ユーロ・トラッシュの監督たち
Directors of EURO-TRASH MOVIES


<50年代〜>

●リカルド・フレーダ/Riccardo Freda
・・・M・バーヴァの師匠的存在として、その名を知られる
フレーダだが、監督した作品はイタリアン・ホラーと言うよりは、
アメリカやイギリス製の怪奇映画という雰囲気の方が強い。
生涯病気がちで、現場ではスタッフ・キャスト構わず当たり散らす
相当困った性格のディレクターだったようで、60'sホラー・クイーンの
バーバラ・スティール曰く「10代の若妻を撮影現場に連日伴って現れた」とか。
「吸血鬼」のジャンナ・マリア・カナーレと結婚していたという説もある)
1909年2月24日、エジプトのアレキサンドリア生まれで、伝説的なネタには
事欠かなかった人物。イタリアン・ホラーの幕開けとなった
「吸血鬼」
監督として有名だが、ジョージ・リンカーンやロバート・ハンプトン等の
変名も用いて、「
灰色の罠()」(51)、「転落の罠(未)」(52)、
「吸血鬼」ジャンナ・マリア・カナーレ、イレーネ・パパスが出演した
「テオドラ」(54)等を発表。その他に「快傑白魔
」(59:監督/脚本)
「シーザーの黄金
「ロミオとジュリエット監督/脚本)」(共に64)、
「追撃イスタンブール要塞
(66)「オーウェルロックの血戦()」(67
監督/脚本
)などが日本でも紹介されている。
日本での公開作は多くないが、80年代に入っても監督としては現役で
「MURDER OBSESSION」など 死ぬ直前まで奇妙なホラーを作り続けていた。


<60年代〜>

●マリオ・バーヴァ/Mario Bava
・・・60年代を代表する偉大なディレクター。
度が過ぎるほどシャイな性格だったらしく、生涯イタリアから
離れることはなかった。恐らくバーヴァはイタリアで最も素晴らしい
娯楽映画監督の一人であることは間違いない。
アルジェントの「インフェルノ」でオプチカル効果を手掛けたのが
彼の最後の仕事になった。1914年7月31日サンレモ生まれ。
1980年4月25日に突然の心臓発作で死去。享年65歳。
健康診断で全く異常なしの健康体と云われた3日後のことだった。
監督としての劇場作品の遺作は
「ザ・ショック」(77)。

マリオ&ランベルト・バーヴァ・サイト、準備中!

 

●マリオ・カイアーノ/Mario Caiano
・・・日本ではイマイチ馴染みの薄いカイアーノは60年代に
B・スティールの「亡霊の復讐(TV)」を発表した監督。
スタイリッシュな画面作りが素晴らしい作品だったが、
70年代以後は主にTVでの活躍を中心にしてしまったようだ。
1933年2月13日生まれ。マカロニウエスタンの監督としても
数本日本劇場公開作がある。



●マッシモ・プピロ/Massimo Pupillo
(マックス・ハンター(ハント)/Max Hunt(er)
・・・同じくTVで「惨殺の古城」(66)が放映されただけのプピロも
日本では馴染みがない監督だが、海外のマニアの間では
ちょっとしたネーム・ヴァリューを持っている人物。
活動したのは60年代いっぱいのようだが、俳優として画面に
顔を出すこともしばしばあったようだ。また
マックス・ハンターという
変名を用いて監督をしたため、同じ様な作品に関わった
ラルフ・ズッカー(実在する別人)と混同している資料が多い。


<主な日本公開関連作>
「女体テクニック全集」(70)、「バトル・コマンド/熱砂の大作戦」(72)、
「デビルズ・ウェディングナイト(V:脚本のみ)」(73)


●レナート・ポルセリ/Renato Polselli
・・・イタリアン・ホラーとしては、ごく初期に製作された1本、
「吸血鬼と踊り子」(60)を監督し、ホラー映画のマエストロの
一人として有名になったディレクター。

1922年2月26日、イタリアのアルチェ生まれ。
ラルフ・ブラウン(ややこしい!)や、レオニーデ・プレストンという変名も使う。
全洋画の表記はレナート・ポルセッリになっている。

ポルセリの監督デビューは52年の「Ultimo Perdono」だが、
やはりターニング・ポイントは59年末から60年初めにかけて撮られた
「吸血鬼と踊り子」だろう。さり気ないエロティシズムを漂わせた
黒白画面がイタリアン・ホラーの萌芽を感じさせて清々しかった。
しかし70年代に入ると(時流がら?)一気にストレートな
エロティック描写が横溢する変態系オカルト・スラッシャー映画に傾倒、
中でも72年の「Delirium」、「Riti, Magie Nere e Segrete Orge nel
Trecento」の2本はカルトとして持てはやされている。

2本とも60年代からイタリアン・ホラーに出演していたハンガリー生まれの
マッチョ俳優、ミッキー・ハガティを主役に据えた物で、「Delirium」は
彼がナチの残党医師に扮し、大虐殺を繰り広げるお話。
「Riti〜」の方は、妻を黒魔術で失ったハガティが、古城に集まった
若者達を生け贄に捧げようとする内容だが、あまりに幻想的?で
見終わっても意味が良く分からなかった。

この時代の監督の特徴なのか、ポルセリも俳優として
画面に登場しており、65年の「Son of a Gunfighter」では
保安官役を演じているという。

<主な日本公開関連作>
「吸血鬼と踊り子(TV:脚本も)」(60)、「衝撃のドキュメント/
発禁ポルノの世界(脚本も)」(73)

 

●ピエロ・レニョーリ/Piero Regnori
・・・ポルセリの「吸血鬼と踊り子」(60)と並ぶ吸血鬼映画の古典
「グラマーと吸血鬼」(63)を監督。当時としては大胆なヌード場面を

挿入したり、残酷なシーンを取り入れたりと先見の明があった人物。
時としてディーン・クレイグ、マリオ・ピエロッティなどの変名を使う。
R・フレーダの「吸血鬼」(59)では助監督も務めていたようだが、
M・バーヴァと違って飛び入り演出はしなかったのだろうか?気になる。

監督デビューは57年の「La Chiamavan Capinera」で、
70年代いっぱいまでは数本の監督作があるが、特にホラーでは
ないようだ。彼がこのジャンルで活躍し始めるのは80年代に入って、
主に脚本家としてクレジットされるようになってから。
元々自作の脚本を書いたり、F・ネロ主演の「猟奇連続殺人」(66)を
ディーン・クレイグ名義で担当したりしていたが、80年代以降には
A・ビアンキのカルト・ゾンビ映画「ゾンビ3」、M・ビアンキのエロティック・
ポゼスト物「Bimba di Satana」、U・レンツィの「ナイトメア・シティ」、
そして
マリオ・ランディのウルトラ・ゴア映画「Patrick Vive Ancora」
(以上、全て80年作品!)
更に後期のフルチ映画「新・デモンズ」(90)、
「地獄の門2」(92)などの脚本を担当、怒濤の快進撃?を見せ、
彼の名を知る数少ないオールド・ファンを驚かせた。


