ヴィクトル・スタルヒン(投手 右投右打)

’39、「1年1シーズン」いわゆる長期シーズンの最初の年、スタルヒンがいきなり42勝をあげ、最多勝記録をつくりました。「1リーグ1シーズンの最多勝記録を作った投手」はスタルヒン唯一人しかいないのです。戦争をはさんで、実働19年間で通算303勝、日本プロ野球史上初の300勝投手でもあります。

’39シーズンは、沢村栄治なき巨人軍投手陣をひとりで支え、全96試合のうち68試合に登板し、全66勝のうち42勝をあげ、優勝に貢献しました。このシーズン、川上哲治が初の首位打者を獲得しています。

’40/9〜’44、戦中にはしょうがないとはいえ愚かな「日本語化運動」により「須田博」と名乗ったこともありました。このような運動は日本以外にもあり、ハワイ球界の名門「ハワイ朝日軍」はアメリカの「英語化運動」により、一時的に改名させられています。

最多勝2回 最優秀防御率1回 最多奪三振2回

ニックネーム等 スタちゃん  
選定理由 リーグ最多勝(’39〜) 42勝