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BACK TO THE FUTURE PERSONAL PAGE

PERFORMER

マイケル・J・フォックス
デロリアン

マイケル・J・フォックス

1961年6月9日、カナダ・アルバータ州エドモントン生まれ。
本名はMichael Andrew Fox。父親は陸軍軍人。5人兄弟の4番目。父の仕事上各地を転々とする。プロのアイスホッケー選手を夢みたが身長が足りず断念。15歳の時カナダ放送の“Leo and Me”に出演。18歳でロサンジェルスに渡り、80年“Midnight Madness”で映画デビューするが伸び悩む。が、NBCが82年に開始したTVシリーズ「ファミリー・タイズ」で人気者となり、85年「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で世界的な人気を獲得。88年、「ファミリー・タイズ」で共演したトレーシー・ポランと結婚、3人の父親に。その後映画では今一歩だったが、96年からのTVシリーズ「スピン・シティ」でゴールデングローブTV部門の主演賞を受賞した。しかし98年、パーキンソン氏病であることを公表。以降は療養しながらマイケル・J・フォックス財団を設立し、パーキンソン病の研究に多額の寄付を行っている。
「BACK TO THE FUTURE」に出演したときは、1985-1961=24歳。2&3に出演したときは、1990-1961=29歳である。30歳近くで、高校生役を演じていたことになる。高校生というには、さすがにきつかったが、それでもすごいと思った。


デロリアン








 今から約30年前の話。当時GMの副社長をしていたのがジョン・Z・デロリアン氏。彼が自分の自動車会社を持とうとしたのがその頃。「GMをクビにした男」とまで言わせて、デロリアン氏はGMを辞任し、1978年に作ったのがDMC(DeLorean Motor Cars)。当時イギリスは北アイルランドへの企業誘致に熱心だったので、その力を借りて北アイルランドの都市ベルファストの郊外、ダンマリーに自動車工場を設立する。

工場の建設と同時に進められていたのが記念すべき最初の販売車のデザイン。それが通称デロリアン、,正式名称はDMC-12。"12" にこめられた意味はいろいろあるらしいが、ちょうど同時期に12000ドルのコルベットを売っていてそれに対抗したという話もある。構造設計はロータス社が行ったが、この車にかかりっきりの時期があったため、自社の車を開発できず、会社が傾いたといわれるほどロータス社がこのプロジェクトに絡んでいる。車を印象付ける外装を担当したのはイタルデザインのジュージアロという人物。そのおかげでデザインは25年たった今でも見劣りしないものになっている。外装デザインで目を引くのは、ボディーのステンレスパネルと鳥の翼のごとく扉が上に開くガルウイングドア。こうして1981年モデルから販売を開始する。当初の販売価格は25000ドル。

 生産初年度,つまり1981年には6500台あまりの車が生産される。当初のオプションとしては5速MTまたは3速AT、グレーインテリアまたはブラックインテリアのものがあった模様。ステンレスパネルではなく、塗装を施したものもあるが、それらはユーザーが処理を施したもの(パネルについてしまう指紋の跡を目立たなくするためとか傷隠しのため)で、工場出荷時はすべてステンレスパネル。そして81年モデルの最後を締めくくっているのが2台の純金パネルを装備した車。現在もネバダ州リノのNational Auto Museumとテキサス州のSnyder Bankに展示されていたのだが、テキサスのものは最近撤去されたとか。純金パネルのものは1台250,000ドル以上とか。翌1982年モデルは1100台、83年モデルは900台ほど生産されている。一番最後に製造された車もまた純金パネル。その車を最後にデロリアンは生産されていなく、総生産台数は約8500台とのこと。

 どうしてデロリアンは1983年モデルまでしかないのかというと、車自体の品質があまりよくなかったこと、誘致したイギリスからの援助が得られなくなったこと、そして社長であるデロリアン氏が麻薬のおとり捜査により逮捕されてしまったから。その後の生産計画はすべてストップし工場は閉鎖され、DMCは倒産してしまう。一番最後の世間に出回る車が作られたのは1982年12月24日だったが、それは既に工場が閉鎖されたあとのこと。工場に残ったパーツなどで最後に作り上げられた4台が一般向けの最後。しかし,会社が倒産しても暗いニュースばかりではなかった。ハリウッドではこの車を使って撮影された映画が公開を間近に控えており、そして1985年、バック・トゥ・ザ・フューチャーが全米で大ヒットしている頃、デロリアン氏の無罪が確定した。

 バック・トゥ・ザ・フューチャーは3部作となり大ヒットをおさめる。この映画のヒットでアメリカだけではなく世界中にデロリアンが知れ渡ることになった。DMCは後継会社に引き継がれたが、工場に残っていた金型などは復活を恐れた人たちによって海に捨てられてしまった。それでも部品供給は続けられている。デロリアン氏にはニューモデルの構想があり、2ドア・2シーター、60mph到達が3.5秒で、価格は$17,500程度のものを考えていた模様。結局この次なる夢は実現することなく、2005年3月19日に脳卒中に伴う合併症のため80歳でこの世を去ってしまった。

最新情報によると、デロリアンが復活するらしいが、現在の予定は月産2台。予定価格は、4万5000ドル程度らしく、おそらく、それ以上のプレミア価格となると思われるため、購入は難しいだろうと思われる。