別当さんと尾鷲

別当薫さんはタイガース・オリオンズのスター選手選手として活躍、オリオンズ・ホエールズ・バファローズ・カープの監督として実に1237勝、引退後は中国への野球指導等、野球の国際化にも尽力されました。

その別当さんが惜しまれつつ亡くなられたのが、本年4月16日のことでありました。

その別当さんが「第二の故郷」としたのが、三重県尾鷲市です。毎年、「別当杯野球大会」が10月〜11月にかけておこなわれています。

尾鷲の有志の方々が中心となり、「別当さんの記念碑を作ろう」という動きが具体化したのは5月のことでした。当初は、500万円を目標でしたが、予想を上回る1047名約736万円の寄付が集まりました。そこで、計画を変更し、胸像から全身像になりました。私も微力ながら手を貸す事ができたことは幸いでした。

’99/12/27、別当杯野球大会決勝の日、ついに別当さんの記念碑が完成し除幕式が挙行されました。

人口2万5000ほどの地方都市の尾鷲で成し遂げられたことは、私の忘れられない出来事になるでしょう。

私の尾鷲の印象

別当薫さんの全身像 別当杯優勝のカップ
記念のテレホンカード

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