2001年のオフ情報はこちらで。
NEW (3月)|vol.III (2月)|vol. II (12-1月)|vol. I (10-11月)
◆ 投手陣の契約更改は長期化の様相 ◆
■今季リーグ2位の防御率3.93を挙げた投手陣の契約が長期化しそうだ。ロッテの投手会ゴルフが千葉・市原市の鳳琳CCで行われたが、いまだに契約更改の日程さえ決まっていないことに一部から不満が続出。前回540万円増の2000万円を保留し、28日に2回目の契約交渉に臨む和田は「納得がいくまで話したいと思います。まだ11月ですから」と長期戦も辞さない構えを示した。 2001.11.29 |
◆ 松本が引退、スカウトに転身 ◆
■ロッテが27日、松本尚樹内野手が現役を引退し、スカウトに転身すると発表した。同選手は市立和歌山商から住友金属を経て1995年のドラフト5位でロッテに入団し、通算6年間で268試合に出場した。今後は、手薄になっている関西エリアのスカウトを担当することが決まっている。 2001.11.28 |
◆ 富永、田中の入団決定 ◆
■井辺康二スカウトが27日、静岡県春野町の春野高を訪ね、ドラフト6巡目の富永旭内野手と入団交渉を行い、契約金2500万円、年俸450万円で合意、入団が決まった。 26日、広野編成部長と井辺スカウトが都内のNTT東京本社を訪ね、ドラフト4巡目指名の田中充と契約金6000万円、年俸800万円で仮契約を結んだ。山本監督から即戦力左腕として期待されている田中は「右打者の内角で勝負できる投手になりたい。20球も投げれば肩はつくれるので仕上がりの早さもアピールしたいです」と抱負を語っていた。(金額は推定) 2001.11.28 |
◆ 選手会ゴルフの商品に酒井困惑 ◆
■26日、選手会ゴルフが千葉・市原市の皆吉台CCで行われ、選手、スタッフら総勢76人が参加した。ラウンド後の表彰式で爆笑を誘ったのがグロス95ながら3バーディーを奪って11位に入った酒井の賞品。全長2メートルほどのおもちゃのベンツは中途半端に大きいため車へと運ぶのも四苦八苦。「恥ずかしい」を連発する酒井に周囲からは「駐禁取られるなよ」との声が飛んでいた。 2001.11.28 |
◆ 光山の横浜入団は谷繁次第? ◆
■戦力外選手を一堂に集めた「12球団合同トライアウト」の第2弾が26日、ジャイアンツ球場で行われた。先月30日に名古屋で行われた第1回で、小池秀郎(前中日、近鉄が獲得)などめぼしい選手は再就職済み。この日集まった選手は前回より10人も少ない28人。ドラフト会議も終わり、来季の編成は固まりつつある時期でもある。この日の受験者は、何人かが台湾球界に受け入れられる以外、球界との決別を強いられることになりそうななか、横浜は前ロッテの光山英和捕手にも接触。「谷繁が出れば、ということでしょう」(光山)と谷繁退団後に備える形ながらも、横浜がリストラ組に再挑戦の道を開いた。 2001.11.28 |
◆ 小林雅、1億越えなるか ◆
■小林雅英投手が来月に控えた契約更改で大台突破に意欲を見せた。25日千葉マリンスタジアムで行われたファン感謝デーに参加。来季年俸目標額は1億円(今季6000万円、いずれも推定)か、と聞かれ「入団して3年目ですが年齢的にはもう27歳です。もらえるときにという気持ちはあります」と話した。
昨年シーズン途中から抑えとなり、今季も48試合に登板し33セーブを挙げた。序盤には、プロ野球新記録の6日間連続セーブをマーク。8月には父雅雄さん(享年51)が急逝した。悲しみがいえぬ4日後、ダイエー戦に登板し、球団セーブ記録を塗り替えた。入団1年目、初めて臨んだ契約更改で保留した。しっかりものの社会人ルーキーは細かい査定方法が理解できるまでサインをしたくはなかった。交渉にあたる川北球団本部長は「プロの世界は厳しいが、活躍すれば青天井」と発言している。それだけに、数字を残した小林雅にとって心強い。 2001.11.27 |
◆ 黒木に愛の後援会発足 ◆
■29日、「ジョニークラブ54」の発会式が千葉市内のホテルで行われ、地元千葉の福祉団体関係者、少年野球チーム指導者ら約100人が参加した。黒木は「2年ぐらい前から、こういいうことをやろうと思っていたが、自分の成績もありできなかった。この会は僕の会になっていますが、皆さんにもり立てていただきたい」とあいさつした。 2001.11.30 ■黒木知宏投手に、福祉活動などを目的とした後援会「ジョニークラブ54」が発足することになった。何か社会に貢献したい。そんなジョニーの思いが大きな輪になった。会員の中心は地元千葉の少年野球チームの指導者、福祉団体の関係者らで、目的を福祉活動とする異色の後援会となる。既に来季は恵まれない子供たちを千葉マリンに招待するため、会費などで座席を8席用意。ジョニーシートで野球を楽しんでもらう方針。また今後はユニホームなどをオークションにかけ、売上げを赤十字を通じて寄付するという。 2001.11.27 |
◆ ファン感&来季の開幕投手は… ◆
■02年開幕は黒木。山本功児監督は25日、早くも来季の開幕投手にエース黒木知宏投手を指名した。黒木は今季後半に痛めた右肩のリハビリ中だが「無理をすることはないが、経過が順調なら開幕に行ってもらう」と明言。さらに「メニューは他の選手と同じというわけにはいかないだろうが、鹿児島には連れて行きます。自分のペースでやってくれればいい」と来年2月の鹿児島での1軍キャンプに帯同させる考えも明かした。 この日、千葉マリンでのファン感謝デーに参加した黒木は山本監督にリハビリの経過を報告。現在は強めのキャッチボールができるまでに回復している。開幕については「今のところ投げるとも投げないとも言えない」としながら「もちろん目標は開幕に置いています」。4年連続となる開幕投手に意欲的だった。 ファン感謝デーには昨年を5000人上回る1万6000人が集まった。野球教室やスピードガンコンテストなどが行われる中、1番人気は選手に髪を切ってもらう恒例の「バーバーマリーンズ」。大勢のファンが詰めかけ、小坂、福浦らがバリカンを手に大忙しだった。 2001.11.26 |
◆ 来季から罰金制度導入 ◆
■山本監督が来季から怠慢プレーに罰金を科す。今季もミスで落とした試合が多かったため「選手も金を取られるのが一番、嫌だろうから。5万でも10万でも罰金を取ることにした」と話した。 2001.11.26 |
◆ 結局、寺本の来季登録は外野手に ◆
■投手続行か打者転向かをめぐって二転三転していた寺本四郎投手の来季登録が、外野手に決定した。山本監督が23日に明かしたもので、今度は高知・明徳義塾高の主砲として1998年夏の甲子園を沸かせたパワフルな打撃で、レギュラー取りを狙う。 今季の寺本は左のワンポイントとして12試合に登板したが1軍定着ならず。10月下旬に打者挑戦プランが持ち上がったが、この時は断念し、9日の契約更改交渉では投手として30万円アップの580万円でサインも済ませた。ところが、秋季キャンプ終了後に、浦和球場でフリー打撃を見た山本監督が、その打撃センスにほれこみ転向が決まった。 「いろいろあったけど、来年はバッターとして頑張ります」と寺本は早くも闘志を燃やしている。背筋力240キロ、握力70キロはチームでもトップクラス。甲子園で投げ合ったライバル、西武・松坂と今度は“投打での対決”になる。 2001.11.25 |
◆ 喜多らは鹿児島で鍛えます ◆
■23日、来春の鹿児島1軍キャンプに、ドラフト1巡目で指名した喜多隆志外野手の参加が決まった。山本監督が「鹿児島に連れて行く。レギュラーポジションを1つ与えてもおかしくない」と早くも定位置を与えることを示唆した。また、4巡目の田中充投手、7巡目の丸山泰嗣内野手も参加する予定。 また、23日、喜多は慶大の付属中・高校生を対象とした野球教室に指導者として参加。ロッテとの仮契約を先延ばしにしたのもこのためで、近鉄5巡目の三木と2人で約200人の“弟”たちを熱血指導した。「この中から六大学で活躍する選手が出ればと、指導に熱が入りました」と喜多は充実の表情だった。 2001.11.24 |
◆ 契約更改 :各選手のコメント Part 1 ◆
■29日、今季途中で捕手から外野手への転向が決まった吉鶴は「転向が決まった時期に疑問がある」として、13日の第1回契約更改交渉で670万円減の2030万円の提示を保留。この日は「捕手への未練はなくなった」として同額提示にサインした。「10年目の来年が勝負」と闘志を燃やしていた。来年1月、地元鹿児島で“原点回帰”の自主トレを敢行する。 ■28日、和田が2度目の更改交渉に臨み、また保留した。提示は700万円増の2160万円。前回より160万円の上積みがあった。今季自己最多の38試合に登板した和田は「まだ金額に開きがある」と、不満顔だった。 ■27日、2度目の契約交渉に臨んだ大村巌外野手が、球団史上最長の4時間に及ぶ論戦の末、700万円ダウンの2100万円で合意した。保留した13日の交渉を含めると計5時間の長期戦。本社の企業理念を持ち出すなど、代理人ばりの交渉を展開した。 …とはいっても、金額の話をしたのは最後の30分だけ。「更改というより、年に一度の球団との交渉の席ですから」と金額よりも球団首脳との会話に重きを置いている。「球団に対する自分の評価、チームのこと、会社のこと」と3大テーマを立てて、それぞれ10項目ずつ、計30個の話題を書いたメモを片手に、川北球団本部長と会談。午後2時半から始まった交渉は途中から親会社のお菓子にコーヒーの“おやつタイム”を挟み、球団からは「結婚のすすめ」があるなど終始和やかムード。大村は「僕の意見と球団の考えが一致することが多かった。すっきり来季に臨める」とダウンにも満足顔だった。 ■22日、加藤康介投手が1500万円増の2800万円を保留。希望額の3000万円に届かず、「初めてだし、評価をよく聞いて保留という形にした。仕切り直したい」。 ■22日、薮田安彦投手は840万円増の3100万円でサイン。「新しく変化球を覚えて投球の幅が広がった。来年は開幕から先発でいきたい」。 |
◆ 田中に指名挨拶、辻は仮契約 ◆
■22日、広野編成部長らが国士大を訪れ、ドラフト5巡目で指名した同大の辻俊哉捕手と入団交渉を行い、契約金5500万円、年俸800万円で仮契約を結んだ。金額は推定。 また、21日には永野吉成、井辺康二両スカウトが同4巡目のNTT東日本・田中充投手に指名の挨拶をした。次回交渉で仮契約を結ぶ見込み。 ▼辻俊哉捕手:「ホッとしています。何としてもレギュラーを獲るんだという意気込みでやります。セールスポイントは肩です。それを伸ばすとともに足りないと思っているバッティングの力を付けたいです。目標は140試合フル出場」 ▼田中充投手:「ローズ(近鉄)、松中(ダイエー)と最高の左打者が揃うパ・リーグはやりがいがある。直球で勝負したい」 2001.11.23 |
