さて、私の魔術関連書籍との付き合いについて、少し述べさせていただくことにいたしましょう。
私が、魔術という事柄に興味を持ったのはいつ頃なのか、その確実な年齢について定かではありません。ただそれに関して一つ言わせてもらうならば、私は幼少の頃からいわゆる”不思議”に魅せられていたということが挙げられます。当然のことながら、幼少の頃ゆえ、現実とはなんなのかという問いに悩まされることもなく、ただ不思議な事柄に純粋に魅かれている状態で、時を過ごしておりました。
そのような不思議に魅せられる傾向は、思春期になってもとどまるところを知らずむしろ増長するようになりました。すなわち、不思議に魅せられているのみでは飽き足らず、いくらかオカルティックな実践を試み始めたのがこの頃です。(実際にタロット占いをはじめるようになったのはこの頃です。自室で香を焚き、家族に怪訝がられたことを思い出します)。そんなわけで、この時期は学研のムーブックス等のお世話になり不思議に触れておりました。(魔術の基本である呼吸法や視覚化について知ったのは、確かムーブックスを通してであったと思います)。
ところで、人間とは成長とともに批判精神が形成される生き物であります。そして批判精神の芽生えとは知的な成長の証です。私にもその芽生えの時期がやってまいりました。そうなると、幾分専門書めいたものに手を出したくなってきます。そして、私のこの段階において選択された書物は、コリン・ウィルソンの諸著作でした。彼の著作は、魔術の世界を体験させてくれる種類の書物ではありません。しかしながら、私が魅了されていた不思議な世界についての様々な言葉をもたらしてくれました。私にとって必要な一段階であったと思います。
そうこうするうちに、何やら私の内なる不思議世界への憧れが、魔術という事柄へ向けて徐々に集約していきました。そこで、エリファス=レヴィの『高等魔術の教理と祭儀』を買い込み、早速読み始めました。ところが、その当時の私にとってその本はあまり魅力的とは感じられませんでした。幾分魔術の世界に対して幻滅感を抱いたような記憶があります。そして、それが引き金になったのかどうかはわかりませんが、ここからしばらく、魔術に対する志向性が弱くなる時期が続きます。(今考えるならば、当時抱いた魔術への幻滅感は全て自らの認識態度に由来するものであると言うことができます。読書とは、言葉を通した認識体験ですが、その際言葉を概念として捉えるやり方と象徴として捉えるやり方とがあります。いわゆる、頭で捉えるか心で捉えるかということです。魔術書においては、この二つの方法をともに用いねばその言わんとしている事を理解できないのですが、当時の私は、特に象徴的物の見方に関する能力が貧弱でした。それゆえ、レヴィの著作について理解することができず興味をそがれてしまったのでしょう。魔術書に向き合うには、学校では教えない象徴的物の見方を養わねばならないのです。なるほど、レヴィは近代魔術中興の祖といわれるだけあって、その著作を現在の私が読むならば非常に示唆に富むものではあります。しかしながらその著作は、初心者のための入門書としてはあまり適さないということもまた事実でしょう)。
さてそれからしばらくの間、魔術へ集約しつつあった志向性が再び拡散してしまったのですが、かといって魔術そのものから遠ざかっていたというわけでもございません。とはいえ、実践としての魔術を追究してはおりませんでした。この時期魔術関連の書籍で触れていたのは、専ら小説形態のものです。そしてクロウリーの著作を初めて手に取ったのはこの時期でした。それらは『黒魔術の娘』、『ムーンチャイルド』などでしたが、私にとって大きな影響を及ぼしたのはなんといっても『麻薬常用者の日記』です。「汝の意志するところを行なえ これこそ法の全てとならん」「愛は法なり 意志下の愛は」「すべての男女は星である」。以上は、クロウリーのテレマ主義の中心をなすフレーズですが、『麻薬常用者の日記』においては、小説の形をとりテレマ主義が展開されておりました。「テレマ」とは「意志」を意味するギリシャ語です。そして、テレマ主義において探求されるのは、意志は意志でも真の意志であり、その真の意志の探求に魔術が大きな意味を持ってきます。これは、私の魔術に対するイメージに大きな影響を及ぼしました。すなわち『麻薬常用者の日記』は、現世利益志向ではない、より深化された魔術のイメージを私に与えてくれたのです。以上のような魔術に対するイメージの転回に伴い、その後魔術に対する志向は以前にも増して強力なものになっていきました。しかしながら、様々な外的理由がありましたせいで、その当時は魔術の本格的実践にまでは到りませんでした。私が魔術を体験するには、後押ししてくれる何らかのきっかけが必要だったのです。
では、私にきっかけを与えてくれたものは何でしょう。それはとあるドラマによる影響でした。そのドラマの名は「エコエコアザラク」といいます。無論このドラマに出会う前に、私の中では幻想としての魔術と真の魔術との間に境界が引かれておりましたゆえ、ドラマの中での魔術をそのまま信じたというわけではありません。ですが、その影響というのは、今こそ行動を始めねばならないといったような衝動の形をとって現れたのです。
奇しくも、その時期は丁度国書刊行会の現代魔術体系が出版され始まった時期でありました。当時このシリーズで出ていたのは確かウィリアム・G・グレイの『カバラ魔術の実践』、ジェラード・シューラーの『高等エノク魔術実践教本』、そしてフラター・エイカドの『QBL』の3冊であったと思います。その中でもなぜか私が惹かれたのは、『高等エノク魔術実践教本』でありました。私はこの書籍を即購入し、本格的実践を始めたという次第でございます。
その後、魔術関連の読書も系統だって行えるようになり、現在の私があります。リガルディーのいうように、エノク魔術は初心者向きのものではないのですが、それでも私の本格的魔術実践の始まりを記念するこの魔術は、私にとって一番影響力のある魔術であったりいたします。(おそらく、私の感性にエノク魔術が合っているということなのかもしれません)。なにはともあれ、魔術に興味を持ちつつ未だ実践には踏み切れていらっしゃらない方、ともかくわけもわからず自分が惹かれる書物にのめりこんでみてはいかがでしょうか。案外それが、自らにあった体系だったりするものです。(2000/04/03)