目覚めの日──。
人魚の国では、18の誕生日を迎えるその日に初めて深い海の底から、地上の人間の住む世界を見ることが許されます。
人魚の国の女王の愛しい申し子、キース・アニアンはゆっくりと目を開きました。
まだ頭がぼんやりしています。まぶたの裏に水槽越しのビジョンが僅かに残っていました。
彼は普通の人魚の姫ではありません。水槽から生み出された生命体、無垢なる者……手塩をかけて育て上げた姫を、女王はとても大事にしていました。
「……マザー」
美しい黒髪の女性が微笑んでいます。
気分はどうですか、とたずねられると、キースは軽く頭を振りました。今日が目覚めの日、初めて地上へ上る日だと思い出したからです。
『行ってらっしゃい、キース』
女王は優しく言いました。
深い海の底から、まっすぐにキースは泳ぎました。
闇色の髪と、ときおり深い青にも、碧にも色を変える鱗は彼が無垢な者である証です。
地上へと──
そこに何が待ち受けているのか、キースは知りません。しかしまだ見ぬ地上を目指すことは、彼を高揚させました。
一心に泳ぎ続けるとやがて頭上に淡い光が見えます。光はやがて眩しいほどの銀色にキースの目を焼きました。
初めてだというのに何故か懐かしく、キースの心を捉えてやまない強い光。あと少し、あと少しとキースは強く尾鰭を動かし続けました。
やがて、銀色がはじけてキースはぽかりと海上に頭を覗かせました。
肺に満たされた海水の替わりに、胸に、爽やかな潮の香りが満ちます。しばらくキースはそんなふうにして、潮風の香りを楽しんでいました。
やがて空が翳り始め、潮の香りに異変を感じ取ってキースが顔を上げると、最初の雨粒の一滴がキースの頬を叩きました。
海の天気はひどく変わりやすいものです。すぐに海は大きくうねり、雷鳴がとどろくと豪雨が降り始めました。
恐ろしさといったものは感じず、キースはそれでも、自然の驚異をその目に焼き付けようと目を見開いていました。
そして気が付きました。一隻の帆船が、遠く波に揉まれて今にも沈みそうになってしまっているのを。
荒い波を海中に潜って避けながら、キースは船に近づきました。近づいて見るとその船がたいそう大きく、立派なものであることが分かりました。
船上で何人かの人間が忙しく立ち働き、船が転覆するのを堪えようとしているのも見えます。初めて見る人間の姿にキースは心を奪われました。
用心深く波間に姿を隠しながら、ぐるりと船の周りを一周すると、船上の人間たちの中で、ひときわ目を惹く人物がいることに気付きました。
姿は小さいのですが、船上の男たちを励まし、自らもけなげに立ち動く姿にキースが見入っていると、直後轟音がとどろき、雷が船のマストを直撃しました。
船がまっぷたつに裂け、人間たちが海に放りだされるのを見て、キースは即反応していました。考えるまでもなく、身体は勝手に動いていたのでした。
浜辺にたどり着き、「彼」の身体を砂の上に横たえます。
間近で見ると、いよいよ印象的な少年でした。海水を吸って重くなった服の襟元をくつろげようとして、キースはひどく破廉恥なことをしている気分になって、手をとめました。
色を失い、紙のように白い唇。僅かながらに呼気はあります。キースがほっと身体の力を抜くと、向こうから人の近づいてくる気配があります。キースは慌てて岩陰に身を潜めました。
息を殺していると、近づいてきた人物はすぐに岸辺に打ち上げられた少年に気付き、声を上げて駆け寄ってきました。
「シロエ?! シロエじゃないか!」
あの少年の名前はシロエというのでしょう。
金色の髪をしたその人物は、正体のないシロエを抱え上げ揺さぶります。キースの危惧をよそに、シロエはうーんと呻いて意識を取り戻します。
「あ……ジョミー? ここは……僕はいったい……」
「僕がやってきたら、君がここに打ち上げられていたんだよ。ああ、動かないでシロエ。今リオを呼んでくるから」
二人はどうやら旧知のようでした。
「ジョミー、あなたが僕を助けてくれたの?」
シロエの言葉にキースは自分の胸が疼くのを感じました。それも初めて感じる感情でした。しかし、まさか名乗りなどを上げられるわけがありません。
キースはそのまま後ずさると、海中へと身を投じました。これ以上、二人のやり取りを聞いていたくない気がしたのです。
・・・というような感じですが、ほぼ同じ文章を前にも書いたことがある気がしましたよ。。。