<主な日本公開関連作>(「グラマーと吸血鬼」以外は全て脚本担当作)
「グラマーと吸血鬼」(63)、「ナホバ・ジョー」(66)、「マッチレス」(66)、
「栄光の戦場」(69)、「白い牙(TV)」(73)、「レプリコップ/未来刑事」(85)

 


ジョルジョ・フェローニ/Giorgio Ferroni
・・・「生血を吸う女」(61)や
「悪魔の微笑み」(72)での叙情溢れる
演出ぶりが素晴らしかった職人監督。1908年4月12日、
イタリアのペルージャ生まれ。ジュリアーノ・ジェンマと組んだ
ウェスタンでヒットを飛ばし、日本でも数本がビデオ化されている。
他にもジェンマが主演した「炎の戦士:ロビン・フッド」(70)が
国内版で見ることが出来る。
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<主な日本公開関連作>
「バッカスの狂宴(脚本も)」(61)、「大城砦(脚本も)」(62)、
「荒野の1ドル銀貨(脚本も)」(65)、「地獄のランデブー(原案も)」(66)、
「さいはての用心棒」(66)、「荒野の一つ星」(67)、
「必殺の二挺拳銃」(68)、「砂漠の戦場エル・アラメン」(68)、
「炎の戦士ロビン・フッド(V)」(70)


<70年代〜>

●アントニオ・マルゲリティ
(アンソニー・M・ドーソン)
/
Antonio Marghriti
・・・60年代にE・A・ポーを原作にした「幽霊屋敷の邪淫」や、
古典として名高い「顔のない殺人鬼」等のゴシック・ホラーを発表、
80年には「地獄の謝肉祭」でゾンビファンの度肝を抜き、その後も
元気に?活動を続けるユーロ・トラッシュの現役監督。
彼の作品には安い特撮撮影がやたらと登場するため、
ミドルネームの<M>はミニチュアの略だという冗談もあった。
ヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ」などに登場した同姓同名の
イギリス俳優は全くの別人。ドーソンには俳優のキャリアはない。
1930年9月19日生まれ。息子エドアルドも映画関係の仕事をしている。


ルチオ・フルチ/Lucio Fulci
・・・59年にコメディ映画「盗賊たち」で監督としてのキャリアをスタート。
リカルド・フレーダやステーノら、娯楽の巨匠達の作品で助監督を
経験したキャリアを生かし、当初はブラックな笑いを利かせた
コメディ映画やミュージカルを量産していた。そんなフルチが日本に
初めて紹介されたのはフランコ・ネロ主演の「真昼の用心棒」(65)から。
フルチは計3本のウェスタンを撮ったが、中でも74年の「荒野の処刑」は、
一般的な評価は低いが傑作である。


69年にはかねてから興味のあったジャーロ映画ジャンルへ進出、
ドンデン返しが鮮やかな「女の秘め事(未)」を発表、この路線は
「幻想殺人」(71)「マッキラー」(72)「ザ・サイキック」(77)へと継承される。
また「女の秘め事」に続けて、フルチは史実に基づいた
「ベアトリス・チェンツィ」を撮り上げる。この映画はフルチ最大の野心作
だったが、観客には受け入れられず、以後フルチは映画にメッセージを
込めるのを一切止めたそうだ。

やがてフルチは映画に強烈な暴力描写を織り込むようになり
G・ロメロの「ゾンビ」を下敷きにした「サンゲリア」の世界的大ヒットにより
ホラー映画の監督として一気に名前を売ることになる。
更に折良く80年に入ると爆発的なゴア映画ブームに到来。
数々の名作/迷作を発表。カルト監督として人気があったが、
96年3月13日に糖尿病から来る発作で死亡。ファンを悲しませた。
その死にはミステリアスな部分があり、毎晩糖尿病の為に
インシュリンを打つ習慣があったフルチは、死んだ晩に限って
注射をせずに休んでしまったらしい。一部では自殺だったのかも
しれない、という噂があったことを付け加えておく。

変名はあまり使わない(後期は特にフルチ・ブランドが確立された為?)
監督だったが、それでもルイス・フラー(Louis Fuller)や、
ルシル・フォロン(Lucille Folon)、サイモン・キッティ(H.Simon Kitty)などの
名前を使い分けていたという資料が残っている。1929年6月17日ローマ生まれ。


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ウンベルト・レンツィ/Umberto Lenzi
・・・60年代初め、海賊映画で監督としてのキャリアをスタート。
乾いたタッチのバイオレンス描写が上手く、70年代には
流行の
ジャーロとマカロニ・アクションで手腕を発揮した。
ファンには人喰い映画3部作で特に有名だが、
本人は戦争映画の方が自分の本領だと思っているらしい。
1931年8月6日生まれ。

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●ロモロ・グエリエーリ/Romolo Guerrieri
・・・イタリアン・
ジャーロの幕開けとなったC・ベイカー主演の
「デボラの甘い肉体」(67)を監督した人物。
どうやら演出力の方は大したことがなかったらしく、
その後はC級アクション監督という立場に甘んじていた。
マリーノ・ジロラーミが兄弟に当たり、彼の息子
エンゾ・G・カステラーリは甥に当たる。
どうもヘボ監督?一家の血筋のようだ。



●プーピ・アヴァーティ/Pupi Avati
・・・
ジャーロ映画の傑作と誉れ高い「笑む窓のある家」(76)を監督。
「ジャズ・ミー・ブルース」など一般映画でも中堅ランクの作品を
発表する傍ら、イタリア版「ペット・セメタリー」風の「ゼダー:
死霊の復活祭」なんてホラー映画まで撮ってしまう頼もしさ。
(若干、演出がスロー・ペースな気もするが・・・)
兄弟関係にあるアントニオと組む事が多く、L・フルチの
「ブリアンザのドラキュラ」や、L・バーヴァの「首だけの情事」には
脚本でも参加している。新作の「オーメン:黙示録」がビデオ化された。



パオロ・(C・)カヴァーラ
/
Paolo (C) Cavara
・・・60年代から70年代にかけて、世界中で大ヒットしたモンド映画群で
G・ヤコペッティと組んで、何本ものヒット作を連発。更に67年に
自らの姿を揶揄した内容の監督デビュー作?「野生の眼」を放ち、
世間を驚かせた。脚本家としても活躍している。
「タランチュラ」(70)「濡れたダイヤ」(76)等の
ジャーロ映画でもお馴染み。
1926年7月4日イタリアのボローニャ生まれ。
1982年の8月7日にローマで死去。
息子も映画人として活躍中。

<主な日本公開関連作>
「ゼロの世代(監督デビュー?)」(64)、「ロス・アミーゴス(監督・脚本)」(73)、
「今のままでいて(原作)」(76)


