心筋梗塞体験記1988年7月当時44歳男性

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         私自身の体験談を記載致します、おこがましくてとても皆様に見て戴く 程の

              内容ではないのですが、自分なりに書いて見ました

               少しでも多くの方に見て頂けたら幸いです。

                  

1、 心筋梗塞で入院
2、 気持ち良く寝ていたのに何故起すの・・
3、 自慢になりませんが・・・
4、 主な予防と対策
5、 非常に高かったコレステロール
6、 病気になった当時の生活
7、 現在の生活
8、 知らぬ間にストレス
9、 野球を知らない監督
10、 想い出つくり
11、 大変だったけど楽しかった

    

    1、心筋梗塞入院

       1988年7月当時 44歳の私は普段と何ら変わりなく車で家を出て会社に行き仕事をしていた

       子供の頃から機械を触るのが大好きで現在も同じ技術系の仕事をしている、丁度その日

       は外にいく仕事が無く、社内で自分でやった仕事の伝表整理を行っていた。

       9時から仕事を始め11時頃までは何てことなく仕事をしていました、ところが11時過ぎた頃

       から何となく気分が悪い・・?最初はその程度でした、体の何処かが痛いとか息が苦しいと

       言うこともなく、そんな感じでした。

       間もなくお昼時間になり社内に残っている仲間と食事に行く、気分が悪いと言っても二日酔

       いとか、乗り物酔の気分の悪さと違い、ご飯はしっかり食べた様に記憶しています。

       しかし午後1時を過ぎた頃から次第に具合が悪くなり、とても仕事が出来る状態ではなく

       なって来た。

       上司に具合が悪いと伝えたら心配そうに、顔色が良くないね〜そこのソファーで少し横になて

       休んでいたら・・・私はソファーで横なって休んでいた。

       でも良くなるどころかますます気分が悪くなり、辛くて冷や汗が出てきて、その頃になると頭の

  後頭部が痛いと言うのか重い感じがして、左胸の辺も痛くはないが冷たい感じがして、たとえ

  ようのない気分の悪さに、ソファーの上で左手で後頭部を押さえ右手で左胸を押さえ、辛くて

  静かに横になっていることが出来ない状態でした、感じでたとえると命が地面の底に吸い取ら

  れる、その様な感じでした、自分でも此れはただ事ではないと思い、自力で歩く事が出来ない

  状態の為上司に話病院に連れて行ってもらう。

  病院に着いて間もなく看護婦さんが車椅子を持ってきて迎えてくれる、上司が病院に状況を

  話、早く診察してくれました。

  看護婦さんが私に、口を大きく開けて舌を上げて下さい・・と言って白い薬を一錠入れる、

  一寸頭が重い感じがしますが(ニトロペン舌下錠)自然に溶ける迄、噛まないで下さい、と

  言ってました。

  すると1分するかしない内に、今までのあの苦しみは何だろう、まるで潮が引く様に気分が

  良くなり、このまま会社に戻り仕事が出来るくらいでした。

  しかし先生は病名は心筋梗塞、絶対安静で社会復帰出来る迄3ヶ月位かかますよ、と言って

  ました、その様な分けでその日から入院生活となった次第です。

 

2、気持ち良く寝ていたのに何故起すの・・

  入院して一番いやだった事はトイレです、絶対安静の為ベットから降りてトイレに行く事が出来

  ません、小の方は尿管に管を通され自然に採取する容器に入るようになっていますが大の

  方は、その様な分けにはいきません、寝ながらお尻の下に薄い便器を置き用足しするので

  すが、これが私は非常に辛かったです、自分が寝ている布団の上で用足しすると言う事は

  何故かそそうをする様な気がしてなかなか出来なかった。

      入院して数日間はショックでした何故この様な病気になったのか、自分では信じられなかった

      中学生の頃は長距離のランナーもしたことが有るし心臓は人一倍丈夫と自分では思っていた

      からでで有る。

      先生からこの病気は死亡する確立が非常に高い、特に一週間は絶対に安静が必要と言わ

      れた、確か入院して四日目の夜中でした、私は看護婦さんが大きな声で私の名を呼びながら

      私の頬を強く叩くので目を覚ます、ぼんやりとした意識のなかで、何でこんなに気分良く寝て

      いるのに起こすんだ・・・

      意識がもうろうとした状態の中で思った、しかし数秒もしない内に私の心臓があれ程早く鼓動

      するのかと思う程早くなっていた、鼓動と言うのかケイレンと言うのか、非常に気分が悪く

      看護婦さんの問い掛けに返事する事が出来ない状態でした、1〜2分の時間の経過とともに

       次第に心臓の心拍数も落ち着いて気分も良くなる、ナース室のモニターに私の心臓の異常が

      現れ看護婦さんが急いで先生に話し、 適切な処置を行ってくれた為に私は命拾いをした。

      ひょっとしたら私はあのまま・・・・・その夜はこのまま寝てしまうと死んでしまう、そう思うなかなか

      眠れず朝まで眠れませんでした。

 