◆ 喜多に指名挨拶、入団内定 ◆
■21日、広野編成部長、飯塚スカウトが慶大野球部合宿所を訪れ、ドラフト1巡目で指名した同校の喜多隆志外野手と入団交渉を行い、前記の条件を提示し合意に達した。背番号は「3」に内定した。 喜多は野球教室などの学校行事に参加する関係で、この日は仮契約を結ばなかったが、入団に支障はなく、新入団選手の発表が行われる12月10日に正式契約を結ぶ。喜多は「最高の条件を提示してもらった。背番号などの重圧は掛かるけど、責任を果たせるような活躍をしたい」と話した。金額は推定。 2001.11.22 ■20日、飯塚スカウトが横浜市内の慶大野球部合宿所を訪ね、ドラフト1巡目の喜多隆志外野手に指名のあいさつをした。飯塚スカウトは契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1300万円を提示。喜多は入団に前向きで、21日にも正式契約を結ぶとみられる。前夜は友人から30件ぐらいの祝福の電話があったという。一夜明けて落ち着いた表情の喜多は「ロッテの顔になってほしいと言われた。そうなれるように頑張りたい」と抱負を話した。 また、慶大監督を勇退したばかりでW杯日本代表監督を務めた後藤前監督が喜多のアテネ五輪出場へのバックアップを強く要請した。飯塚スカウトは「ロッテは過去にも黒木を送り出している。3年後に喜多君が参加できるよう全面的に協力します」と確約した。川北球団本部長も「選ばれるような選手に育ってほしい」と、期待は大きい。 2001.11.21 |
◆ 草野球vsマリーンズ!(日刊スポーツマリン杯) ◆
■24日、マリン杯ドリームマッチは、マリン杯を制した「浅草魂」がマリーンズと対戦、黒木、福浦、小林雅ら主力選手を相手に草野球チームが9-1と快勝した。先発のサブローが5点を失い2回途中でKO。野手陣も、弾みすぎる軟球にとまどい6失策。打線も3安打に封じ込まれた。黒木は選手兼監督として参加。捕手の守備につくと、二塁に鋭い送球をするなど元気なところを見せた。このイベントは今年で3回目だが通算1敗2引き分けと勝ち星がなく、「選手に責任はない。すべて僕の責任。もう監督やめます」と黒木も頭を抱えていた。 2001.11.26 ■優勝チームは千葉ロッテマリーンズと対戦できるという草野球大会、日刊スポーツマリン杯。そのドリームマッチが11月24日(土)14:00から千葉マリンスタジアムで行われます。入場は無料。参加予定選手は藤田、吉田、長崎、清水直、和田、小林雅、山ア貴、黒木、寺本、清水将、橋本、福浦、渡辺正、諸積、サブロー、立川、早川、吉鶴。 この大会も今年で3年目。前回はマリンスタジアムが使えず浦和で、という悲しい状況でした。ドリームマッチでは軟球を使用、本気の対決ではないので、マリーンズの選手は通常のポジションは守りません。意外なバッテリーが組まれたり、投手陣のバッティングなども見られると思います。過去2回とも結果は引き分け。今年こそ草野球チームが勝てるでしょうか?ちなみに私の地元草野球チームも参加してましたが、6月頃に見事に一回戦KOでした… 2001.11.20 |
◆ ドラフト会議終了 ◆
■2001年度のプロ野球新人選択(ドラフト)会議は19日、東京都港区の新高輪プリンスホテルで行われ、12球団が計80選手(セ39人、パ41人)の入団交渉権を獲得した。寺原隼人投手には4球団の指名が重複し、抽選の結果、地元九州のダイエーが交渉権を得た。 今秋に東京六大学リーグ新記録の.535をマークした喜多(慶大)は、ロッテが1巡目で指名。2巡目での指名を狙った日本ハムの機先を制した。 全体としては高校生が昨年と同じ35人となり、将来性重視のドラフトとなった。ポジション別では投手が44人(うち自由獲得枠4人)と今回も全体の半数を超えた。また、捕手の指名が内野手に匹敵する人数に上り、バッテリー強化を目指す各球団の思惑がうかがえた。 ▼喜多隆志外野手:「ファンとチームが一体化していて、いいなとは思っていた。松坂君は球の速さもキレも超一流。早く打席に立ってみたい」 ▼今江敏晃内野手:「朝井と同じリーグでうれしいです。一日でも早く対戦したい。一日でも早く試合に出れるように、まずはプロについていける体をつくる」 ▼丸山泰嗣内野手:「就職も決めていなかったのでロッテには感謝しています」 2001.11.20 |
◆ 喜多・辻のW獲得絶望 補強失敗か? ◆
■18日、千葉マリンでドラフト前の最終スカウト会議を開き、PL学園・今江敏晃内野手を1巡目で指名することを決めた。一時は慶大・喜多隆志内野手も候補に挙がったが「初心貫徹でいきます」(川北球団本部長)となった。 これで3巡目で指名予定の慶大・喜多隆志外野手、4巡目で指名予定の国士大・辻俊哉捕手を他球団が上位指名することが濃厚になり、捕手と野手を補強ポイントに挙げていたが、投手中心の指名を行う方針に方向転換を余儀なくされた。 また、地元千葉から市立船橋・林昌範投手、流通経済大柏・有沢勇佑捕手らをリストアップ。下位で指名する方針だが、林投手も巨人に指名される可能性が高い。 会議には山本監督をはじめ、後藤球団代表、川北球団本部長、広野編成部長、鈴木スカウトが出席する。 2001.11.19 |
◆ 慶大・喜多をドラフト1位指名検討 ◆
■ロッテがドラフト1巡目で慶大・喜多隆志外野手(21)の指名を検討していることが16日、分かった。当初はPL学園・今江敏晃内野手を1巡目で、喜多を3巡目で指名する予定だった。だが、この日になって日本ハムが2巡目で喜多を指名するとの情報をキャッチ。戦略転換に踏み出す。球団関係者は「(喜多を1巡目に)変える可能性は十分にあります」と話しており、六大学シーズン最高打率を残した安打製造機を獲得したい考えだ。 2001.11.18 |
◆ 橋本将が12.21入籍 挙式は来オフ ◆
■橋本将捕手(25)は16日、梶原麻子さん(24)=幼稚園勤務=と12月21日に入籍することを明らかにした。橋本は「21日が大安なので決めました。彼女は僕にハッパをかけてくれるし、これからは1人じゃないので頑張ります」とうれしそうに決意を口にした。 入団2年目の96年、橋本が左ひざの手術で川崎市内の病院に入院した時に同じ病院に入院していた麻子さんと知り合った。「僕の一方的なひと目ボレでした」と退院後、日体大バスケットボール部に所属していた長身で美人の麻子さんに猛アタックをかけ、ハートを射止めた。 昨季は小野の登板時を中心に77試合に出場したが、今季は47試合どまり。「来年は守備を鍛えてスタメンで出られるよう頑張ります」と橋本は抱負を口にした。挙式は来オフの予定。 2001.11.18 |
◆ 小ネタいろいろ Part 6 ◆
●16日、FA宣言した小宮山が、メジャーの複数球団からのオファーを受けていたことが分かった。また、田口の獲得に、メジャー5、6球団が興味を示していることも明らかになった。 ●16日、西武ドーム内に国内球場初のオープン・カフェを設置するプランが明らかになった。オープン・カフェを設置する場所は右中間席後方部の通路が有力で、ここでコーヒーでも飲んでいただきながら…というイメージらしい。 ●15日、変革の動きが目立ってきたプロ野球界で、セ、パ両リーグの業務機能を統合する計画があることが明らかになった。現在、独立しているセ、パ各リーグの事務局、業務機能をコミッショナー事務局のもとに一本化しようというもの。前日も巨人渡辺オーナーが03年の交流試合実施をぶち上げ、1リーグ制への流れが依然としてある。その交流試合の実施を目指していることもあり、同時期の統合を目指しているとみられる。 ●15日、プロ野球の実行委員会が日本ハムのファームチームの名称を「鎌ケ谷日本ハム・ファイターズ」か「鎌ケ谷ファイターズ」のどちらかに変更することを承認した。 ●15日、横浜ベイスターズの筆頭株主が、マルハからニッポン放送に代わることが決まった。同日、プロ野球実行委員会が承認し、両社社長が東京都内で会見して発表した。横浜ベイスターズの持ち株比率はマルハが55%、ニッポン放送が30%、東京放送(TBS)が15%だったが、マルハが所有株の一部をニッポン放送に売却するため、ニッポン放送が同球団の筆頭株主となる。球団オーナーは中部社長から川内通康・ニッポン放送会長に変更されるが、球団名やフランチャイズは変わらない。 ●14日、NYの大衆紙「ニューズデー」は、大リーグのメッツが、FAを宣言している小宮山悟投手の獲得を検討していると報じた。同紙によると、メッツは、小宮山をロングリリーフと、ローテーションの穴を埋める先発の両方を任せられる投手として評価している。 |
◆ 中継ぎ陣が待遇改善を要求 ◆
■吉田、藤田の左右の中継ぎ2人がセットアッパーの待遇改善に乗り出す。契約更改の席で球団に先発、抑えと同格の査定基準を求める。吉田は「中継ぎで1億円を取るにはどれほどの成績が必要か、はっきしてほしい」と語れば、藤田も「後に続く若い人のためにもしっかり話をしたい」と話していた。 2001.11.16 |
◆ 大村・吉鶴・平井には25%ダウン提示 ◆
■大村、吉鶴、平井のロッテのベテラン3選手がいずれも最大ダウン幅の25%減を提示される厳しい契約更改となった。1350万円減の年俸4050万円にわずか10分でサインした平井は「今年は左ひざのケガで何もやっていない。年に2回も手術させてもらったので」とサバサバした表情。保留した大村、吉鶴も金銭的には納得しており、次回の交渉でサインする予定だ。 2001.11.15 |
◆ 契約更改、大荒れ必至 ◆
■契約更改が大荒れ必至になった。選手会側が球団に対し、選手への対応などの改革を求めて全面対決する。今季で6年連続のBクラス。選手会もこの事態を深刻に受け止め、チーム作りに関する球団の方針をはっきり知りたいと思うようになった。その場を契約更改の席に選んだ。要求項目は、(1)球団と選手とのコミュニケーションの促進策、(2)優勝を目指すチームとして、より良い雰囲気作り、(3)契約交渉などでの球団の対応について―など。 諸積副会長は「球団と話したことを僕はノートを持参して書きます。はっきりした答えが出るまで何度でも話したい」という。主力が登場する12月、ロッテにアラシが吹きまくる。 2001.11.14 |
◆ 球団は黒木に公傷認めず ◆