●セルジョ・マルティーノ
/
Sergio Martino
・・・50年代は脚本家をしていたマルティーノの監督デビューは
意外にも遅く、69年。しかしその遅れを取り戻すかのように
あらゆるジャンルでヒット作を次々に発表。特に70年代中頃に
兄ルチアーノの恋人だったE・フェネシュと、彼らの従兄弟
G・ヒルトンを主役に起用した
ジャーロ映画群で気を吐いた。
またスラッシャー色が濃厚な日本劇場公開作「影なき淫獣」を初め、
「パニック・アリゲーター」、「ホゥーリーマウンテンの秘宝」など
マルティーノ独特のクールな演出には隠れファンも多い。
ジュリアン・ベリー(主に脚本家として)、マーティン・ドールマン、
クリスチャン・プラマー等の変名を用いて映画を撮ることもある。
1938年7月19日、ローマ生まれ。


 

●アルマンド・クリスピーノ
/
Armando Crispino
・・・クリスピーノはそれほど多作ではないが、M・ファーマーを
ヒロインに起用した
「炎のいけにえ」(74)が忘れがたい監督。
60年代を助監督や脚本家として過ごしたクリスピーノは
66年に監督として一人立ちし、70年代の中頃まで映画を
発表し続けていたが、その後キャリアが途絶えてしまった。
彼のキャリアの中には、アルジェントが脚本を書いた戦争映画
「地獄の戦場:コマンドス」もある。
現在はTVのディレクターやCM関係の仕事をしているらしい。
映画監督としてはやや繊細で、頭が良すぎるという評判もある。
1925年10月18日、ビエラ生まれ。





マッシモ・ダラマーノ
/
Massimo Dallamano
・・・50年代の頭から娯楽映画を監督し続けていたダラマーノは
マカロニ・ウエスタンの黄金期を経て、70年代の
ジャーロ
その真価を発揮する傑作「Solange?」を発表。
「毛皮のヴィーナス」や「ドリアン・グレイ:美しき肖像」など
しっとりしたエロティック描写が満載の作品が得意なようだ。
自作を始め、数本の映画に脚本家としても関わっている。
1917年4月17日にミラノ生まれ。1976年、11月4日に
バイク事故で死去。

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アントニオ・ビドー/Antonio Bido
・・・何と言ってもアルジェントの後継者として有名だったビドー。
70年代に発表した2本の
ジャーロ映画「ソラメンテ・ネロ」
「美人ダンサー襲撃」は隠れた名作としてファンの間で評価が高い。
脚本家として、また監督としてもポツポツと活動を続けているようだが、
やはり彼は<知る人ぞ知るディレクター>の域を出ていない・・・。
生年月日は今のところ不詳。

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アマンド・デ・オッソーリオ
/
Amando de Ossorio
・・・
「エル・ゾンビ:落武者のえじき」「髑髏軍団美女虐殺」等の
<ブラインド・デッド>シリーズで有名なスペイン怪奇映画の大御所。
日本ではマイナーの域を出ないが、独特のタッチにはファンも多く、
当然海外ではカルト監督の栄誉を欲しいままにしている。
生年月日は不詳だが、ポルトガルの出身。50年代から活動を始め、
特殊効果・脚本家としても活躍。84年の怪獣?映画「Serpiente de
mar」を最後に映画界から引退、その後死去したらしいと噂が流れたが、
実際はまだピンピンしているとか。
グレゴリ−・グリーンズ、アルベルト・マン、アマンド・オッソーリ等の
変名も用いていたようだ。






●アルベルト・デ・マルティーノ
/
Alberto de Marrtio
・・・ダマートがキャメラを担当したファンタスティックな
エクソシスト映画「レディ・イポリタの恋人:夢魔」(74)を監督した
実力派娯楽映画ディレクター。カナダ映画と宣伝された
「ビッグマグナム77」(76)も実はマルティーノの監督作。
彼の父親はメイキャップ・アーティストで、マルティーノ自身も
子役として映画界に足を踏み入れたのだという。
サスペンスや
ジャーロも得意で、D・ウォーベックを起用した
「殺しの方程式:サイコ・キラー」(85)や、超能力を絡めた
「ブラッド・リンク」(85)で楽しませてくれた。他にも
「荒野の10万ドル」「シシリアン・マフィア」「続シンジケート」等の
監督作品がある。変名としてマーティン・ハーバートも使う。
1929年6月12日、ローマ生まれ。


 

●エディ・ロメロ/Eddie Romero
・・・永遠のカルト映画「Mad Doctor of Blood Island」(68)で
有名なフィリッピン?の娯楽監督。本来ならユーロ・トラッシュの
範疇から外れるものの、どうしても加えずにはいられなかった・・・。
P・グリアーが怪物女を演じた「トワイライト・ピープル」が
「半獣要塞Dr.ゴードン」という題名の日本版ビデオで見られるが、
資料によれば、他にも数本の映画がビデオで見られるようだ。

エドガー・ロメロなる変名も用いる。

「残酷の人獣」で監督を担当したジェラルド(ゲリー)・デ・レオンとは
コンビを良く組んでいた様子。この2人は局地系ホラー監督のようだ。

<主な日本公開関連作>
「残酷の人獣(製作)」(59)、「5番街を手術しろ(脚本)」(59)、
「ウーマン・ハンター(V:製作も)」(72)、「謎のアトランティス(V:製作も)」(73)、
「セクシー・ソルジャーズ(製作も)」(74)、「われらフィリピン人」(76)、
「ゴリラフォース(V)」(88)、「脱走半島/ベトナム1983(V)」(89)


●ジェス・フランコ/Jess Franco
・・・ユーロ・トラッシュのビッグ・ネーム。1930年、マドリッド生まれ。
ドキュメンタリー映画の製作を経て、60年頃から劇映画に転向、
「美女の皮をはぐ男」(61)、「マルキド・サドのジュスティーヌ」(68)は
当時大変なセンセーションを巻き起こした。以来、数多くの娯楽
映画を発表、フィルモグラフィはかなりの本数に上る。しかし
作品の出来にはかなりバラつきがあり、「ブラッディ・ムーン」や
「フェイスレス」、「女体拷問人グレタ」はあんなに面白いのに、
ダメな映画はとことんダメ、というのが本当に不思議な監督だ。
マリアンジェラ・ジョルダーノがオペラ歌手!に扮したゴア映画、
「キラー・バービーズ」に続いて、長年のパートナー、リナ・ローメイも
起用した新作がだいぶ前に完成していたはずだが・・・。
スペインではアンクル・ジェスの称号でかなり人気があるとか。
今後の研究?課題として興味深い人物。





●ポール・ナッシー/Paul Naschy
・・・スペインを代表する怪奇俳優/監督。1940年9月6日、
マドリッド生まれ。狼男ヴァルドマール・ダニンスキーの
シリーズ物を始め、出演作は相当な本数に上るが、
日本で見られる映画はそれほど多くない。
ただ日本とは妙に関係が深く、日本のホリ企画の出資で作られた
「残虐!饗宴の館」や、ドキュメンタリー(監督を担当)作品も数本ある。
本名はハシント・モリーナ。




