河埜 和正(内野手 右投右打)
私設野球殿堂の70人目、そして吉田義男のリーグ遊撃手併殺記録を破ったのが、ジャイアンツの河埜和正です。
大物ぞろいのジャイアンツの中で、地味ながら守備をしっかり支えた選手でした。1974には、3打席連続三塁打という記録も残しています。
白石、広岡から黒江とつながるジャイアンツの遊撃手の系譜をついだ、中興の祖といえるかもしれません。
彼が主に活躍したのは、V9が終わった後でジャイアンツとしては勢いが鈍った頃でした。しかし、張本やシピン、ホワイトといった大物選手の獲得はあったものの、河埜や篠塚、中畑ら若い元気のいい選手が輩出しました。現在のジャイアンツと引き比べ、「育てながら勝つ」当時を懐かしむオールドファンも多いようですね。
ニックネーム等 | ||
選定理由 | リーグ遊撃手併殺(’78〜’84) | 99併殺 |