天国へ旅だった妻へ38年間・・・ありがとう。


昨年(H23年)4月末ころから家内はギックリ腰で腰が痛いとか、50肩で腕が上がらないとか、胃が痛いとか言って時々体の調子が悪い話をしていた。

自分で病院を探し近所の整形外科病院や内科医院に通って、レントゲンや胃カメラ検査を行うが、異常はないと話をしていました。

しかし6月の末ころになると、歩くのも困難な状態になり近所で評判の整形外科病院へ連れて行く、レントゲンを撮り診察の時、私は先生に最近背中が曲がって来た様な気がすると話す。

すると先生はレントゲン写真を私たちに見せて、強い口調で何故もっと早く病院で見てもらわなかったと言う。

私は近所の整形外科やE総合病院で治療や検査をしていた話をする、すると先生は直ぐに紹介状を書くからR総合病院に行って詳しく検査する様に言われる。

その日の内にR総合病院で診察と検査を受ける・・先生はレントゲン写真を私たちに見せながら病名は胸椎圧迫骨折と診断して、其のまま入院となる。

家内は日頃丈夫で医者に掛った事がない、その様に言って、それまで掛けていた生命保険が勿体ないと、3年位前に残っている掛金額を利用して掛けなくて良い、生命保険に変更していた。

その家内がH24年2月9日天国へと旅立っていった・・・入院した病院で更に詳しく検査を行った結果、病名は肺腺癌・・上半身の骨(腰から頭)に転移して、現在医学の3代治療では手の施しようがないと宣告される、驚きの余り暫らく声が出なかった。

丈夫と言っていた家内が癌で骨迄転移しているなんて・・私の口からその様なことは言えないと、病室から呼んで来て貰う、先生は家内にも同じ説明をして検査結果の映像を見せる、家内はエッ!・・と驚いていたが、まだ半身半義の様子だった・・2〜3日して子供2人にも癌であることを伝える。

話合った結果、此のまま何も行わないで死なせては悔いが残ると思い、保険適用外の治療も心見るが、骨まで転移した癌には勝つ事が出来なかった。

昨年7月末に入院して退院するまでは、デザートの果物を持って・・家内が淋しがっているのではと思い・・毎日病院に通い顔を見るのが楽しみでした。

10月始め先生から、病状が安定しているので一度退院して自宅で療養してはと進められる・・家内は常に周囲に気を使いナースコールを押すのにも気を使っていたようだ。

入院していても此れと言った治療も無く、看護師やヘルパーさんの手を借りないと、一人で体を動かすことも困難な状態になっていた、その様なことで10月5日退院となり自宅で療養することになる。

食事は私が作り、食べる時はベットから起こしてやると最初は頑張って自分で食べていた・・お父さん美味しいよ・・と言ってもらうと、私は嬉しくなって・・何をする介護も苦にならず、家内の世話をしていた。

入院当初から右腕がシビレルと言っていたが、次第に力が入らなくなり、12月に入ると自分の力で食べることも出来なくなる、私や介護ヘルパーさんの食事介護が必要になってしまう。

食事もお粥や栄養補助食品を食べさせる事が多くなって、日増しにあっちこっち痛いと言う(腰・肩・頭・お腹)

お父さんトイレと、夜中に起こされ連れて行く、肩が酷く痛がり・・何とかして欲しい・・・早く楽になりたいと言う・・可愛そうだが何もしてあげられない・・。

私は訪問医の先生に、家内の苦しむ姿は可愛そうで見ていられない・・痛み止の薬を強くしてはと言うと・・先生は余り強くすると危険と言う。

お父さん肩が痛い・・お父さん頭が痛い・・と言われて次第に痛み止の薬を飲ませる量も多くなった・・薬を飲ませると間もなく楽になり寝る。

H24年の新年も過ぎて1月頃より、痛み止の薬量が多くなった影響か、その幻覚で・・?分けの分らない事を言うようになる。

体調の良い時は(1月22日)孫を連れて娘が来て、帰る時は笑顔でベットの上から送っていた、私はふざけて家内の顔の側に私の顔を近付けたら、ワッ!と声を出して私を驚かせていた・・

家内の笑顔を見たのはその時が最後で2月に入ると寝ている時間が多くなる。

一時期は私を頼って・・お父さん・・お父さんと煩いくらい呼んでいたのに、呼ぶ声も少なくなり・・寝ている家内のところに行って、むくみが出てきた手や腕をさすってやる、そんな事しか出来なかった。

起きている時も何となく目が虚ろで・・何処か痛い・・と聞くと痛くないと言っていた。

亡くなる3日前に私は家内の手を握り、家内の母親や他の兄弟に何か言っておくことないの・・と!聞くと幸せだったと言う・・

私はお母さんが亡くなったら、お父さんは如何したらいいの・・と!聞いたらそんな淋しい話ししないでよ!・・もっと楽しい話をしてよと言う・・私は涙をこらえる事ができず・・涙・・涙・・。

癌と宣告され(H23年)12月の年内持つか分らないと言われて、家で療養生活をしていたが2月9日朝6時・・お父さんと呼ばれた気がして起きて、家内に聞くが・・目を薄く開けただけで返事が帰ってこない。

何時もと様子が違う為・・訪問医を呼ぶ・・先生は脈も弱くなって来ている・・会わせる家族がいたら呼んだ方が良い話で、嫁に行った娘と仕事に行った息子を呼ぶ・・病院は嫌だと言っていた家内も夕方4時55分3人に見守られて旅立っていった、訪問医の先生も良く奥さん頑張っていたよ・・と言っていた・・・。

結婚して38年、国内の旅行はそこそこ楽しく行っているが、海外旅行は未だ家内は行ってなかった、此れから二人で行く予定で2年位前にパスポートを取得したところだった。

何処に行くにも何時も一緒で、常に私の側に家内がいた、自然が好きで、キャンプや山登りも行きました、控えめで、おとなしく・・人の悪口は言わない家内でした。

49日法要も過ぎて、少しは淋しさも安楽かと思っていたが、家にいて見る物の全てが想い出になってしまう。

何時までも淋しがっていては、家内も浮ばれないと思う日が続いている・・・

(H24年4月)

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