更新時の一言
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(30日 朝)昨日は親戚のご夫婦の方々と共に香取神宮・鹿島神宮・鹿島港などをまわりました。

香取神宮参道は新緑のもみじがいっぱい・・・
紅葉のもみじもいいですが、これもこれで新鮮な気持ちにさせられました
詳しくはあとで特設ページを作りたいと思いますが、人生の大きな転機を暗示されたような流れの出来事が次々と重なりました。それなりに歩く場面も多かったのですが、先日処方された薬を飲んでいたためなのか、神がかっていたためなのか・・・動き始めは痛みなどで動作が鈍くなっていたものの、動き出せば多少足をひきずりながらですが思った以上に歩けました。
また幼い頃に父方の実家に長期滞在していた頃の思い出話にも花がさいたのですが、そうしたことで私自身の意識のベースが形成された過程のことで再確認できたことも多々あって・・・そもそも今回のことは、私の母の件から一年たったことをきっかけにお話を頂いて・・・まさに昭和の日にふさわしい一日でした。
(29日 朝)毎年書いていることですが、今日「昭和の日」は元々昭和天皇の「天皇誕生日」としての祝日でした。植物研究でも知られている陛下の「雑草と言う名の草はない」という言葉が毎年思い出されます。
このことろCMでも昭和時代のアニメキャラがあちこちに登場して・・・平成生まれの教え子たちが増えていく中、時折そうしたことが話題になります。もっとも「昭和」といっても様々な側面があり、日本人の根本的な価値観や基準も激変した時代が「昭和」とも言えます。それから平成になって20年以上・・・かなり多様な生き様をくぐり抜け、そしてまた昨年あのような大震災も体験した日本人がそろそろ本気で足元から生き方や価値観を見つめなおす大切な機会だと思います。
このホームページもここ何年も本来の趣旨から外れ大半が私の弱音ばかりを更新しているブログのようになってしまって・・・訪れてくださる方が激減してしまっているのも当然の事で・・・・何か本来の趣旨に立ち返ることができないかと模索中です。
その試みの一つとして、アニメなどの中に出てきた印象的なセリフなどを紹介することをこれまで以上に積極的に書いてみようかと思っています。その第一弾・・・シャイニング・ハーツ~幸せのパン~第2話から・・・パン職人の師匠であるおばあさんが、町の人たちに感謝されたことを報告に来た弟子たちへ語った言葉です。
「そうかい、みんなに感謝してもらえたんだね。それは良かった。でも、たくさんのありがとうをもらったのなら、自分のところでとめちゃいけない。ありがとうの種がちゃんとあるはずだ」
ありがとうの種というのがこのアニメの中でどのようなことだったのかは敢えて紹介しません。これを普通一般に広げて考えると、「人に感謝されることが出来た自分になれた」のもまた誰かのおかげということを忘れない、ということになるでしょう。さらには「感謝してもらえた喜びを与えてくれたのは、感謝してくれた方々のおかげ」という見方もできるでしょうね。
そうした気持ちを失うと、いつのまにか本末転倒な生き方をしてしまって、せっかくいいことをしていても周囲に不快に思われる存在になりかねません。でも、人間って立場(身分・地位)が上がれば上がるほど、「やってあげてるんだぞ」という気持ちを持ってしまいがち・・・権力を持てば持つほど「誰のおかげでそうしていられると思っているんだ!」と感謝を強要する意識になりがちです。
でも自然界を見れば明らかなように、世の中はすべて「持ちつ持たれつ」・・・共存していくためには上も下もありません。等しくかけがえのない役割を担っています。「雑草という名の草はない」という言葉にはそうした意味合いも含まれていると思います。
人間が勝手に「高級な品種」とか「雑草」とか仕分けして言っているだけで、植物自身はそんなことには関係なく、それぞれに精一杯生きているわけですから。
(28日 朝)一昨日病院に行った時には車ではなく電車で水戸駅に行きました。その帰りの電車の中、幼稚園からのお帰り親子3組が少し離れたところに座っていました。自然にやりとりが耳に入ってきたのですが、一人のお母さんと3人の子どもたちが「・・・は英語で何ていうか?」「・・・は日本語でな何のことか?」という問題をやりとりしていました。
で、ちょうど電車が水戸駅と赤塚駅の中間あたりを走行している頃に、一人の子が自分のお母さんに「ねえ、アーちゃん(自分のこと)って英語で何ていうの?」と聞き始めました。でもそのお母さんは何も答えません。その子は何度も聞き返すのですが、無反応。そのうちその子はお母さんのスカートのすそを激しくひっぱりながら半べそで「ねえ、何ていうの?何ていうの?」とパニック状態になりました。
やがて電車は赤塚にとまり私もその親子たちも降りたのですが、もうその時にはさすがにその子も諦めて無言で下を向きながらお母さんに手をひかれていました。
その子は心の中でどう考えていたんでしょうね????
