「先輩、お菓子をください。さもなきゃ、悪戯しちゃうぞ」

 にっこりと微笑みを浮かべて、僕に向かって手を差し出す、四つ年下の後輩の姿。
  顔だけ見ればとても可愛らしい。浮かべた笑顔はあどけなく、天使のような、などという形容詞がぴったり嵌る。しかし実態はそんな可愛らしいものではなく、しつこくつきまとっては僕に挑み掛かり、あちらこちらで僕の情報を嗅ぎまわり、スキあらば醜聞を振りまこうとしているこの下級生に、僕は幾度となく煮え湯を飲まされてきていた。
  僕は顔の筋ひとつ動かさず、セキ・レイ・シロエを見下ろした。感情を包み隠す、ポーカーフェイスには長けている。おかげで「機械の申し子」などという不名誉な渾名をつけられ、このシロエにも嬉々としてそのことをこき下ろされたものだったが──

 お菓子。

 そぐわない単語に僕は内心で首を傾げる。お菓子が何だって?
  無言で見下す僕に、シロエは「しょうがないなぁ」というように肩をすくめた。
「魔女や、骸骨の仮装をしてね、近隣の家のドアを叩いてこう言うんです。トリック・オア・トリート! ってね。そしたらお菓子をその子にあげなきゃいけないんです。飴でも、マシュマロでも、チョコレートでも何でも」
「……生憎持ち合わせがないが」
  するとシロエはプッとふきだして、
「知ってますよ! 機械の申し子がポケットに飴玉を持ち歩いているわけがないことぐらい」
  ますますわけがわからない。が、シロエが悪戯っぽく目を煌かせて、制服の上着のポケットに手を突っ込んで、ラッピングされた何かの包みを取り出すのを見、僕は眉をひそめた。
「見て、先輩。チョコレート・ブラウニー。僕思い出したんだ、昔よくママが作ってくれたケーキのこと」
  忘れてしまっていた記憶が、ふとした切欠から甦ってきたのだという。
「思い出したのは、図書館で調べ物をしてたときです。大昔の伝統行事──諸聖人の日の前の晩には、死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていて、そういうモノから身を守るため、仮面を被ったり、魔除けの焚き火を焚いたりしていたんだって。家族を訪ねる死者まで追っ払っちゃって良かったのかな? ……とにかく、それにちなんで、この日にはパーティをするのさ。魔よけの蕪をくりぬき、ろうそくを点して悪いものを追っ払う。子供たちはオバケの仮装をしてお菓子をねだる。とってもにぎやかなパーティなんだ」
  ピンとこない行事だった。ステーションで慣行される行事といえば、年に一度のニューイアー・パーティくらいのもので、それだって僕は積極的に関わりたいとは思わなかった。
「……昔、育英都市時代に、僕のうちでもやったことがあると思うんだ。多分だけどね。本で読んで、このへんが(と、シロエは自分の胸をそっと押さえた)あったかくなったもの。で、思い出した。僕のママが作ってくれた、ブラウニー・ケーキを」
  シロエの手の中に大事そうに包まれている、可愛らしい包み。チョコレート・ブラウニーなるもののことを、僕は知らなかった。チョコレートも、ケーキも、僕は苦手だった。甘いもの全般が、僕の舌にはあわないようだ。
  シロエの言う行事や、ママの作るブラウニー・ケーキのこともやはりピンとはこなかった。シロエは僕を機械の申し子と言って忌み嫌うが、僕に情緒が欠落しているのは本当のことかもしれない。
  ママ──マザー・イライザ。他の女性の顔は知らない。大人の女性を僕は知らない。
  シロエは今日は僕に噛み付いてくる気はないようで、大切そうに取り出した包みを僕に向かって差し出してきた。
  出会いがしら、僕に向けてあどけない笑みで僕に両のてのひらを差し伸べてきた、シロエの甘い表情が甦る。
  いつにないことだ。いつもシロエはふてぶてしいまでの挑戦的な瞳を僕に向けてくるというのに。
  呆然と、僕は包みを受け取っていた。まだ暖かいケーキ。甘たるい、チョコレートの匂いがふわりと立ち上った。そういえば、シロエは甘い香りがすると僕は思った。
「……配り歩いているのか」
  そうですよー、とシロエは笑う。
  きっとイライザが怒って、コールしてくるに違いないと思ってね!

 悪戯だの、お菓子だのという言葉は確かにシロエによく似合っていた。
「ちなみに、ブラウニーには、マヌカをたっぷり入れたシナモンミルクがよく合います」
  そんな甘ったるい組み合わせは願い下げだと思ったが、ぱたぱたとシロエが走り去ったあと(忙しないやつだ)、包みをほどいて中のブラウニーをひとかけら。
  甘く、口の中でほろほろと溶けていくブラウニーはやはり僕の口には合わなかったが、とても優しい味がした。
 差し伸ばされる、優しい白い手を思わせた。


 ……このブラウニー、シロエが作ったのか?





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