてしまいました。全知全能であるはずのゼウス様は神々の嘘の訴えを信じてヘラクレスを人間界へと追放してしまいます。

人間界へ下ったヘラクレスは泣いている親子に出会います。話によると毎年七夕の夜に「みつまたのおろち」というヘビの化け物が現れて若い娘を一人ずつ食べていってしまう、今夜はその娘の番だというのです。ヘラスレスの勇気ある姿に感激した娘は結婚のやくそくをします。

ヘラクレスはその絶大なパワーを生かし、見事おろちを退治します。人の役にたてたという充実感とすがすがしさの中で、はじめてヘラクレスは「自分は今までこのパワーを人のために使っていなかった」ということに気がつきました。それでおろちの腹の中から出てきたりっぱな剣も「わたしにはもったいない」とゼウス様に献上することに決めました。

そこにゼウス様が現れ、ヘラクレスの心の成長を喜ぶ言葉を述べました。ゼウス様はすべてをお見通しの上でヘラクレスに偉大な神様に目覚めていくきっかけをお与えになっていたのでした。


解説 
ご存知「やまたのおろち」をゼウスやヘラクレスに置き換えて作った劇です。七夕集会だったのでおろちが村にやってくる日付を7月7日としましたが、設定のこだわりとしては「日本神話とギリシャ神話の融合」でした。つまりこうした劇作りの姿勢そのものが「国際教育の具現化」と考えたわけです。

ここでもチャーリー(馬の名前・・・S62の解説欄)は腱在です。この馬にまたがることに憧れていた娘の父親役のS・Oさんは「馬に乗る場面を少しでも入れて欲しい」と熱望。願いがかなっておろち退治の準備を急いでしにいく為にその馬を借りる、という設定で馬に乗る場面が出来上がりました。


秋祭り集会 「思い出のむぎわらぼうし」(2学期)

誌上公開ラインアップ

物語  上演時間20分

あるきれいな海辺の村でのお話しです。太郎と花子という兄妹がおじいさんと一緒に暮していました。実はこのおじいさんは自然の神様だったのです。兄妹や村の子供達はおじいさんの正体を知っていましたが村の大人たちは知りませんでした。

2人は毎日自然の中で友達たちと遊んでいました。そんなある日のこと、町から2人の男が「土地を売ってほしい」とやって来ました。ここを開発して大都会にすると言うのです。おじいさんはきっぱりと断りました。

男達はほかの村人たちを言葉巧みに誘い、村を大都会にすることを承諾させてしまいます。「みんなが便利な生活が出来ねーのはアンタのせいだ!」「村に電気が使えるようになれば、うちの子にファミコンをさせてやれるのに!」などとさんざんののしられ、おじいさんはとうとう「どうなってもわしは知らんからな!」と姿を隠してしまいます。

大都会への期待、喜びの中で工事が始まりました。村は大都会に生まれ変わりました。ところが便利になればなるほど人々の生活はゆとりを失います。子供達も塾や交通戦争にまきこまれていきます。とうとう病気になる子供まで出てきてしまいました。

こんなはずではなかったのに・・・と嘆く大人たちに、子供達は初めて実はおじいさんが自然の神様だったことを告げます。大人達はおじいさんの機嫌をとってまた自然の豊かな村にしてもらおうと太郎と花子に頼みに行きました。

じっと汚れた海をみつめながら「もう手遅れだよ・・・」とつぶやく太郎に、大人達は「わしらのせいだ・・・。仕方がない・・・」とうなだれてその場を去っていきます。

「僕の思い出の むぎわらぼうし・・・たったひとつの ぼくの思い出さ・・・」海を見つめながら太郎と花子はいつまでも歌い続けているのでした。

解説

たぬき先生の教室で休み時間に演劇部員が集まってどんな劇にするか話し合っていました。アイデアが浮かばずみんなが悩んでいた時、担任していた3年生が「この本読んで」と持ってきたのが絵本の名作「小さいおうち」でした。「先生、その絵本使えないかな」という部員の言葉が突破口になって生まれたのがこの劇です。最後の神様のセリフにもあるのですが、決して人間の生活が便利で物質的に豊かになることを否定している劇ではありません。どうすれば「自然と人間が共存できるか」という問題提起をした劇です。