●アンドレア・ビアンキ/Andrea Bianchi
・・・「性夢の館」(85)「聖少女アンジェラ:官能のロンド」(86)など、
基本的にはエロティックな映画が得意な?A・ビアンキだが
ユーロ・トラッシュ・ファンにとっては何と言っても「ゾンビ3」(80)を
撮った監督、という印象が強い。
それ以前にもE・フェネシュが主演した残虐
ジャーロ「Strip Nude for
Your Killer」(75)や、エロティックなオカルト物「Malabimba」(79)を
発表しており、ゴア描写もわりと得意な方なのかも知れない。
変名でアンドリュー・(B・)ホワイト(そのまんま英語訳!)を用いる場合もある。
因みにフルチがプレゼンツした「Massavre(未)」を監督、同じシリーズで
「新・ゾンゲリア」がIMDbにクレジットされているが、実際は同じイタリア監督
のマリオ・ビアンキが監督したようだ。2人は血縁的に何の関係もない別人。

1925年3月31日ローマ生まれ。

<主な日本公開関連作>
「新・課外授業/禁断のセックス(TV)」(76)、「クラマックスPART3」(77)、
「悶絶バージン/セックス・メーキング(脚本も)」(80)、
「ヴィーナス/処女のしたたり」(81)、「情事・母と娘」(86)、
「ギルダ/暗黒街の娼婦(脚本も)(89)、」
「ポルノ・グランプリ/乳クイーン」(90)、「屋根裏のロリータ(V)」(94)


●マリーノ・ジロラーミ/Marino Girolami
(フランク・マーティン/Frank Martin
・・・E・カステラーリの父親。1914年2月1日ローマ生まれ。94年に死去。
ジーン・バスタイド、フランコ・マルティネリ、ダリオ・シルヴェストリ、
フレッド・ウィルソンなどの変名を使う。40年代末から監督を初めており、
数ある監督作の中でも、目に付くのはセックス・コメディやお色気物。
基本的に彼のフィールドは、こうしたセクシー系ジャンルで、
日本でもそれら諸作を中古ビデオ屋でも良く目にする。

・・・が、この人がトラッシュファンに注目されたのは80年のゾンビ物、
「人間解剖島:ドクター・ブッチャー」を撮ってから。しかし「ブッチャー」を
監督した時に用いた英語名フランク・マーティンを、同じイタリア人監督
マリアーノ・ラウレンティ(Mariano Laurenti)が偶然にも用いていた事から
IMDbや全洋画オンラインなどの検索エンジンでも一時期混乱が生じた。
(運悪くラウレンティの得意分野もお色気映画(笑)。更にラウレンティは
フランチェスコ・マルティーノなる変名も使っている。ややこし過ぎ!)
因みに大監督ジョン・ヒューストンを取り上げたドキュメンタリー
「ヒューストン・アンソロジー」(88)を撮った人物もフランク・マーティン(笑)。

<主な日本公開関連作>(混乱してるかも)
「十字架の用心棒(制作兼)」(68)、「禁じられたデカメロン(脚本兼)」(72)、
「ガンマン牧師(製作)」(72)、「青い体験・禁じられた十代の好奇心」(75)、
「特攻警察」()、「ああ新婚」(76)、
「勝手にプラトーン:戦争はバクハツよ(V)」(81)
「トンチキ・ポリス・アカデミー」(85:ラウレンティの映画?)

 

 

●ジャン・ローラン/Jean Rorrin
・・・フレンチ芸術系ヴァンパイア映画の巨匠。
「殺戮謝肉祭」と「ゾンビ・クイーン」は面白かったが・・・。
J・A・レイザーなる変名も用いる。1939年11月3日生まれ。
エロティックな描写と、鮮血したたるホラー・シーンの融合が
彼の作風だが、全体としての演出レベルは自主制作映画程度。
未公開映画も多数あり、「Lips of Blood」は代表作と言われる小傑作。
最近、日本コロムビアがユーロホラー専門ホラー・レーベルの
レダンプションと契約、「リビングデッド・ガール」と「猟奇殺人の夜」が
早速リリースされる模様。今後の発売予定作が楽しみ。

<主な日本公開関連作>
「地獄の儀式〜吸血魔団〜(V)」(70)、「美女のうごめき/
鮮血に染まる死霊の館(V)」(79)、「殺戮謝肉祭/屍肉の晩餐(V)」(78)、
「猟奇殺人の夜(V)」(80)、「ナチス・ゾンビ/吸血機甲師団(V)」(80)、
「ゾンビ・クイーン/魔界のえじき(V:新盤「リビングデッド・ガール」)」(83)、
「エンゼル・コップス/バンコクから愛を込めて(V)」(85)、
「エマニエル6/カリブの熱い夜(V:脚本)」(88)


●マリオ・ランディ/Mario Landi
・・・70年代の幕切れを最悪のゴア描写で飾った
ジャーロとして
悪名高い「Giallo a Venezia」(79)、オーストラリア製の超能力ホラー
「パトリック」から勝手に捏造した(物語は一切関係なし!)
血みどろの続編「Patrick Vive Ancora(遺作?)」(80)の2本で、
ユーロ・トラッシュの歴史に名を残した監督。
生まれは1920年10月12日(凄げぇ年寄り!)。イタリアのメッシーナ出身。
92年の3月18日にローマで死去している。
作品数は少なく、脚本家、俳優として数本の映画に関わっているのみ。



●アルド・ラド/Aldo Lado
・・・マーシャ・メリル、フラビオ・ブッチ、アイリーン・ミラクル
ダリラ・ディ・ラッザーロら、アルジェント映画の同窓会のような
面々(起用のタイミングは全然こっちの方が早いが)が
キャスティングされた「暴行列車(血のコンパートメント:女たちの
深夜特急)」(74)を監督したアルド・ラドは、やはり中堅ディレクター。
同じ74年に「処女の生血」のD・ダレルが出ている「家庭教師」を
発表している点からもその辺は伺えよう。
N・エルミ出演の
ジャーロ映画「Who Saw Her Die ?」(72)も
アルド・ラドの映画。

 

●ピート・ウォーカー/Pete(r) Walker
・・・イギリスのゴア映画監督として有名な人物。
日本では彼のアクション映画やお色気ものばかりがビデオ化され、
肝心の代表作「Frightmare」(74)や、地味めの「アクエリアス」
という印象の「Flesh and Blood Show」(72)は未発売のまま。
それでも豪華ホラー・スター共演の「魔人館」(83)や

ラストの後味の悪さが格別な
「魔界神父」などで、ウォーカーならではの
インモラルな雰囲気は十分楽しめるのだが・・・。

<主な日本公開関連作>
「バイオレンス・マン(V)」(71)、「結婚詐欺防止法教えます/
中年ハイスクールPART1(V)」(71)、「ザ・アンタッチャブル/
暗黒街のハスラー(V)」(72)、「グレタの性生活」(72)




