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(8月6日 午前)
今日は被爆から79年目の広島原爆の日
恩師である上原輝男先生も広島駅で被爆され生死をさ迷ったわけです。
古来から日本人はこの目にみえる世界が幻のようなもの・・・現世=「うつしよ」・・・と考えてきました。目にみえない世界にこそ実態があると。無意識の世界を大切にしてきたのもそういったことと深い関係があると考えられます。
これは仏教でいう「空」「無常」とも深くつながるし、日本人はそういった面も生活の中に活かして長い年月いきていました。
それが目に見える世界こそが現実・・・・目に見える豊かさや地位や名誉や思い通りに遊んで楽をできることこそが絶対価値であるようにこの数十年で急速にきりかわっていったわけです。
もちろんそれで本当にみんな心の底から幸せに満ちた笑顔になっているればそれはそれでいいのですが、自分が笑顔になるためには平気で他人他人を不幸にする
自分が100%思い通りにならないのは他人のせい・・・・とお互いに思って攻撃し合う
物質的には娯楽も食べ物も多くの人達はかつての人達が考えられないほど豊かで恵まれた生活を送っているのに、不平不満はつのるばかり。・・・・・・
この目にみえる世界の不確かさについては、先生は被爆体験からよく話されていました。「原爆が一発おとされてみればわかるよ、一瞬でこの世界なんてかわってしまうんだから」
これは強烈な体験だったでしょう。
*世界各地での紛争や、大きな災害で現代人もそれは体験しているはずなのですが、どんなにリアルタイムで映像などが流れてきても、なかなか実感できていないようですよね。非現実の映画などをみている感覚の人が多いのではないでしょうか。
現実派不確か・・・ということは、見方をかえれば、「どうせ変わりっこない」というような絶望的な状況だって変わる可能性がある・・・ともいえます。
それが「死と再生」「甦り」などの感覚。
被爆体験は二度とあってはならない体験ですが、体験してしまった以上は、それをどう活かしていくか・・・・ということだったハズなのですが、あれから80年近くたった今、「戦争、おおいにやっていいじゃないか」という前提にたつ方々がこの日本でも多数派をしめるようになっています。
私は戦後生まれではありますが、昭和36年生まれですから、物心突いた年頃の時に周囲、いや日本中の成人のほとんどが戦争体験者だったわけです。
「戦争は二度と起こしてはならない」というのはみんなの生活を通しての叫びだったわけです。
それが幼少期カラ殺戮ゲームで育った世代などは、戦争はかっこいいものという攻撃する側のイメージばかりが先行しています。いつミサイルなどの攻撃があって、自分達の街が焼かれ、大怪我で苦しんだり死んだりするのか分からないのが戦争の実態だということへの想像力が伸びていかない。
これってものすごくコワイことだと思うんですよね。
平成6年出版の「かぶき十話」の中に先生の次の一文があります。
戦後五十年、焦土と化した敗戦日本の憂き世の中から、あのとき、不死鳥のように立ち上がった我々の胸の中に画いたのは、今日只今のような日本人の在り方であったろうか。
このホームページ内での上原先生の被爆に関する言葉
個人ブログ更新
平成5年夏 上原先生が小学6年生に語った被爆体験です
上原先生の説かれる現代人にも大切な「意識の転換」ということの大きな原点が被爆体験だったということがわかります
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12862644362.html
上原輝男記念会ブログ更新
上原先生が書かれた被爆体験の私小説「忘れ水物語」追い書き
先生が考える、被爆体験から方率長ければならないもの、について書かれています。
http://jigentai.blog.shinobi.jp
(6月24日)今日は昭和52年に他界した父方の祖母の命日です。いつものように過去の記事を転載しますが、毎年改めて思うのが、祖母とすごしていた日常のいろんな場面が「人間」(魂)としての大切な学びの場だったということ。
学校教育制度が整っていなかった時代でも、こうした特にお年寄りからの伝承、あるいは庶民の娯楽に盛り込まれている精神などが、重要な教育機能として作用していたのでしょうね。そしてそれは多くの場合、子供たちの心の深い部分にまで響き、刻まれていった。一生涯にわたっての指針となっていった・・・そんな気がします。
私には孫というような存在はいませんが、孫がいてもおかしくはない年齢になって、はたして伝える側の立場ことが、きちんと次の世代の方々に響く形でできているかというと・・・反省と焦りばかりです。
*祖母に関しての過去の記事
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(2023年6月24日 昼)父方の祖母の命日ということで・・・・例のごとく過去の記事の転載です。同じエピソードに対しても年によって観点がちょっとずつ違っています。
この祖母が幼児であっても私に対してとってくれていた姿勢は、多分以前には普通にみられていたことだと思うんですよね。祖父母からの伝承。これが日本人の土台を築いていた大きな役目をはたしていたと。
上原先生がある年の月例会で、「最近読んだ本で面白いのがあった・・・」と紹介してくれた内容が、戦時中にアメリカを中心に日本人研究を徹底的に行ったと。日清・日露以降、何故あのような小さな島国が大国を脅かすような力をつけたのか
その一つが「あれかこれか の二者択一の発想 ではなく、あれも これも と相反するものや多様なもの結び付けて発想できたこと」
そしてそのような発想は庶民レベルで年寄りからの伝承としてきちんと受け継がれている
年寄りからの伝承を断ち切らない限り、また日本人はあったいうまに世界を脅かす存在になるであろうと。
だから戦後、日本の仕組みをそうした観点から大きくかえるように行われたと。具体的にいえば代表的なのが核家族化による年寄りとの分断。もちろん家の縛りからの解放という側面もあったにせよ、そういう真の狙いがあったのだと。
その真偽は分かりませんが、現代社会の行き過ぎたデジタル思考による、極端な発想・行動をみると、あながちデタラメな話ではなかったように感じてしまいます。家族をはじめとして個々人が自由の名のもとに身勝手でバラバラになって互いにつびしあっている様子をみても。
(2022年6月24日 夕方)今日は昭和62年、私が教師2年目の時に他界した父方の祖母の命日です。
何度も書いていることですが、私の仏教的な土台は、この祖母によって幼い頃から培われたといっても過言ではありません。とってもおだやかで物静かな祖母。さりげない日常のやりとりの中で昔の人の名言などをきかせtくれたりしていました。
多分幼児の頃ですが、ボットン便所で落ちたら危ないということで、大の時にはいつも祖母が抱きかかえてくれて用をたしていました。そのトイレの壁に毛筆で何やらニョロニョロとしたのが書いてあって(当時は草書なんてわかりませんでした)「おばあちゃん、これって何?」と聞くと、「これはね、輪廻転生について書いてあるんだよ」と。そして幼い私相手にも、けっこうきちんとした解説をしてくれました。(幼いからこそ きちんと話してくれたのかもしれないです)
それが私が輪廻転生というか・・・・仏教を教えとして受け止めた最初の記憶です。
まあ、考えてみればこの前紹介した祖父の「ナスはうんこが大好きなんだ」とワンセットで考えると、転生というわけではないですが、「食べたもの」が「うんこ」になり、再び「野菜」などになって「食べる」とい繰り返しの循環も、うんと広い意味では輪廻といえるかもしれないですね。
もう一つ祖母のエピソードとしては、これは私ではなく父からきいた、小学生の頃のエピソード。
父がある日「天ぷらを食べたい」といったら、納屋から菜種を出してきて・・・・アブラナの種です・・・・渡された父は、畑を耕しそれを育て、たくさんの種を収穫。そこから獲れた油で天ぷらをあげてくれたんだと。
祖母には直接確かめたことがないので、実話なのかどうかはわかりませんが、父が小学生の頃だと昭和10年代ですから、あり得ない話ではないと思います。
なんでもすぐに手に入る時代って、長い歴史から考えればつい最近ということですよね。そしてもしかすると、そんな「今」は長い歴史から見れば、儚いひと時の夢・・・・なんていうことだって、ありえなくはないと思います。
(2021年6月24日 朝)今日は父方の祖母の命日です。他界したのは私が就職して2年目の年。翌日に国語の研究授業を私がすることになっていたので、知らせを受けた日には行かずに、次の日、研究授業を行い、終わり次第向かいました。私が到着した時にちょうど納棺の儀が始まろうとしていました。
これまでも紹介していますが、私の「宗教」とか「精神世界」などへのベースを作ってくださったのはこの祖母の影響が最も大きいと思っています。私が小学校にあがる前から「昔の人はね・・・」とか「人間は死んだらね・・・」とかのことをさりげなく繰り返し話題にしてくれていました。
「輪廻転生」について初めて知ったのは幼児期にボットン便所で祖母に抱かれて用をたしていたときですからね。今でもはっきりと覚えていますが、便所に墨で細かく書かれた難しい文字がかけてあって「おばあちゃん、これって何が書いてあるの?」と聞いたら「これは輪廻転生っていってね・・・」と恰好本格的に教えてくれました。「因果応報」や「報い」などのことも含めて
今思えばお便所で用をたしている時であっても、機会があればそうした話をきちんとしてくれるというのはすごい祖母だったと思います。(でも厳格というような雰囲気は全くなく、いつもおだやかで優しい笑みを浮かべていました)
そのほかにもいろんな思い出がありますが、祖父母の住んでいた母屋の方には長らくお風呂がなくて、同じ敷地内に住んでいた叔母の家のお風呂をいつも頂いていました。私の幼少の頃は俗にいう「五右衛門風呂」・・・・祖母ともよく一緒に入っていたのですが「お鍋のお風呂」と呼んでいたのを今でも覚えています。