お母さんがどういう気持ちで何も答えなかったのかは分かりませんが、下手をするとその子は「私の名前の英語はないんだ」と思って、自分の存在っていうのが世界的に認められていないのではないか、という不安感を抱いてしまったのではないでしょうか?そしてさらに友達のお母さんは、よその子の「英語で何ていうの?」という質問ににこやかに何度も答えてくれているのに、自分のお母さんは自分の名前に関する質問に何も答えてくれない・・・
こういうことって、仮に表向きの記憶としてやがて忘れてしまっても、無意識の世界では深い心のキズとなって残り、様々な形で人生に影響を与える恐れがあります。
昨日の社会人クラスでは某アニメの劇場版を視聴したのですが、その中で母親の願い(要求)を一生懸命にかなえようとしていた子が、期待通りの結果を出せなかったことから「あんたは失敗作!」と冷たく言われて絶望のどん底に叩き落されるシーンがあります。
母親に子育ての責任を押し付けるということではなく、現実としてはやはり大人からの言葉の中で、良くも悪くも最も威力があるのは母親の言葉です。何気ないひと言ひと言が強烈に一生を支配しています。それはじっくりと過去を振り返って心の中を点検していけば、多くの方々が思い当たるのではないでしょうか?
だからといって絶対に子供を傷つけないように特に母親は厳重に注意すべきだ、と言いたいのでもありません。さりげない言動が思いがけない受け止められ方をするのをすべてくい止めようとしたら子供になど接することはできなくなりますから。ただ、子供の様子をありのまま温かい目でみつめる時間を本気で持てば、万が一そのようなことがあっても何かしらは気付いて、フォローしたり素直に謝ったりすることは可能です。
不幸にして長年気がつかずに、大人になってからのわが子に「実はあの時のお母さんの言葉で私は今でも傷ついているんだ」と言われることだってあるでしょう。その時は下手に言い訳をしたり、ましてや「そんな事言ったっけ?」ととぼけたり「そんな事ぐらいで傷つくなんてバカじゃない」なんて批判したらダメ押しどころではありません。本当にそんなことを言ったことを忘れていたとしたら、やはり心から謝る・・・それで子供がニッコリ笑ってくれたら心の中では何らかの整理がついたことになるでしょう。たまっている事を言いたいようだったらじっと耳を傾ける。
もちろん子どもたちに悪い暗示をかけてしまうのは母親に限ったことではありませんが、もっと積極的に言えば玉川学園の創立者である小原國芳先生がよく著書の中でもよく引用されていた「全世界が子を見棄てても、母が子のに全世界となる」ということで、子どもたちがいろんな人から心ないことを言われて傷ついたり、強烈に否定的な暗示をかけられてしまうようなことがあったとしても、その呪縛を解くパワーさえも持っているのがお母さん・・・そう感じることは教育の仕事に何十年も携わっている中で客観的に何度も感じました。
「おうち」という題名の作文を何百人の子に書いてもらって分析したこともあるのですが、世の中のお父さんがショックを受けるくらいに作文の中にお父さんが登場する頻度も存在感も圧倒的に違います。
男性の立場、ましてや独身でわが子を育てたこともない私のこうした発言は「子育ての責任を私にばかり押し付ける気!母親の苦労も何も分からないくせに!!」と叱られそうですが・・・
最初のエピソードでいえばお母さんがたったひと事でも「人の名前はほかの国にいってもそのままでいいのよ」というようなことを優しく言ってあげるだけでいいんだと思います。それだけで人生の展開はだいぶ変わると思います。
(27日 朝)実は先日(23日)・・・母が亡くなって発見されたという連絡があった一年目の日・・・父から送金があって「これできちんと医者にかかるように」と。それで昨日、水戸市内の某病院に行ってきました。転倒してから2ヶ月近く・・・今週に入って多少痛みはやわらいでいたものの後頭部の違和感などもあったので。
