木塚 忠助(内野手 右投右打)

戦後、’46よりホークスの河西俊雄・木塚忠助が盗塁王を独占!「走るホークス」の力を見せつけます。この時のホークスは、木塚(78盗塁)以外にも、飯田徳治(30盗塁)堀井数男(30盗塁)と快足選手をそろえていました。しかし、ホークスは、新生オリオンズに投手力で一歩劣ってしまい独走を許してしまいます。

木塚は鉄砲肩を誇る名遊撃手としても有名でした。もし、この頃全日本チームが結成されたとしたら、セの盗塁王の金山次郎と木塚のキーストンコンビは、恐ろしい威力を発揮したでしょう。このような偉大な2人の選手がいずれも「殿堂入り」していなかったのが、私立野球殿堂を作るひとつのきっかけになりました。

盗塁王4回

ニックネーム等    
選定理由 リーグ最多盗塁(’50〜’55) 78盗塁

(打率30傑の平均より計算、仮想打率は’98セを基本)