ホアキン・トレンツ・リャド
J. Torrents Lladó(1946-1993)

見たもの全てを解き明かせるとは思ってない。
が、もし可能なら・・・まだ満たされない私の魂のために、
今まで知らなかった感情や未知のものを見つけていけたらと思う。







「ヴェネチア(トルセロ)」1987
はじめて彼の原画を見た時の衝撃は忘れない。
きらめくように飛び跳ねる色と色、生きているようにうねる絵の具たち。
世界にはこんな色彩があったのか・・・。
即興の演奏を聴くように、キャンバスに踊る筆の跡をなぞり、
心臓の高鳴りを感じながら、しばし呆然と立ち尽くす。




「旅人の道」1991
色彩に溢れた影に彩られた風景には、
土地の匂い、文化、人の心まで見えてくる。
ぬくもりに満ちた光と影の色。




「ジヴェルニー(モネの家)」1989
きらきらした光の世界はある意味、
印象派モネの作品にも似る。
事実、彼はモネに大きな影響を受けたという。
『全身を絵の中の風景に包まれる感じ』がする
モネの描き方に対して、リャドはのそれは
『キャンバスとその周辺』に集約される。
それはスケールの違いではなく、
感動を受け取った画家のスタンスの違い、
精神性のあり方の違いである。
リャドは常に窓枠のこちら側で思慮している。


 真っ白なキャンバスのようなリャドの心の壁には、真四角に切り取られた覗き窓がある。そのフレームからは眼も眩むようなまぶしい光が注ぎ込み、彼の心は外へ外へと、まだ知らぬ世界を探し出そうとして窓枠に身を乗り出し、無垢な子供のように手を伸ばす・・・。


 生まれるべくして生まれた『光の収集家』トレンツ・リャド。光と影で作られた美しいマヨルカにアトリエを構え、半世紀に満たない、短くも華やかな生を駆けぬけた現代の天才である。
 キャンバスの中で光は飛び散り、滴り、縦の光と横の風となって、四角いフレームから色彩がこぼれ出る。躊躇することなく明度にへだたりある色を隣り合わせる彼の絵は、光と影を象徴的に捉えた『現代の印象派』ともいえる作品である。

 彼の作品にはよく色彩で区切られたフレームが現れる。フレームは「窓」であり、窓は私たちのいるこちら側の世界と窓の向こう側の世界を、きちんと分けてくれるのである。絵の中の素晴らしい光と色彩に溺れることなく、そこに立ちすくんだまま窓からのぞく素晴らしい感動を手に入れることが出来る。日常生活のほんの狭間に、ちょっとしたバカンスを楽しむことが出来る。
 白い壁にこれほど似合う絵はないだろう。彼の絵が現代の人々に拍手を持って迎えられたのは、今を生きる私たちの、ライフ・スタイルと嗜好にぴったりと合っているからなのかもしれない。


「ためいき橋U」1991
ここでも光と、その影である紫が混じり合う。
ベニスの吐息を封じ込めた、
彼の繊細な魂を感じさせる水彩の一枚。
紙の上で色彩は集い、散り広がる。
ダンスを楽しむかのように。



「水に映る木立」1991
イスラムの香り漂うスペイン南方、アルハンブラ。
天に向かう糸杉、咲き乱れる花、悠久の赤。
その薫り豊かな庭園の色彩を、
こんなにも美しい煌きに捉えてしまう。

憧れの地グラナダを訪れた時の感動を、
リャドはそれ以上の大きさで私に思い出させてくれた。

 乾いた風土に特有の色彩を帯びた影。特に彼の作品には魅力的な紫色が多く含まれている。ピンクよりの紫からネイビーに近い紫まで、おそらく光のイエローに対する補色として、自然と現れてきたものなのだろう。シルクスクリーン作品は日本でもかなり見られるようになったが、やはり原画の色ははるかに鮮やかに躍動し、美しい。


 5歳から絵を描き始めたリャドは、弱冠19歳にして大学の助教授に任命されたほどの早熟の天才である。どの分野でもそうだが、天才とは本人が努力をしていると意識していないもの、または他人にはその努力が見えていないものであろう。彼の絵には、極限まで探求したからこそ見えてきたはずの、ものの本質を露わにする魅力がある。
 滴るようにたっぷりとキャンバスにのせられるつややかな油絵の具。眩しいほどに輝く彼の目が捉えた風景。そして消えそうに儚(はかな)く、砕けてしまいそうに繊細な水彩の色。そのどれもが彼の魂のエネルギーそのものである。