ちなみにこれたの祖母の姿勢と同様に、当時の子供向け番組・・・ウルトラマンやウルトラセブンやその他もろもろ・・・で、テーマとしては非常に深いものがたくさんあったということが、教師になってから子ども達を相手にする時でも「本質的なことは相手が子どもだとは思わないでストレートに」という私の基本姿勢になっていると思っています。幼児期であっても、強烈に意識にひっかかったシーンは、大きくなって観なおした時に、深いメッセージとか心意伝承的なレベルの内容であったことがほとんどでしたから。
それは私と同じ世代の多くの人が同じように受け止めていました。中高生になったころの再放送をみてその時点でもよく覚えていたものほど「こんな深い内容だったんだ!」とビックリし、高校の時などは再放送で初めてみた後輩たちと何時間も語り合ったものです。
子どもだからって「この程度でいいだろう」というようないい加減な作りはしない・・・・むしろ子供向けだからこそ、大人向け以上にガチで制作する・・・・そういう意識が今よりもずっと強かったような気がします。
→現在そうした姿勢の代表格は「宮崎駿監督」ですね。かなりの幼児向きと言われた「崖の上のポニョ」だってうんと深いテーマがふんだんに盛り込まれていましたから。
それがやがて大学で上原輝男先生に出会った時に強烈に惹かれた遠縁なのかもしれません。(子どもを子ども扱いしない姿勢。心意伝承に関した事などは、、むしろ子ども達の方が感じ取れている等々の姿勢)・・・・ウルトラマンシリーズの生みの親と言われている金城哲夫氏も実は上原先生の愛弟子と知った時にはかなり驚きました。先生が金城さんを知り合いだった円谷英二監督に紹介し、円谷プロに入社させてもらった、ということです)
それが半生記以上たった今でも受けつがれている。ウルトラシリーズからも多大な影響を受けた庵野監督によって新作劇場映画まで制作中なわけですからね。
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(15日 未明)今日は昭和45年に他界した父方の祖父の命日です。
当時のことなどはこのあと昨年、一昨年のの記事を転載しておきます。
たまたまこの前の木曜日に就労支援施設でのグループワークに参加された方が、上原輝男先生の肉声がききたいとおっしゃって・・・・以前から心意伝承などのことに興味をもたれています。それでたまたまPC内に保存してあった大学4年時に履修した演習でのの録音データの中から目についたのを再生しました。
たまたま語られていた内容がこれです。
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児童の言語研究-5 (昭和59年5月17日)
諸君らは教育学だろ!この前演習の時にも言ったけどもう一度言いたい、あえて。教育学っていうのはロマンチシズムだよ!間違えちゃいけない。教育学っていうのはロマンチシズムですよ。
夢を描けというのとはちょっと違うよね、私の言いたいのは。人間はいかなる感覚のもとにこの世の中をどう見ようとしているのか・・・「見果てぬ夢を見る」っていう言葉を使うでしょう、それがみんな人間の想いなんですよ。だから教育学をやろうとしている人たち、教育者はロマンチストでなくちゃならんのですよ。諸君らが教壇に立とうというのはチーチーパッパやってね、「そこ読んでごらん」「ハイ足し算引き算やってごらん」そんなことじゃないんですよ。
私は何のために諸君の前に現れたか、諸君の心の胸の火を消さないように、燃え盛らせるために先生はあの世からやってきた、と言わなけりゃならんのですよ。あの世からとは言わなくてもいいけどね。
そうでしょう。そういう事なんですよ。人間をわからせるっていうことが教育者の何よりの・・・我々は案内者なんですよ。案内者なんですから。水先案内人なんです。案内人っていうのはいつでも杖をついていくんです。これも折口学だけどもね。杖をつくっていうのは旅人である、っていうんですよね。あの世からやってきたと先ほど私が言ったのはそういう意味です。旅をしてきたんですよ。
そしてこの世の人たちにあの世へ送り届ける仕事をするんです、我々は。
だから我々は同時に宗教人なんですよ。ペスタロッチだけが宗教人ではないんですよ。隠者の夕暮れを書いたペスタロッチだけが隠者ではないんですよ。我々が隠者なんです。この世に住まいながら我々はこの世の人間ではないんです。そうでなくちゃいかんですよ。
そして我々の仕事っていうのはこの世の人をあの世へ送り込んでいくんだって・・・そうでしょ。「先生ありがとう、私迷わず冥土へ行けます」っていうことをさせているようなものじゃないですか。そうでしょう。チーチーパッパの先生なんて・・・。本当にしっかりしていかなけりゃならんですよ。
先生がもしその子にとって生涯忘れることの出来ないような何か感銘を刻むようなことが出来たらその子は幸せなんだもん。そうでしょ。「チーチーパッパしかあの先生は教えてくれなかった」って言ったらどれくらい不幸かっていうことですよ。子供にとって。そうでしょ。そして・・・そこ笑っているけど・・・よく考えてみなさいよ、本当に・・・
自分があたった子が幸せになるか、自分があたった子が不幸になるかなんですよ、我々の仕事っていうのは。そうでしょう。私がそこの学校に行かなかったら・・・誰か行くに決まっているんですから、公立学校なんですから・・・
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こうした点からいえば、「あの世への水先案内」を具体的に最初にしてくれたのが、この祖父といえます。
小学校1~2年生の頃だったでしょうか。たまたま夏休みに祖父の家に滞在していた時に、近所のおじいさんが亡くなりました。とりあえずのご挨拶の時に祖父が私を連れて行ったんですよね。いくと部屋の中に顔に白い布をかけられて布団で寝ている人がいて、枕もとにはお線香や山盛りのご飯におはしがたててあるのとかがあって・・・その周囲で何人もの人が悲しそうにしていました。
祖父が近づいて手をあわせたあと、「ちょっときてみ」と私を手招きしたんです。「何?」といって近づいたら、祖父が「ほら」といって顔にかけてあった布をとったんです。
寝ているようだけど青白く普通の寝顔とは違う顔がそこにはありました。
これがホンモノの亡骸を目にした最初です。
で、2回目にホンモノの亡骸と対面したのがが小3の時、この祖父でした。・・・・納棺には間に合わなかったので、火葬場での最後のお別れで小さな小窓からみたわけですが、あのいつも優しかった祖父が狭い箱の中で花に囲まれて眠っている・・・でもやはり顔色はどこか変だし、何よりも鼻などに脱脂綿がつめてあるのがものすごく異様に感じました。
「死」ということを強烈に自覚させてくれたのがこの祖父ということから、まさ上原先生の説かれている究極の教育者だったといえます。
以下、以前の記事です。
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(2023年6月15日 朝)今日は父方の祖父の命日。祖父の姿で今でもよく思い出すのは庭を歩いている姿です。祖父の習慣だったのですが、夏休みに泊まりに行っていたときなどは、毎朝5時に百合をはじめとして様々な花が咲きほこる庭を歩いていて、それを祖母と一緒に布団の中から縁側越しにいつもながめていました。
この前庭で転倒した際の打撲の後遺症の痛みででこのところはできていないのですが、今年は例年以上に雨がふっていなければだいたい朝の5時~6時の間に家庭菜園のあたりだけではなく、庭の草取りをしています。ある程度きれいにしたと思っても、2~3日雨が降れば、あっというまに伸びてくる・・・きりがないというだけではなく、この生命力にはいつも感心し、是非あやかりたいものだと思っています。祖父の家の裏側にはかなり広めの家庭菜園がありました。
お花中心の表の庭も裏の畑も、当時はそれがあたりまえだと思っていましたが、今思えば毎日のように手入れがされていたんだなと・・・面積にして我が家の何倍もあるところをあれだけ綺麗に維持していたというのはすごいことなんだなと思います。私はあんなに綺麗にはキープできていませんから。
そんなことも含めて庭をながめるたびに祖父のことを思い出しています。
*余談ですが、今住んでいるこの家は母方の実家だったところ、(名義は私ではありません。)今年の春先、家庭菜園の準備で草取りを本格的にはじめた頃、ある程度形になってきたのですが、ある日の未明、母方の祖父が夢にでてきて、私が手をつけていなかった畑にする以外の部分の草取りを黙々としていました。それがきっかけです。今年、庭全体の草取りを頻繁にするようになったのは。
祖父の他界の原因や、当時の思い出については、昨年の文をそのまま転載します。
(2022年6月15日 朝)今日は昭和45年、私が小3の時に他界した父方の祖父の命日です。ちょっとした斜面で梅の実の収穫にそなえて下草を刈っていた最中に転落して首の骨を折り、治る見込みはないという中、なかば実験的な壮絶な治療を受けた末に数日後亡くなりました。(途中、一度お見舞いにいったのですが、その治療の様子は今でも頭にやきついています。これ以上はふれませんが)祖父には大変に可愛がられた思い出ばかりです。
葬儀のために数日間滞在していたある日、祖父が亡くなった時刻をきいて、「あれっ?」と思いました、私の誕生日の数字とピッタリと一致していたのです。これには大変な驚きとともに、言葉にできないような祖父との深いつながりを子供ながらに感じました。
何度紹介していることですが、祖父との思い出の中で最も強烈なのが「ナスはうんこが大好きなんだ」です。小1の頃だったと思いますが、「えーーーーーー!!!!」と驚く私をみてニヤッと笑ったときにチラッとみえた金歯の輝きは今でも忘れません。
