「シロエ。シロエ、起きてくれ」

 毛布に埋もれた肩を揺すられて、シロエは目を覚ました。
「なに……? キース」
 渋々と目を開けようとするが、なかなか上手くいかない。部屋の中はまだ暗い。露出した頬にひやりとした空気を感じて、ぶるっと身震いした。
「うー。寒い」
 ようやくはっきりしてきた目を動かして、シロエを揺すっている人物を見遣ると、キースはもう着替えを済ませていて、何故かは分からないが幾分興奮している。
「おはよ、キース。どうしたの?」
「シロエ。起きて、外を見てくれ」
 目をこすりながら、シロエは往生際悪く毛布のなかで身体を丸め、もぞもぞと足を動かした。自分の体温で暖められた場所の居心地よさにとろとろと引き込まれそうになる。が、業を煮やしたキースによって毛布を引き剥がされてしまい、怒りの声を上げた。


 キースに促されるまま、閉ざしたカーテンを少し捲って窓の外を見る。
「雪……」
 視界一面に、白いものが舞っていた。しんしんと、音を立てそうなくらいに。実際にはあたりは静まり返っていた。見慣れたはずの、窓から見下ろす景色がまるで別のものに思える。
 時計を見るとまだ六時を回っていなかった。降り始めたばかりだろうか? しかしこの調子ではかなり積もりそうだ。思い出したように、シロエは息を吐き出した。室内だというのに息は真っ白だった。
「雪を見せたかったの?」
 後ろに立つキースを振り向くと、キースは真面目な顔で頷いた。「僕は初めて見た」
 先ほど起こしに来たときのキースを思い出して、シロエはくすくすと笑った。あんなキースはなかなか見られるものではない。だが言われてみれば、キースは実質四歳児のようなものなのだ。生まれて初めて見る雪……シロエはくすくす笑いを引っ込めた。そして何となく粛々とした気持ちになって、キースと一緒に窓の外へ目を注いだ。

 ニットのカーディガンをパジャマの上に羽織り、ストーブに火を入れる。
 石油のストーブなのだが、着火が悪く、自分でマッチを擦ってやらないと点火しないのである。
「うー……冷える」
 冷えるはずである。何しろ外は大雪、今日が休みでよかったとシロエは考える。
 キースはまだ窓に張り付いて、飽きもせず外を眺めている。

(「犬はよろこび庭駆け回り──」)

(……外に出たいのかな?)

 ちなみにシロエはこたつで丸くなりたい派である。ミルクを火にかけ、キースのほうを振り向いた。

「ちょっと外に出てみよっか」


 玄関から一歩外に出て、踏みしめた地表が、すでに数ミリの雪で覆われていることに驚く。
 ぼたん雪というのだろうか、水分を多く含んだ、ふわふわとした白い塊状の雪が、あとからあとから降り積もる。着地すると溶けて滲みを残すのだが、切れ間無く降り続くために、やがて白く着雪していく。
 シロエはパジャマにカーディガン姿(おまけに素足にサンダル)で、玄関先で腕組みするようにして、先に外に出たキースを見守るにとどめた。
 キースは危なげなく中庭まで歩いていって、早くも積もりだした雪面に自分の足跡が付くのを珍しそうにしている。その肩や黒髪にぼたん雪が白く舞い降りるのを、シロエは見慣れない気持ちで眺めている。
「先輩、面白いですか?」
 生あくびをかみ殺し、二の腕を自分で擦りながら声をかけると、キースは振り向いた。そしてふわりと笑った。
「ああ。面白いようだ」

(──?)

 シロエの頭のなかで、いくつかのイメージが湧き上がる。掴もうとするとするりと逃げ、毀れて消えていくそれらのイメージに首を捻る。
 そして、最後に吹き零れるミルクのイメージ。
「! 火にかけっぱなしだった!」
 シロエは慌てて家の中に取って返し、降り積もる雪の中にキースが残される。

 コンロの火を止めながら、シロエは先ほどのイメージ群について考えた。ミルクは幸い、吹き零れる直前だった。
 何かを忘れている、何か大事なことを。今日が休み? 一体何の日? どうして休みだなんて思ったのか、それが何であるのか、シロエはどうしても思い出すことができない。
 マグカップを並べ、ミルクを注ごうとして、ひとつのカップの持ち手がわずかに欠けていることに気付く。シロエの瞳が大きく見開かれる。手が震える。ミルクパンから注がれる、ミルクが毀れてテーブルクロスに盛大な滲みを作った。


「キース! キース先輩!!」

 キースの名を呼びながら、ドアを開け放ち、あたりを見回す。思ったとおり、キースの姿がない。
 シロエは泣き出しそうになりながら、突っかけたサンダルでまろぶように中庭に飛び出す。シロエの髪が、肩が、舞い降りる雪であっという間に真っ白になる。
 狂ったようになって走り出す、シロエは雪に足を取られて転倒し──






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