    3、自慢になりませんが・・

      恥ずかしい話で記載は、したくはなかったのですが、一度悪くすると完全には治らない生涯この

      病気とお付き合いする見本です、皆さんくれぐれも成人病に気を付けてください。

西暦     病 院 名    入院状態 入 院 日 数
1988       日立記念病院 具合が悪くなり入院  
1988          東大病院    継続入院  約2ヶ月
1990       三井記念病院 具合悪くなり119で入院  
1990       三井記念病院    継続入院  約2ヶ月
1993       三井記念病院    治療入院  6日間
1993       三井記念病院    治療入院  6日間
1993       三井記念病院    治療入院  6日間
1998 葛西循環器脳神経外科 具合悪くなり119で入院  20日間
1998 葛西循環器脳神経外科    継続入院  6日間
1999 葛西循環器脳神経外科    治療入院  5日間

          

        私が行った風船療法      

動脈硬化で狭窄した冠動脈を 広げるを

為に通した管。

バルーンを広げる前。
冠動脈を広げる手術でバルー ンを広げ

たところ。

バルーン手術で広がった動 脈。

 

4、主な予防と対策 

  狭心症や心筋梗塞症を引き起こす原因を「冠危険因子」と呼んでいます。これには、

  高血圧症、糖尿病、高脂血症、肥満、喫煙、ストレスと遺伝的素因があります。

  ほとんどが成人病と呼ばれている病 気であり、最近はこれらを「生活習慣病」と呼んでいます。

  もし、これらの因子があれば、早め に治療や是正が必要です。生活の悪い習慣を改め、

      規則正しい生活をして、医師に ご相談ください。

      また、ふだん経験したことのな い胸部から上半身の不快感が持続する場合は、胸の痛み

      でなくても放置せずに、できる だけ早く医師に相談してください。

      すでに心臓病と診断されている 方は、発作が起きた時にどこの医療機関で受診すればよいか、

      医師によく相談し、決まった医 療機関がない場合は一刻も早く119で循環器病院に行く

      ことです。                                                       

      冠動脈形成術(風 船療法)

      (PTCA)= 動脈硬化で狭窄した冠動脈を広げる手術で、風船療法”です。先端に風船

      (バルーン)のついたカテーテ ルを使って、冠動脈の狭窄部でこの風船をふくらませ、動脈を

      広げるのです。

      風船で十分に広がらない場合 は、特殊な合金による金属を網の目状にした筒(ステント)を

      血管の内部に入れ、内側から補 強する方法もあります。

      いずれの方法も、冠動脈造影検 査と同じ要領で、局所麻酔し、カテーテルは足の付け根や

      ひじの動脈から挿入します。

      局所麻酔をする為、殆ど痛みは ないが風船治療中に、冠動脈の狭窄部でこの風船をふくら

      ませる為、完全に血流が無くな り発作を起こした病状と同じ状態になる、1分以内のカウント

      ダウンと思が、上手く広がるま で繰りかえして数回この治療を行う、何度経験してもいやで

      ある、最初にこの治療を行った 時は緊張して体が硬くなり震えていた記憶がある。

      この治療を行うと一晩ICUに 入り、カテーテルを挿入した右足は6〜8時間は絶対の動かせ

      ない、(動脈に挿入したカテー テルの穴が完全に固まる迄)横になれない勿論寝返りもできない

      私は腰痛持ちであるからこの安 静が風船治療より辛かった。

      また治療の結果を見る為に多量 の造影剤が体内に入る為、治療後の安静時に気分が悪く

      なり私は嘔吐するときもある。

      入院中に一度この安静に絶えら れず体を動かし出血してベットを真っ赤に汚した患者さん

      を見た事がある。

      実は私も少し汚した事がある、 それ程体を動かさずにじっと寝ている事が辛く、腰が痛く

      なるのである。

       

     冠動脈バイパス術

       冠動脈の狭窄部が“風船治療”を行うのに難しい場所にあったり、この治療法では危険を

       伴う時、また複数の個所が狭くなっている時は、冠動脈バイパス術が必要になります。

       バイパスには足の静脈か、胸、腕、胃の動脈を使います。

 