■ここまで契約更改を終えたロッテの13人中、年俸アップは30万円増の580万円でサインした寺本1人だけ。厳冬更改が続く中、川北球団本部長は8月に右肩痛で戦線を離脱したエース黒木に対しても公傷を認めず、下交渉も行わないという厳しい方針を示した。「相撲じゃないんだから公傷なんてない。チームの顔としての立場は多少考慮するが、基本的には結果で判断する」。黒木は開幕9連勝を果たすなど7月末までに11勝を挙げたが、8月以降は1試合も投げておらず、原因の右肩痛が公傷となるかどうかが注目されていた。 2001.11.14 |
◆ 黒木、4年連続の開幕投手を目指す ◆
■黒木がオフ返上で4年連続の開幕投手を目指す。今季は右肩痛で後半戦を棒に振ったが「とにかく早く直すことだけど(肩は)順調です」と回復に手応え十分。年末年始も走り込みを中心にトレーニングを続ける予定で「あくまでも目標は開幕。チームの事情もあるし」とエースの自覚を口にしていた。 2001.11.12 |
◆ 渡辺俊介、親子でシンカー習得 ◆
■下手投げルーキー・渡辺俊が親子で新球習得に取り組む。現在シンカーに挑戦しており「(課題の)左打者対策になるボール。早くモノにしたい」と、秋季キャンプ後も練習を継続。オフには国学院栃木高在籍時に同校でコーチをしていた父・秀夫さん(54)を引っぱり出し、栃木県の自宅近くの公園で投球練習を計画している。 2001.11.10 |
◆ 慶応・喜多外野手獲得へ ◆
■ロッテが“六大学の安打製造機”慶応大の喜多隆志外野手(21)の獲得に動くことが8日、明らかになった。 喜多はチームが優勝した今秋の東京六大学リーグ戦で、打率.535(43打数23安打)をマーク。首位打者に輝いただけでなく、14年ぶりにシーズン最高打率を更新する快挙を達成。9月23日の法大戦では史上22人目となる、リーグ戦100安打を放つなど、大学の先輩である巨人・高橋由に肩を並べる巧打者だ。 将来的に「和製クリーンアップ」構想を持つロッテは、このタイトルホルダーの打撃センスに着目。外野手であることもチームの補強ポイントに合致し、先のスカウト会議で「即戦力の期待もできる」と指名を決定した。ダイエーも入札を予定しており、競合は必至だが、ロッテは「どうしてもほしい戦力」として獲得を目指す。 2001.11.9 |
◆ 小坂がゴールデングラブ賞を受賞 ◆
■8日、守備の優れた選手に贈られる三井ゴールデングラブ賞が発表され、ロッテからは小坂誠内野手が3度目の受賞(遊撃手)。「大変うれしく思う。投手に迷惑をかけたところを修正し、信頼されるように練習していきたい」と語った。 2001.11.9 |
◆ 黒木にもダウン提示、初の保留も ◆
■黒木の契約更改が大モメ必至の情勢となった。今季は開幕からの9連勝を含む11勝4敗、防御率3.02だが、7月末から右肩痛で戦線離脱したのが評価を難しくしている。 球団の主張はこうだ。「(勝率)5割前後の大事な時期に彼はいなかった。年俸相応の働きとは言えない部分がある」と後藤球団代表はダウン提示を示唆した。黒木にも譲れない部分がある。「最低でも、昨年落ちた分は上げてもらわないと」と声を張り上げた。昨年の契約更改では1億8000万円から1億6200万円へのダウン提示をのんだ。春先は無理なローテを承知で投げたのだから、1億8000万円へ戻るのは最低線だと思っている。「初の保留になるかもね」いうジョニー。長期戦も辞さないつもりでいる。 2001.11.9 |
◆ 初芝にも年俸50%ダウンの提示 ◆
■初芝が秋季キャンプ地の千葉・館山で来季年俸の下交渉を行い、今季の1億2000万円から42%ダウンとなる7000万円の提示に合意した。野球協約上、年俸1億円以上の選手の場合、本人の同意なしでは30%以上の減額は認められていないが、初芝は「球団を出るつもりはない」と了承。今後は出来高払い3000万円を希望する初芝と2000万円を主張する球団と細部を詰めていく。 2001.11.9 ■ロッテが初芝清内野手にも年俸50%ダウンの大幅減俸を提示していることが6日、明らかになった。同時に堀幸一内野手に53%ダウンの提示があったのは既報のとおり。(下のほうを見てください) 今季、年1億1000万円の初芝は打率.253。1億500万円(ともに金額は推定)の堀は.223で、球団側は「年俸相当の働きがなされていない」(川北球団本部長)として大幅減俸を決定。館山キャンプに参加している初芝は「まだ分からない」と態度を保留。5日に球団側と会談している堀も「(サインするかどうか)まだ分かりません。とにかく話し合いを続けるしかない」と複雑な心境。 初芝には出来高がプラスされる見込みだが、堀に関しては球団側も強気な姿勢を崩しておらず、堀がサインに応じない場合、自由契約になる可能性も出てきた。 2001.11.8 |
◆ 野球のW杯開幕/日本の試合結果 ◆
■野球のW杯は大会最終日の18日、当地の天母球場で決勝などを行い、日本は3位決定戦で台湾に0-3で敗れて4位に終わった。前身の1998年世界選手権大会から2大会連続でメダルを逃した。日本は昨年のシドニー五輪でも4位だった。 日本は4回に先発の須田(東芝)が陳金鋒に先制の本塁打を許し、7回には3番手の中村隼(日本ハム)が再び陳金鋒に2点本塁打された。打線も張誌家を打ちあぐみ、散発5安打にとどまり完封を喫した。 2001.11.19 ■野球のW杯は第10日の17日、台北などで準決勝2試合を行い、初優勝を狙った日本は、7連覇を目指すキューバに延長11回、1-3で敗れた。18日の3位決定戦で台湾と戦う。 打線を全員プロで固めた日本は1回、井口(ダイエー)の左前打で先制点。5回に満塁で東出(広島)が三ゴロを後逸して1-1の同点に追いつかれた。そして、11回、力投の先発藤井(ヤクルト)がパチェコに右犠飛されて勝ち越し点を許した。もう1試合の準決勝は、シドニー五輪優勝の米国が台湾を4-1で下した。 2001.11.18 ■野球のW杯は第9日の16日、上位8チームによる決勝トーナメントが開幕、台湾各地で準々決勝4試合が行われた。日本はシドニー五輪の3位決定戦で敗れた韓国と対戦。中村隼、加藤と主力のプロ投手2人を投入して、3-1で韓国の反撃を振り切った。準決勝は17日午後7時から、キューバと再び対戦する。 2001.11.17 ■野球のW杯は大会第8日の14日、台湾各地で予選リーグ最終戦を行い、当地の天母球場でオランダと対戦した日本は、東出(広島)、佐藤友(西武)の適時打などで6-5と辛勝、7戦全勝でリーグ戦を終了した。また、日本の準々決勝(16日)の相手は韓国に決定。 2001.11.15 ■野球のW杯は第7日の13日、予選リーグを行い、日本は、6-2でカナダを下して6戦全勝とし、B組の1位通過が決定した。 2001.11.14 ■野球のW杯は第6日の11日、台湾各地で予選リーグを行い、天母球場でオーストラリアと対戦した日本は、2本塁打を含む10安打の猛攻で8-0と快勝。5連勝でB組首位を堅持した。日本は予選リーグ2試合を残し、A、B各組の上位4チームで争う決勝トーナメント(準々決勝)進出が決まった。 2001.11.12 ■野球のW杯は第5日の10日、予選リーグ8試合を行い、日本は台北の天母球場でキューバと対戦、5-3で競り勝った。4連勝で予選リーグB組で唯一、無敗を守り単独首位に立った。日本はW杯ではキューバ戦12戦目で初勝利。五輪、インターコンチネンタル杯を含めた主要3大会では、1997年のインターコンチネンタル杯以来で通算3勝目。キューバはW杯の連勝が46で止まった。 日本は初回に押し出し四球で先制。五回には高橋由(巨人)と佐藤友(西武)の適時打で3点を追加。七回にも佐藤友のスクイズで1点を加えた。先発したマリーンズの加藤康介は六回途中まで1失点の好投。その後は継投で逃げ切った。 2001.11.11 ■野球のW杯は第4日の9日、台湾各地で予選リーグを行い、台北近郊の新荘球場でロシアと対戦した日本は12-0で7回コールド勝ちした。日本は3試合連続コールド勝ち。日本は2回に4点を先取。4回にも阿部(巨人)の三塁打などで4点を挙げて試合の大勢を決めた。投げては先発・藤井(ヤクルト)が3回を1安打の好投。4回から安藤(トヨタ自動車)、須田(東芝)、篠原(ダイエー)とつなぎロシアを3安打に抑えた。 2001.11.10 ■野球のW杯は第3日の8日、台湾各地で予選リーグ8試合を行った。日本は台北市近郊の新荘球場でパナマとの第2戦に臨み、中村隼(日本ハム)が七回途中まで無失点の好投。打線も七回に集中打で6点を挙げて連勝した。10-0(八回コールド勝ち)。 2001.11.9 ■野球のW杯は第2日の7日、台湾各地で予選リーグ7試合を行い、初戦に臨んだB組の日本は21-0でフィリピンに七回コールド勝ちした。日本は先発打者9人をすべてプロで固め、19安打で圧倒した。高校生で唯一参加している寺原は五回から2番手で登板。2イニングを1安打無得点に抑え、4三振を奪った。 2001.11.8 ■6日、世界16ヶ国・地域の代表が頂点を競う野球の第34回W杯が、台北市の天母球場で開幕した。開幕戦では地元・台湾がイタリアに6-1で勝利、先発・許銘傑(西武)が7回を1失点に抑える好投。11日間の日程で、まずA、B組に分かれて総当たりの予選を行った後、上位8チームのトーナメントで優勝決める。 2001.11.7 |
◆ 河合楽器・久本投手獲得へ ◆
■ロッテが今ドラフトで、河合楽器の久本祐一投手(22)=175cm、69kg、左投左打、亜大出=の獲得に乗り出すことが5日、明らかになった。高校生野手、捕手の上位指名を固めているロッテだが「投手は何人でもほしい」(山本監督)状況。加藤、川井、藤田らがそろう左投手層をさらに厚くするため、即戦力左腕獲得の方針を打ち出してきた。 「河合楽器が休部になったからね。久本はすばらしい選手」と球団首脳は高く評価。マウンド度胸満点の久本を当初、来年のドラフト候補として注目してきたが、所属する野球部の休部が決まったことで急きょ、白刃の矢を立てた。すでに中日も久本獲得に乗り出す方針を打ち出しており、両チームによる争奪戦となりそう。ロッテは他球団の動きを見たうえで、最終的な決断を下す。 2001.11.7 |
◆ 首位打者・福浦、自社CMに? ◆
■首位打者の福浦が本社製品のCMに出演することになりそうだ。これまでには黒木、初芝らが出演しているが、球団はタイトルホルダーをチームの顔として売り出したい考え。重光オーナー代行は「近鉄の中村君なども(CMに)出ているし(福浦も)あると思います」と話した。 2001.11.6 |
◆ 黒木、復活への始動は12月半ばから ◆