拾い裏庭でナスやキュウリなどいろんな野菜を育てていて、よく祖母と収穫していました。それこそトトロの世界のように。ある日、「今日は畑にはいっちゃダメだよ」と言われ不思議に思っていたら、祖父がボットン便所から長い柄杓でウンコをくみあげ、桶(肥桶です)に入れているんです。そして何をするのかと思ったら、それをナスの根元に撒き始めて・・・・・いやー、本当にビックリでした。
で、その時に祖父の口から出たのが先ほどの言葉だったんです。
小学校1年生の私は「ナスはうんこが大好き、ってどういうことなんだろう?」って真剣に考えてしまいました。夜中にナスが口をあけて、撒かれたウンコをパクパク食べるのかな・・・・とか、大真面目に想像したものです。
ここ数年、近所の方の協力を得て、うちでも家庭菜園を本格的に庭で行っているわけですが、ナスをみるたびに・・・・庭の苗やスーパーでナスをみかけた時ですから事実上毎日・・・祖父のこのことを今でも思い出します。朝晩や仏間で食事をとるたびに神棚・仏壇に手をあわせるので、祖父母やかかわりのあった方々のことはそのたびに思い出すのですが、庭や買い物の時の回数までふまえると、この祖父のことを思い出す回数がダントツだといえます。
我が家もいまだにボットン便所なので、その気になれば祖父のように肥料としてつかえるのですが・・・・ネットで調べると、その肥料で育てたナスやトマトの味は格別だとかあるのですが・・・・さすがに実行はしていません。いくら自分のおなかの中から出てきたものとはいってもね・・・・住宅地なのでそんなものを撒いたら臭いの害も・・・・・「田舎の香水」というわけにもいかないし(笑)
ちなみに今日は、ある家庭教師での教え子の飼っていた子猫「おこげ」の命日でもあります。(平成14年)きょうだいである「おこめ」というネコとともに、家庭教師の授業中になぜかいつも私の足の指にじゃれついてきて・・・結構痛かったので、その家で授業の時は分厚い靴下を2枚重ねでした。
いろんなネコの中で非常に思いで深いうちの1匹です。
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(13日 午前)
今日は社会人としての私の生みの親ともいえる先輩、S先生の命日です。
S先生がみせてくれた
「学校の仕事は担当者以外でも学校みんなの仕事。
担当の先生にだって、自分のクラスの仕事も、場合によってはご家族との生活もある。
だから、学校全体の大きな行事の準備は手伝える人は、なるべく手伝って早く終わらせれば、担当の先生だって早くクラスのことに専念できる。それが子ども達の幸せにつながる」・・・・
という背中は、S先生の倍ほどの年月を生きてきた今の私にとっても、大きな指針になっています。
ただ、S先生と関わったのはちょうど昭和時代の終わりころ。
学校勤務についての状況も意識も大きく違っていた時代。
ですからS先生の生き様を紹介しても、「そんな人が職場にいたら迷惑。ますます定時に帰れなくなる」との批判が出るかもです。
ただ、お断りしておきたいのは、S先生だって本来は事務職員だったので、教職員とは違う意味で忙しかったし、教職員の仕事のお手伝いをする必要などありませんでした。幼いお子さんもいらっしゃいました。
そして、ここが大切なことですが、それぞれの先生方の事情があるのだから、無理強いはしないし、定時になるべく帰らなければならない先生方が後ろめたさを感じないですむような気配りもされていたこと。
「もちつもたれつ」「誰のための仕事なのか」等々のことは、今の時代であってもS先生の姿勢に見習えるべきところは沢山あると思います。
実際に手伝えるかどうか以前の、職場への意識というか心構えについてなど特に。
成果主義・競争原理が職場にももちこまれた影響で、他の人の仕事は関係ない・・・ライバルに手をかしてどうする・・・そんな意識にもなっている現代社会。
それって結局は孤立と責任の押し付け合いを助長して、社会全体を疲弊させていくだろうし、実際にそんな風に世の中がガラガラと崩れていると感じています。
数年分のコメントをあげておきます。
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2018年6月13日
現在午前5時55分・・・今日は最初に勤めた学校でずっとお世話になった先輩のS先生の命日なのですが、あの日のこの時間にはもうこの世にはいらっしゃらなかったんです。
前の晩(8時頃)に「お疲れ様でした」と言葉を交わして学校で分かれたのですが、まさかその数時間後、睡眠中に突然死されてしまうなんて全く思いもよりませんでした。
S先生の年齢を追い越してしまってから30年ほどたってしまっているわけですが・・・社会人としての意識年齢など、まだまだ及ばないという実感ばかりの今の私です。
私の終わりはいつどんな風に来るのか・・・・そんなことを近未来の予感として思い描いてばかりいるこの頃なわけですが、そんな時間があったらやれることはいくらでもあるだろ、とS先生や一緒に飾ってある上原先生の写真をみると言われているような気がしています。
まずは児言態の原稿推敲を完成させることなんですがね・・・。
2019年6月13日
今日は教師として新規採用になってからずっとお世話になったS先生の命日です。明け方になって普通に寝ていたのが急にうなされだしてそれっきりという突然死。前の晩、職員室に一緒に残って仕事をしていて、「お疲れさまでした、また明日」と駐車場で分かれたのが8時半頃だったと記憶しているのですが・・・その数時間後の出来事でした。
S先生の生き様は、今でも自分の中での大きな指針になっています。私が次に赴任した学校の校訓「人は先に 自分は後に」を地で行くような人でした。
毎日のように「ストレスがたまっていたから」という身勝手な理由での犯罪や、「目立つため」「面白そうだったから」という理由でとんでもない迷惑動画を平気で投稿するということが報道されていますが、本当にこうした風潮を、S先生などはどんな風にあちらから見つめているんでしょうね・・・。
今回の片頭痛、なかなか頑固で、ゆうべもあまりよく眠れませんでした。今も痛いです。土曜日は聖徳学園小学校の公開授業を参観に早朝から出かける予定なのですが・・・・
2021年6月13日
今日はS先生の命日です。明け方、寝ている時に突然苦しみだしてそれっきりという・・・・前の晩も8時過ぎまで職員室に残っていて「じゃあまた」と駐車場で別れたのが最後のやりとりになってしまうなんて、夢にも思いませんでした。
S先生が背中で教えて下さったことは山ほどありますが、最も大きなことの一つが仕事に対しての構えでしたね。もともとは事務職員でしたから、本当は学校行事等々に関する他の先生方の仕事とは別なんですけど、大きな学校行事などが控えている時にはたとえ自分が忙しくても、率先して手伝って・・・。
担当の先生は代表として担当しているのであって、学校全体の仕事はみんなにも関わっている事・・・担当の先生だってクラスのことでもいろいろあるわけだから、みんなで協力して早く終わらせれば、それだけ早くクラスの仕事に時間をつかえる。子ども達の幸せにもつながる・・・・そういう考え方でした。
忙しい時にはお互い様・・・ということなのですが、ここで注意しなければならないのは、S先生の事務のお仕事は専門職なので、S先生ご自身がとんでもなく忙しくても、教職員は何のお手伝いもできないんですよね。
そういう意味では「お互い様」というような、いわゆる「還元」などは最初から度外視だったわけです。
このあとに私が異動した学校の校訓は「他人を先に 自分はあとに」だったのですが、まさにS先生の生き様はそうでした。
自分の損得を最優先して、自分の利になることなら他人をないがしろにしても平気・・・自分の権利は主張するけど、他人の権利は尊重しない・・・・そんなのが「上手な生き方」「当然な生き方」という発想には、どうしてもなれないのはS先生の生き様を目の当たりにしていた、ということも大きいです。
(2022年6月14日 朝)昨日は、教師として就職してから数年間、大変にお世話になったS先生の命日でした。兄貴のように慕わせて頂いたのですが、社会人の自覚に関してはビシッと教えてくださいました。
先生といっても教師ではなく事務職員という立場・・・それでもミニバスケットの指導や、大きな学校行事の前には、自分の事務の仕事が忙しい時でも率先して手伝われていました。担当でなくても「学校全体の行事なんだから、みんなで協力しあって早く準備ができれば、みんながそれだけ自分のクラスの仕事もできるし、早く帰れるだろ」というのが口癖。(もっともS先生はたまった事務の仕事を遅くまで残ってされていました)
「そういう姿勢の職員がいるから、教育現場のブラック企業体質がいつまでも改善されないんだ」・・・という批判が今の世の中だったら多く出そうですが、純粋に「子ども達のため」ということで動いていた・・・・それが当たり前のような空気が当時はありましたから。かく言う私も、毎日のようにS先生と遅くまで学校に残って過ごしていました。もちろん一緒に残っていた先生方は少なからずいました。それもいい思い出です。(昭和後期の話です)
はからずも昨日、エナベルのブログに、木曜日のグループワークの常連であるMさんが「社会人の責任」をテーマに記事を書かれていたので、先ほどリツイートしたところです。
リツイートにはそこまでは書かなかったのですが、本当に社会人の自覚を促すためにビシッと叱っても「パワハラ」と言われてしまう世の中。何も注意をしないで、自由にやらせてくれるのが理想の職場と本気で考える風潮の今の世の中では、S先生にしても、私も、疎まれる存在でしょうね。疎まれてもS先生だったら、相手の今後を思って、心を鬼にして言うべきことはビシッと言うでしょうね。
私は・・・・現役教師だったころは言っていましたが・・・・ちゃんと年下の一部の先生には嫌われました(苦笑)・・・・今はそのような元気はないですね。
逆切れなどすれば、どんどん叱られなくなると思いますが、叱られないことは本当にいいことなのかどうか?