脳神経外科と整形外科をはしごして、頭部CTと、首・腰・手首のレントゲンを角度をかえて2~3枚ずつ・・・一日に放射線をあびた量としては人生で最多でした。結果は頭蓋骨の損傷や内部の出血などは認められないので、後頭部の違和感は「むち打ち症」によるものだろうということでした。そして腰(尾てい骨)や手首の痛みは、レントゲンにはっきりとは写らないレベルの微細なヒビがある疑いはあるものの・・・MRIの検査を受ければはっきり確認できるそうなのですが・・・どちらにしても「自然治癒」を待てば時間が解決してくれるとのことで・・・痛みがひどいときには薬で緩和しながら気長に待てば心配はないと言われました。
痛み止めの内服薬とともにむち打ち症の症状を緩和する薬も2週間分処方されたのですが、とにかくこうした打撲による後遺症もむち打ち症も、完全に痛みがひくまでにはけっこう時間がかかるので、それは了解しておくようにとも。(外用薬は自宅にあると言ったら、じゃあそれで、ということで頂きませんでした)
さすがに大きな病院だけあって薬をもらう順番待ちも30分以上・・・その間車椅子にのった年配のおばあさんに話しかけられて、しばしおしゃべり。その方は特に足腰が不自由でもなかったのが3週間ほど前にお仲間と軽い山登りのハイキングをして、それからカラオケで歌いまくっていたら、翌日から膝が痛くて歩行困難になって、以来車椅子なんだとか・・・。外にでると笑顔で話したりできるけど、家にいるときには「ついこのあいだまであんなに普通に歩いたり出来ていたのに・・・」というショックで、絶望的な気分についなってしまうと言っていました。
ほんのささいな動作もできなくて・・・でも周囲は「いくら痛くてもそれくらいはできるんじゃないの?」とその辛さをなかなか分かってくれない孤独感もあると。私もかつて関節痛の発作がひどい時には祖父の杖をつきながら激痛に耐えてやっとこさ立ち上がったり、トイレのスリッパをはくためにほんの数ミリ足をうかせる動作でさえ脂汗を流しながらという体験があったので、自分の体験も少し話しました。「それはどのくらい続いたんですか?」と聞かれたので「一度発作が起きるとひどい時には2~3週間、そんな発作が一ヶ月周期くらいで10年以上続いた」と答えると「じゃあ私の3週間なんていうのは、まだまだ軽いもんですね」と暗い気分が改善されたような表情になってくれました。
50の私が(多分)60ちょっとくらいの方とそんな会話をするというのも妙な構図です。
(26日 朝)私の周囲でもそろそろ連休についての話題が具体的にチラホラ出てきて「先生はどこか出かけるの?」と聞かれることもあるのですが・・・はっきり言って普段から毎日が連休のような生活を10年以上過ごしているので、そういった意識はありません。要望があれば連休中もお盆の時も年末年始も家庭教師はしていますし。
ただ、今年に関して言えば今度の日曜日にはほんのささやかにですが、ある親戚からの提案で一ヶ月遅れですが母の一周忌にちなんで顔をあわせようという提案があり、出かける予定です。それ以外はまだ転倒の後遺症もあるので「ももへの手紙」を観に映画館に行くということもできないでしょうし・・・家で養生をしながら、体調がいくらまマシな時には絵を描くという過ごし方になると思います。
新生活組の方々はホッと一息というところでしょうね。下宿している人たちは帰宅することもあると思いますが、上手に心のリフレッシュできるような予定をたててほしいと思います。連休後に新しい生活にさらに慣れていく意欲が高まるように。
(25日 朝)大学に入り教育学科で最初に繰り返し問われたのは「人を教育するとは、そもそも如何なることなのか?」ということでした。創立者の小原國芳先生が京都帝国大学の哲学科出身ということもあり、「教育の根本」を常に問い続けていた名残りでもあったようです。
「人を育てる」わけですから、当然「人間とはそもそも何なのか」も考える必要があります。これが改めて問われると難しい。そしてまたそうした人間によって構成される「人間社会」というのも何なのか?