■黒木知宏投手が今年中のブルペンでの投球練習を封印。12月半ばから本格始動し復活を目指すことが3日、明らかになった。石川・小松市での5日間におよぶ人間ドックを終え、さいたま市・ロッテ浦和球場での2軍秋季練習に合流したジョニー。「期限などは決めずにゆっくりやります」(黒木)と、ランニングなど軽めの練習に終始した。自身初めて痛めた右肩の回復に万全を期すため、当分、激しい運動は控えるつもり。16日の練習終了まで別メニューでの調整となる。 オフのスケジュールについては「12月半ばくらいから始動します。宮崎にも行くつもりです」と発言。故郷で“原点回帰”の自主トレを敢行し、来季に臨むつもり。6年連続Bクラスのチーム浮上には、エースの右肩完治が不可欠。黒木は「光は見えてますから、大丈夫」と前向きに話していた。 2001.11.5 |
◆ 小ネタいろいろ Part 5 ◆
●6日、プロ野球コミッショナー事務局は、FA宣言選手を公示した。FA権有資格者64人中、宣言したのは11人で昨年より5人増えた。このうち4人は所属球団と再契約し残留するが7人(横浜の小宮山悟投手、谷繁元信捕手、中日の前田幸長投手、山崎武司内野手、オリックスの加藤伸一投手、田口壮外野手、日本ハムの片岡篤史内野手)は所属球団と再契約合意に至らず、7日から所属球団を含む国内12球団、外国球団との交渉が解禁される。1月31日までに何れの球団とも契約できなかった選手は自由契約となる。 ●6日、セ・リーグは理事会を開き、来季の順位決定方式を勝率優先に変更することで合意した。「引き分け再試合」は今季同様行わず、勝率1位と勝利数1位のチームが異なった場合は3試合のプレーオフを実施する。今季から導入された勝利数優先は1年で消えることになった。 ●5日、重光昭夫オーナー代行が、山本監督の来季の戦いについて「Aクラス入りが絶対条件です」と厳しい口調で話した。オーナー会議に出席した重光代行は、山本監督の続投について、平野ヘッドや高畠打撃コーチら「新しい人が入って体制が変われば、いける」と説明。6年連続となったBクラスの返上を厳命した。山本監督も「Aクラス、そして優勝を目指すのは当然」と気を引き締めていた。 ●5日、国際野球連盟(IBAF)主催の第34回ワールドカップに出場する日本代表が台湾入りし、予選リーグでも使用される新荘市の新荘球場で約2時間、ランニング、キャッチボール、守備練習などを行った。藤井秀悟投手(ヤクルト)らプロ7選手は東京で開かれたプロ野球コンベンションに出席したため、6日に台北入りする。W杯は6日に開幕し、決勝が行われる18日が最終日。予選リーグB組の日本は7日の初戦でフィリピンと対戦する。 ●4日、阪神・川俣がブルペンでの投球練習中、野村監督から「浩明」から「ひろあき」への変更を勧められた。阪神では浜中が母親の進言で「治」から「おさむ」に改名して今季大活躍。川俣も「いい方向に向かうなら、前向きに考えてみます」と、まんざらでもなさそうだった。改名でプロ初勝利を目指すか。 ●3日、東都大学野球連盟が、OBのプロ選手と現役選手による創立70周年記念試合(11日、神宮)の出場選手を発表した。プロ側は武上四郎氏が監督を務め、42選手が参加(ロッテからは渡辺俊介投手、清水将海捕手が参加)。現役チームは駒澤大の太田誠監督が指揮を執る。 ●2日、パ・リーグが静岡市内のホテルで理事会を開き、今季の決算報告、来季の予算案を承認した。また、審判部が調査、検討しているストライクゾーン問題も報告され、今季から公認野球規則通り、高めいっぱいのストライクを取る方針だったが徹底されず、特に後半戦はストライクゾーンが従来通り狭くなる傾向が指摘された。ストライクゾーンの拡大は試合時間の短縮にもつながるため、来季も徹底することとし、今後はセ・リーグ審判部と打ち合わせながら来年1月17日の監督会議で検討する。 |
◆ 館山は休日返上です ◆
■千葉・館山での秋季キャンプで、選手の休日が消滅。3日間のオフも、野手陣に打撃練習が課された。第1クール最終日となった1日、実父の死去で当地を離れた山本監督に代わり、平野ヘッドコーチが「あしたの休日も各自、素振りをするように」と指示。宿舎のリゾートホテルにはティー打撃用のネットが張られ、テニスコートは素振りスペースに開放。「疲れを残してほしくないが、そうも言っていられない」と平野ヘッド。 2001.11.3 |
◆ 山本監督の実父、死去 ◆
■山本功児監督の父・義三(よしぞう)さんが1日午前0時49分、老衰のため大阪府堺市の自宅で亡くなった。83歳だった。悲報を受けた山本監督は急きょキャンプ地の千葉・館山から駆けつけ、悲しみの対面をした。この日夜には堺市内の葬儀場で通夜が営まれ、同監督は「小さいころは厳しかったけど、情のある人だった。来季の続投が決まったときにはオレももう1年頑張ると言っていたんだが…」と悲しみをこらえながら父への思いを口にした。 前日の夕方、電話で話をしたのが最後の会話になったという。「これからは上(天国)でゆっくりと見守ってくれてると思うから力を発揮できるように頑張る」と新たな決意を誓った。山本監督は2日の告別式に参列後、静岡・草薙入りし、3日のパ・リーグ東西対抗で東軍の指揮を執る。 2001.11.3 ■1日未明、山本功児監督の実父・山本義三氏(83)がお亡くなりになりました。 2001.11.2 |
◆ SM式ノックで守備力アップ? ◆
■今季リーグ最多の95失策を記録したロッテが千葉・館山キャンプで珍ノックを導入した。内野手全員の利き腕をユニホームの後ろポケットに入れさせ、その腕をベルトの下を通したロープでがっちり縛り上げる。まるでSMのような格好で捕球させるというもの。 発案した佐藤内野守備走塁コーチは「うちの野手はどうしても右手で捕りにいってしまう。完ぺきにグラブだけで捕球させるためにロープを使うことにした」と説明。実際にノックを受けた酒井は「手が使えないから足の運びが大事だし、グラブさばきを覚えるのにもいい練習だと思う。でも縛られると変な気になるね」と苦笑い。「ロープで縛るのは佐藤さんの個人的趣味じゃないか」「どうも縛り方がうますぎる」という声も上がったが、佐藤コーチは「このクールはずっと続ける」とニンマリ。 2001.11.1 |
◆ 03開幕から千葉マリンが天然芝に ◆
■ロッテの本拠地千葉マリンスタジアムが、来年オフの天然芝導入を検討していることが31日、明らかになった。管轄する千葉市が具体案を11月中にも作成し、年内の発表へ向けて最終調整中。来年3月の市議会の承認を経て正式決定し、2003年の開幕から天然芝球場として生まれ変わる。
千葉市は今年になってから天然芝移行を検討した。松井前市長がロッテの優勝を条件にマリンのドーム化を公言してきたがチームの低迷で現実味はなかった。だが、今年度からの「新5カ年計画」に建設への「調査費」を予算に組み込んだことでドーム化が前進。ファンや市民の間でドーム反対の声が上がりだした。 これを受けて今年2月には千葉市の関係者が「秋までに天然芝かドームかの結論を出す」と発言。7月に就任した鶴岡新市長のもと委員会を発足し、議論を重ねてきた。人工芝に比べ天然芝の維持管理は難しく手間や経費もかかるが「メジャーの情勢やプロ野球人気の衰退なども考えないといけない」と最終的にファンや市民の意向を無視できないと判断した。また、ドーム化については引き続き検討するとしている。 ロッテ山本監督は「人工芝は選手の寿命の問題がある」と語るなど現場も天然芝導入には大賛成。人工芝球場から天然芝球場への切り替えは日本では初めての試み。米大リーグでも同様の機運もあり、人気低迷が懸念される日本プロ野球界でも天然芝球場は一気に加速しそうだ。 2001.11.10 |
◆ ”ポスト初芝”に星川学内野手を指名 ◆
■30日、ドラフトで野球部存続危機にある河合楽器の星川学内野手(24)を指名することが確実になった。強打が持ち味で“ポスト初芝”が期待される。また、31日にスカウト会議を開き、日南学園の寺原隼人投手を1位指名するかどうかの方針を決めるが、外れ1位にはPL学園の今江敏晃内野手らの名前が挙がっている。 2001.10.31 |
◆ 小ネタいろいろ Part 4 ◆
●31日、ロッテは千葉マリンスタジアムでスカウト会議を開き、今秋のドラフト会議で1位指名する予定だった宮崎・日南学園高の寺原隼人投手の指名を断念した。寺原の指名では巨人、ダイエーなど数球団の競合が確実で、抽選のリスクを避けた。また、23日の寺原との面談も不調に終わり、入団への感触が得られなかった。川北智一球団本部長は「総合的に判断して指名を回避した」と話した。 ●30日、自由契約となった選手を集めて一斉に入団テストをする球界初の「合同トライアウト」がナゴヤ球場で行われた。入団テストには38選手(投手22、捕手3、内野手7、外野手6)が参加。元ロッテからは小林渥司投手、光山英和捕手、小島大作内野手の3選手が挑戦した。日本のプロ12球団、社会人チーム関係者、台湾や米大リーグのスカウトも参加選手の動きを見守った。ロッテの広野編成部長は「時間が短く、実戦の動きを見れないので、選手獲得に直結するわけではないが、一斉に選手を見ることが出来、社会人チームとの交流拡大にもつながる」と評価した。来月26日に川崎市のジャイアンツ球場で2回目の合同テストを行う。 ●30日、新任の高畠打撃コーチがユニークな練習法で改革に乗り出した。ティー打撃でノックバットを使用させれば、息つく間もなく連続してトスを上げるなど今までになかった指導法を披露。「もう28年もコーチをやっているからね。選手を飽きさせないアイデアはいろいろあるよ」という“高畠流”にナインも楽しみながら取り組んでいた。 ●29日、首位打者を獲得した福浦が打撃陣に意識改革を呼びかける。今季は近鉄・中村や西武・松井ら他球団の主力打者に打撃のコツを聞き、打力アップにつながった。「いいバッターと話すと勉強になることが多い。プロだけど恥ずかしがらず聞いた方がいい」とチームメイトにも勧める考えだ。 ●28日、翌日からの秋季キャンプのため、ロッテの選手、球団関係者らが千葉・館山入り。山本監督は「このキャンプではとにかく体力づくり。若い選手を多く連れてきてるから、日が暮れるまでやる」と練習漬けを宣言した。特に今季ミスの多かったバント練習を徹底的に行う予定。現役時代にバントの名手として鳴らした平野新ヘッドコーチを中心に基本から指導する方針。リーグ最低に終わった得点力アップのために来季はち密な野球を目指す。 ●28日、西武が来季のビジター用ユニホームをモデルチェンジすることが分かった。来季20試合を予定している札幌ドーム(北海道)を意識した大自然の『濃青』がベース。現行のビジター用は「上が青、下が白」の組み合わせだが、新ユニホームは上下ともに深い濃い青となる。ビジター用に合わせウインドブレーカー、アンダーシャツ、ソックス、遠征用バッグ、バットケースなども新レオブルーで全面新装、帽子もまぶかに被る米メジャー風のデザインに代わる。 |