    5、非常に高かっ たコレステロール

      病気になる前何度か献血をした、後から送られて来た検査表のコレステロール数値が異常に

       高かった、通常は200以下のところ330であった、体の何処も具合が悪くなかったので気にも

      しないでほっておいた、現在コ レステロールの数値を下げる為に朝晩薬を飲んでいるが、それ

      でもなかなか数値が下がらず 220有り、先生はもっと下げた方が良いと言っていた。

      高コレステロールは動脈硬化の 要因であるから十分気を付けたいと思って、注意しているが

      なかなか下がらない、これが私 の現状である。

 

    6、病気になった 当時の生活

 

      好きな飲食物

       豚肉(多少脂身が多い)・魚貝類(ウニ・イクラ・カニ・たこ・海老・ホタテ・魚貝類の内臓、肝類)

       清涼飲料水(ジュース)・塩辛い物が大好き(濃い味)・タバコ1日1箱半。

 

      嫌いな飲食物

      野菜(食べられない事はないの ですが自分から好んで食べませんでした)

      お酒(付き合いで飲む程度で ビールコップ1〜2杯が限度、晩酌はしない。

 

      肥満度

      当時は理想の体重より約12キ ロオーバー運動らしき運動は行わなかった、少年野球の監督

      をしていたが軽く部員と一緒に 準備体操とランニング・トスバッティングと、その位では

      ダイエットにはならなかった様 である。

 

    7、現在の生活

        食事はなるべく塩分は控える・肉類は2ヶ月に1度位にする・元来好きである魚貝類の卵、

       内臓、肝は食べない様に注意する。

       野菜は毎日食べる様に心がけ、タバコはやめる2日に1度は約40分のウォーキング・自然

       が好きで アウトドアーを楽しむ・この病気をしてから山登りをするようになった、何故ならガンで

       余命幾日もないと医者から宣告された人が、それなら好きな山に登ってからと山に登っている

       内にガンが治ってしまう、その様な記事を見たことが有るからである。

       何れも女房と一緒に登るのですが、富士山に登った時の話ですが頂上まであと少しと言う

       ところで御来光が上り始め、山頂の登山者がバンザーイ・バンザーイと叫んでいる声を聞いて

       これはと思い、女房の手を引いて駆け上がり、何とか御来光を頂上で見ることができ、素晴

       らしい御来光に感動した。

       18才のときも富士山に登った事があるが、若さにまかせて3合目から無理して登り、頂上付近

       ではやっとの思いで登った記憶がある、今回は八合目で山小屋に泊まり夜中に起きて登り

       始めた、女房のペースに合わせてで登った為、比較的楽に登れ、私は更に観測所まで登ってみた。

 

       登った山

       乾徳山・三峰山・三頭山・谷川岳・田代山・大菩薩・大岳山・富士山・高尾山・筑波山・

       尾瀬が原・その他ハイキング。

  

    8、知らぬ間にス トレス

       町会の役員(青少年育成部)・青少年地区委員(企画部、年に数回行事を企画実行)

       子供会軟式少年野球部監督(子供がお世話になっていた為、たまには応援にと出かけて

       当時の監督よりBチームのコーチをと頼まれる)

       いずれも嫌いではないが、引き受けた役が多すぎたのか頻繁に集会があり、いろいろな行事

       を企画実行していました。

       少年野球はシーズンオフ以外は毎週試合で、グランドにいる部員にケガをさせない様に

       気を使い、また指導もしました。

 

    9、野球を知らな い監督

      私 の家族は昭和19年戦争中、東京が空襲で激しくなった頃、両親の実家がある山梨県の山間

      にある小さな部落に疎開しました。

       周囲が山と川で平らな所と言えば学校の小さな校庭くらいでした、学校にはソフトボールの

       道具一式は有りましたが、まれに使って遊ぶ程度で遊びと言えば自然が遊び場でした。

       当時は経済的に余裕のある家庭では教育にもそれなり感心があった様ですが、殆どの家庭

       では食べて行くのがやっとの生活で、とても教育まで手がまわらなかった様です。

       家の手伝いも良くしました、朝早く起き自転車で30分かけて町まで新聞を取りに行き配達する。

       15件〜20件位しか配達する所が無く、貰えるお金も月2〜300円程度そのお金も自分で使

       うのでなく家に全て渡す、両親が一生懸命働いている姿を見ると、それが当たり前でした。

       その様な貧しい生活でしたが、学校から帰る途中に良く近くの山や川で遊び、楽しい小中学生

       時代でした。

       学校の授業も先生の話も聞いている振りをして、いつも遊ぶことばかり考えて、早く休み時間や

       お昼時間にならないかな〜・・そんな学校生活でした。

       従がって通知表はとても人様に自慢できる内容ではありませんでした、どちらかと言えば絵を

       画く事と工作が好きだったので確か科目が図工だと思いますが、それだけが若干ではあるが

       良かったでした。

       勿論進学は考えられませんでした。・・・できないってあの成績じゃ・・(^O^)!!