劇の題名でもあり劇中歌にもなっている「むぎわらぼうし」という歌はワニワニ学級で3学期によく歌われた曲です。(玉川学園の小学生が作詞作曲したものです)

いつもは「めでたしめでたし」調で終わる劇が多い中で、この劇はしんみりと終わっています。それが深みへとつながっている、ということで感動をよびました。楽しい劇の演劇クラブ、が一歩前に進んだ劇でもありました。

当時同僚だった先生が他の学校に異動した集会委員会を担当した時に、この劇をその学校の集会で再演してくれました。後でビデオを見せて頂きましたが嬉しいような照れくさいような感じでした。


世界を知ろう集会 「夢はともだち」(3学期)

物語  上演時間27分

バクの一族は「子供達の悪い夢を食べ、いい夢・きれいな夢を持たせる」のが使命の動物でした。バクのおばあちゃんは長年子供達のためにずっと働いてきましたが最近は体の調子が思わしくありません。それでも無理をして働いていました。

そんな時、汚れた海を見つめ泣いている太郎と花子に出会います。大人達に絶望している二人を元気にするためにバクのおばあちゃんは「夢の世界」へ太郎と花子をつれていきます。

その直後、とうとうおばあちゃんは倒れてしまいます。元気にするにはいい夢を描いている子供達をたくさんみせてあげること、と教えられて孫のバク太郎とバク花子がいい夢を持つ子供達を探す旅にでかけます。

ところがいい夢をもった子供達はちっともいません。将来への夢をもった子がたまにいても「みかけだけが変わればいい」「自分が一番になるなら他人は不幸でもいい」という夢ばかりです。疲れきって戻ってきた二人のためにバクのおばあちゃんは夢の世界に昔の子供達を呼び寄せてくれました。純粋で明るい希望に満ち溢れている昔の子供達と一緒に遊んでいるうちに、バク太郎たち、そして夢の世界に来ていた太郎と花子もだんだん元気が出てきました。

昔の子たちが元の時代に帰っていった後、そこにはおばあちゃんの姿はありませんでした。昔の子を呼び寄せるのに夢のエネルギーを使いすぎて死んでしまったのでした。悲しみにくれるバク太郎たちのところへ現代っ子たちが文句を言いにやってきます。2匹は「どうしてあんな勝手な人間たちのためにこんなに苦労をしなければならないの!もうこんな仕事、ヤダよ!」と怒りを爆発させます。そんな姿をみて太郎と花子は人間の世界へ戻り、豊かな心をみんなが取り戻すために人間自身の手で努力することを誓います。

数年後、そこには大きな夢を描いて「夢はともだち」を合唱する大勢の子供達の姿がありました。

解説

よそからの参観者も交えての国際教育関連の集会に演劇クラブの劇も、ということで急きょ行うことになった劇です。11月の秋祭り集会の劇に続いて冬休み明けにすぐに集会の本番というのは正直言ってかなりの負担でしたが、子供達は前向きに受け止めてくれてしっかりと作り上げてくれました。


内容は前作の続きという形です。前作が「人間と自然の共存」への問題提起だけで終わってしまったので、それに対する一つのこたえを出そうとみんなで考えました。このテーマについてはたぬき先生はその後もこだわっています。同じテーマでいくつものビデオドラマや劇などをやりました。ただ、姿勢としてはこちらの考えを押し付けるのではなく、このテーマに対してその時に関わっていた子供達に自由に立ち向かってもらう、ということは自戒していたつもりです。


初の試みとして、今までただ観るだけの立場だった在校生にも一部参加をしてもらう形をとろうということで、エンディングの合唱を全校合唱にしようということになりました。毎朝歌うことになっている月の歌を「夢はともだち」に替えてもらいました。伴奏も合唱・合奏クラブの人達のナマ演奏で、という形を取りました。
それぞれのクラブや学年が持ち味を出し合って、一つの集会を作り上げていくという今後の集会活動のスタイルが芽生えた集会でした。こうした集会の作り方そのものが「国際協力」の生き方へ発展してくれれば、という願いでした。

