山本 一人(内野手 右投右打)
山本(鶴岡)一人は、通算最多勝監督として有名ですが、選手としても一流です。戦争の影響もありわずか実働8年間ではありましたが、’39には、ホークスの球団本塁打(15本)のうち10本を放ち本塁打王に輝きます。そして、’46には、それまでの打点記録(75、’39川上哲治)を20打点も更新する95打点をあげます。そして、この年、プレイングマネージャーになり、戦後初優勝をあげます。
現在よりも31試合も少ない104試合で、本塁打わずか4本の打者が95打点をあげる勝負強さは筆舌に尽くしがたいです。それから守備も超一流、’99には3塁手で20併殺をあげた選手はいません。山本一人は、’39・’47・’49と3度も30併殺以上をあげています。環境の差はありますが、超一流の数字であることは理解していただけるとおもいます。もっとも最近の3塁手の30併殺以上は’97のファイターズ片岡の30併殺です。実働8年2500打数以上ながらわずか146三振。一年で、これに近い三振をする打者もいます。
ジャイアンツの川上哲治とは、選手・監督時代を通じての終生のライバルでした。
本塁打王1回 打点王1回
ニックネーム等 | ツルさん、鶴岡地獄 | |
選定理由 | リーグ最多打点(’46〜’47) | 95打点 |
通算最多勝監督 | 1773勝 |