◆ 山本監督が”地獄のキャンプ”宣言 ◆
■山本監督が29日から始まる千葉・館山キャンプのハードメニューを宣言した。自身も現役時代の79年、巨人で当時の長嶋監督率いる伊東キャンプを経験している。「(伊東キャンプは)まだ選手に余裕があったが、このキャンプはヘトヘトになるまでやらせる」と話した。 2001.10.29 |
◆ 館山・秋期キャンプ情報 ◆
【日程】 10/29(月)から11/16(金) 休日は11月2日(金)・7日(水)・12日(月) 【参加選手】 11月19日以降は浦和でピックアップ練習が予定されている。 2001.10.28 |
◆ 今季のMVP・ベストナイン発表 ◆
■27日、2001年のプロ野球最優秀選手(MVP)に、セ・リーグはロベルト・ペタジーニ内野手(ヤクルト)、パ・リーグはタフィ・ローズ外野手(近鉄)が選ばれた。両選手とも初受賞。最優秀新人(新人王)は、セが赤星憲広外野手(阪神)、パが大久保勝信投手(オリックス)に決まった。記者投票では加藤康介投手とは大差がついた模様。また、ベストナインの発表もあり、最優秀指名打者をボーリックが獲得。福浦は71年の江藤慎一(元ロッテ)以来30年ぶりに首位打者で選にもれた。 2001.10.28 |
◆ 契約更改、始まる ◆
■契約更改が26日に始まり、この日は交渉した5人が全員サインした。ドラフト1位入団の田中は、イースタン・リーグで1試合に登板しただけだったが、現状維持の年俸720万円で更改。現状維持は将来への期待が込められたもの。「ゲームに入っていけず悔しい。まずは結果を出さないと。来季はイースタンで春から先発ローテに入れるように頑張ります」と話した。また、同3位で即戦力と期待された長崎は、1軍では先発登板2試合にとどまり、200万円減の800万円でサインした。(金額は推定) 2001.10.28 |
◆ 石井獲得へ阪神が名乗り → 横浜に入団 ◆
■12月6日、横浜がロッテから自由契約になった石井浩郎内野手の入団を発表した。年俸5000万円+出来高払い3000万円の1年契約で、背番号は「3」。石井は、「拾ってくれた横浜に何とか恩返しをしたい。『現役をやっている間はレギュラーで』と常に思っているが、与えられた立場で精いっぱい頑張る」とコメントした。 2001.12.7 ■石井浩郎内野手の横浜入団が6日までに内定した。阪神、日本ハムとの争奪戦となったが、右の長距離打者を最大の補強ポイントとする横浜との交渉がまとまった。笹川博史運営部長は「いろいろな意味でチームを引っ張ってくれると思う。プラスアルファの部分も含めて評価は高い」と話した。正式契約は12月の見込み。 「体は大丈夫。(来季は)横浜のために少しでも役に立ちたい。本来は頭を下げて入団をお願いする立場なのに、いくつかの球団からお誘いがあって感謝している」(石井) 2001.11.7 ■5日、横浜がロッテを自由契約になった石井浩郎獲りへ始動した。横浜は「ウチにいないタイプ」とゾッコン。この日、入団に向けての交渉を持った石井は「横浜球団に聞いてください」と沈黙を守ったが、笹川部長は「石井本人から好感触を得ました」と、獲得に自信をのぞかせた。 2001.11.6 ■阪神は28日、石井浩郎内野手の獲得を目指していることを明らかにした。黒田正宏球団本部付部長が「(石井の獲得を)検討しています」と語ったもの。 2001.10.30 ■阪神が、ロッテから戦力外通告を受けた石井の獲得に乗り出すことが26日、明らかになった。今オフの補強ポイントとして長距離打者の獲得を目指している阪神にとって、石井の存在は大きい。来年は38歳となり、ここ数年も右太もも痛など故障が多かったが、首脳陣はチームに少ない右の長距離打者であることに加え、勝負強い打撃を評価。一塁手には広沢、八木をはじめライバルが多いが、石井自身もポジション争いは望むところ。獲得の可能性は大きい。また、FAで巨人・清原の獲得を目指している横浜も右の大砲不在から、石井に興味を示している。 2001.10.28 |
◆ 石井浩郎に戦力外通告 ◆
■ロッテは26日、石井浩郎内野手に戦力外通告したと発表した。若返りを目指すチーム方針のため、来季の戦力構想から外れた。石井は他球団での現役続行を希望している。 37歳の石井は昨季、巨人からトレードでロッテ入り。主砲として活躍が期待されたが、左手首骨折などのけがに苦しんだ昨季は10本塁打に終わった。今季はケガで開幕二軍スタート。4月に出場選手登録されたものの、成績不振で再び二軍落ち。右太ももや左わき腹の痛みに悩まされて、36試合で打率.253、3本塁打、12打点に終わった。浦和球場で練習後に石井は「やれる自信がある。それがなくなったら引退。受け皿があれば、まだまだ、という気持ちがある」と現役続行を宣言。今後は他球団からのオファーを待つ。川北球団本部長は「来季の戦力を分析した結果だ。トレードを模索?いろいろやった」と話した。 2001.10.27 |
◆ 館山キャンプはポジション争奪戦 ◆
■山本功児監督が25日、一塁と遊撃を除く6ポジションのレギュラーの座を白紙に戻し、29日から始まる秋季キャンプから若手、ベテランを問わずサバイバル競争を課すことを明かした。 深刻な得点力不足で今季5位に終わったチーム。各ポジションの競争意識の無さが敗因とされる。そこで指揮官は、首位打者を獲得した一塁・福浦と、俊足好守の遊撃手・小坂だけを「外すわけにはいかない」と早々に“当確”。一方、千葉・館山の1軍キャンプメンバーを若手中心に構成。他のポジションについては、生き残った若手野手をさらに千葉・浦和球場のベテラン居残り組と競わせることにした。 残留が決まっているメイについても「守備に難があるから」と右翼の座をはく奪。DHのボーリックと競わせることにした。この日の練習では信原と、広島からテスト合格した伊与田にノックを浴びせるなど、早くも戦闘態勢に突入している。 2001.10.27 |
◆ 館山秋期キャンプの日程発表 ◆
■24日、ロッテは千葉県館山市で行われる秋期キャンプの日程を発表した。期間は10/29(月)から11/16(金)。休日は11月2日(金)・7日(水)・12日(月)の予定。なお、移動日の28日は17:30から駅前で歓迎セレモニーが行われる。11月19日以降は浦和でピックアップ練習が予定されている。 2001.10.27 |
◆ 光山の中南米リーグ挑戦が微妙に ◆
■4日にロッテから戦力外通告を受け、プエルトリコのウインターリーグ挑戦を打ち出していた光山だが、入団先が決まらないために挑戦は微妙な状況となった。「外国人枠の関係で入団は難しそう。こっちでテストを受けることにした」と30日にナゴヤ球場で行われる合同トライアウト受験を決めた。この日はロッテ浦和球場で1人黙々とトレーニングに汗を流し「まだ野球をやりたい」と現役続行に意欲を見せた。 2001.10.26 |
◆ 寺原獲りはほぼ断念か・・・ ◆
■24日、ロッテが競合する寺原獲りを断念し、高校生大型野手獲得へ方針転換する可能性が大きくなった。 この日の面談には、川北智一本部長、広野功編成部長の球団編成部2トップと永野担当スカウトが出馬し、誠意を見せたロッテ。九州出身者が多く溶け込みやすい環境をアピールし、「ウチはモノとかじゃなく、球団の気持ちの部分での話をした。後半はジョニーの話で盛り上がった。ウチには他にも九州出身のコーチは多いからね。ウチに来ればジョニーが彼の兄さん役になると思う」(川北本部長)。しかし40分に及ぶ面談は「彼(寺原)からの質問はありませんでした」(同氏)という、お寒いものとなってしまった。 川北本部長は「球団の(指名したい)方針もありますが、彼自身の気持ちも大事にしたい」と話し、寺原の意中球団にエントリーされていない状況から、指名を避ける方針を固めた。 球団では「将来的な和製大砲の獲得」も、かねてからのドラフト補強での狙い。あくまでも「1位指名は育てる高校生」(同氏)とし、高校通算83本塁打の大阪桐蔭高・中村剛也内野手を筆頭候補に挙げている。同じ大阪で、2年生から4番を張るPL学園高の今江敏晃内野手や、巨人・松井の後輩として注目される大型スラッガー、星稜高・北野良栄捕手らも上位指名候補で、助っ人に頼らない、クリーンアップの和製化を目指す。 2001.10.25 |
◆ 寺本、山崎らが打者に挑戦 ◆
■野手転向プランが持ちあがっていた寺本の投手専任が決定した。今季は自己最高の12試合に登板したが秋季練習では打撃練習も行い山本監督も「投手と打者のどちらがいいかな」と頭を悩ませていた。9日、5%アップの年俸580万円でサインした寺本は交渉の席で投手続行を直訴。川北球団本部長から「左のワンポイントとして期待している」と言われ「変化球に磨きをかけたい」と来季のプロ初勝利を誓っていた。 2001.11.11 ■ロッテの若手左腕、寺本四郎投手(21)と山崎貴弘投手(23)が打者に挑戦することになった。1993年に投手で入団した福浦和也内野手(25)が今季、首位打者を獲得したこともあり、チームが「第2の福浦」発掘に本腰を入れることになった。 寺本は高知・明徳義塾高1年からクリーンアップに名を連ね、98年夏の甲子園大会などで4番兼エースとして活躍した。23日にはティーとマシンで打撃練習。醍醐二軍監督は「ちょっと見てみたけど、いいねえ。4番だっただけのことはある」と評価。山崎は、勝負強い打撃が信条。昨年のヤクルト時代、イースタン・ロッテ戦で安打を打ちまくり平野ヘッドコーチ(当時ロッテ二軍監督)の目に留まった。 「打撃練習をすれば腰のキレとかもよくなるしな」と山本監督。チームには前ヤクルトの高木晃次投手(33)が加入。藤田、加藤、川井ら左投手も充実してきただけに、若手左腕については投打を問わず可能性を探っていく。 2001.10.25 |
◆ 堀に年棒50%ダウンを提示 ◆
