シャングリラ学園中等部、二年生のセキ・レイ・シロエは足取りもかるく学園への道のりを歩いていた。
  紺ブレザーの制服がよく似合っている。学園指定のマフラーを巻いて、通学かばんを片手に歩む姿勢はまっすぐで、人目を引く。
  同い年の少年たちに比べると小柄なシロエだったが、シロエはどこにいても目立った。本人もそれをよく弁えていて、勝気な言動の多い彼には敵も多かったが、それ以上にシロエの周りには常に人がいた。
  めずらしく、今朝はシロエの周りに取り巻き連中がいない。
  小高い丘の上に位置するシャングリラ学園は、中等部と高等部の校舎が隣り合わせになっていて、坂道の途中が分かれ道となる。中等部は横道に逸れ、高等部はそのまま坂をまっすぐ。レンガ造りの瀟洒な建物は、この街のシンボルともなっている。
  迷い無く歩みを進めるシロエの少し先で、同じ中等部の制服を着た少女が二人、街路樹の陰でなにやら押し問答をしている。
  片方の小柄な、髪をツインテールに結んだ少女が、もう一人の少女に道の真ん中に押し出されてしまう。まろぶようにしてシロエの前に飛び出た少女は顔を真っ赤にしてして立ちすくんだ。
  どうにかこうにかその手に小さな包みを押し付けると、後も見ずに校舎のほうへ走り去ってしまった少女。口笛ではやし立てる上級生や下級生たちへ向け、シロエは余裕の微笑みを浮かべた。




「──17……18、19と。今年は少ないなぁ」

  ゲタ箱を開けるとそこにもいくつかの包みが入っていて、雪崩落ちてくるそれらを拾い上げ、カウントしながらシロエはひとりごこちた。
  人気者のシロエは、下級生、上級生からも幅広く人気があった。
  当然のように、バレンタインに貰うチョコレートの数も多い。甘党のシロエは単純に貰えるチョコレートが嬉しいのだが、他者から好意を寄せられることにも悪い気はしない。今朝取り巻き連中の朝のお迎えを断ったのだって、もちろん、そうしたほうがシロエに好意を寄せる少女たちがチョコレートを手渡しやすかろうと思ってのことだ。
  自然にゆるんでしまう頬を引き締めながら、振り返ると誰かにぶつかった。
「わっ!」
  はずみに取り落とした紙袋から、どさどさとチョコの包みが散らばった。
「ちょっと、気をつけてよね!」

  声を荒げて向き直ると、そこには。

「キース・アニアン!? なんで高等部のお前が此処に!?」

  シロエの叫びを聞きつけ、通りすがりの女子生徒が黄色い悲鳴をあげた。そのまま走り去る後ろ姿を、シロエは呆然と見送る。
  キース・アニアン。
  シャングリラ学園高等部に、昨年春転入してきたキースとシロエは、最初から反りが悪かった。キースの転入後すぐに、決闘騒ぎをひき起こしたことさえあるのだ。決闘自体はバカバカしい結果に終わったが、その後も幾度となくシロエはキースにちょっかいを出して、キースもそれを受けては毎度の騒ぎが勃発した。
  シロエは、どうして自分がこうしていちいちキースに突っかかっていってしまうのか、自分でも戸惑っている。
  黙って立っていればモデル並みの容姿、頭脳優秀スポーツ万能のキースは、涼しい顔で転入してすぐに居場所を確立し、シロエが数年後には納まるであろう高等部の生徒会に出入りしては采配を振るっていた。それが気に入らないのだろうか……。
  気には食わないが、高等部のキースは中等部のシロエとは基本的に無縁のはずだ。数年後シロエが高等部へと上がったときに、キースはもうその場には居ない。
  そこまで考えて、シロエはその考えにズキンと胸が疼いたことに驚いた。
  気付くとキースが何か言っている。

「セキ・レイ・シロエ。今日が何の日か知っているか」

  ピンときた。
  ははぁん。なるほど、そういうことか。

「モチロン分かってますとも、キース先輩!」
  いつもの挑戦的な表情をはりつけ、シロエはキースを見上げる。わざと語尾を上げ、相手の神経を逆なでするような言い方をすると、キースの眉がわずかにはね上がった。
「受けて立ちますよ、この勝負」
  シロエが大仰に両手を広げてみせるが、キースは微動だにしない。自分から勝負をけしかけてきてどういうことなのだろう。苛だったシロエは更に言葉を繋ぐ。
「放課後、高等部の体育館裏。そこで決着を付けましょう」
  シロエの言葉に、ややしてキースは頷いた。

  ──忘れるな、キース! 放課後、高等部の体育館裏だ!