●エンゾ・G・カステラーリ
/
Enzo Girolami Castellari
・・・伝説のウェスタン「ケオマ・ザ・リベンジャー」(76)を演出した
職人系監督。やたらと演出がのろいという批判もあるが、
レオノーラ・ファニをフィーチャーした未公開オカルト映画、
「Kyra, La Signora del Lago」(89)は特殊効果も相俟って、
非常に面白い仕上がりだった。アクション物も数多く監督している。
かつて
フルチより先に「サンゲリア」の監督に予定されていたという
逸話もある。代表作「最後のジョーズ」は12ch御用達映画として有名。




●リノ・ディ・シルヴェストロ
/
Rino di SilvestroDeSilvestro
・・・「悪魔のホロコースト」(76)や、「第7監房の女囚たち」(72/74)など、
残酷&グロとエロティックを混ぜ合わせた作品を連作した監督。
76年にはお得意の要素をミックスした「狼女(未:しかし試写会は行われた?
あるいはTV放映もされている??)」を発表している。
「妖艶妃クレオパトラ」(85)では原作と脚本も共同で担当している。
1932年生まれ。アレックス・バーガー、ダリオ・ディ・シルベストロ、
R.D.シルヴァー、チェサーレ・トッドなどの変名も用いる。
彼の映画に出演した女優達は口をそろえて「リノ?あぁ彼は気狂いよ」と
コメントしているところから、現場では相当クレイジーな人物らしい。

<主な日本公開関連作>
「ハンナD物語・肉体の悪夢(V:アクセル・バーガー名義)」(85)



●エイドリアン・ホーヴェン
/
Adrian Hoven
・・・「地獄の魔女狩り」(69〜70)や、その続編(72)がカルト的な
人気を得ているドイツの監督。それ以前にジェス・フランコ映画の常連、
ハワード・ヴァーノンや、ヨアンナ・レノーを起用して撮った
「ターヘル・アナトミア:悪魔の解体新書(V)」(67)を発表している。
他にも中世を舞台にした剣と魔法モノもあり。役者もやる。

全洋画のクレジットではアドリアン・ホーフェンになっている。
1922年5月18日、オーストリアのチロル、ウォレスドーフ出身。
誕生名はウィルヘルム・アルパッド・ペーター・ホフカーシュナー。
1981年4月28日、ドイツのバーバリアで死去。
パーシー・(C・)パーカーという変名でも知られている。

<主な日本公開関連作>
「女王さまはお若い(出演)」(54)、「命ある限り(出演)」(57)、
「奴等は俺がやる(TV?:出演)」(65)、「残虐!女刑罰史
(ビデオ題名「地獄の魔女狩り」:製作)」(70)、
「美女なで切り/好色性豪伝(監督)」(71)、「怪盗軍団(出演)」(75)、
「ルトガー・ハウアーのダンデライオン(V:監督)」(78)

●<オマケ>「処女刑罰史」の監督マイケル・アームストロングは
異色なキャリアの持ち主。以後、脚本家として関わった作品には
77年の「ブラック・ハンター/16歳少女戦慄の全裸死体」、
P・ウォーカーの「魔人館」(83)、日本でビデオが出た「恐怖の殺人ビデオ」(83)、
87年には「悪魔のサンタクロース2」の音楽!にもクレジットされている。




●ステルヴィオ・マッシ
(マックス・スティール)
/Stelvio Massi(Max Steel)
・・・かつてキャメラマンをしていたS・マッシは「フェラーリの鷹」が
劇場公開されている程度の娯楽映画監督。主に立ち回りや
カーチェイスを盛り込んだアクション物が得意なようだが、
「5人の女と殺人者(未)」(74)や、エロティックな描写もふんだんに
取り込んだ87年の血みどろ
ジャーロ、「ブラック・エンジェル:黒衣の
天使」なども監督している。



●フランコ・プロスペリ×2
/Franco (E) Prosperi
・・・65年に発表した「殺しのテクニック」が大ヒットを記録した
職人系(別人説あり)監督。ヤコペッティのモンド映画の数々を製作した
経歴があり、科学者?!として数多の探検隊に参加、
酸素ボンベなしで6012mまで潜水調査を行ったイタリア記録を持つ。
ジャーナリストとしても記事を寄稿したりと多才な活躍をしている。
(以上パンフレットから抜粋。ホントかどうかは不明。)
83年にロアリング360度音響システムを採用した「猛獣大脱走」を
監督している。


●エウジニオ・マルティン
/
Eugenio Martin
・・・豪華なキャスティングでホラーファンの心を掴んだ
「ゾンビ特急地獄行き」(72)を発表したスペインの監督。
日本でも公開された西部劇「ガン・クレイジー」(66)や、
「無頼プロフェッショナル」(71)など娯楽系一般作?もあるが、
TVで何度か放映されたグロテスクな描写を含んだ
猟奇
ジャーロ映画「マドリード美女連続殺人(TV)」(73)や
C・ガルボ主演のオフビートで奇妙なホラー映画
「SOBRENATURAL」など、ジャンル映画がお得意のようだ。
全洋画オンラインの表記はユージニオ・マーティン。

●ナルシス・イヴァネス・セラドール
/
Narcisco Ibanez Serrador
・・・1935年7月4日ウルグアイのモンテビデオ生まれ。
1947年に母親と共にスペインに渡り、船員、ウエイター
ジャーナリスト、カメラマン、旅行ガイドなどを転々としながら
まずは舞台俳優としてデビュー、舞台演出を経て
71年の「象牙色のアイドル」で映画監督デビューを果たした。
77年の「ザ・チャイルド」はアヴォリアッズの批評家大賞を
受賞している。




●ジュリアーノ・カルニメーオ
/Giuliano Carnimeo
(アンソニー・アスコット/Anthony Ascott

・・・E・フェネシュがヒロインに扮した「美女連続殺人魔」(72)を
監督した娯楽系ディレクター。監督作にはC級ウエスタンが多いが、
<世界一小さな男>ネルソン・デラ・ロッサをタイトル・ロールに
起用してしまった問題作「ラットマン(V)」(88)を作ってしまった問題過去アリ。
(しかも日本でビデオが出てしまった・・・)

<主な日本公開関連作>
「荒野の無頼漢」(70)、「激走!イタリア・トラック野郎」(75)、
「新・サスペリア(脚本)」(86)