 そこまで鋭敏に何かを捉える術を手に入れてしまった彼は・・・何を思いつつ世界を見つめていたのだろうか?
「自画像」1984
なんて孤独な瞳なのだろう。
彼の多くの自画像の中でも、ひときわ心惹かれた一枚。
何かを探し続け、求め続け、
見えたものを描いていく。
リャドは表現者である前に、探求者であった。








「オリバーとマリア」部分1987
太陽に灼かれた熱い赤土を思わせる、
力強く高貴な赤い光と影に包まれ、
浮かび上がる2人の子供たち・・・。
ほんの小さな子供たちが強くしなやかで
大人に負けない不可侵の品性を備えていることを、
真実を求める画家の目は見抜いていたのだ。




「バージニア・ロペス嬢」
美しい比率(プロポーション)で構成される肖像画。
人物を最も強く感じさせる『顔』から離れるに従い、
筆のタッチが大きくなる。
即興的な動きと鮮やかだが品のある色遣いが、
彼の肖像画の特徴である。

 日本ではまだ比較的知られていない彼だが、肖像画では「ベラスケス」と比較されるほど世界的に有名である。
 驚くのは空間と人物の関係の美しさ・・・。あくまで対象は人物でありながら、黄金分割ではないかと思うほどの絶妙な美しい空間が描き出され、人物の魅力を最大限に引き出すのである。写実的に描かれるのは視線を集めたい「顔」周辺のみであり、背景は近くで見るとその即興性に目を見張るような、大胆な筆致である。だからこそ広くとられた空間から、自然に人物へと目が導かれるのだろう。
 ただ人物を描くだけでは決して表現することのできない、空間との関係で表現される肖像画。それまでのにはみられなかった手法である。







「CARMEN BATIDOR」1991
的確で鋭いナイフと筆の動き。
リャドの画趣を上手く生かした肖像である。
光のイメージを暗い背景に置いていく。
感覚的に置かれていく光は、
具象でないにも関わらず、
対象のイメージを強烈に放つ存在となる。
情熱、集中力、高い自尊心を備えた、
フラメンコを舞うカルメンのイメージ。




「ソン・エスパセス公園の片隅」1990
水彩画からもう一点。複雑な色彩の交響曲である。
蔭の中にはこんなにたくさんの色彩が溢れているのだ・・・。
ものを捉える目を鍛えてゆけば私もいつか、
こんな色を見つけられるようになるだろうか?


 享年47歳、突然の死が彼を襲ったとき、まだ私はリャドという画家を知らなかった。偶然入った画廊で稀に目にする鮮やかな作品に心惹かれ、ようやく「ホアキン・トレンツ・リャド」という名前を知ったとき、既に彼はこの世の人ではなかった。こんなに近い時代に生きていながら、日本ではまだリャドの名はそれほど広まっていなかったのである。
 「神々の肖像画を描くために、天国に召された」と称されるリャド。煌くような色彩の乱舞を前にして、いったいどんな思いでキャンバスに向かっていたのだろうか。オペラを口ずさみながら巨大なキャンバスにあっという間に作品を仕上げたというリャド。彼の脳裏にはどんな映像を、その光の中に見ていたのだろう・・・?


 "Sol y Sombra(太陽の光と影)"・・・スペインを表現するこの言葉は、そのままスペインの天才画家リャドの世界にも当てはまるような気がする。真っ白な家の壁にいつの日か、彼の絵を飾ってみたい。


「碧水」1990
原題は「Agua Azur」。
非の打ち所のない水の美しさ。
何もかも忘れて太陽に照らされながら、
その水にぽっかり浮かんでいたくなる。
世界に降り注ぐ、光の恩恵。










「カネットの夜明け(マヨルカ)」
1990
縦の水面、横のハスの葉、
そして木洩れ出る夜明けの光。
四角く切り取られた縁は絵を狭めるどころか、
この瞬間の感動を永遠のものに変える魔法なのだ。
この窓の中を覗きさえすれば、
私たちはいつでもカネットの夜明けに
出会うことができる。

参考文献:J. TORRENTS LLADO (ガレリア・プロバ)
Joaquin Torrents Llado(ガレリア・プロバ)

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