今久留主 淳(内野手 右投右打)

パリーグ最初の三塁手の併殺記録は、今久留主淳です。

今久留主淳は、戦前は台湾野球の名門であった嘉義農林で、甲子園に出場しました。その後に弟の功とともに九州球界の雄、別府星野組入団し、1949には、都市対抗野球で優勝しました。その時の主力メンバーが翌年オリオンズ結成に参加します。投手の荒巻淳、監督兼任の西本幸雄、今久留主兄弟らです。

今久留主淳は、32才という遅いプロ入りでしたが、玄人好みの選手としてシブイ活躍をみせました。

ニックネーム等    
選定理由 三塁手併殺(’50〜’51) 34併殺