<80年代〜>

ジョー・ダマート/Joe D'Amato
(アリスティーデ・マサチェッシ/Aristide Massaccesi

・・・名キャメラマンとして数々の作品に関わってきた
マサチェッシは(諸説あるのだが)、73年の「欲情の血族」で
監督デビューを飾った。その後もホラーやエロティック映画を
中心に、様々な役職をこなして娯楽一直線の映画人生を送った。
また自社フィルミュラージの製作でM・ソアヴィを監督デビューさせ、
U・レンツィL・フルチらにも監督の依頼を与えた功績は大きい。
90年代に入ってからはビデオ撮りのポルノ映画が中心になったが、
つい先頃、1999年1月23日に突然心臓発作で死去してしまった。
誰からも愛される好人物だっただけに、あちこちのサイトで
追悼文が掲載された。変名を用いる事が多く、ざっと挙げるだけでも
ジョン・バード、デイビッド・ヒルズ、ダリオ・ドナッティ、ラフ・ドナット、
ケヴィン・マンクーゾ等々。1936年1月23日、ローマ生まれ。
娘さんは日本の企業で働いているとか・・・。

マサチェッシの事はどの資料を見ても、どのインタビューを聞いても
<非常にイイ奴>と評価されているが、それはあくまでお金儲けの為の
低姿勢な商売人ぶりであり、実際に監督する際は結構コワイ人だったらしい。
その辺は、ミッシさん製作の日本初?のローラ・ジェムサーサイト、
もうひとりのEmanuelle でチェックできる。

 

●ダリオ・アルジェント/Dario Argento
・・・説明不要(じゃ不親切なので、分かり切った事をズラズラと・・・)。
1940年9月7日、ローマ生まれ。非常に恵まれた環境に育ち、
映画監督になるべくしてなったスター・ディレクター。
自分を大衆にアピールする方法も上手く、乗りに乗った70年代に
ジャーロの分野で「サスペリア2」(75)、ホラーの分野で「サスペリア」(77)
という2大金字塔をうち立てた事もあって、日本ではカリスマ的な
存在になってしまった。
新作「オペラ座の怪人」では喧嘩別れしていた兄弟クラウディオと
和解が成立?再び製作で組んでいる。
後は一向に観ることの出来ない「4匹の蠅」の権利問題が
解消されれば、改めて監督としての評価が高まることは間違いない。

 

●ルイジ・コッツィ/Luigi Cozzi
・・・有名なSFオタク。アルジェントと共同経営しているホラー・ショップ
プロッフォンド・ロッソの店員が主な仕事?メナハム・ゴーランと
一時期良く組んでいたようだが、89年の「デモンズ6」のトラブルを
最後に関係は切れた様子。本人の希望としては「スター・クラッシュ」の
ようなチープなSFを作りたいのかもしれないが、75年の
ジャーロ映画
「蜘蛛(未)」や、日本が出資した「ラスト・コンサート」(76)は
一般的に見てもそれなりの出来で、アルジェントの「4匹の蠅」等で
冴えたアイデア(犯人の正体が分かる部分や、トラック事故のシーン)を
出している事を考えると、意外と実力があるのかもしれない。
映画デビューは69年の「Il Tunnel Sotto il Mondo」。
ゴダールの観念系SF「アルファヴィル」風の低予算作品だという。
他に「ゴジラ」をイタリアに輸入、勝手に色を付けたバージョンも製作し
劇場で封切った過去も持つ。

1947年9月7日生まれ。元々はジャーナリストだった。
ルイス・コーテス、あるいはルイス・コーツなる英語名も用いる。

<主な日本公開関連作>
「新・サイコ・ファイル(V:監督・脚本)」(73)、「サイコ・ファイル(V:脚本のみ)」(73)、
「ビッグファイブ・デイ(V:原案のみ)」(74)、「ラストコンサート(脚本も兼任)」(76)、
「スタークラッシュ(脚本も)」(78)、「エイリアンドローム(原案・脚本も)」(81)、
「超人ヘラクレス(脚本も)」「超人ヘラクレス2(脚本も)」(共に84)、
「死神ジョーズ・戦慄の血しぶき(V:原案のみ)」(84)、
「パガニーニ・ホラー/呪いの旋律(脚本も)」(88)、「デモンズ6/最終戦争(V)」(90)、
「ダリオ・アルジェント ビザール・オペラ/新・鮮血のイリュージョン(V:出演も)」(91)、

 

●ルッジェロ・デオダート/Ruggero Deodato
・・・A・ドーソンの助監督をしていた頃に、主演女優のB・スティールと
つき合っていたのがやたらと有名なデオダートだが、美人の奥さん
S・ディオニッシーオと結婚(現在は離婚?)、最近はユーロ・
トラッシュの再評価運動?もあって、再び一部で注目を浴びている。
U・レンツィと<どちらが生みの親か>で不毛な論争になった
「食人族」シリーズが最も知名度が高い(本人は嫌がっている)が、
「ダイヤル:ヘルプ」「ヘルバランス」等のホラー、「コンコルド」や
「フィーリング・ラブ」、それ以外のアクション系も手堅い仕上がり。
現場では怒鳴り散らすタイプの監督らしいが、私生活での発言を
読む限り、非常にインテリジェンスに溢れた人物のようだ。
1939年5月7日、ポテンザ生まれ。広告業界にいたこともある。

●クラウディオ・フラガッソ
/
Claudio Fragasso
・・・クライド・アンダーソンと言えば、ご存知の方も多いでしょう。
骨の髄までB級娯楽映画オンリーのディレクター。
1951年10月2日にローマで生まれた彼は、72年に編集アシスタント
として映画界入り。その後脚本としての仕事を続けながら
79年に監督デビューを果たした。「人喰地獄:ゾンビ復活」では
フルチの愛弟子という触れ込みだったが、当人達の関係は
「サンゲリア2」の現場を経てドロドロ。フラガッソ氏は製作者だった
フランコ・ガウレンツィ側を擁護する発言をしている。
追加撮影を監督したブルーノ・マッティとも関係が深いようなので
まぁ当然の発言だろう。



●ブルーノ・マッティ/Bruno Mattei
・・・世界的にヘボ監督としてその名を知られているマッティの
キャリアは70〜80年代に集中しており、女囚モノからゾンビ、
生体実験映画、SF、エロティック、動物パニック、西部劇と
殆どメチャクチャ。その頂点は
フルチが病気で降板した後で
追加撮影を担当した「サンゲリア2」。これで監督としての
キャリアにもピリオドか?・・・と思われたが、94年に「ジョーズ96:
復讐編」で復活!ビンセント・ドーンというお馴染みの変名以外にも
ステファン・オブロースキー、ウィリアム・シュナイダー名義で
撮った作品もある。

●ミケーレ・マッシモ・タランティーニ
/
Michaele Massimo Tarantini
(マイケル・E・レミック/Michael E Lemick
・・・83年の「魔境のいけにえ」、82年の「狂戦士サングラール」等
ノリの良いバイオレンス描写が売り物の娯楽映画を量産した
職人監督。「ショッキング・ブルー:女囚アンジェラ」(84)も
日本でビデオが発売されている。


<主な日本公開関連作>
「陰謀と抗争の町・殺し屋(TV?)」(73)
「ソルジャー・ハンティング(原案・脚本も)」(88)