■球団から年俸の50%ダウンを提示された堀が今月中に、契約するかどうかの結論を出す。「戦力と考えているなら(金額が)違うんじゃないかと思う。正直、迷っている」という。1億500万円からの大幅ダウンで、この条件をのまなければ戦力外。じっくり考え答えを出すしかない。 2001.11.11 ■6日、堀が野球協約で規定された減額制限を大幅に越える50%のダウン提示を受けた。球団側はこれをのまない場合は、戦力外もしくはトレードすると通告。ベテランは厳しい選択を迫られた。 2001.11.7 ■ロッテが堀幸一内野手(32)に対して異例の年俸50%ダウンを提示する意向であることが、22日までに明らかになった。球団首脳が「(減額の)限度は30%だが、話し合いによっては50%もある」と話し、野球協約の限度額を上回る提示の考えを示した。 球団側はかねてから今オフの“厳冬更改”を示唆。特に、不振のベテラン勢に対しては断固とした姿勢で臨むつもりでいる。中でも堀は1998年にFA行使。現在は年俸1億500万円(推定)も今季は82試合(スタメン55試合)に出場し、打率.223にとどまった。 野球協約第92条「参稼報酬の減額制限」によれば、年俸1億円超の選手は30%減が限度だが、選手の同意があればその限りではないとしている。堀は「その時はその時。しようがないでしょう」と複雑な心境。一方、川北智一球団本部長は「話し合いでまとまらなければトレードもある。生え抜きにはこだわらないから」と語った。ロッテ一筋14年のベテランが、苦しい決断を迫られそうだ。 2001.10.24 |
◆ 小ネタいろいろ Part 3 ◆
●24日、中日が12球団の自由契約選手らを集めて再入団テストを行う合同トライアウト(30日、ナゴヤ球場)の参加選手を発表した。投手27、野手18の計45選手だが、阪神の入団テストに合格した3投手は参加しない見通し。ロッテからは小林渥司投手、光山英和捕手、小島大作内野手の3人が挑戦する。 ●24日、入団テストを見守っていた阪神・佐藤投手コーチは「テストを受けるような球じゃないね。今日の球が投げられるなら、どこの球団に行ってもローテに入れるよ」と横田を絶賛。 ●24日、阪神の入団テストに、元ロッテの横田久則(34)、川俣浩明(29)、元日本ハムの原田健二(25)の3投手が合格した。 ●23日、横浜、ロッテ、中日の3球団が、宮崎県日南市の日南学園高を訪れ、寺原隼人投手と面談。育成方針を説明した。寺原は「3球団ともいい印象を持った」と感想を話した。 ●22日、ドラフト1位指名を寺原から変更する可能性が出てきた。23日に川北球団本部長と広野編成部長が日南学園を訪ね、寺原本人らと面談するが、山本監督は「(指名して)ロッテに入ってくれるという脈があれば指名すればいい。ただ、ダメな時は作戦を考えないといけない」と話した。 ●で、ロッテからの3投手は阪神の一次試験を合格。24日の二次試験に参加する。他の合格者はBw木村、F原田の計5名。(Bw栗山は不参加) ●阪神が22日に鳴尾浜球場で所属球団から戦力外通告を受けた選手の入団テストを行う。参加するのは、ヤクルトの三上真司投手、大山貴広外野手、近鉄の加藤博人投手、オリックスの栗山聡投手、木村昌広投手、ロッテの横田久則投手、小林渥司投手、川俣浩明投手、日本ハムの原田健二投手の9選手。 |
◆ 武藤(M)と黒木(F)のトレードが成立 ◆
■19日、ロッテが千葉マリンで日本ハムから交換トレードで獲得した黒木純司投手の入団発表を行った。背番号は「19」。また、日本ハムも同日、東京都内の球団事務所でロッテから交換トレードで獲得した武藤潤一郎投手の入団発表を行った。背番号は「26」。 2001.10.20 ■ロッテの武藤潤一郎投手(32)と日本ハムの黒木純司投手(27)の交換トレードが成立し18日、両球団から発表された。 武藤潤一郎投手:「新しいところに行くので新人のような気持ちで頑張る。ロッテにはお世話になり学ばせてもらい感謝している」 黒木純司投手:「心残りはあるが、環境が変わることで新たな気持ちで投げられれば。(高校時代にバッテリーを組んだ黒木知の)取り組む姿勢を肌で感じることもできるし楽しみ。古巣に憎まれるくらい頑張る」 2001.10.18 |
◆ パ・リーグが来年の公式戦日程発表 ◆
■パ・リーグは16日、来年の公式戦日程を発表した。開幕日は3月30日で、近鉄-オリックス(大阪)、ダイエー-日本ハム(福岡)、西武-ロッテ(札幌)の3カード。初開催となる台湾での試合は、ダイエー-オリックス戦を5月14日に高雄、15日に台北で行う。海外での開催は、返還前の沖縄を除くと戦後初めて。サッカーのワールドカップが開催される6月は、日本が試合を行う日にパ・リーグの試合がないよう配慮されたが、準々決勝で日本が22日に試合を行う場合のみ日本ハム−ダイエー戦(高松)など2試合と重なることになる。 →→ <日程> 2001.10.17 |
◆ 於保、右手首を手術 ◆
■右手有鈎骨を骨折した於保浩己外野手が16日、横浜市内の病院で患部の骨片を除去する手術を受けた。全治まで約3か月かかる見込み。 2001.10.17 |
◆ FA資格選手を公示 ◆
■コミッショナー事務局が14日、FA資格を持つ64選手を公示した。ロッテからは酒井忠晴、平井光親、石井浩郎(01取得)、佐藤幸彦(01取得)、光山英和(自由契約)、本西厚博(現役引退)の6選手。FA権を行使する選手は、日本シリーズ終了の翌日から7日間(土、日、祝日を除く)以内に、在籍球団に行使の意思を文書で通知。同8日目にコミッショナー事務局からFA宣言選手として公示され、翌日から来年1月31日までに国内外の全ての球団と交渉を行うことができる。 2001.10.15 |
◆ 小ネタいろいろ Part 2 ◆
●17日、ヤクルトが高木晃次投手に戦力外を通告した。本人は現役続行を希望しており、この日からロッテの秋季練習に参加し、入団テストを受けている。 ●16日、ロッテは23日に行われる日南学園の寺原との面談にエース黒木を“投入”する。川北球団本部長は「彼は宮崎でしょ。うちの黒木と同郷だからね」と延岡学園出身の黒木の直筆の手紙やサイン色紙をプレゼントする計画だ。黒木も「寺原は凄いですよ。高校生で150キロなんて信じられない」と話し、その素質を高く評価している。 ●15日、11日1日に幕を開けるマスターズリーグ。その開幕戦、「東京ドリームス−札幌アンビシャス」(東京ドーム)の開幕投手に村田兆治投手(51)-東京-が指名された。 ●15日、成本年秀投手のカムバック賞受賞が決まった。97年オフ、右ヒジの手術を受けて以来、思うような結果を出すことができず、昨年ロッテから阪神に移籍。だが、今季は45試合に登板し、3勝1敗20セーブ(防御率2.34)の成績で見事にカムバックを果たした。 ●12日、池辺巌調査担当の退団と、園川一美調査担当のチームスタッフ転身が決まった。 ●12日、コスモスリーグ参加者を除く主力16人が、千葉マリンで秋季練習を開始した。前日に契約したばかりの高畠打撃コーチ(前Bw)も私服姿で練習を見学。「このチームはクリーンアップはしっかりしているから脇役の一流をつくりたい。特に小坂は3割を常時打ってもおかしくないはず」とコーチ生活28年のベテランは、今季.262に終わった小坂の再生を約束した。 ●12日、今季公式戦の全日程を終了したセ・リーグの観客動員数は昨年より0.6%減少し、1279万9500人(1試合平均3万0475人)となった。今季から140試合制となり試合数は全体で13増えたが、逆に観客数は減る結果となった。 ●ロッテは12日、江尻亮編成部長が今季限りで退団すると発表した。後任には広野功球団代表付部長が就任する。また、木樽正明チーフスカウトの退団も決まった。 |
◆ 他4投手も入団テスト ◆
■22日、テスト入団選手の背番号が発表された。高木晃次投手が「48」、山崎健投手が「46」、井上貴朗投手が「63」、伊与田一範内野手が「60」。 2001.10.23 ■20日、ロッテのテストに合格した井上貴朗投手が、虎風荘へ荷物整理とあいさつのため訪れた。「山本監督から『1軍戦力のつもりで獲ったから』と言われてうれしかった。阪神ではチャンスももらえなかったんで、向こうで爆発させます」と、新天地での飛躍を誓った。 2001.10.21 ■18日、入団テストを受けていたヤクルトの高木晃次投手、阪神の井上貴朗投手、広島の山崎健投手と伊与田一範内野手が合格したと発表した。4人は所属球団から戦力外通告を受けていた。 2001.10.19 ■14日、広島から戦力外通告を受け、テストを受けていた山崎健の合格が確実となった。2度目のブルペン投球に臨み、キレのいいボールを首脳陣に披露。山本監督は「いいボールを投げていたから取るよ。あの必死さがチームにいい影響を与えるはず」と期待を込めていた。 2001.10.15 ■ロッテが11日、千葉マリンで行われている秋季練習で、来季の戦力外通告を受けた広島の山崎健投手、阪神の井上貴朗投手、今季は米独立リーグに所属した佐野重樹投手、品田操士投手(ともに元近鉄)、根鈴雄次外野手(法政大卒/下記詳細)の入団テストを行った。合否は14日までに出る。 2001.10.13 |
◆ 米国放浪男が入団テストを受験 ◆
■ロッテが、根鈴雄次選手の獲得を断念したことが26日、明らかになった。根鈴は11日から1軍の秋季練習に参加。フリー打撃でさく越えを連発するなど首脳陣の評価は極めて高かった。しかし練習中に右手首をねん挫。故障の不安に加え、28歳という年齢が若返りをはかるチーム方針に合わず「獲得は白紙にしました」と広野編成部長。根鈴は今後、他球団でのテスト合格を目指すことになる。 2001.10.28 ■19日、入団テスト合格者4名(上記)が発表されたが、根鈴雄次外野手は右手首を捻挫したこともあり、合否は保留となった。 2001.10.20 ■根鈴雄次氏のテスト入団が内定。フリー打撃でサク越えを放つなどパワーをアピールし、山本監督から「合格」のお墨付きをもらった。「まだ(入団できるか)分かりませんが、内定をいただき良かった」。今ドラフトの指名を待って、正式に入団が決定する。 2001.10.13 ■異色経歴を持つ根鈴雄次氏(28)が入団テストを受けた。法大卒業後、渡米。エクスポズで3Aまで昇格し、今季は米独立リーグに所属した左打ちの外野手。既に日本ハムなど3球団を受験しており「緊張感のある中でやりたい」と、ロッテを最後の挑戦先として数日間、練習に参加する。夢を追いかける男の最後の願いが叶うか。 2001.10.11 |
◆ リフレッシュでケガ人撲滅 ◆