そうしたことについてほとんど議論もされず、当たり前のようにそれぞれの大人たちが自分の「当たり前」を押し付けている・・・権力者は当然のごとく強制的に自分が目下と思っている人たちに押し付けている・・・それが今の実態です。
これは教育の問題に限らず、日常の生活から政治・行政・・・・国際問題に至るまであらゆる場面にみられます。
そしていざ問題が起きれば「想定外」だ何だと言い訳をして責任から逃げまくり、他人に責任も補償による負担も押し付ける。
先ほど「人間によって構成される人間社会」という書き方をしましたが、人間同士だけではなく、地球上のあらゆる存在と離れた「人間社会」というのも本来はあり得ません。でもこうしたつながりの大切さを実感として得られていない結果、一部の人だけの利害で大切なことが決められたり、自分さえ良ければというので無免許運転などの違法行為が平気で行われる・・・そして他人を滅ぼし、最終的には自分も滅ぶ道を突き進む・・・
一見関係なさそうな事がらに対しても関連を見出す「類化性能」を伸ばすことに私がこだわっているのも、単に学校での学習を深めるというだけではなく、「自分が人間として成長し続けるための根本的な基礎能力」として類化性能を位置づけているからです。(別の言い方をすれば、独り善がりではない、時には自分をオフにしながらの「想像力」「イメージ力」を伸ばす事です。スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんも「思いやりは想像力」とよく言われていますが、まさにそういうことです))
そしてその学習が最も欠けていて、再教育が必要なのは、子どもたちではありません。確かに今の子どもたちも類化性能がほとんど発動されない子が多くみられますが、それは今の大人たちや世の中の反映です。
(24日 朝)昨日はあちこちの番組でももクロのことが紹介されていました。話題は週末に横浜で行われたコンサートのことが中心だったのですが、番組によっては結成が数年前で長い下積みがあったことも強調してくれていました。
すぐに結果が出せないとダメだしされたり負け組というレッテルをはられがちな世の中にあって、ももクロメンバーの生き様は大切なことを教えてくれていると思います。
是非、今の姿の裏側にどのようなことがあったからあれだけ全力で多様な面を出せるのかという点も、単にアイドルとか芸能人の問題と片付けないで多くの人に知ってほしいと思います。
ちなみに、あの宮崎駿監督も初の劇場アニメ監督作品が興行的に結果を出せず、たしか5年間くらい相手にされないブランクがあったというのもよく知られた話です。
今のように「すぐに結果」ということばかりしていては、かけがえのない才能を片っ端からつぶしていくことになる・・・結果として企業も国も本当に実力を持った人材を各分野で育てられないことになります。
そして最も大切なことは、現世(うつしよ)は多様な人間の相互関係で成り立っていること・・・誰一人いらない人間、生きていて意味のない人間などいない・・・誰もがそれぞれに持っている天分を活かせば、誰もがかけがえのない存在なのですから、一部の権力者の好みに左右されるのではなく、大局的に人をみる目を誰もが磨いていけるといいんですが・・・・。
お互いを尊重しあえる気持ちが幼い頃から養われていれば、例えば昨日も起きたような無責任な意識で車を運転して、大変な犠牲を出してしまうような事故もなくなっていくと思います。
同様に、人材を育てるというのも、「国際競争に勝ち抜くため」なんていう視野の狭い誤った弱肉強食論ではなく、「国際社会の共存共栄により貢献できる」という視点で行って欲しいと思います。バランスの崩れていない自然は、決して強者と呼ばれる存在が弱者と呼ばれる存在を滅ぼすようなことはしませんから。そんなことをしたら、結局自分達も滅びます。
(23日 朝)父がずっと以前に書いた自費出版の本に無理やり結婚を決めてしまった両親を恨むあまり、両親が他界し、自分が年配になっても自分へ不幸を呼び込んで病気になってしまっているおばあさんの話が出てきます。「こんな風になったのもあんたらのせいだ!」と見せ付けてやりたい無意識がそうさせている・・・・
それを読んだのはかなり若い頃ですが、それでもここ何十年もの間、私もまさにこのおばあさんと同じ状態になっているという自覚はずっとあります。それならば、相手がどうせ変わらないのなら、そんな恨みは忘れて、もっと自分の人生を大切に送ればいい・・・そういう考えももっともなことだと思うのですが、それでもやはり内側から憎悪が湧き上がってきてしまいます。
