マザーイライザのデータバンク内ではさほど重要視されてはいないらしく、ステーションの生徒たちの個人情報には誰でも簡単にアクセス出来る。
シロエが初めに入手したキース・アニアンの情報も、そんなごく重要度の薄いデータに過ぎなかった。しかしシロエにとってそれは大きな意味を持つ。
他の生徒たちはきっと、疑問にすら思わないに違いない。
しかしシロエは違っていた。シロエは自分の個人情報データにもアクセスしてみた。
セキ・レイ・シロエ、出身地はエネルゲイア。生年月日と父母のファースト・ネーム。ファミリー・ネームの「セキ」は、エネルゲイアではありふれた名前だ。シロエはそれを、おぼろげな記憶と、コンピュータに蓄積されたデータを照らし合わせることしか出来ないけれども。
キース・アニアン、機械の申し子。
キースにも生まれた日があり、父母の名が存在することにシロエは純粋な驚きを覚えた。それが、捏造されたものだということには思い至らなかった。シロエのデータは自分の記憶にあるものと、大まかには一致している。ならば、キースのものもそうなのだろうと、疑うことをしなかったのだった。
「誕生日など、意味のあるものとは思えない」
想定内のことを、表情を変えずに言う。けれど、その声はいつもより当惑気味でシロエは口角を吊り上げる。
十二月二十七日、ニューイヤーズパーティを数日後に控えた、少しだけ慌しいこの時期。
「僕たちは計算されてこの世界に生み出されている。日付には意味がない。それはランダムな配合の結果に過ぎない。君の言うパパやママも、現実には血の繋がっていない養父母だ。感傷的になるのは止めろ」
シロエに正論は通じない。
「感傷で言っているんじゃないんですよ。正しいからしている、それだけです」
シロエが白と言えば、黒も白くなる。しまいにはキースは、そう感じるようにさえなっていた。
シロエはどこからか手に入れてきたスポンジケーキにろうそくを点し、「ハッピーバースデー」を歌った。
お誕生日おめでとう、お誕生日おめでとう、親愛なるキース──
「ディア」の部分に余韻を込めてシロエは歌いあげた。最後のハッピーバースデートゥーユーを歌い終えると、シロエは瞳を閉じた。コンパートメントの照明を落としていて、ゆらゆら揺れるろうそくの灯りにキースの心の中で何かが動いた。
十二月二十七日。ごぼりと音を立てて立ち上る水泡。父母の顔を知らない。そのことを、初めて恐ろしいと思った。だが不思議と懐かしく、聞くと心が安らぐ音楽もキースは知っている。
「先輩」
密やかなかすれ声でシロエが言った。「ろうそくを吹き消して」
迷いを振り払うようにキースはろうそくの火をすべて吹き消した。そして狼狽した。
ろうそくを吹き消す行為が、ひどく子供じみているように感じたのだ。シロエに上手く乗せられてしまった、とも。
けれどシロエは無邪気に手を叩いて、笑顔を見せた。
「お誕生日おめでとう、キース先輩」
こんな狂った世界でも、生まれてこなければ良かったなどということはけしてないのだから。
シロエは微笑んだ。キースとシロエは、入学してこのかたいがみ合ってばかりだったけれども、お互いがこんな境遇でさえなければ──シロエがあの憎むべき成人検査を受けたばかりでさえなかったら、もっと別の出会い方であれば、せめてあと少し時間があったなら──二人は違う関係を築けたはずだ。
「……有難う」
キースは苦労して声を絞り出した。嬉しいのか、悲しいのか、判然としなかった。
シロエの吸い込まれそうな、宇宙の色をした瞳が目の前いっぱいに広がる。きらきら光る、星の瞳。ゆらめくろうそくの灯り。
胸が苦しくなり、キースは目を閉じた。
シロエは、教育ステーションE-1077で一年しか過ごさなかった。ミュウの思念波攻撃に紛れて逃亡をはかり、反逆者として処分されたからである。手を下したのはキース自身だった。
シロエとの思い出は数多いようで少ない。学年も違っていたし、傍目には反目しあっていた彼らの共有した時間は少なくて当然だ。
数少ない、シロエとの思い出をキースは後年まで大事に胸に仕舞いこんでいた。そしてそれは、少なからず彼の生き様に影響を及ぼしたに違いないのだ。
誕生日というパーソナル・データに意味があるかないかと言われれば、ない、とキースは答えるが、国家騎士団の配属の者たちには、それぞれの誕生日、心づくしの品が配られる。細やかな配慮は副官のものだが、問われれば彼は、キースの意を汲み取ってのことだと答えるだろう。