  んっ? と、二人が同時にデ・ジャ・ヴュに首をかしげたとき、校舎のほうから賑々しく少女たちの声が近づいてきた。先ほど走り去っていった少女が、友達を連れて戻ってきたらしい。キースは事情を知らない中等部の少女達から、絶大な人気があるのだった。






  そして放課後。決戦のときが刻々と近づいてきている。
  シロエはその後も着々とチョコレートの数を増やし、総計三十六個のチョコレートをゲットした。休み時間の合間合間に、さりげなく席を立って一人になる。わざわざ別棟の下級生の教室があるほうを出歩く。そんな、涙ぐましい努力のたまものでもあった。
  本当は下校の最中が一番稼げる場面であったりもするのだが。だがそれは、敵も同じ条件だと思いなおす。
  両手に包みでいっぱいの紙袋を下げ、シロエは意気揚々と決戦の地へ向かった。
  中等部の門を出、高等部へ続く坂道へ。体育館裏へは、ぐるりと校舎を回っていかねばならない。見慣れぬ校舎は敵地のようにも思える。
  緊張しながらたどり着いた体育館裏、まだ敵はやってきていない。時計を見ると時間の五分前。しまった、うっかりはやめに到着してしまった。遅刻してやってきて、敵を焦らすのが常套手段だというのに。シロエは歯噛みする。これではまるで、自分がキースに会うのを楽しみにしていたみたいだ。
  いらいらしながら待つこと十五分、「遅れてすまない」と現れたキースに、さっそくシロエは噛み付いた。

「そちらから吹っかけておいて、待たせるとはいい根性ですね、キース・アニアン」

  さっそく……と言い掛けたシロエの言葉尻がもぐもぐと口の中に消えていく。
  なぜならキースの手には、一見してシロエに勝る巨大な包みが抱えられていて……。



  悄然とするシロエを、キースは不思議そうに見下ろしている。

「どうしたんだ? シロエ」
  どうしたもこうしたもない。
「……僕の負けです。数えなくたって一目瞭然じゃないですか」
  シロエの手から取り落とされたチョコレートを、キースは拾い上げた。可愛らしくラッピングされた、小さな包みだ。なんともいえない、複雑そうな表情をしたのをシロエはうつむいていたために見逃した。
「……その、負けというのがよく分からないが。まあいい、今日はバレンタインと言って、チョコレートを手土産に意中の相手に告白をしても良い日だそうだ」
「知ってますよそんなこと」
  なげやりにシロエは言ったが、次がれた言葉には時間が止まった。

「手土産だ。受け取れシロエ」

「……はい?」

「シロエ。僕と交際してくれ」
「はい??????」

  紙袋を手渡され、シロエの顔が???マークで埋め尽くされる。

「え……え、ええ〜〜〜〜っ????!!!!」

  チョコレートの数を競う勝負じゃ、なかったの?!

  動揺するシロエは、うっかり紙袋を受け取ってしまった。キースに手を取られ、がしりと握り締められても気付かない。

「お前の手はまるでホワイトチョコレートのようだ。食べてしまいたい」
「ちょっ……!!」

  何考えてるんだー!!!!!!






「初めてお前に会い、勝負したときからずっと考えていた。どうして、お前を見るとこれほどまでに僕は高揚するのかと」

  熱く、苦しく、痛い──

  キースの独白は続く。シロエはいたたまれない。顔から火が出るほど恥ずかしいのもあるが、キースの言葉はシロエの内心にも通じるものがなくもないのだ。
  学年の違うキースに、どうしてあれほどまでにムキになって勝負を挑んでいったのか。今回だって、勝手に勘違いをして空回った。いつもそうだ、キースのことになると、シロエはおかしくなる。
  大人しくなったシロエを、今度は柔らかくキースが触れてくる。
「長いこと考え抜いて、ようやく分かった。多分、僕は、お前を……」
  雰囲気に流されてしまいそうになる。シロエは赤い顔で、どうにかこうにかキースの体を押しのけることに成功した。
「ま、待って! 待ってください。今回は僕の負けで認めるから、しばらく考えさせて!」
  キースは不満そうな顔をしたが──
「……まあいい、僕も少し性急だった。とりあえずこのチョコレートは、受け取ってもらえるだろうか?」
  紙袋を腕の中に押し付けられ、シロエはこくこくと頷く。真剣な顔で愛の告白をするキースのことを、内心魅力的だと思いながら。





  ちなみに紙袋の中身は、等身大のシロエ型チョコレートだったため、変態よばわりされてこっぴどく振られたキースが生徒会室の面々に泣き付きに行ったのだとかなんとか。





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