■29日、北陸体力科学研究所での人間ドックが始まった。「体のケアにも取り組んでほしい」という選手会の要望に球団が応じたもの。まずは第一班の5選手が胃カメラ、動体視力、心電図など約15項目を徹底チェック。「自分ではなかなかできないので、いいですね。でも、胃カメラきついよお」と小野は悲鳴。 また、石川入りした黒木は来季のタイトル総取りを誓い、「来季こそは、今年の前半戦のような戦いをフルに続けます」と力強く話した。8月以降はマウンドに立てずじまいだった今季を「6月にムリをした。思った以上に自分が弱かったんです」と反省。「ミンチーが防御率(のタイトル)を取ったし、晋吾も加藤も頑張った…」と、タイトルを何も取れなかった悔しさを来季のバネにする。11月2日に帰京後は、ロッテ浦和球場で2軍に合流。キャッチボール程度の練習を続ける。大事な終盤戦でファンの期待に応えられなかっただけに、来季は復活をかけたマウンドとなる。 2001.10.31 ■26日、オーバーホールの詳細(日程及び参加選手)が決定した。第一班は10/29〜11/1で参加選手は、吉田、薮田、小野、黒木、佐藤の5名。第二班は11/17〜21で参加選手は、小坂、酒井、清水将、福浦、清水直、小林雅の6名。 2001.10.28 ■球団が低迷の大きな原因となったケガ人の撲滅に乗り出す。主力選手約10人を「北陸体力科学研究所」(石川県小松市)でオーバーホールさせるもの。昨オフ、選手会長の黒木から出された要望に応えた。10月下旬に出発する予定で川北球団本部長は「心と体の両面からリフレッシュさせたい」と話している。施設は病院も併設されており、プールやジムで汗を流すほか、内臓検査から歯の治療まで行うなど、万全な状態で来季に備える。 2001.10.10 |
◆ マリーンズ来季スタッフ発表 ◆
一軍 | 二軍 | |
86山本功児 | 監督 | 82醍醐猛夫(←一軍ヘッドコーチ) |
81平野謙(←二軍監督) | ヘッドコーチ | ■ |
72小野和幸 | 投手コーチ | 84仁科時成(←一軍投手コーチ) |
79井上祐二(←二軍投手コーチ) | ■ | ■ |
75高沢秀昭 | 打撃コーチ | 74山下徳人(←一軍打撃コーチ) |
??高畠康真◇(←今季までBw打撃コーチ) | ■ | ■ |
71佐々木信行(←二軍総合コーチ) | バッテリーコーチ | 85袴田英利(←一軍バッテリーコーチ) |
73山中潔(←二軍バッテリーコーチ) | ブルペン担当コーチ | 70筒井良紀(←一軍ブルペン担当コーチ) |
76佐藤兼伊知 | 内野守備走塁コーチ | ??本西厚博○(←現役) |
80高橋眞裕(←二軍外野守備走塁コーチ) | 外野守備走塁コーチ | 78西村徳文(←一軍外野守備走塁コーチ) |
88荘勝雄 | トレーニングコーチ | 89池田重喜(兼寮長) |
--植村義信(←二軍投手コーチ) | アドバイザー | ■ |
(白坂契、大谷幸弘) | コンディショニング | ■ |
【退団】 秦真司(二軍打撃コーチ)、藤倉多祐(二軍内野守備走塁コーチ) |
○:新就任 ◇:復帰 青字 は01年のポストからの変更です。
◆ 小ネタいろいろ Part 1 ◆
●8日、コスモスリーグ及び秋季練習中のロッテ浦和球場(ファーム)の休日が10日(水)・16日(火)・20日(土)に決定。以降の休日は未定。 ●8日、近鉄の梨田昌孝監督が優勝の”公約”を果たし、通天閣を階段で登った。 ●7日、米大リーグは今季レギュラーシーズンの全日程を終了。ジャイアンツのバリー・ボンズ外野手が73本塁打の年間最多記録を樹立。1998年にマーク・マグワイア内野手(カージナルス)が記録した70本を3年で塗り替えた。史上最高の長打率.863は特筆に値する。日本人の野手では、マリナーズのイチロー外野手が首位打者(.350)、盗塁王(56)の2冠。メッツの新庄剛志外野手も主軸で.268と予想以上の活躍を見せた。投手陣ではレッドソックスの野茂英雄投手が220三振を奪い、2度目の奪三振タイトルを獲得。マリナーズの佐々木主浩投手はリーグ2位の45セーブを挙げた。 ●6日、ロッテは二軍の藤倉多祐コーチと秦真司コーチの退団を発表した。 |
◆ コスモスリーグに一軍選手が参加 ◆
■秋季練習は、一軍は9日から千葉マリン(後にロッテ浦和)、二軍はコスモスリーグの合間を縫ってロッテ浦和と振り分け練習を行うが、一軍選手のうち下記のメンバーは、コスモスリーグに参加することが発表された。 【投手】 渡辺俊、川井、山崎、小林宏、寺本 2001.10.7 −コスモスリーグの日程と結果− 10/ 8(祝) M-D ---- 雨天中止 すべてロッテ浦和球場、13:00〜 2001.10.28 |
◆ ファーム日本選手権は西武初優勝 ◆
■プロ野球のウエスタン、イースタンの優勝チームで争うファーム日本選手権が6日、愛媛の松山中央公園球場で行われ、西武が5−0で阪神を破り、初優勝した。西武は3回まで長短打を重ねて5点を奪った。投げては先発三井が7回を4安打無失点に抑え、帆足、大沼の完封リレーで逃げ切った。阪神は先発山岡が2回で降板、打線も5安打と振るわなかった。 2001.10.6 |
◆ パリーグ終了、個人タイトルは… ◆
■パ・リーグは5日、公式戦の全日程を終了。個人タイトルの獲得選手が決まった。 打撃部門では福浦(ロッテ)が.346で初の首位打者に輝いたのをはじめ、ローズ(近鉄)がプロ野球タイ記録の55本で2度目の本塁打王、ローズと打点王を争っていた中村(近鉄)は1差の132打点で2年連続してタイトルを手にした。7厘差で首位打者を逃した小笠原(日本ハム)は195安打で2年連続の最多安打。井口(ダイエー)は44盗塁で初の盗塁王となった。 投手部門では松坂(西武)が最多勝利と最多奪三振の2冠。最多勝は野茂(元近鉄、現レッドソックス)以来となる新人年からの3年連続で、高校からプロ入りした投手としては史上初の快挙。松坂は同時に15敗しており、パ初の「最多勝、最多敗」となった。最優秀防御率は3.26のミンチー(ロッテ)が昨年の戎(オリックス、3.27)に続く3点台での受賞。最高勝率は6割5分(13勝7敗)で田之上(ダイエー)が初受賞、最優秀救援は38セーブポイントでペドラザ(ダイエー)が2年連続獲得した。 ■初の栄冠を記念し、球団は千葉マリン名物の選手キャラクター弁当に福浦を加えることを検討中。また、すでに米国に帰国したミンチーは「後半戦は徐々に自分の持ち味が出せるようになった。最後の最後で、まさか防御率のタイトルを取れるとは思ってもみなかった」と球団を通じて、コメントを発表した。 2001.10.5 |
◆ パリーグの観客動員数、2.1%増 ◆
■5日に今季公式戦の全日程を終了したパ・リーグの観客動員数は、前年比2.1%増でリーグ新記録の1012万4000人となった。1997年以来2度目の1000万人到達。今季から5試合増えて140試合制になったことや、近鉄、ダイエー、西武の激しい優勝争いが観客増の要因とみられる。 |
主催試合 | 総入場者数 | 1試合平均 | 前年比 | |
近鉄 | 70 | 159万3000人 | 2万2800人 | +34.9% |
ダイエー | 70 | 308万7000人 | 4万4100人 | + 7.6% |
西武 | 70 | 169万4000人 | 2万4200人 | - 6.9% |
オリックス | 70 | 107万3000人 | 1万5300人 | -16.4% |
ロッテ | 70 | 130万1000人 | 1万8600人 | + 6.3% |
日本ハム | 70 | 137万6000人 | 1万9700人 | -10.5% |
計 | 420 | 1012万4000人 | 2万4100人 | + 2.1% |
2001.10.5 |
◆ 竹清、右肩の手術 ◆
■竹清剛治投手が横浜市内の病院で右肩関節唇損傷部を手術した。3週間の入院予定で投球再開までに3カ月かかる見込み。 2001.10.4 |
◆ 6選手に戦力外通告、本西は引退 ◆
■ロッテは本西厚博外野手ら6選手に戦力外通告したと発表した。本西は任意引退選手となるが、その他の光山英和捕手、ダイ(小島大作)内野手、横田久則投手、川俣浩明投手、小林渥司投手は他チームでの現役続行を希望している。 本西は1987年に阪急に入団し、強肩の外野手として1年目からレギュラーに定着。95、96年のオリックスのリーグ連覇にも貢献した。昨年、日本ハムからロッテに移籍した。 本西厚博: 「年齢的にも問題があるし、選手として自分にきっちりけじめをつけたい。39歳までできた自分を誇りに思う。他球団のテストも受けるつもりはない」 また、石井浩郎内野手にも戦力外通告を行うことが2日までに確実となっており、「チームの若返りを図ります。主力選手らも含めて考えている」という球団首脳の方針によるもの。石井は自由契約となり、他球団での現役続行を目指すことになる。戦力外通告は近日中にも行われる見通し。 2001.10.3 ■光山英和捕手が11月に開幕するプエルトリコのウインターリーグに挑戦することが明らかになった。光山は「18年間何も残せなかったけど、信念を持ってやってきたから後悔はない」と話したが、古巣・近鉄の優勝にも触発されて現役続行を強く決意。海外も視野に入れたうえで親友の野茂に相談したところ、中南米のウインターリーグを勧められた。光山は「日本でやれるのが一番。でも受け入れ先がないのなら」と日本でのプレーを希望しながらも、自由契約となり次第、プエルトリコへの売り込みを開始する。「野球をやれるんだったら地の果てまで行くつもり」(光山) 2001.10.3 |
◆ 福浦、首位打者が確定 ◆
■8年目の福浦が初の首位打者をほぼ確実なものにした。2位につける日本ハム・小笠原の前で4打数2安打、打率.346で今季を終了。小笠原も2安打したが、.339で全日程を終了。「自分自身驚いていてまだ実感はありません。眠れない日々が続いて本当に疲れました」とプレッシャーから解き放たれ、笑顔で最高のシーズンを振り返った。 昨季は9月半ばまで3割をキープしながら打率を意識するあまりにフォームを崩し、最終的には.296で終わった。その悔しさから今季は年末年始も休まずにバットを振った。ライバルの石井にも競り勝ち、開幕から不動の三番としてチームを引っ張った。打率をキープするために試合を欠場することも首脳陣は勧めたが「大丈夫です。出ます」と出場を直訴。この日も最後まで出場して見事に大輪の花を咲かせた。 7年間、パの首位打者を守り続けたイチローが米大リーグ移籍後、初の栄冠。福浦自身、そのイチローのフォームをお手本とし、2、3年前からビデオを取り寄せて研究している。「イチローさんは本当にすばらしかったんだな思う。自分も1年、1年勝負し、来年も頑張ろうと思う」 2軍打撃コーチ時代の94年、投手だった福浦を打者に転向させた山本監督は「本人の努力の結果です。本当に素晴らしい打者に成長してくれた。これで超一流の仲間入りをしたよ」と自分のことのように喜んだ。 2001.10.2 |
◆ 出身地別東西対抗戦は11月4日に ◆