若いうちなら許され、改善のチャンスが与えられているのに、その機を逃すことになるという自覚がどのくらいあるんでしょうね。年齢があがるほど、誰も指摘してくれないようになります。そして社会的責任を失うのはまぎれもない自分自身なんですが・・・・。その時は周囲を批判するんでしょうね・・・・「自由」とか「権利」とかもっともらしい主張ををふりかざしながら。
(2023年6月13日 未明)今日は社会人になった初日からの大先輩、S先生の命日。(正確にいえば初めてお世話になったのは辞令数日前のご挨拶の時からなのですが・・・駅まで迎えに来て下さったのが出会いの始まりです)
大先輩といっても年齢はそれほど離れていたわけではありません。ただ、精神的な年齢ははるかに、という意味で私の中では、肉体年齢の上でははるかに上回ってしまった今の私にとっても大先輩です。(たしかS先生はまだ二十代でした。今の私は62歳にもうじき手が届く・・・倍以上生きているわけですがね)
この前のように、過去のこの欄に書いた文をいくつか再録してみます。重複している部分もありますが、そのまま載せました。昨年もふれていますが、今の学校ではS先生の姿勢はブラック体質を助長させるものとして批判の対象にされてしまうかもしれません。でも決してS先生は、自分の生き様を他の先生方に強いるようなことはしていませんでした。若い先生方に「一緒に手伝わないか」という声をかけることはあっても、手が空いていない時には「いいよ、いいよ」と。
特に学校全体にかかわる行事の準備で大変な時期には、担当していない先生でもできる範囲で(できない場合は別のできそうな機会に)少しでも手をかいして、それが重なりあわされることで乗り越えていける、という雰囲気を中心になってつくられていました。
*ちなみに家庭のことなどでお忙しい先生方の多くは、勤務時間定時の頃には退勤されていましたよ。遅くまで残っていた先生方の多くは未婚の若い先生方が中心でした。また、かく言う私も年々体調を崩していって、みなさんのお手伝いできずにいることは多々ありましたから。
そんな私の体調もいつも真剣に気遣ってくださっていたのがS先生です。
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(6月8日 夕方)今日はあの秋葉原事件の起きた日・・・・もう一般的にはなかなか思い出されなくなっているのかもですが、私は「たまたま被害者にならなかっただけ」ということから、過去の出来事という気がしないで今年もこの日を迎えています。
ちょっと前に、死刑判決を受けている方々の一部から、執行日の予告についての訴えがあったというのをニュースでみました。
死刑執行を当日に告知する運用は違憲だとして、死刑囚2人が当日の死刑執行を受け入れる義務がないことの確認と計2200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が15日、大阪地裁であり、横田典子裁判長は「刑事判決の結果を実質的に無意味にすることを求めるもので、許されない」と訴えを退けた。死刑囚側は控訴する方針。
判決後、死刑囚側の弁護団は「執行の恐怖の中で暮らしている死刑囚の痛みを全く理解していない判決」と批判。
確かにいつ執行しれるかわからないという恐怖が想像を絶するというのは事実でしょう。
しかし、そもそも、身勝手な理由で、普通に日常も将来も続いていくと思っていたのが、いきなり人生を断たれたあというのが被害にあった方々という事実をどれだけ分かって、自分の罪を反省しているのでしょうか?
反省どころか損害賠償まで求めている訴え。
この訴えは「死への恐怖が死刑囚より短いだけ(いきなりだったらほとんど恐怖の時間はなかったあだけ)被害者の方ははマシではないか」と言わんばかりの主張にきこえて、どうにもやるせない気持ちです。
死刑制度の是非を今議論するつもりはありません。
ただ、日頃起きるいじめ問題でも「加害者にも未来がある」とか、厳しく叱られた側が訴えを起こし叱った方が「不適切だった」と謝罪するということが頻発している現代社会はどこか歪んでいると思います。
もちろん体罰とかパワハラを容認しようというのではありませんよ。
ただ、そうした行き過ぎをなくそうとする問題と、自身が行った悪い事を正当化するどころか、教師をこらしめたヒーローのような気分になっているのはどうかんがえてもおかしい。
ダメなものはダメ・・・という毅然とした姿勢を示せないでいる社会は、身勝手な理屈で他人を平気で傷つける、ストレス解消のためには無関係な人を殺める方向にますます突っ走るのではないかと危惧しています。
☆毎年紹介している、事件について初めて知った日に書いた文と、その翌年、1周忌にあたる年に書いた文を再掲載します
ほんの数分のズレで、私だってまさか今日で命が終わるなんて全く思わないまま命を絶たれてたわけで・・・・罪を犯した方々は、そういうことを真剣に考えて頂きたいものです。あなたは加害者であって、被害者ではないんです!
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2008年 平成20年
6月9日昼
(昨夜帰りが遅かった上に今朝は新聞休刊日だったので、つい先ほどニュースをみるまで全く知らなかったのですが、昨日秋葉原でとんでもない事件が起きていたんですね。
これ、昨日東京でお昼を食べた時の伝票の一部です。店の所在と時間をご覧ください。
実は私、この後歩行者天国を通って信号を渡り「あきばんぐ」という店にDVD-Rの50枚セットを買いに行っていたんです。買い物の前後に現場である交差点は2度通っているのですが、時間にしたら12時半頃です。犯行時刻は12時36分頃というのですからまさに私が通り過ぎた直後です。テレビで私も通った交差点でのむごい惨状が映し出された時にはさすがにゾッとしました。私だって犠牲者の一人になっていたかもしれません。
*この画像を作った後に、あきばんぐのレシートも出てきました。
12時22分となっています。そこからその交差点まではほんの数分です。
2009年 平成21年
(8日 朝)さて、6月8日に関することで、ゆうべの いい思い出 に引き続き、今度はいやな方を書きます。それは日本中を騒がせた秋葉原の通り魔事件です。私が事件について知ったのは翌日の昼のニュースでした。前日の帰りが遅かったので翌日は新聞もまともにみないでいたからです。食事の時にテレビをつけたら「昨日の昼に秋葉原で起きた・・・」とやっていて、画面には見覚えのある場所の映像。「事件は昨日の昼?えっ!昼!!!」
実は、夕方からの用件の前に、録画用DVDのディスクを買うために秋葉原に寄っていたんです。駅近くの店「てんや」というお店で昼食に天丼を食べたのだから私がいたのはちょうど昼頃・・・。急いで財布をとりだしレシートの時間をみてみました。
それから歩行者天国を通ってディスク等々を安く売っているいつもの店へ行ったんです。その店のレシートで時間をみると・・・
12時22分です。報道されているテレビのわきでこれをみていた時に「事件の概要」がテレビから流れてきました。事件発生は12時34分(35分という報道もありましたが)。「えっ!34分!!!」そして現場の地図がでました。まさに私がその店に行くのに通った交差点・・・テレビの映像が見覚えのある場所なわけです。
テレビで紹介されていた地図に私の通ったところを描いたのがこれです。
黄色の線が天丼を食べて次の店に直行したルート。そしてピンクの線がディスクを買ってJRに乗るために駅まで歩いた際のルートです。レジの時間が22分ですから、ちょうどこの交差点を通ったのは30分頃・・・私が駅について改札を通過している頃にちょうど惨劇が起きたということになります。
その差はわすかに4~5分。昼食をあと少しゆっくり食べていたら、あるいは買い物後に自動販売機で何かを飲んでいたら・・・そう思うとゾッとしましたね・・・さすがに。
その後の報道で事件当日の犯人の足取りが詳しく報道されたわけですが、犯人は犯行前に周辺を何度もグルグルと車で走っていたとか・・・だから私が店に行く際や帰りに通った際にもその車と遭遇していた可能性は十分にあるんです。犯人が決行を決意したタイミングがずれていたら・・・・私は8日夜のいい時間も過ごせなかったかもしれないし、今こうしてパソコンを打っていなかったかもしれません。
そういう意味でいうとあの事件で亡くなった方々や今なお刺された後の後遺症に苦しんでいる方々に対して「私がこうして過ごせていて申し訳ありません」というような気持ちがあの当時から大変強く自分の中にあります。生き残った者として残りの人生を自分のために使ってはいけないという思いがしましたね・・・。
だからといって何が出来るかということになるのですが・・・。昨日の授業でも秋葉原事件に先立っての土浦連続通り魔事件の公判記事を家庭教師の時間に扱ったわけですが、気になったのでもう少し詳しい記事をゆうべネットで探しました。すると公判でのやりとりが父親の分も含めてほとんどすべて記録されているものをみつけました。
阿修羅に関する学習会だよりにも書いていますが、こうした異常な事件を起こした犯人を単に批判して排除しようという姿勢だけでは世の中はますます修羅道へと落ちていってしまうと思います。それをどう受け止めて我が生き様に反映させていくか・・・そうしたこともあって家庭教師の時間に教え子たちの意見も聞いているのですが、随分教えられることが多いです。
と同時にそんな教え子たちに将来の担い手として頼もしさを感じます。また教え子たちばかりでなく がきんちょメンバー の皆さんに対しても 単なる芸能人 ということではない大きな存在感を感じます。
現実対応意識ばかりで訳のわからなくなっている大人たちを人間らしい方向へと引っ張っていく 稚児 としての役割を若い世代が自然体の姿を通して果たしてくれることも期待したいものです。犠牲になった方々のご冥福を心からお祈りしたいと思います。
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(5月6日)昨日はこどもの日
例年、「屋根より低いこいのぼり」として出していたこいのぼりを、昨日は完全に忘れていました。
こんなことはほとんどありません。最近物忘れが極端にひどくなっている影響???