●ルネ・カルドナ一家
/
Rene Cardona Family
・・・メキシコ出身の映画人一家。一番知られているのは
「バード・パニック」(88)、「タイガー・シャーク」(77〜78)等の動物モノや、
あるいは「大竜巻:サメの海へ突っ込んだ旅客機!(TV)」(78)、
「ガイアナ人民寺院の悲劇」(80)、「アンデス地獄の彷徨/旅客機墜落・
極限の乗客たち」(77)などの実録
系?災害・人災パニック映画で知られる
ルネ・カルドナJr.か?
平然と冷酷な描写をやってのけ、
良心的なゴミ映画ファンのトラウマを生み出す、恐るべき監督=カルドナJr.。
未公開ながらカルトと化しているホラー映画「100匹の猫の夜」もある。
1939年5月11日、
メキシコ生まれ。監督デビューは65年。
(主に自作の)脚本、製作以外に俳優としても出演作がある。

<主な日本公開関連作>
「ロビンソン・クルーソー」(72)、「破壊捜査線(V)」(77)、
「アマゾンの秘宝(V)」(84)

カルドナJr.の息子がルネ・カルドナ三世(芸名はアル・カストール?)。
日本には「ゴゲリアン(V)」(85)に出演していたことしか
伝わっていないが、その後監督に進出。数々の作品を発表している。

父親のルネ・カルドナは1906年10月8日キューバのハバナ生まれ。
本名はアンドレス・ドュックス。1930年代から映画を撮り始め、
プロレスラーを主人公にしたサント物なども手がけていたようだ。
88年にメキシコ・シティで死去している。

●ジャン・ピッカー・サイモン
/
Juan Piquer Simon
・・・スペインのウルトラ・ゴア映画「ブラッド・ピーセス〜悪魔の
チェーンソー」(81)で有名なスペインの娯楽映画監督。
深海モンスター・ホラー「新・リバイアサン:リフト」(89)を始め、
ナメクジが人間を襲う「スラッグズ(V)」(87)、
「H・P・ラヴクラフト(笑)の
新・悪魔の儀式(兼:脚本)」(91)など
数々のホラー/ショッカー映画を撮っている。
彼の名前はファン・ピークゥエル・サイモン、あるいはJ・P・サイモン、
アルフレード・カサードという表記でもクレジットされる。

日本にサイモンの作品が紹介されたのは「新・地底探険/
失われた魔宮伝説」(76)の脚本・監督から。
その後、「怪獣島の秘密
監督脚本製作)」(80)、
「漂流少年(V:製作総指揮も兼任)」「スーパーソニックマン」(共に82)、
「怒りの大爆破作戦/地獄の狼
(兼:脚本)」(84)などの監督作もある。

 

●マルコ・アントニオ・アンドルフィ
/
Marco (Antonio) Andolfi
・・・数ある80年代のイタリアン・ヘボ映画の中でも、かなりの
高ランクに位置する「ビースト・マスター:呪いの宝石」(87)を監督した人物。
主演のエディ・エンドルフィ共々、その正体は謎に包まれている。
映画の事なら相当の情報を網羅している
IMDbでも「呪いの宝石」は
アニー・ベルがクレジットされている以外は一切ナゾ(笑)。
どこぞの海外サイトで、「呪いの宝石」の続編を作っている、という
インタビュー記事を読んだ記憶もあるのだが・・・。

 

●フランク・アグラマ/Frank Agrama
・・・後にも先にも1本だけのゾンビ+ミイラ映画「ミイラ転生:
死霊の墓」(80)を監督したディレクター。72年のマリオ・カイアーノの
エジプトを舞台にした輪廻転生ホラー「ファラオのはらわた」で
脚本を書いている。
最近は専ら活躍の場を製作業に移し、93年にジェイソン・ロバーツ主演で
「アルプスの少女ハイジ(笑:TV)」を、91年には「新・シャーロック・
ホームズ/ヴィクトリア瀑布の冒険(TV)」を製作している。
後者の出演陣は結構豪華で、クリストファー・リー、ジェニー・シーグローブ、
クロード・エイキンズ、パトリック・マクニーら渋い顔ぶれ。

 

●ファブリッツィオ・デ・アンジェリス
/
Fabrizio de Angelis
(ラリー・ラドマン/Larry Ludman
・・・辣腕プロデューサーとして70年代末期からL・フルチや、
J・ダマートの映画を手掛けてきたアンジェリス。彼が製作者として
一人立ちしたのは79年のダマート作「猟奇変態地獄(アマゾンの腹裂き族)」。
この作品と次の「サンゲリア」(79)の大ヒットにより、80年代には
ホラー映画専門のプロデューサーに。
フルチと組んだ「ビヨンド(V)」(80)、
「地獄の門(V)」(80)、「墓地裏の家(V)」(81)、「マンハッタン・ベイビー(V)」
(82)などのヒット作を連発。その後、監督業にも進出したアンジェリスは、
83年に始まる「サンダー」シリーズ、87年から始まる「カラテ・キッド」
シリーズなど、安手に作れて海外にも売れるアクションを得意にしていた。
こうした映画は本数を重ね、後者は92年にTVシリーズにもなった。
「ダーティーマグナム87」に出演したジョン・モーゲンは、
アンジェリスの監督ぶりを<極悪非道>と表現。2度と一緒に
仕事をしたくない!と断言しておりました。
1940年11月15日、ローマ生まれ。

<主な日本公開関連作>(製作作品以外は特記)
「ブロンクス・ウォリアーズ/1990年の戦士(V)」(82)、「マッド・ファイター(V)」(83)、
「ブロンクスからの脱出(V)」(83)、「サンダー(製作・監督・脚本)」(83)、
「マンハンター/暴虐の縦断(V:監督)」(84)、「ダーティー・マグナム'87/
デッドリー・インパクト(製作・監督・脚本)」(84)、「コブラ・ミッション(V:監督)」(85)、
「怒りのサンダー/逆襲のバーニング・ファイア(V:監督)」(85)、
「カラテキッド(V:監督)」(87)、「地獄のレイダース(V)」(88)、
「キラー・クロコダイル(V:監督)」(88)、「オーバースロー/暗殺のクーデター
(V:監督)」(88)、「怒りのサンダー/最後の決戦(監督・脚本)」(88)、
「カラテ・キッド/激闘編(V:監督・脚本)」(89)、「怒りのタッチダウン/
人質奪回作戦(監督)」(90)


●ルイジ・モンテフィオーリ/Luigi Montefiori
(ジョージ・イーストマン/George Eastman)
・・・俳優ジョージ・(L・)イーストマンとしての方が有名か。
マッチョで粗暴なルックスに似合わず、脚本や監督も出来る才人。
ダマートと交友が深かったようで、89年の監督デビュー作
「バイオドロイド:恐怖の生体実験」では、ダマート関連の人材が
大量に起用されていた(含む:ローラ・ジェムサー)。
脚本家としてはルー・クーパー名義で書いた「アクエリアス」(86)が、
俳優としては「猟奇!食人鬼の島(脚本兼任)」(80)の食人鬼や、
L・バーヴァの「デモンズ・キラー」(87)でのスケコマシ俳優役が
最も分かりやすいかも。1942年8月16日生まれ(意外と年食ってますな)。