■プロ野球の出身地別東西対抗戦は4日、東京ドームで行われ、東軍が6-5で西軍に逆転勝ちした。最優秀選手には、8回に逆転3ランを放った大島(オリックス)が選ばれた。西軍は福留(中日)の2打席連続ソロや、中村(近鉄)の2ランなど一発攻勢で主導権を握っていたが、東軍は8回に5安打を集めて一気に逆転した。マリーンズ勢は小坂、福浦(五番2安打)、加藤(中村に看板直撃弾)が出場、山本監督はコーチとしてベンチに入った。 2001.11.5 ■日本野球機構が、プロ野球出身地別東西対抗戦の出場選手を発表した。今季のタイトルホルダーなどを中心に各24選手が出場。東軍がダイエーの王貞治監督、西軍が広島の山本浩二監督が指揮を執る。マリーンズからの出場選手は、投手:加藤康介、内野手:小坂誠、福浦和也、の3選手で、いずれも東軍からの出場。 2001.10.18 ■日本野球機構が、出身地別東西対抗戦を11月4日に東京ドームで開催すると発表した。監督、選手が出身地によって東軍(北海道から中部地方)と西軍(近畿地方から沖縄)に分かれて試合を行う。出場選手は各24人で、今季の表彰選手やオールスターゲーム出場選手、ワールドカップの日本代表選手を中心に選抜される。 2001.10.1 |
◆ パ・リーグ東西対抗戦は11月3日に ◆
■パ・リーグの東西対抗が3日、静岡・草薙球場に2万4000人の観衆を集めて行われ、東軍(西武、ロッテ、日本ハム)が3本塁打を含む全員安打の猛攻で西軍(近鉄、ダイエー、オリックス)に11-2(5回降雨コールド)で圧勝した。通算成績は西軍の9勝5敗1分け。最優秀選手には東軍のカブレラ(西武)が選ばれた。 東軍は1回にカブレラの2点本塁打で先制すると、2回には和田(西武)の2ラン、小笠原(日本ハム)の3ランなどで一挙6点。降雨のため5回終了後にコールドゲームとなったが、16安打で11点を奪って大勝した。投げては先発の松坂(西武)が2回を無失点。西軍の吉岡(近鉄)が3年連続の本塁打を放った。 2001.11.4 ■パ・リーグは1日、東西対抗戦の予告先発投手を発表した。東軍は松坂(西武)、西軍は星野(ダイエー)が登板する。 2001.11.2 ■パ・リーグは16日、東西対抗戦の陣容を発表。選手は東軍、西軍ともに22選手で構成され、東軍からL松坂、M福浦、F小笠原、西軍からはBuローズ、H小久保、Bw谷らが出場する。西軍は王監督、東軍は先に発表された東尾前西武監督に代わり山本監督が指揮を執る。L伊原、Bw石毛両新監督が初めてユニホーム姿を披露する。 2001.10.17 ■マリーンズからの出場選手は、投手:小野晋吾・小林雅英、捕手:清水将海、内野手:小坂誠・サブロー・酒井忠晴・福浦和也、外野手はナシで、コーチを山本功児が務める。 2001.10.3 ■パ・リーグは東西対抗戦を11月3日に静岡県営草薙球場で開催すると発表した。西武・東尾監督率いる東軍(西武、日本ハム、ロッテ)は松坂、小笠原、黒木ら、ダイエー・王監督率いる西軍(近鉄、オリックス、ダイエー)は中村、谷、小久保らが出場する予定。全出場選手は10月中旬に発表される。 2001.9.5 |
◆ シーズン中のドラフト関連の話題 ◆
■千葉マリンスタジアムでスカウト会議を開き、今秋のドラフト会議で宮崎・日南学園高の寺原隼人投手を1位で指名することを決めた。数球団の競合になるとみられているが、川北智一運営部長は「何十年に1人の投手。指をくわえて見ているわけにはいかない」と獲得に意欲を見せた。 2001.9.18 ■今秋のドラフトで石川・星稜の北野良栄捕手を指名する意向を固めていることが明らかになった。同捕手は甲子園出場経験はなく、中央球界では無名の存在ながら高校通算30本塁打以上放った左打ちの好打者。球団関係者は「補強ポイントは打てる野手。(北野は)あまり知られていないけど、かなり打つと聞いている」と話した。チーム打率がリーグワーストの.253と攻撃面のテコ入れが急務であることから打撃力のある野手を中心にリストアップしていた。 ◆北野 良栄(きたの・よしはる)1983年10月13日生まれ。17歳。石川県出身。右投左打。星稜中時代に全国優勝。今春まで高校通算35本塁打。今夏の県大会では2本塁打も、決勝で金沢に敗退。183センチ、82キロ。血液型B。 2001.8.22 |
◆ 12球団の監督の動向 ◆
パ・リーグ | |||
近鉄 | 梨田昌孝 | 続投 | |
ダイエー | 王貞治 | 続投 | 新たに2年契約 |
西武 | 東尾修 | → | 伊原春樹(1年契約) |
オリックス | 仰木彬 | → | 石毛宏典(3年契約) |
ロッテ | 山本功児 | 続投 | 契約延長(1年) |
日本ハム | 大島康徳 | 続投 | 3年契約の3年目 |
セ・リーグ | |||
ヤクルト | 若松勉 | 続投 | |
巨人 | 長嶋茂雄 | → | 原辰徳(ヘッドコーチから昇格) |
横浜 | 森祇昌 | 続投 | |
広島 | 山本浩二 | 続投 | |
中日 | 星野仙一 | → | 山田久志(ヘッドコーチから昇格) |
阪神 | 野村克也 | → | 星野仙一(1年契約) |
◆ 戦力外通告 ◆
来る人があれば去る人も・・・ 第二の人生に幸多かれ
■ | ■ | 年齢 | 通告日 | その後の進路 |
【投手】 | ジェフ・クベンカ | 27 | 01.09.24 | 不明 (米球界復帰希望) |
【外野手】 | 本西厚博 | 39 | 01.10.03 | 任意引退〜二軍コーチ |
【捕手】 | 光山英和 | 36 | 01.10.03 | 中南米リーグ参加不可→ 合同トライアウト不合格→ 2月中旬メキシカンリーグの入団テスト→ 3月、横浜へ入団 |
【内野手】 | 小島大作(ダイ) | 26 | 01.10.03 | 中日の入団テスト不合格→未定 |
【投手】 | 横田久則 | 34 | 01.10.03 | テストで阪神へ入団 |
【投手】 | 川俣浩明 | 29 | 01.10.03 | テストで阪神へ入団 |
【投手】 | 小林渥司 | 29 | 01.10.03 | 阪神不合格→合同トライアウト不合格→ 父親経営の飲食店に就職 |
【内野手】 | 石井浩郎 | 37 | 01.10.26 | 自由契約→横浜へ入団 年俸5000万円+出来高3000万円・1年契約 |
◆ 退団 ◆
■ | ■ | 年齢 | 発表日 | その後の進路 |
【内野手】 | 松本尚樹 | 31 | 01.11.27 | ロッテ・球団スカウト(関西担当) |
◆ 2001年千葉ロッテマリーンズ ご声援ありがとうございました ◆
3年連続の掲載になりますが、最終戦(10/2)で配布された印刷物による選手からファンへのメッセージです。
諸処の事情で来られなかった方、貰えなかった方にもぜひ。(順不同)
◆ ◆ ◆
山本功児 | : | ファンの皆様一年間御声援本当にありがとうございます。皆様方の期待に応えることが出来なく申し訳なく思っています。これからもよろしくお願いします。 |
黒木知宏 | : | 一年間ご声援ありがとうございます。自分自身ケガを治し、来年は一年間フル回転出来るようにし、優勝に向かって頑張っていきたいと思います。この先も後押しよろしくお願いします。 |
小坂誠 | : | ファンの皆さんに支えられながら野球ができる事に喜びを感じ、また皆さんとチームの勝利をともに味わえる様、今後共精進していきたいと思います。今シーズンも沢山の御声援ありがとうございました。これからも宜しくお願いします。 |
小林雅英 | : | 1年間応援ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。 |
堀幸一 | : | 一年間応援ありがとうございました。今後もよろしく! |
初芝清 | : | 今年も熱い熱い応援ありがとうございました。ロッテの応援は最高です! |
福浦和也 | : | 一年間応援本当にありがとうございました。来年もがんばりますのでよろしくおねがいします。 |
小野晋吾 | : | 一年間応援ありがとう。来年こそ... |
加藤康介 | : | 応援ありがとうございました。1年目で何もわからず緊張していた僕を助けてくれたのは、あの応援のおかげでした。来年も頑張るのでよろしく! |
ミンチー | : | MARINES FANS ARE THE BEST IN BASEBALL. THANKS FOR SOME GREAT MEMORIES IN 2001. LET'S WIN THE CHAMPIONSHIP IN 2002. |
酒井忠晴 | : | 一年間すばらしい応援ありがとうございました。来年こそ頑張りますのでまたよろしくお願いします。 |
藤田宗一 | : | 一年間応援ありがとうございました。来年もがんばります。 |
清水将海 | : | 12球団で1番の応援ありがとうございました。 |
渡辺正人 | : | 今年も1年間応援ありがとうございました。来年も応援よろしくお願いします。来年は1年間通してずっと1軍にいれるよう頑張ります。 |
橋本将 | : | 1年間応援ありがとうございました。来年は年間通して一軍に帯同出来る様に頑張りますので応援よろしくお願いします。 |
藪田安彦 | : | 1年間ありがとうございました。来年も一生懸命がんばりますので応援よろしくお願いします。 |
本西厚博 | : | 一年間応援ありがとうございました。来年こそはファンのみなさんの期待に必ずお応えしたいと思います。 |
川井貴志 | : | いつもいつも温かい応援ありがとうございます。来年もがんばりますので応援よろしくお願いします。 |
渡辺俊介 | : | 素晴らしい応援ありがとうございました。来シーズンは声援にふさわしい活躍が出来るように頑張ります。 |
松本尚樹 | : | 一年間応援ありがとう御座いました!そしてお疲れ様でした! |
和田孝志 | : | 一年間応援ありがとう |
佐藤幸彦 | : | いつも素晴らしい応援ありがとうございます。これからもよろしく。 |
サブロー | : | 今年も熱い応援ありがとうございました。来年こそは自分もチームも頑張りますので今まで通り”熱い熱い応援”よろしく! |
大塚明 | : | 一年間応援ありがとう。来年もがんばりますので応援よろしくおねがいします。 |
シコースキー | : | THANK YOU FOR ALL YOUR SUPPORT. BEST WISHES ! |
清水直行 | : | 一年間応援ありがとうございます。来年も応援して下さい。 |
椎木匠 | 今年一年間応援ありがとうございました。来年はぜひ開幕から一軍のマリンスタジアムで頑張りたいと思います。これからもヨロシク! |