気が付いたのが夜だったのですが、ちょっとだけぶら下げました。
*ちなみに一番大きいのは廃校になった上石崎分校の物置にあったものです。
小さいのは岡本太郎記念館で購入したものです。
ゴールデンウィークも今日で終わって、明日から学校や仕事・・・・連休で充電をし直せたという気持ちになっている方々もいらっしゃれば、夢から現実に引き戻される感覚で憂鬱になっていらっしゃる方々もあるでしょうね。
最も深刻なことのひとつが新たな教室や職場で「人間関係がこじれている」「いじめなどにあっている」という方々でしょう。
今日は特に学校でのいじめについて学年当初にありがちなことについて、自分自身のいじめられ体験や、家庭教師の教え子たち、知人の教師からきいたいろんな事例などの中から、いくつか書いてみたいと思います。
*グループへの囲い込み
新しいクラスになった時によくみられるのがこれですね。印象としては女子の方が深刻な感じがします。
例えば新学期初日に話しかけられた等々で友達に・・・という時、それで仲良しグループというのは普通にみられると思いますが、「独占欲」「支配欲」が極めて強い子と出会ってしまうと大変なんですよね。
実際に家庭教師で教えていた子が何人もこれで苦しめられました。
たまたま初日に話をしただけなわけですが、次の日などに別の子とちょっとおしゃべりしただけで「裏切者扱い」されるというものです。それをきっかけに学校にいられないくらいにエスカレートしてしまったという事例もありました。
そういう時に主導権を握っている子って、自分ではけっこう他のグループとされる子と普通にしゃべることもあるというのが理不尽なところ。自分ではそうするくせに、配下と見下している子には絶対に許さない。
自分が力で抑え込んでいるだけという自覚が心のどこかにあるのかもしれませんが、そういう懸念があるほど、より強く縛りつけようとします。
昔もそういうのはありましたが、今の子ども達が大変なのはスマホなどによる監視まがいのことですね。つねにメールやラインなどに書き込みがきて、ちょっとでも返信が遅れると「他の子とやりとりしていたんでしょう!」と目をつけられる。
夜中でも対応しなければならないということで、スマホを壊した子も何人かいました。
「スマホ壊れちゃってお母さんが修理代を出してくれない」ということでの回避
今はちょっとでもリーダーのお気にめさないと、あっというまに別ラインなどが作られて、仲間外れや陰口合戦がはじまるんですよね。
*弱い子がストレス解消のターゲット
私がいじめられていた当時、常連のグループには大きく二つがありました。一つは普段の行動から荒れていたグループ。そしてもう一つは親からも教師からも絶対的に信頼されている優等生グループです。
当時のことですから、まだまだ世間的には「いじめられる側に問題がある」という空気が強かったんですよね。
多くの親の世代は子ども時代に戦争体験、軍国主義教育を受けていました。だから特に男の子で意気地がないというのはダメという価値観が戦後20年近くたっていてもまだまだ主流。私の周囲でもいじめられて泣いて帰ると「泣いて負けて帰って来るなんて情けない!やりかえしてきなさい!!」と逆に叱られて、家に入れてもらえなかったというのは普通によくある話でした。
これまで何度か書いていますが、私の場合が小学校5年生の時にクラスでプロレス技の実験台にいつもされてそれがあまりに辛かったので担任に相談したところ、それが母親にバレて大変でした。「告げ口は卑怯者のすることだ!!!!」とそれはそれは厳しく叱られました。
そんなこともあったので、何をされても先生にも言えず、黙って耐えているしかなかったんですよね。(それは中学校にいっても続きました)
そうすると、特に優等生グループはいい子を演じているストレスを思う存分私にぶつけてくるわけです。絶対告げ口しない私は、いい子とされている子達にとって絶好のカモ。裏の姿を大人達に知られないで済むわけですから。
まあ、仮に私が告げ口したとしても、大人達は誰も信じてくれなかったでしょうけどね。学校での模範生たちが陰でそんなことをしているなんてあり得ない・・・私が嘘をいっているんだろうと決めつけたでしょうから
先生や親に相談しない子は、安心していじめられるターゲット。
よく世間では「何かあったら相談しなさい」と言いますが、現実にはなかなかいじめは表にでません。
そりゃそうですよ「告げ口したら承知しないぞ」と常に脅されているわけですから。
ほとんどの場合、それで先生が「いじめたらダメよ」なんて注意すれば、さらなる地獄が待っています。
いじめ行為をしなくなるどころか、ますます陰湿になるだけです。
大人の対応が形式的で効き目がない、というのは子ども心に的確に感じますからね。
*形式的対応で子どもに信用されていない
よくいじめアンケートなんてありますよね。
家庭教師の際にいろんな学校やクラスのをみせてもらったことがありますが、これで本当に実態を把握できるのかと疑いたくなるようなものばかりです。実際にいじめられていた子も「本当のことなんて書けない。先生達なんて信用できない」っていっていました。
本気で子ども達を心配している先生方だっていらしゃるのは分かっています。でもそういうことよりも、「ちゃんといじめ対策をしていました」という既成事実を作る為にというのも感じられましたね。
特に学校から離れた立場にいたので、子ども達や親の視線に近かったのだと思いますが・・・
*子どもの人間関係をきちんと把握できない先生達・・・大学等々の責任
通り一遍の指導という背景には、子ども達のナマの姿をしっかりと把握する姿勢の欠如もあると思います。
例えば教員養成系の大学のホームページをみると、カリキュラムで授業の方法や教員採用試験対策をうたっているところって、けっこう多いんですよね。児童心理学とか教育心理学とかの講義があっても、免許をとるためにちょっとだけ匂いをかぐというレベル。本当に子ども達のナマの心に迫るような演習のような時間はとられていないのが現状ではないでしょうか。
教科指導の方法を訓練されてばかりで実際に現場にたつ先生方。でも実際に教師で直面するのは、授業以前の問題なんですよね。
特に私立大学などで大学の経営を考えると、教科指導などの訓練をしっかりとやっています、ということをウリにした方が学生が集まるのでしょうし、教員採用試験の合格率が悪ければ死活問題・・・という事情は分からないでもないですが、それで就職した卒業生がどんどん追い詰められてしまうというのはね・・・・
*先生や親に心配をかけたくない子も黙ってしまう
では子供たちにとって人気のある、信頼されている先生なら安心かというとそうではないというのがやっかいなところです。これは親の場合も同じ。特に子どもを信頼してくれている、いつも褒めてくれている・・・そんな風に育てられてきた子も、案外ターゲットになりやすいかもです。
まず優しいし人を疑わないから「騙しやすい」「いじりやすい」「パシリに使いやすい」・・・・
そして深刻なのは、いじめられた時に、大人に相談できないんですよね。
それは大人を信用していないからではないというのがポイントです。
「先生や親を悲しませたくない」
せっかく自分が元気に学校誠克を送っている事を喜んでくれている・・・それが実際にはいじめられて辛い日々を送っていると知ったら、どんなに悲しむだろう・・・と。
こうしたことはクラス全体でもあり得ます。特に優等生タイプの子ども達がいじめの首謀者で、ずるがしこい表裏というのではなく、いい子を演じてきてたまりにたまっているストレスでどうしても他人へのいじめではけ口を求めてしまっている場合です。
本当はいじめなどしたくない・・・でもどうしてもやってしまう・・・同じような立場の子達といっしょにいじめ行為をしていれば尚更やめられないし、もうやめようとお互いに言えない。一つ間違えれば「クラスの害になる子を自分達がこらしめている」「きたえてあげている」という歪んだ正義感まで抱いてしまう。
そこに担任や親からの絶対的な信頼があったら、そりゃ必死で演じ続けるでしょうね。先生達の前では被害者の味方を演じて、陰では豹変する。
「褒める」「賞賛する」というのはいいことではあるのですが、一つ間違えるととんでもない「縛り」にもなるんですよね。
*同様のことは教師でも
以前、元教師だった知人のお子さんが小学校に入学したときの校長先生の話に疑問を抱いていた方がいました。
「保護者の方々、本校にはいじめはありません。どうぞご安心してお子様を通わせてください」
と胸をはっていたそうなのですが、逆に不安を感じたそうです。
そうした宣言を公然と行っている以上、おそらく職員室でも「いじめが絶対おきないようによろしく」とか、あるいはいじめがないことで「先生方の指導の賜物です」と日常的にやっていると考えられます。
そんな空気が強ければ強いほど、いじめが実際に起きていても、担任は行動できないし、同僚にも学校長にも相談できませんよね。