昨日の昼間も体のあちこちが悪化していたせいもあるのですが「どうせこの先不幸続きで、国によってほんの僅かな生活資金もとりあげられ、近い将来孤独にこの世を去ることになるならば、あの親戚よりも先に逝きたい。それも恨みなどを大々的に書き残して・・・化けて出られるなら毎夜出現して夜も眠れないような思いをさせて、母や私の無念を骨の髄まで思い知らせたい・・・・」などという考えが頭の中を支配していました。このまま相手が自分が得をするためにどんなに他人が苦しんでいても、知らん振りしてヘラヘラと「他人を利用するのが自分は上手なんだ」と得意になって生きていくのだけは我慢がならないという気持ちです。
特に一年前の今日は東京の警察から母が亡くなっていたことの電話があって、身元確認に夕方から出かけていった日・・・。昨年のホームページを見返すと、前日には妙な夢を見たり、キャンディーズの田中好子さんが他界したニュースでしみじみしたり・・・という時間を過ごしていた日の夕方の出来事でした。(上の欄に当時の文章にとべるコーナーがあります。クリックすると出てきますが、日付の新しい順なので一番下の方へスクロールしてください)
ゆうべは早めに寝たのですが、すぐに夢をみました。父や母方の祖父がまず出てきて、父から祖父が困っているから手伝ってあげるようにと言われます。祖父のいる部屋に向かう途中、腰が手首の痛みが急激に悪化して私は倒れて動けなくなり・・・そこへいつも親身になってくれている親戚が痛み止めの薬をもって現れてくれるのですが、あまりの痛みで手が動かせず、それを思うように塗れない・・・というところで目が覚めました。
覚めると実際に手首や腰の痛みがかなりひどくなっていて・・・・母と電話で最後に話した時に「腰が痛くて電話にでるのも辛いから、なるべく電話はかけてこないで」と言っていたことを思い出し、「もしかしたらこの今の痛みの悪化は母の憑依のようなもの?」なんて思ってしまいました。何とかからだの向きをかえてDVDレコーダーの時計をみるとちょうど「11:33」という表示。
父直伝の豆を使った一種の占いがあるのですが、その中で「1」と「3」の数字の意味するところなどと合わせて考えてみると、どうもあの恨みいっぱいの考えが頭の中に広がったのも、痛みの激化も、どうやら母の念が伝わってのことのようです。
ただ、その後やはり豆振りをしながらいろいろと探っていくと、どうも母は自分の代わりに私に無念を晴らして欲しい、というところまでは要求していないようです。無念な思いを私が十分にくみとった上で、でも私自身には自然な気持ちでだんだんとそうした恨みの念から解放される方向の生き方を模索していってほしいと思っているような感じでした。
夢の中にも出てきた痛み止めを塗って、しばらくしてから眠ったのですが・・・その際にみた夢は私が歴代の教え子たちが何故か同じ教室で学んでいる学校にでかけていって、文化祭の出し物であるドラマ作りの助言をするというもの。でも私は忙しくてやることがたまっているので、本当に助言だけで、実際にはみんなが積極的に自分達で工夫して撮影に入っていく・・・そんな夢でした。
起きてからやや痛みがやわらいだので、昨日から構想をねっていた次の水彩画の下絵を描き始めました。3人一組の絵なのですが、痛みで目を覚ましてから再度布団に入った時に、急に予定していたキャラのうち、一人を別のキャラにしようと思ったので、そのようにして描き始めています。
今日は一日中ぐずついた天気で、家庭教師に出かける頃にはところによって雷もありうるという荒れた天気になりそうですが、それが逆に「稲荷神の御神得」に通じれば良いのですが・・・。
(22日 朝)体の痛みと偏頭痛でほとんど昼間は布団の中・・・痛みがおさまらない状態で夜は家庭教師に出かけたものの・・・腰痛がじっとしていても痛むレベルまで悪化。断続的にピキッと痛みが走り思わず顔をしかめてしまい・・・やがて「ウッ」と声に出してしまう程度の痛みが走り・・・・この様子では、思ったよりも映画館に行けるのは先になりそうです。
ただ、偏頭痛ながらも先日から話題にしている「×」や「かっこ」についての考察はKOU君との間でもさらに深まっています。「感情」をエネルギーという視点からみることともどんどんつながってきています。自分の脳のそういった部分は一応きちんと動いてくれていることは大きな救いです。