       昭和35年卒業して、その年の7月に疎開先 の田舎から東京に出て来て就職をしました。

       その様な分けで、少年野球の監督をするまで殆ど野球とは縁のない生活をしていた私が、

       監督になっても当然のごとく皆さんが想像する通り、リーグのなかでも下から数えた方が

       早かった様な成績でした。

 

    10、想いでづく り

      少年野球のコーチをしていた頃 から6〜7年間、部員の活動記録をビデオ撮影して保存

      して置き、毎年納会の席で此れ まで撮影したビデオテープを編集してダビングしたテープを

      野球部を卒業して退部していく部員一人一人に <少年野球の想いで>  のタイトルを

      付けラッピングして贈呈しました。

      もちろん野球の記録だけでな く、のちほど記載してあるいろいろな行事も撮影し、編集して

      入っています。

      私は監督としては失格ですが、 私が子供のころ味わった楽しい思いで自然とのふれあいを

      何とか部員にも体験させてやりたいと思い、野球以外で年に何度か行事を計画し、親睦を

      かね父兄を交えて楽しみました。

 

      ビデオテープ最初の字幕 

              少年野球の想いで

                  1990 年  平成2年度

          長いあいだ、ご苦労さまでした

          君たちが大人になって、いつの日か

            このビデオテープを見て、あの頃

          少年野球をやっていて良かったな・・・

             と思ってくれれば幸いです。

 

      クリスマス会

      町会の会館を借り、部員には見 せない様にして(後で入場してもらう時驚く顔を見る為)父兄に

      手伝ってもらい、立て2m横 3mの黒い紙を張りスノースプレイで色々は絵を画きイルミネーション

      やその他の飾り付けで部屋全体 をクリスマスの飾り付けを行う。

      部員の兄弟や父兄を交え親睦を はかる、最初は雰囲気を出す為子供一人一人にローソクを持た

      せ大人が火を付け部屋の電気を 消して賛美歌と言いたいところ<きよしこの夜>を歌う、現在の

      若者が見ると臭い話と思うかも 知れませんが小学生の頃は未だ心が純粋ですからね・・・(^O^)!!

      子供にはお菓子・ジュース・ ケーキ・チキン・海苔巻、大人はそれに缶ビールが付く。

      プレゼント交換・ゲーム等3組 に別れ1〜3位の順で景品を付けて楽しむ。

 

      サマーキャンプ

       毎年8月の始め頃1泊で部員の家族と親睦を兼ねてサマーキャンプを行う、参加は自由でした。

      サマーキャンプと言っても野球 の練習は翌日の朝だけ少し行い、後は川遊び・バーベキュー

      釣り・マスのつかみ取り、プレ ゼント交換等をして遊ぶ、つかの間の2日間でしたがとても楽し

      い想い出になったと思います。

      行く場所は殆ど東京都五日市青 年の家でした、山や川が有って水遊びが出来るところです。 

      利用代も子供一人1泊で食事付 きで1500円以内大人でも2000円以内と安く、当時監督を

      やっていた頃は毎年本当にお世 話になりました。

      確かテレビの番組で見たと思い ますが最近は青年の家の利用客が少なく存続が危ぶまれている

      話を聞いたような気がします、 利用条件はおおむね6人以上のグループならどなたでも利用

      できる様です、何とか皆で利用 して存続して欲しいと思います。

      上記の青年の家利用代金は私が 利用していた当時の料金の為詳細は下記参照願います。

      現在の東京都青年の家詳細はこちらでお願い致します

 

    11、大変だったけど楽しかった

       病気をしてから町会役員・地区役員・少年野球・と一切の役から手を引いて現在に至って

       いますが、また最近一寸だけ地域の何かボランティアをやって見たい、そんな気持が湧いて

       来ました。

       確かに何れの役も大変だったけど楽しかった事も多かったです、当時部員のお母さんから

       先日、想いでのビデオテープを見て笑ちゃった〜。そんなはなしを聞くと私の方が少年野球の

       監督をやっていて良かったな〜と思う次第です。