<主な日本公開関連作>(出演作以外は特記)
「拳銃無頼」(67)、「皆殺しのジャンゴ/復讐の機関砲(ガトリングガン)」(68)、
「ギャング・プロフェッショナル4+1」(69)、「新・さすらいの用心棒(TV?)」(69)、
「ジャック・パランスの殺し屋家業(TV?)」(76)、「ケオマ・ザ・リベンジャー(V)」(77)、
「ゾンビ99(V:出演)」(79)、「ブロンクス・ウォーリアーズ/1990年の戦士(V)」
「アイアン・マスター(V)」(82)、「マッド・ファイター(V)」(83)、
「格戦士シャノン(V)」(83)、「地獄の戦士ブラストファイター(V)」(84)、
「サイボーグ・ハンター/ニューヨーク2019年(V)」(84)、「探偵アカデミー(V)」(86)、
「片腕サイボーグ」(86)、「恐怖の生体実験(監督・脚本)」(89)、
「デザート・ソルジャー(V)」(91)


●ロマーノ・スカヴォリーニ/Romano Scavolini
・・・トム・サヴィーニが特殊メイクをやった!やらない!で
(またまた)不毛な論争を巻き起こしたゴア映画「ナイトメア」(80)の監督。
本当のところ、サヴィーニは現場でアドバイスをしただけで、
実際のメイクはエド・フレンチと(撮影後謎の自殺を遂げた)
レスター・ロレインという青年が担当したのだという。
双方の言い分はかなり食い違っているが、お人好し?の
サヴィーニが、ネーム・ヴァリューを利用されたというのが
外野から見た結論だろう。日本版の「ナイトメア」ビデオは
残念ながらかなりカットを施したマスター。
スカヴォリーニに関してはこれ以外にあまり語るべき部分はないが、
日本では彼のアクション映画「バトルウォーズ」(86)がビデオで
発売されている。1940年6月18日生まれ。

●アウグスト・カミニート/Augusto Caminito
・・・
1939年7月1日、イタリアのナポリ生まれ。
監督としては「バンパイア・イン・ベニス(脚本・製作兼任)」(86)程度しか
しられていない(実際クレジットされているのは72年の「Maschi e Femmine」、
88年の「Grandi Cacciatori(White Hunter)」くらい?)。60年代から
脚本家として活躍、83年の「Mark of the Scorpion」からは製作をする
ようにもなり、L・フルチの「マーダロック」(85)や、「新・ゾンゲリア」などを
世に送り出している。この辺の映画ではネット上の資料にも
クレジットされていない作品も多々あるようす。やはり人脈の広さが最大の強み?

<主な日本公開関連作>
「パガニーニ(製作)」(89)、「キリマンジャロの秘宝(V:製作)」(85)、
(以下、全て脚本担当作品)「人生は素晴らしい(脚本)」(80)、
「大誘拐(V)」(75)、「明日なき夕陽」(74)、「虐殺砦の群盗」(67)、
「拳銃無頼」(67)、「星空の用心棒」(67)、


●ミケーレ・ソアヴィ/Michele Soavi
・・・もしかするとアルジェントよりも才能があるのではないか?と
一部のファン達から不埒な期待を受けたにも関わらず、93年の
「デモンズ95」(94)を最後に映画業界から去ってしまった雰囲気。
TVの資本で映画を撮るので、必然的にゴア描写が規制されるという
現在のイタリア映画界の体制と、息子がハンディキャップを
持っているので、子育てに専念したいという、大きな理由から
最近はビデオ・クリップやTVの仕事が中心になっているようだ。
但し、映画祭に呼ばれて(出席はしなかったが)、作品を提供したり
しているようなので、突然素晴らしい新作映画を手に、カンバックも
あり得るかもしれない。楽しみに待とう。1957年7月3日、ミラノ生まれ。
バイクのスタントもこなしてしまう運動神経の持ち主。

<主な日本公開関連作>
「地獄の門(出演)」(80)、「暗闇の殺意(出演・助監督)」(82)、
「アルジェント・ザ・ナイトメア/鮮血のイリュージョン(脚本も)」(86)、
「アクエリアス」(86)、「デモンズ3」(89)、「デモンズ6/最終戦争
(V:出演)」(90)、「ダリオ・アルジェント ビザール・オペラ/
新・鮮血のイリュージョン(V)」(91)、「デモンズ5(V:出演)」(91)、
「デモンズ4(V:脚本)」(91)



●ランベルト・バーヴァ/Lamberto Bava
・・・M・バーヴァの愚息。本人は父親との比較を非常に嫌っており、
確かに父の映画で長年助監督をしていたとしても、基本的には
質もタイプも全然違う監督なので、いい加減比べるのはかわいそうかも。
実質的な監督デビューは80年の「首だけの情事(脚本も兼任)」だが、
前年に父親が撮った「ザ・ショック」(79)では、父の描いたストーリーボードを手に
実際の現場を仕切ったのはランベルトだということだ。

因みに彼本人は「
ジャーロ」や「ホラー」が大嫌い!だとかで、80年代に
あれほど大量のゴミ映画群を生み出したのも忘れて?最近は
さっさとTVの分野に移行、大好きなファンタジー映画を作り続けている。
しかし、90年代に入って発表した「デシデーリアとドラゴン・リング」や
「ファンタギーロ」は、あくまでお子さま向け番組ではあるが、
アルジェントと組んでいたスタッフ(撮影のR・アルバーニら)を起用し、
目を奪うような出来の作品を発表している(日本ではやたらと評価が低いが)。

元々職人監督であったフルチらを嫌い、かつてはホラーやファンタジーの
世界を開拓する、同じ目的を持った「ファミリー」であると自身で認めていた
D・アルジェントとは
88年の「オウガー」の製作トラブルを機に決別したようす。
だが、「肉の蝋人形」の現場には遊びに来ていた。さすがイタリア人・・・。
1944年4月3日、ローマ生まれ。父親譲りの変名ジョン・オールドJrも使う。

<主な日本公開関連作>
「暗闇の殺意」(82)、「死神ジョーズ:戦慄の血しぶき」(84)、
「地獄の戦士:ブラストファイター」(84)、「デモンズ(脚本も)」(85)、
「デモンズ2(脚本も)」(86)、「キャロルは真夜中に殺される(脚本も)」(86)、
「デモンズ・キラー/美人モデル猟奇連続殺人(V)」(87)、
「グレイブヤード(V)」(87)、「バンパイア/最後の晩餐(製作・脚本も)」(88)、
「デモンズ5(V)」(91)、「ボディ・パズル(V:脚本兼任)」(92)


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