今まで考察してきた感情に関する内容と、言葉の上ではそれほど大きく変化したわけではありません。ただ、数学的なフィルターを新たにかけたことで、見方が360度変化したと言ったらいいでしょうか・・・螺旋階段を上りながら同じ景色も見え方が一周するたびに少しずつ高いところから見下ろせるようになってきていると例えたらいいでしょうか・・・そんな感じです。
先日の社会人クラスでも出席者から出た声の中に、自分の壁にぶつかっていた精神状態などが、数学的な例えで「そうなっていたんだな」と再確認されると、例え「どうしたらいいのか」という明確な解決方法がマニュアル的に分からなくても、何か突破口が開けてくるような予感が内側から湧いてくるような感覚・・・
上原先生が「今意識できる自分の限界まで追いつめるのが授業・・・それが自覚できると、自然に次のステップに進める」と繰り返し述べてきたことは、何も学校の授業ばかりのことではなかったということです。子供も大人も関係なく「今」の自分の精一杯で内面をみつめる視点を日常生活の中で持つ・・・そのためにも、積極的に自分をオフにすることの修練もいろんな形でするといいんだと思います。
「自分が絶対正しいと信じていること」がある、「自分はこうだ」としか思えない・・・そんな場合ほど、自分をオフにするのは難しいものだし、無理にオフにしようとすると逆に余計こだわってしまうことにもなりかねない・・・だからこそ、例えば「模写」等々、一見「人生への視点」とは直接関係なさそうな分野で自分をオフにする修練をすると、それほど抵抗なく・・・むしろ絵が上達する当等の思わぬ喜びや可能性への目覚めという副産物を伴って、最終的には「様々な自分との出会い」が実現していくような気がします。
そろそろまた痛みが悪化してきたのでパソコンを閉じて布団にもぐりこもうと思います。では・・・・
(21日 午前)ゆうべの社会人クラス・・・午前2時までたっぷり活発な意見のやりとりが行われました。「×」や「カッコ」にまつわる事と、個人個人が意識世界を創り上げるという事についての関連をはじめとして、「異形と神仏」「御霊信仰」「江戸人の多重人格的な生き方」・・・など本当に盛りだくさんでした。
帰宅してなんだかんだしていて寝たのが4時近く・・・で、つい先ほど(10時半過ぎ)起きた次第です。寒さで冷え込んでしまったせいか、ちょっと偏頭痛の発作が起こり始めていて、現在どんどん悪化中。
今日はアニメ映画「ももへの手紙」、全国公開初日ですが、やはり腰や首筋も痛いので映画館へは行けそうにありません。美山加恋さんはちょうど今放送中の「王様のブランチ」をはじめ、今夜は「世界ふしぎ発見」、明日も午前中に「日本テレビ」にゲスト出演です。
新作の水彩画ですが、色塗りを凝らなかったので、昨日の昼間のうちに完成しました。数人の教え子たちにみてもらいましたが、これまで以上に明るい雰囲気の色になっているとのコメントもみなさんから寄せられました。確かにそうかもしれません。この前も少し書きましたが、心理療法の一つに絵画を描くことでというのがあるようですが、意識世界で体感しているのとはずっと違った状態に無意識レベルでは変化(純化)が進行中なのかもしれません。
(20日 朝)水彩画新作の下絵を短時間で仕上げました。構成もそれほど凝ったわけではありません。次は彩色ですが、今回は腰痛も悪化傾向にあるので無理しないで単純にしようと思っています。
中学生の授業で理科について解説することが最近増えているのですが、改めてエネルギーの考え方と「感情」・・・特に「恨みや怨念、祟り」などに関した「御霊信仰」のベースとなった一般に負の感情と言われているものとの関連について考えさせられています。特に中学生が「京都」への修学旅行に来月行くので、余計にそうした話題になります。(長岡京から平安京に遷都された経緯などとからめて)
さらにまた昨夜は上原先生もよく話題にしている「×」の記号にまつわる根源的なイメージについても話が盛り上がりました。表向きには当たり前といえば当たり前のことに改めて気付いただけのことなのですが、よくよく考えるとやはりかなり深い意識とつながっているようです。そしてまたそうした「感情論」の観点をふまえて数学の乗算を見直してみると「展開・因数分解」にも新たな見方ができるようになって興味深いものがありました。