ちなみにその方は「残念ながらいじめはどんな学校でも起こりえます。でもそうした場合でも全職員一丸となってお子様を守るために取り組みます」というような言葉が欲しかったと。現場の経験があってこその発想かもしれませんが、確かにそうだと思います。
校長先生が自分の保守のために先生方に圧量を駆ける場合も、逆に先生方を信頼して「いじめが起きない学校作りが実現できています、ありがとう」と感謝してくれている場合でも、どちらも先生方はありのままを出せないです。
勝手な決めつけ発言ですが、学校の先生になる方って、どちらかというと大人に褒められ、信用されてという方々が多いと思うんですよね。それだけに、新任の先生ほど余計に「いじめなどの問題が起きた」ということにショックを受けると思います。そして何とか自分の責任で解決しようとして、どんどん独りで悩んでしまう。
超多忙な学校現場で、そうした先生方に先輩の先生方が寄り添ってくれるようなゆとりもないと思うんですよね。
定時退勤などが徹底していると、逆にそうした同僚と語り合う、愚痴をこぼしあう、悩みを相談する等々の機会はますますなくなるかもです。難しい問題ですね。
いじめなどは早期の対応が不可欠です。
だからこそ、こうした新学期の時期は大切になりますし、連休後は4月の緊張感が切れてナマがどんどん出始めるから要注意ですよね。
ただ、「スタートが肝心」ということの方向性が、「いじめが起きないように」という方向ばかりになると危険だなと感じているわけです。
むしろ、水面下で起きていたらおきていたで、それがしっかりと把握できるように最新の注意を払うという意味で「スタートが肝心」って思って欲しいんですよね。
いじめは巧妙です。表にあがらないから「いじめ」というのは昔から言われていますが、加害者も被害者もどちらも表にでないように必死。何事もなく楽しく学校生活を送っているようにみえることも普通でしょう。
でもはっきりいって、いじめ ってどんなにいい先生方がそろっている学校でも教室でも起こると思っています。
大人だって心身がボロボロになるような、つねに結果を求められ、競争にさらされている現代社会。
子供たちにストレスや心の疲弊、歪みがたまらない方が不自然と思っていた方がいいと思っています。
特に優等生とか元気いっぱいな子が要注意。
以前「ネアカとネクラ」でも特集したように、ネアカと思われるために人前では問題なく明るくすごしていて、独りきりのときに完全別モードになって闇を深めている子は昔よりも増えていると思います。
そして人間関係が希薄になって、気分転換をスマホとかゲームでしかはらせなくなっているから、ますます自分の心や周囲の心と向かい合えない・・・・自分は他人の思い通りになんか絶対なりたくないと言いつつ、他人は自分の思い通りにしてほしいと本気で主張する。主張出来ない子、優しすぎる子は、どんどんそうした子たちの食い物にされる
そんな悪循環
そうしたことを世の中から消すというのは理想ではありますが、なかなか現実的ではないですよね。
だからこそ、こうしたスタートに時期に、心のエネルギーを高める、いろんな人間関係の場をもうけて、いろんな価値観があることを知ってもらう・・・・そうしたことに大人たちは心掛けてほしいと切に思います。
このホームページを被害者である子供たちはほとんど閲覧していないと思いますが、もし閲覧してくださっている方がいらっしゃったら、せめてまず今のみなさんのまわりが全世界ではないということだけは信じて欲しいと思います。
みなさんにとっては毎日の生活を送っている学校や人間関係が全世界と思ってしまうのは当然のことだと思います。
でもやっぱりそれでも、広い世界の中でもごく一部という事実は信じて欲しいんですよね。
いじめなどの問題があるたびに学校長などが記者会見で頭をさげるというのも、そろそろやめてほしいものです。
学校の指導力が厳しく問われますがどんなに指導力がある先生、子ども達に信頼されている先生のクラスでも、いじめは起こりえます。
先生方も気の毒なのは、今の世の中って「学校の指導力」と言いながらも、「ダメなものはダメ!」と毅然とした態度でビシッと叱った場合でも、子どもが訴えれば「パワハラ」とされてしまう。「不適切な対応だった」と謝罪させられるんですよね。そして本当にダメなことをした側の子どもが「自分は正しい、先生をこらしまてやった。ざまあみろ」とばかりの気持ちになっている。子どもがスマホで訴えればあっというまに日本中の多くの人達が、一緒になって先生をこらしめてくれるわけです。
学校の先生方でもう一つ気の毒だと思うのは「いじめ調査の不徹底」を責められることです。
もちろん保身のためにいい加減な調査をして、という学校や教育委員会は問題外ですので、それまで容認しているわけではありません。
ただ、まじめに調査しようとしても、こころある先生方ほど、子ども達を疑いの目でみることができないんですよね。教育者ですから。信じる事が基本ですから。
そしてまた、いじめの事実を調べようとして当事者に事情を聴こうものなら「先生が自分を疑った」と親に報告・・・親が抗議してくる。これもすぐにネットにあげられて無責任な誹謗中傷にさらされるわけです。
今や本当に事件の被害者でさえ、誹謗中傷を受ける側になる世の中ですから。
学校は警察ではない、だから本当に隠ぺいする気がなくてきちんと調査しようとしている学校でも限界がある・・・・というのをきちんと世間にはわきまえてほしいものです。
実際に新学期早々、問題に直面している子ども達も先生方も、月並みですが、とにかく一人で抱え込まない。
理想的には周囲にいるナマの人間でこぼせる相手がみつけられればいいのですが、それができない場合でも、ネットは有効なツールにもなりえます。
連休が終わって絶望的な気持ちになっている方々ほど、勇気をだして何かしらの行動を起こしてほしいですが、それが行動に移せるくらいなら、最初から苦労はしないんですよね。
その勇気が出ないからよけいに悩む。
だから周囲にいる人達が、どれだけ勇気ある行動に踏み出せる雰囲気をつくってあげらえるかがカギをにぎっていると思います。
今は学校勤務もしていないし、家庭教師の依頼もほとんどなくっている私ですが、せめてこうしたホームページやブログの記事で一人でも響いてくれてお役にたてたら嬉しいです。
(4月11日 朝)今日は恩師である上原輝男先生の28年目の命日、それから私が退職前後に大変お世話になった教え子のお母さんの命日です。
上原輝男先生に関しては、「上原輝男記念会」や関連ブログで特集を組みました。
~上原輝男記念会 リンク集・資料集~
http://jigentai.edo-jidai.com/
雨の中の桜、上原輝男の「狩場の庭の言い捨て」
須貝千里(山梨大学名誉教授)
上原輝男の「声の教育」(音声言語教育)と、上原の師匠の一人である折口信夫の卒業論文「言語情調論」との関りについて主に述べられています。
かなり専門的な内容です。
心底の志望は宇宙の意思
学修塾ダンデリオン 本莊雅一
「心意伝承」の研究が「おおいなるもの」との一体感とつながっていく、という内容です一般向けの内容です。
現代に生かす上原輝男先生 ~自然な日本社会の復活~
上原輝男先生没後25年追悼の集い 2021年 令和3年11月21日(日)に私が提示した資料です。一応教育関係の方々向けに書いています。
探求活動に壁は無し ーそれぞれの関心を重ね合わせてー
☆2019年6月1日 茨城大学での学会の帰り、水戸で難波先生と駿煌会メンバーがあつまっての座談会記録からの抜粋です。
「古来からの <日本人>を探求し続けてきた上原は、関係ありそうな分野は貪欲に取り込んで考察していました。
それこそ民俗学や教育学といった枠をこえて・・・自然科学の発想も取り込んで。
そうした探求の姿勢そのものが具体的にあらわれているやりとりです。
年齢も専門分野も職業も違う5人が、自然科学やアニメなどの話にまで話をつなげながら、「上原輝男的自由トーク」を楽しんでいます。
いろんな世代・分野ということもあるので一般向きです
次のブログでも命日にちなんでの内容で更新しています。一般の方々を想定しています。
上原輝男記念会ブログ
人間の生き様 かぶき者&現代人
http://jigentai.blog.shinobi.jp
たぬきの館 ~現代に生きる上原輝男~
上原輝男語録にみる古来日本人の感覚ー23
「人格は個人ではなく家系」
https://ameblo.jp/tanukidayo/entry-12847898627.html
茨城でも桜がやっと咲きほこってきたので、いつものように近所の公園や桜川沿いの並木、そして分校や本校跡地にも撮りにいきました。
分校跡地での画像です
去年は葉桜になりかかっていたので、今年は綺麗な桜を堪能できました。
問題は・・・本校の跡地でした。
車で走っていて遠くにみえてきたのですが、咲いているようにみえません。変だな・・・と思いながら近づくと・・・・
桜の木がすべて切り株に!!!!
