ルートヴィヒU世と夜の真実

バイエルン王ルートヴィヒU世の魅力は、なんといってもその繊細な感受性にあるであろう。様々な伝記が示すように、彼は王でありつつおよそ政治が好きなタイプの人間ではない。時には鋭い政治的判断を見せ、その鋭敏な頭脳を世に知らしめることがあれど、彼にとって政治とは煩わしい俗事にすぎず、自らの望む営みとはかけ離れたものであったようだ。

彼の政治に関する無頓着さは、ワーグナーに対する多額の国庫の使用にも見て取ることが出来る。音楽好きで知らぬものはいないであろうが、このルートヴィヒU世、そもそもワーグナーの庇護者として知られている人物である。1845年に生まれたルートヴィヒが初めてワーグナーの作品に触れたのは18才の時、その際の演目は「ローエングリン」であった。以来彼はワーグナーの熱烈な崇拝者となる。ゲルマン人であり且つ繊細な感受性を持った人間としては当然の成り行きであったといえよう。その後、王に即位した彼は、不遇な境遇にいたワーグナーを呼び寄せ、国庫を湯水の如く用いて養うのである。

国家の元首としてみたならば、さしずめ失格以外の何ものでもない行いである。しかし当のワーグナーの芸術自体を見てみたならば、ルートヴィヒU世の入れ込みようもさもありなん。そこにいささか子供めいた行動を観察できるとはいえ、紛れもなくルートヴィヒU世の感受性は評価に値するものである。それについては、彼の造らせたノイシュバーンシュタイン城(ある種の人間にとっては奇怪であるとか趣味が悪いとかいう印象をもたらすらしいが)やワーグナーの芸術自体が、現在のドイツにかなりの財源をもたらしている、という事実も関連付けて考えられるであろう。

そういえば、ノイシュバーンシュタイン城は「ローエングリン」を元にした城であったし、リンダーホーフ宮の地下洞窟は「タンホイザー」に出てくるグロッタ、ヴィーナスの洞窟を模したものであった。すなわちルートヴィヒの造営作業は、正にワーグナーの世界を現実のものとして創造する作業なのである。城の造営は当然の如く財政に負担がかかるものであり、官僚達は常に反対意見を表明せざるをえなかった。ルートヴィヒの時代に、バイエルンはビスマルクの傘下すなわちプロイセンの属州となってしまい、なおかつ普仏戦争という国庫を多大に逼迫する出来事もあった。にもかかわらず、ルートヴィヒは城の造営を止めなかったのである。

そもそも私がルートヴィヒに魅せられたのは、ヴィーナスの洞窟の存在に負うところが大きかったと記憶している。ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」にて再現されているように、水を湛えた人口洞窟で夜を過ごすことは、ルートヴィヒお気に入りの趣味であった。水上では白鳥が戯れ、岸辺の楽団が生でワーグナーを演奏する。照明は時にブルー時にピンクと移り変わり、正に幻想的としかいいようのない空間である。かくいう私も「そこ」には何度も訪れている。もちろん想像力を用いてであるが…

しかしながら、夜にはそうした幻想の魔法がかかる洞窟であれ、日中何の仕掛けもない状態のそこを訪れたなら、我々は幻滅を感じずにはいられないであろう。そう、夜の洞窟は異界に他ならず、そしてその異界に属する姿こそが洞窟の真の姿なのである。

ここで思い出されるのがプラトンの「洞窟の比喩」である。『国家』第7巻にて述べられるこの有名な箇所の概要は次のものである。入り口を背にし身動きできないようにして壁の手前に繋がれた囚人がいるとする。そうした囚人は、背から差し込む太陽の光によってできる影(目の前の壁にできる)によって外界を把握することしかできない。それゆえ、あくまで不完全な認識しか行えないのである。しかしながらその状態にとどまっていると、いつしか不完全な認識を完全なものと思いこんでしまう。実はこの状態はわれわれを指しているものなのである。それゆえわれわれは苦痛を伴えど太陽の方に向き直り、完全な認識を目指さねばならないのだとプラトンは言うのである。

それではルートヴィヒに話を戻そう。洞窟にこもるということは一見プラトンの洞窟の比喩に反する行いのように思えるかもしれない。しかし、そうなのであろうか。そもそも洞窟の比喩において目指されているものは真実の認識である。ところでルートヴィヒが洞窟へ赴くのはどうしてなのか。それは洞窟の真の姿を享受するためである。洞窟が誘う異世界こそがルートヴィヒにとって真実であった。すなわち、ルートヴィヒにとってヴィーナスの洞窟の入り口は、臆見のはびこる洞窟から抜け出す出口なのである。これは正に、太陽へと眼を向け返る行為にほかならない。

とはいえ、ルートヴィヒには太陽よりも月の方が似合うという意見に異論はあるまい。どうやらルートヴィヒの求めた真実は夜の真実のようである。ところで夜とは、われわれの理性では踏み込めない領域ではなかったか。そう考えてみたならば、彼の謎めいた死も、まったくもって彼にふさわしい出来事であるといわねばなるまい。夜に殉じたものとしてのルートヴィヒに、私は深い魅力を感じるのである。(2001/05/22)


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