(19日 朝)体調の関係で毎年桜の写真を撮りに行っていた分校跡地に今年は満開の時期になっても出かけられずにいたのですが、昨日は昼間に補講の依頼があったので、そのついでに撮ってきました。だいぶ散り始めていて葉桜へと移行中でしたが、撮ることはできました。
桜よりも先に目についたのが、震災後1年たつのにまだ倒れたままの校訓が刻まれた碑でした。「人を先に 自分はあとに」という言葉が校訓だったのですが、そうした言葉が刻まれている碑が倒れたままというのが、何やら今の行きすぎた競争原理の世の中にあって、余計に虚しく感じました。
地元には石屋さんなども多いので、私に財源があれば自費で依頼してきちんと直したいくらいなのですが・・・ちょっと無理です。
今年は、昨年ひっそりと誰にも連絡しないで他界した母の残したメモの件もあったので、桜をみていても特別な気持ちがあります。
3月下旬、もうじき桜が咲き始めるけれども、自分はもう間もなくこの世を去るので今年の桜でさえ見られなくなるだろうとの思いで、動けなくなった体で手近にあったメモ帳に描き残していた絵です。
分校の桜を撮るときに私が毎年ねらっているのは太い幹から直接咲いている花・・・自分としては風情を感じています。

夜の授業の際には思ったより道路が混んでいなかったので15分以上早く現地に着いてしまいました。なので近くの公園で街灯に照らされている桜があったので、それを撮りました。
桜の木の上のツンデレ妖怪がいるような風情でした。
こうして桜を撮っていたせいでしょうか・・・明け方近くになってみた夢の中に母が出てきました。よく都内で会った時に地下鉄をのりついで移動したのですが、そんな場面でした。夢の中で私が母と二人でどこへでかけようとしていたのかは分からなかったのですが・・・多分あの頃都内でめぐった桜の名所に行こうとしていたんでしょうね・・・・。
(18日 朝)「教育は投薬ではない」というのは私の師、上原輝男先生の言葉なので、このような例えは適切ではないのですが・・・今の学校現場は歯科医に例えれば「速攻で痛みをとれ」という結果だけ求める患者ばかりになって、しかたなく麻酔薬や痛み止めを使ったら「痛くなくなったからもう大丈夫」とそれ以上の治療は受けずに患者が通院せず、やがて歯がボロボロになった時に「ちっとも治っていなかったじゃやないか!!!!」と、怒鳴り込まれ・・・場合によっては医師免許剥奪とか医院を取り潰される・・・そんな図式に似ています。
塾や家庭教師がそういった目先ですぐに結果を出すことを求められ、それができなければ「ダメ」のレッテルを貼られてしまうのはある意味で宿命的な部分があり、私も理想はかかげながら完全にそれを貫けないジレンマがあります。
だからこそ「ホンモノの教育」を行っても潰れる心配のない公立学校が絶対にやるべき「公教育の砦」があったわけで・・・。
でも「公教育はサービスです」と民間の発想をいれ出した頃から極度に「成果主義」「競争原理」の方向へ歪みだし(もちろんそれ以前も詰め込みなどの歪みはありましたが)、公教育の学校といえども「競争」をさせられ「結果が出せない学校は潰れてかまわない」と権力者が私物化するような発想が正論のように主張されている昨今です。
こんな状況で、例えば昨日実施されたような問題・・・特に日常への適応力などが求められる問題・・・が解けるような児童・生徒を育てよ、と言われたら現場の先生はたまったものではありません。その上「英語教育も早くからやるべきだ」とか、各業界の思惑がみえみえの教育養成が寄木細工のように現場に押し付けられる。
本気で物事の本質を見つめていくような理想どおりの教育をしようとしたら(本格的な虫歯の治療をしようとしたら)それは拒否して、中身は空っぽでもすぐに目に見える得点をとらせる教師(すぐに麻酔薬を多様する医師)が優秀とされ、得点に直結しない、時にはじっくりと考えさせ敢えて悩ませたり試行錯誤や失敗を通して本質的に理解させる(時には痛みを伴う治療をしても完治させようとする)教師、なかなか勉強に興味を持てない、生活意識が乱れてしまった子を何とか立ちなおさせようと奮闘している教師(歯医者に限らず治療困難な病気にもじっくりと向き合って患者に寄り添う医師)が、ダメのレッテルをはられる・・・
それでいて、目先優先の教育ばかり受けてきた子が、こうした学力テストの発展的な問題を解けなかったり、小論文や面接での応対、あるいは学生や社会人になっても何の実力もないと「学校は何を一体教えてきたんだ!」と非難される。