本番当日、太郎役のS・Oさんがなんと39度あまりの高熱。代役を検討していたのですが「本人がどうしてもやる」というのでお母さんが集会の時間に合わせて学校に連れてきてくれました。養護の先生にも見守ってもらいながら楽屋に控えていたときはさすがにグッタリとしていましたが、舞台の上ではいつもと変わらぬいい演技をみせてくれました。今、当時のビデオを見ても高熱を出しながらの演技だったなんて信じられません。


バク役の子がつけているバクのかぶりものにも、大変苦労しました。デザインを部員から募集したりしました。「鼻の短いぞうさん?」とからかわれたりもしましたがいいかぶりものができたと思っています。また、お姫様の姿になった人間の場面の衣装は当時一緒に顧問をしていたO先生の作品で、その後の劇やビデオドラマでも何度も使われました。


クラブ発表会 「イカとスルメ」(3学期)

物語  上演時間17分

ある日イカの学校に3枚の転入生が来ました。「スーちゃん」「ルーちゃん」「メーちゃん」3枚合わせて「スルメ」の兄弟です。もとは同じイカであるのに見かけが違うからといって3枚はイカ太郎たちのグループからいじめを受けてしまいます。嘆き悲しむ3枚の味方は海藻のオバサンでした。「すぐにわかってもらえなくてもいい。スルメは噛めばかむほど味が出るんだから」と励ましてくれました。

翌日はイカの学校の遠足です。雨ならば陸に上がって遊べたのですが、残念ながらカンカン照り。逆にスルメは好都合とばかり先生の許しをえて陸で遊びます。ふてくされるイカ太郎たちは「おてんとうさまが恐くてイカがやってられっか!」と陸に上がって遊んでしまいます。

遊びつかれて昼寝をしたイカ太郎たちはそのまま干からびてなんとスルメになってしまいました。浜辺で人間の子供達にいじめられているのを3枚たちが助けます。「同じイカどうし仲間だよ」ということで、クラスはひとつにまとましました。


解説

しかも重い雰囲気の劇作りで休み時間も放課後もない状態が10月以来続いていたので、部員は疲れきっていました。「クラブ発表会は口頭発表だけにするか」という提案をしましたが「やっぱり作りたい」ということなので作りはじめました。これもなかなかアイデアが出ないで苦しみました。今度は軽いタッチのものをという共通の思いはあったのですが、停滞したまま日にちがすぎていきました。
それが動き出したのは5年生のS・Sさんが口にした「舌きりスルメなんてどう?」という言葉でした。それから
国際教育との関連を考えていったら、人種問題・人権尊重という接点がうかびあがりこの劇が生まれたのです。


劇をやるたびにいろいろな先生から
「よくいろんな劇のアイデアを思い付くね」と感心されていたのですが、これらはみんな子供達の素朴な声を拾い上げていった結果です。だから事前にアウトラインだけは決めても台本は作りません。練習をしながら「ああしたら」「こうすればいいんじゃない?」と自由に意見を出し合って作っていきます。「むぎわらぼうし」も「夢はともだち」もラストがどうなるのかが固まってきたのは本番近くになってからです。
この劇はある意味でそれが最も極端でした。練習の日程が足りず、本番当日の朝練習の段階でも仲直り以降の場面に入れませんでした。だからこの時点では私も演じている子供達自身もラストがどうなって劇が終わるのか誰もわかりませんでした。そんな状態で幕が上がってしまったのです。
祈るような気持ちで迎えたラストシーン、子供達は即興劇のノリでお互いにセリフや動きを合わせながらぶっつけ本番を乗り越えました。

台本の文学性を重視する劇作りも大切だとは思いますが、小学校段階の劇作りの大切な事を教えられたような気がしました。「解き方を覚えた問題ならできるけど、ちょっとでも変わったらお手上げ」「マニュアルや指示がなければ行動できない。」などの教育問題ともつながることだと思っています。