これは大きなショックでした。
絵本「大きな木」の後半の切り株を思い出してしまいました。
昨年の桜が見納めだったということですが・・・長い年月、子ども達の成長を見守ってきた桜の木・・・学校が廃校になっても、子ども達が学んでいた名残を春の命の芽吹きと一緒に思い起こさせてくれていた桜がなくなるというのは、たとえ校舎や遊具がまだ残っているのに、ものすごく虚しく感じました。
かつてはこの道を校門に向かって子ども達が歩いていたんですよね・・・・新入生と手をつなぎながら
(3月31日 午後)私の母の推定命日最終日・・・・今日で令和5年度が修了です。今年はちょうど4月1日が月曜日・・・関東でもボチボチ桜の開花がはじまって・・・ということで、今日は花見や明日からのスタートに向けて忙しく過ごされている方も多いでしょうね。
まさに上原先生の言葉で言えば「裁断と継続」・・・・終わるから始まる・・・それは単に「またはじまる」ではなく「新生」(生まれ変わり)を意味します。毎日家と外を往復することも日々「生まれ変わり」ではあるのですが、年末年始とか、年度末年度始めというのはその最も大きな意識の転換であるわけですよね。
「春」は「張る」・・・新たなエネルギーの満ちてくるのを感じとっての言葉だったということも上原先生の国語教材で説かれたことなのですが、だからこそ日本人って「桜の開花」をあんなに喜ぶのでしょう。
たまーに諸外国にあわせて入学などのシーズンを9月にしようという議論が起こります。実際に導入にふみきる動きもあるのですが・・・・日本人の素朴な気持ちとしては「9月に新生活をスタートしよう!」というのか感覚が納得しないのではないかと思ってしまいます。季節感とすればちょうど実りの秋を経て、冬という休みの時期に突入するという節目ですから。
さて・・・母の推定命日の初日、3月29日の午後にかつての教え子からのライン情報で、うちのとなりにあるお豆腐屋さんが「今日閉店」という知らせがきました。隣に住んでいながら私は全く知らなかったんです。ここのお豆腐は美味しいのですが、私の生活状況からするとちょっと高くて、年に数回だけの贅沢。いつもは近所のスーパーで1パック100円くらいのを買っていたので、分からないでいたんです。
ラインを読んですぐにお隣にいってみたら、確かに小さなはりがみがしてあって、店に入ると油揚げは4袋くらい残っていましたが、豆腐は1個だけ。豆腐と油揚げを一袋買いました。ご主人にきくと体力的にもう限界だと。
たしかに夜中の3時頃から電気がついて豆腐を作っている音がいつもきこえていました。そして朝の5時にはどこかに配達というのを毎日。
このお豆腐屋さん、今は2階建ての家ですが、私が小学生の頃は平屋の木造でした。この家はもともと祖父母の家・・・夏休みなどにきていたのですが、よくおばあちゃんに頼まれて鍋をもって豆腐を買いに行っていたものです。その時に水の中に大きな豆腐が沈んでいて、それをその場で切り分けて売ってもらうのですが、ふだん食卓になど並ばないくらいの大きな豆腐が水の中に沈んでいるのをみるのが好きでした。
そんな頃からの豆腐屋ですから、50年以上は確実にあったんですよね。
いつも買う常連ではないのですが、このお豆腐屋さんのラストの1個を自分が食べるとうのが何だか不思議な感じがしました。
冷ややっこで食べたのですが、最後の一口「もうこれが最後・・・(食べてのみこんで)ああ、食べちゃった・・・なくなっちゃった・・・」この地球からこの店のお豆腐が永遠になくなった瞬間でした。(この家では自分の家用に作ることはあるかもですがね)
人生思い返してみれば「ああ、あれが最後だったんだな」というのが食べ物に限らずたくさんあります。まだまだ出会える、食べられる、とおもっていたのに、「え?」ということが。
推定命日の時には子どもの頃に母がよく作ってくれたものを自分でも毎年作るのですが、やっぱり違う。母が作った「あの味」はもうない。だいたい母とあんな形で死別してしまったのだって、想定外といえば想定外。あんな形で二度と会えなくなるなんて夢にも思っていませんでしたから。
もうじき上原先生の命日もきます(4月11日)、最後にあったのは3月の月例会。私が担当していた「おうち意識の論文」の第一章だけがようやく書けて読んでもらいました。滅多に人を褒めない上原先生が「なかなかよく書けている」といってくれて、「じゃあ来月もっと書き進めます」といっていたのですが、それはかないませんでした。入浴中に脳の血管が切れてという最後だったので、先生自身にとっても全くの想定外だったでしょうね。
「一期一会」の精神とはよくいったものです。何事も一期一会と思いながら日々を大切にと・・・・もっとも頭では分かっているのですが、なかなかね・・・・
実は先ほどから不整脈の発作が起きています。持病なのでいつものことではあるのですが、いつ気まぐれに心臓が止まりっぱなしになるかは全く予期できません。
それでも先延ばししてしまっていることって山ほどある毎日。
いざという時を迎えたら後悔をいっぱいするのでしょうね。
ちなみに冷ややっこの上にのっている「わけぎ」はうちの庭で育てているものです。
油揚げは味噌汁や切り干し大根にしました。
(29日 朝)今日から3日間・・・29日~31日は私の母の推定命日です。所謂「孤独死」だったのではっきりしないんですよね。発見されて私に身元確認に東京にきてほしいと警察署から電話があったのは、4月後半でしたから。
東日本大震災のあの年、時折電話連絡はとりあっていたのですが、母がひどい腰痛になったと、電話がなっても電話のところまで移動するのが非情につらいので、そちらからは電話をしないでくれと、必用なときにはこちらから電話すると言われたんですよね。ただ、発見された時に枕もとにあったメモ帳には、2日程前から急速に体調が崩れたということ、でももし自分が意識を失っている状態で誰かがみつけても病院には搬送しないでほしい、また私にも世話をかけて迷惑をかけるのは申し訳ないので、知らせればすぐに来てはくれるだろうけど、知らせないようにと・・・・
もっとも東日本大震災の影響で常磐線は一ヶ月あまり不通だったし、高速道路もズタズタ、ガソリンも入手できない状態だったから、体調が悪いという電話があってもかけつけることは出来なかったのですが・・・・・
母は桜の花が大好きでした。季節になると地元の川沿いの桜並木を散歩するのが大好きで。私も何度かさそわれて上野公園や千鳥ヶ淵を一緒に歩いたことがあります。枕もとに残されたメモ帳にはこんなことも描かれていました。
毎年桜の季節になって自分も桜をながめにいくと、母と一緒に花見をしている気分になります。今年は桜の開花が遅れていてまだこの周辺でも開花してませんが・・・・
今朝起きたら、昨日まで特に違和感はなかったのですが、結構強めの腰痛がおきていて(ぎっくり腰などではないです)・・・母の体感とシンクロしてしまっているのでしょうかね????とりあえずこの3日間、仕事にでかけるということはないので、最低の買い物など以外では布団の中で養生したいと思っています。
ちなみに上原輝男先生が近場の桜をながめながら毎年のようにつぶやいていた言葉が息子さんによって紹介されています。
『さくらは白だな。白の儚さがさくらだよ。染井吉野の咲き乱れるのは見事 だけれど清楚に咲く山桜には気品というものがある。咲くも、散るもな』
上原輝男記念会が本格始動しはじめたこともあり、今年はこの先生の言葉もやけに思い出されます。
→上原輝男記念会 公式ホームページ
(会長等々のあいさつ文以外、上の方に書いてある文面はだいたい私が書いています。)
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☆連載中 「コミュニケーション雑感」 2024年1月27日~
*順番に読んで頂きたいですが、気になったところの拾い読みでも分かるようには書いているつもりです
1,はじめに
2、「社会性と社交性は区別しましょう」
3,「失敗 ではなく 間違い」と受け止める
4,自己紹介・自己PR
5、「他人の気持ちが分かる」って可能?
6,通称「心の図」解説
7,葬送のフリーレンより 「大事なのは姿勢」
8,葬送のフリーレンより 「空気をよむ 本来の意味」
9、ただの我が侭である「空気をよめ!」
10、「ネアカとネクラ」の流行
11,共通体験も大事なベース・・・我が子たちの雪遊びコメントから
12 違う話題の裏に潜む「共感できる部分」 「かまくら」を例にして
13 違う話題の中に接点を見いだす~数学的発想の知恵~
14 ネット社会は超大規模井戸端会議? 小4「うわさ」作文より
15 信頼感の薄れた社会を何とかしませんか?
16 世代ごとの共通の話題「歌謡曲編」
17 同世代のアニメ好き同士でも通じない?