バカな首長の圧力が強い地域の子どもたちは、そんな大人たちにどんなに無能のように言われても耐えて、自分をダメ人間と思わないで育っていってほしいと思います。それからホンモノの教育に理解を示してくれるような首長にもしも出会えた地域の子どもたちは「そんなことでは国際競争に負ける」というような声にまどわされずに、しっかりと学習に向き合い、好奇心もより旺盛になって欲しいと思います。
新たに学んだ視点で日常を見直していくのは、本来とっても楽しいことなのですから。
(17日 朝)次の水彩画の構想も固まってきたのですが、肝心の体の状態が思わしくないので着手できないでいます。座っている姿勢も横になっている姿勢もどちらも辛い。ゆうべは胃腸の機能も信じられないくらい低下しているような体感があって、少ししか食べていないものが一晩中、胃の中に停滞したままで・・・それらが重なってあいかわらずよく眠れませんでした。
今夜、深夜枠で「ももへの手紙」の映画宣伝番組があります。
(16日 朝)4月も後半にさしかかり、新年度スタートの教え子達も授業が本格化する週となりました。はりきって授業・・・
と、いいたいのですが、昨日も結局一日中ほとんど布団の中・・・パソコンのメールチェックも早朝に一度、夕方以降に一度だったので、せっかく遠方の知り合いが美山加恋さんの出演情報を送ってくださっていたのに、見逃してしまいました。
夜中には手首や首の痛みが再びひどくなって寝ている姿勢もちょっと辛く・・・明け方には打撲して特に痛めた部分をはるかに上回る腰全体が腰痛状態になって寝返りも起きたりするのもヘロヘロです。
そんな一夜だったのですが、痛みでなかなか寝付けないなりに、ウトウトとできた合間に印象的な夢を3回(4回?)みました。
一つ目は、私がある料理屋の駐車場に車をとめていたらタチの悪い運転の車が入ってきて何台もの車にわざとぶつかって傷をつけた挙句に「自分の車によくも傷をつけたな」と因縁をつけまくっていて・・・私も含めて他のくるまも逃げられないように出口をふさがれていたのですが、そこに数年前に他界した叔父さんが現れて、駐車場の隠し出入り口を教えてくれて、さらにこの近くで新しい高速道路ができたから、その道を逃げていけばいいと教えてくれる・・・そんな夢でした。
自分に都合の良い解釈ですが、何か私の前に長年立ちはだかっている例の親戚からの圧力やここ何年もの停滞状態からの逃げ道というよりは、新たな人生展開への時期が来ているようなことを叔父さんがこうした夢の形で示唆しにきてくれたような気がしました。
二つ目は多分筑波山だと思うのですが、知り合い数人と午後になって急にでかけて・・・山頂まであと少しというところで夕方が近づき、無理すれば登れなくもなかったのですが、一つ間違えると暗くなる前に下山できなくなる・・・どうするかという判断を下す夢でした。ポピュラーな山とはいっても山は山なので大事をとって下山することを決断・・・急いで帰宅準備をしている最中にカメラが壊れたりしたのですが、気にせずおりて何とか無事だったという夢でした。
何かを諦めるのが「逃げ」なのか「適切な撤退」なのか、なかなか人生の中では判断が難しいところですが、1回目の夢とのつながりでみると何か大きな判断が迫られ、見た目のことよりも本質的なことでの判断が必要なことが出てくるのかなとも思いました。
そして3つ目・・・腰痛が強まったあとにみたせいか、仕事が自分ひとりでは困難になって、仲間といっしょに小さな塾というよりは学校のようなもの(松下村塾のようなイメージでしょうかね。あるいは初期の玉川学園のような感じ?)を開くという展開でした。講師として迎えた先生の中には特例として日本初、小学校2年生で教員免許を取得し小学校に勤めたという男の子もいて・・・ただ、教育内容は実にまっとうだったものの親からの偏見や何かで勤めていられなくなって・・・そうした挫折を乗り越えて再出発しようとしている彼をぜひ理解してほしいと最初の説明会で私が話している・・・というところで目が覚めました。
これ以外によくは覚えていないのですが、部屋の中に祖父か誰かの遺体が置かれていて、それに私がなんらかの形で関わるような夢もみたような気がするのですが・・・本当にほどんど覚えていないので分かりません。
先日「死と再生」をテーマにした絵を描いたからですかね???あるいは本当に大きな転機が近づいているんですかね???
