アンドロギュヌスとヘルマフロディトス、この二語に関して一般には区別されずに用いられているのではなかろうか。確かにこの二つの言葉は我々にほぼ似たようなイメージを与えてくれる。アンドロギュヌスは(アンドロ)─(ギュヌス)すなわち(男)─(女)の意であるし、ヘルマフロディトスはヘルメス─アフロディーテでやはり男(神)─女(神)となる。それゆえこの二語は、いずれも両性具有を指す言葉としてさしたる区別もされず用いられることになっているのであろう。しかしながらこの二語は、似たもの同士であるとはいえ、単純に両性具有を表す語として同定はできないのである。
ジャン・リビスによると
(男性性と女性性を結びつけた言葉としての)アンドロギュヌスとは積み重ね、接合、補綴の形態か、それとも融合、介入、総合の形態かで思い描くことができる、というふうにいえよう。前者の場合、男性性と女性性はその結合に際しても多かれ少なかれ残っており、双方の能力は補完し合うか、ある意味では加算されている。後者の場合は、男性性と女性性は互いの素性をすっかり取り上げられる。そしてこの徹底した存在論的解体からは、もともとの立て役者には質的に還元できない新たなる存在が生じる。
そして、あまり体系化して考えないようにとの注意が述べられた後、前者はどちらかというとヘルマフロディトスの系譜に連なるといわれるのである。
それでは、アンドロギュヌスとヘルマフロディトスにまつわる神話を見てみよう。
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ヘルマフロディトス
ヘルメスとアフロディーテの愛らしい息子であるヘルマフロディトスは、15歳の時リキュアを訪れた。その折、彼を見たハリカルナッソス近くの泉の妖精サルマキスは、彼に夢中になってしまう。そこでサルマキスはヘルマフロディトスに誘いをかけるが、ヘルマフロディトスはただ頑なに拒むばかり。サルマキスはひとまず引き下がらざるを得なかった。ある日のこと、夏の暑さも手伝ってヘルマフロディトスは泉に飛び込み泳ぎだした。それを見ていたサルマキスは己も水中に潜り、無我夢中でヘルマフロディトスに抱きつく。そして二人が永遠に離れないようにと神々に祈りを捧げた。願いは聞き入れられた。両者はどちらの性ももたぬようでいてどちらの性ももっているような一つの存在になったのである。(オウィディウス『転身譚』)
アンドロギュヌス
エロスについて語る折にアリストパネスが述べる神話。太古の昔人間は現在とは違う存在であった。まず人間には三つの種族があった。それぞれ男の種族、女の種族、そして両性を備えた種族(アンドロギュヌス)である。その姿は、円い背、円筒状の横腹をそなえ、四本の手および四本の足を持ち、円筒形の首の上には似通った二つの顔。この顔は互いに反対側を向いていた。顔の上には一つの頭があり、耳は四つ。性器は二つである。そういった具合である。それゆえ、一つの個体がそれぞれで充足した一つの全体をなしていた。その姿が丸いのはそれぞれ男が太陽、女が大地(地球)、そして両性を備えたものが月という円いものを分有していることによる。ところでこの太古の人間は力強くそして傲慢な意志を持った存在でもあった。そしてある時神々に叛乱を企てるのである。神々は困った。人間を滅ぼしてしまうと人間からの捧げ物がなくなってしまう。さりとてこのままの状態を見過ごすわけにはいかない。なんとか人間を滅ぼさず、しかも人間の力を弱めたい。そこでゼウスは決断した。「人間を真っ二つに両断しよう」。その言葉通り、人間は両断された。両断後アポロンが修正を加えた姿、それが現在の人間の姿である。それ以来、人間は己の失われた半身を焦がれ求めるという。いわゆる恋心である。(プラトン『饗宴』)