18 アニメ「ガルパン」を通しての人とのつながり
19 アニメ「ガルパン」大洗の活性化
20 アニメ「ガルパン」ファンと地元との交流
21 アニメ「ウマ娘」最初はボロクソ意見が多かった
22 アニメも人間もすぐに判定するのはテスト対策国語の影響?
23 「叙述に即した確かな読み」の一人歩き?
24 「憶測でものを言っちゃいけないよ」
25 アニメ・ドラマ・漫画などでも人間・人生を学べる
26 早期英語教育はどうしても必要不可欠なのか?
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(3月11日)
東日本大震災前後の記録
当時、このホームページに載せていた文章です。新しい日付順になっているので、お手数ですがスクロールしてそれぞれ一番下から上に向けてお読みください。
先ほど投稿したことに追加して・・・・スマホなどが便利ということで一極集中されている方々は、それこそもしもの対策を複数準備されておいた方がいいと思います。停電すれば充電などもちろんできなくなります。仮に充電できても通信のための中継アンテナ等々が壊れれば使えません。
ましてや首都圏地震などでシステムの中枢であるコンピュータ―などがダメになってしまったとしたら・・・・地震って広範囲に同時に被害がでるし、例えば東京で道路や建物や地下街が崩れたら完全にマヒ状態になるのは明らかですよね。復旧のための車だって、救援の自衛隊関連のものだって動けなくなると思います。システム復旧の見通しなど立たなくなるでしょう。
*電子マネーやカード決済の普及も私はかなり恐いと思っています。私が被災したのはちょうど近所のスーパーで買い物をしていて、セルフレジで支払おうとしていた時でした。地震がおきて停電。揺れが治まって精算しようとしても出来なくなって。店員さんに聞いたら「もうしわけありません。レジが動かないのでお買い上げできません」と。停電したら現金があっても買い物ができない。このスーパーが再開するまで1週間ほどかかりました。その間は個人商店をみつけて買い物していました。現金で普通にできたので。これ、電子マネーやカード決済だったら完全にお手上げですよね。
また紙の通帳の廃止も大丈夫なのでしょうか。本当に壊滅的な巨大地震が首都圏を襲って、銀行などのメインコンピュータ―のデータが消える、なんていうことはないのでしょうね???ちゃんとバックアップデータが、離れた地域などに保管されているのでしょうね???? 預金がすべてパーとか・・・通帳がなくて残高が確認できない、なんて言い出さないでしょうね???
1日の地震でもライフラインの復旧があまりにあちこち同時に壊れていて直す人達も足りないことが浮き彫りになりました。首都圏で電線、ましてやはりめぐらされている地下ケーブルなどが寸断されたら、どんなにみなさんが「何とかしてくれ」と叫んでもどのくらいかかるのでしょうね????
オール電化などの家が東日本の時には本当に大変だったわけですが、普段の便利が完全に裏目にでるのが震災時です。
エアコンやファンヒーターなどに頼っていると停電では無力。ちなみにうちは旧式の石油ストーブもあったのですが、東日本の時にはひっくりかえってタンクの灯油がずべてもれだし畳にしみこんで大変でした。灯油も買えなくなっていましたしね。
カセットコンロも常備していました。でも置いておいた場所の周辺のものが崩れて取り出せなくなったので使えませんでした。この周辺は夜には水道やガス、翌日の昼には電気が復旧したのですが、周辺の市町村では電気もガスも水道も1週間~10日かかっていました。
思いがけず役にたったのはラジカセでしたね。地域に本当に密着した情報は地元のラジオ局のものでした。(震災時、乾電池などは店から消えます。懐中電灯用も含めてふだんからの常備は本当に大切!)
重ねて言いますが、そうした情報もスマホがあれば安心、と思っていると後悔することになる可能性の方が高いです。
→こちらのHPの方には危機管理を中心に書いています。助け合いなどの人間関係については朝になったら個人ブログに書く予定でいます。
HP/ブログの更新情報はツイッターでしています。是非フォローやブックマークをお願いします。
☆駿煌会×上原輝男記念会 ツイッター https://twitter.com/syunkoukai?lang=j
(10日 夜)東北地方の被害があまりにも甚大だったために、茨城県は被災地と思われていない空気が当時からありました。でも茨城でもそれなりに大きな被害は出ていたんですよね。大洗にだって普通だったら大きなニュースになるくらいのが。
いまふりかえってもあの時に自分が大怪我などをしなかったのは、いくつもの偶然が重なっていたから。いつもだったら間違いなく自宅の居間にいた時間帯。たまたまあることがあって、出かけ、でかけついでにまだいいかと思っていたガソリンを満タンにし、スーパーにも立ち寄って・・・で、そこでの被災でした。帰宅後家の中の惨状にビックリ。例えば居間などは大型の書籍もはいった本棚が四方にあるのですが、その東側に入っていた本が部屋の西の端に、西側の本が部屋のお東橋に散乱していました。東西の方向に大きく揺れていたことがわかります。
で、いつも自分が部屋の中で過ごしてた場所はちょうど空中を本が飛び交ったところ。不幸中の幸いでした。
今、千葉県沖を震源とした大き目の地震への警戒もよびかけられています。能登の方だってまだまだ油断はできません。首都圏だって南海トラフだって・・・
心配したらきりがないと言われればそれまでですが、首都圏に関東大震災のような地震が今おきて、様々な地下ケーブルやコンピュータ―などのシステムが一斉にダウンする、壊れてしまう、等々のことが起きたらどうなるでしょうか。想像を絶するほどの影響が世界規模で広がるのではないでしょうか。そんなことは考えたくもないというのが正直なところでしょうけど、でも想定はシビアにしておいた方がいい。
「安全だ」と言いたい、信じたい・・・の結果があの原発事故です。想定外と専門家や電力会社はいっていましたが、本当に想定できなかったのか・・・しようとしていなかったのではないか。
仮に本当に想定外だったとしましょう・・・でもそれならば、次の地震にそなえてその教訓を活かした対策をしっかりととっているでしょうか?
おそらく予算がないとか様々な「しなくていい言い訳」をして先延ばしにしているのではないかと思ってしまいます。東京オリンピックに向けてあれほど膨大な資金が投入されて東京の再開発をした・・・それは目に見える利益が見込まれたからでしょう。ではそれ以上に対策をしっかりとという気になっているのか???
仕方ないといえば仕方ないですが、ガラスばりのビルが立ち並び、地下数十メートルにも地下鉄がはりまぐらされている・・・そこに大地震がきたら・・・ゾッとします。
もっとも深いところを走る大江戸線など、地震で路線や駅のあちことが崩れた、なんていったらまず救助されるのは不可能ではないでしょうか。崩れなかったとしても停電はするでしょうね。完全な闇の中で大勢の人がパニックになって将棋倒し・・・それも考えたくありませんが。
収入もないから以前ほど滅多に東京にはでかけられない自分ですが、案外その方が安全なのかもしれません。
でも東京に住んでいる、勤務している、でかけなければならない人達はそうもいっていられませんよね。だからこそ日頃からきちんと意識しておく、行政にもしっかりと働きかけておくことが必用だと思います。
それこそいつ起きるのかわからないのが地震。この元日の大地震なんてまさにその象徴だったじゃないですか。
数十根以内にということは、数十年先とついつい考えがちですが、今この瞬間だって含まれることも考えておかないと、大きな後悔をすることになります。
(3月1日)ここ数年、体調の関係でパソコンの作業をまともにするのもかなり困難になっています。それがまともに出ているのが「誤字脱字」問題です。拡大鏡をつかっていても気が付けないんですよね。2月19日に受けた治療の効果が若干あって、少しは気が付けるようになったのですが、それで改めて コミュニケーション雑感 を読み返したら、信じられないレベルの誤字脱字のオンパレード。こういう意味なのかなと想像してもらうのも困難なくらいのが多々あって・・・お恥ずかしい限りです。
今の時点で気が付いたところは修整してみました。
まあ不幸中の幸いといいますか・・・・このシリーズ、この前まで毎日連載していましたが、ほとんど閲覧されていなかったんですよね・・・・更新した際にカウンターをみるとほとんどが「ゼロ」(苦笑)
これから読まれるかどうかは分かりませんが、ほとんど読まれていない現時点であるていどまともに修正できたのは良かったです。
社会的に何の実績も知名度もない私ですが、それでもこの世の中が人間らしい人達が報われる社会になっていって欲しいと願っての連載。
ツイッターでも繰り返し書いていますが、コミュニケーションで悩んでいる人達、悩んでいる人達と携わっている方々、学校の先生方(国語に限らず)・・・・人間らしい生き方に関心をもっている方々と、交流していけたらなという願いで連載しました。
つぶやきのお部屋
教育・人生・世の中・・・・等々に関する私の雑感です
*東日本大震災の時に書いていたことが、今のコロナの世の中にも当てはまると考えました。
ミクロのお部屋 2
(最新更新日 3月8日 ある男の子が庭で拾った小石)
最近放送されたアニメ「恋する小惑星」(漫画は現在も連載中)に刺激され新たに特設しました。
主に岩石や砂粒などの顕微鏡写真を公開しています。
また、私の持っている動植物の既成品のプレパラートも紹介しています。
天体関連/学校・教育関連/映像関連/顕微鏡(ミクロ)関連/教え子 他
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6月25日 開設