タキオンはナスカで生まれた二人目の子供だ。
銀色の髪と不思議な色の瞳を持ち、生まれてすぐに強力なサイオンを操ることができた。
とはいえ、最初のそれは通常のミュウのESP能力の範疇であり、心身共に健康であった彼は、先に生まれたトォニィと一緒に、兄弟のように育った。
赤い星。
空気は薄く、地表は乾いて赤茶けた砂が覆う。ナスカの海には水がない。恵みの雨はあるものの、浸透性の高い地表がすべてそれを吸い取ってしまうのだ。
宙空には双子の白い月が浮かび、白夜の夜が一年の大半を占めた。
人の棲めない星。ナスカ──ジルベスター7はそんな星だ。
一般的にミュウは虚弱である。生まれつき、身体に障害をもつ者も多い。しかしタキオンもトォニィも、その後次々と生まれたナスカの赤ん坊たちはみな健康体だった。
それが、この星の持つ何かの効用であったのかは、さだかではない。しかしタキオンたちは生まれながらにして理由を知っていた。
それは“想い”だ。
ミュウの長、ソルジャー・シンことジョミーが強く想ったから。いつも月のそばに、ほっそりとした優美な姿をたたずませて浮かんでいる、ミュウの母船シャングリラの奥で眠るソルジャー・ブルーが彼らのことを強く想ったから。
彼らは生まれつき愛された子供だ。
父と、母の、深い愛情とミュウの仲間たちの祝福。人類が入植しようとして破棄した、人の棲めないこの星に根付いた命。楽園──そして凶星、ナスカ生まれの子供たちは、生まれたばかりのタキオンの弟タージオンを含め、これで七人となった。
子供たちは思念波バリアの張られた育児室で大切に養育されたが、健康体であり、悪戯ざかりでもあるトォニィやタキオンにとっては、いくぶん物足りない。
本当は表に出て、泥んこになって遊びたい。女の子たちや、まだ小さいコブはともかく、タキオンとトォニィはしょっちゅう言いつけを破って表に出ては大人たちに叱られていた。
教授や彼ら自身の父母に、がみがみと叱られながら二人は目配せをし合った。これが合図で、懲りない彼らは同じようないたずらを飽きることなく繰り返す。
「弟がいるって、どんな感じ?」
ある日、トォニィに聞かれ、タキオンは困惑した。
正直、実感はなかった。
生まれたての赤ん坊を無菌室で見て、あれが弟のタージオンだ、と言われてもタキオンにはピンとこなかった。
小さくて、くしゃくしゃで、猿のような生き物。
タキオンはなぜか、見てはならないようなものを見た気がして目を背けた。タージオンを抱いた、綺麗な母のげっそりやつれ、憔悴した顔も不安感をかきたてられる。
タージオンはナスカ生まれだというのに、どうしたわけかひどく虚弱だった。
タージオンが産まれた日のことをよく覚えている。ステーション中の空気がピリピリし、不安と怯えに満ちていた。
ひどい難産だったのだという。
幾度か自然分娩を経験して、メディカルチームの施す思念波シールドの強度は確かであったものの、それでも苦痛はみんなの精神へ流れ込んできた。
タキオン自身も、痛く、苦しく……早くこの苦しみを終わらせたいと思った。
このままでは、大好きなママが死んでしまう。だから……だから、僕は……。
──あのとき僕は、何を思ったのだろう?
トォニィの不思議な色の、大きな丸い目がタキオンを見詰めていた。
トォニィはつい最近、父親のユウイを亡くしていた。タキオンは、パパも、ママも、健在だった。だから悪い気がしてしまう。何か言おうとしてタキオンは言葉を探し、適した言葉が出てこずに当惑した。
かわりにトォニィの手に手を触れた。流れ込む思念は簡単でいい。たった四つのタキオンでも、そのことを知っている。
タージオンはいつも無菌室にいた。
ガラス越しにタキオンは苦しげに、懸命に呼吸を繰り返している乳幼児を見ていた。
気管支が弱く、しょっちゅう炎症を起こしては乳を喉に詰まらせて戻していた。タキオンら他のナスカ生まれの子供たちは健康なのに、まるで反動のような身体の弱さ。
生きていることのほうが不思議だ、とタキオンは思う。
タージオンが視力に障害を持つことが分かったのもそのころだった。
ミュウ全体で言えば、盲目の者など何も珍しいことではない。が、ナスカ生まれでは初めての、障害を持った子供に大人たちは消沈した。
(目が、視えない──?)
タキオンは自分の、小さなてのひらを目前にかざす。視えないのだろうか。タージオンは。
パパやママの顔も、僕のことも。トォニィのことも。太陽や月や花やナスカの風景、ナキネズミ、空にいつも浮かんでいるあのシャングリラも?
タキオンは心臓を鷲掴みにされたような気がした。手から、ぽろりとナキネズミのヌイグルミが取り落とされた。
ショックを受けた。
なぜなら、タキオンは、あのとき願ったからだ。
大好きなママを苦しめる、あの存在を……ママの中にいて、ママをひどい目にあわせているあの存在のことを、居なくなってしまえばいい、と。
いっそ死んでしまえばいい、と。
僕のせいだ。
タージオンが病弱なのも、目が視えないのも全部。
僕がそう願ったせいだ。
突き上げる激しい感情。後悔──取り返しがつかない。
生まれて初めて、タキオンはサイオンを意のままに操ることが出来なかった。
何が起こったのか、タキオンはよく覚えていない。サイオンを暴走させてしまい、無菌室を目茶苦茶にしてしまったタキオンは、降り注ぐガラスの破片から身を挺してタージオンの身体を護っていた。無我夢中の行動だった。
おかげでタージオンは無傷で済み、かわりに何針も縫う怪我をタキオンは負ったのだが、生命力の強いナスカチルドレンの彼に対する医師の診断は、全治2週間というものだった。
切り傷などなんでもない。心のほうがずっと痛い。
タキオンはたった四つだったが、包帯が全部取れた日の朝にはもう決意していた。
水、空気、光、ナスカの空、月、花──タキオン自身。
全部タージオンにあげる。
一生かけて償いをする。
*
誰が言い出したわけでもない。ごく自然に、彼らはスリープ状態に入り、そして覚醒した。
タイプ・ブルー。凄まじい力。
自分の中に眠っていた力に、歓喜し、畏れ──喪ったものの大きさにうちのめされるのは、まだこれからだ。
カプセルから身を起こしたタキオンは、十二歳ほどの少年の姿に成長している。
シールドを展開し、メギドの初撃を防いだあとのことは覚えていない。ジョミーは子供達を連れてシャングリラへ戻り、ソルジャー・ブルーは単体、メギド本体を破壊しに飛び込んでいったのだという……
艦内を、嘆き、悲しむ声が満ちている。
パパも、ママも、ナスカで死んでしまった──。死ぬこと。居なくなること。
トォニィのパパのように、もう二度と会えなくなること──
タキオンはカプセルの中で膝を抱え、顔を埋めた。ようやく、じわじわと悲しみ、喪失感が押し寄せてきた。嗚咽は一度堰を切ると止まることを知らなかった。
あふれる涙が頬を伝い──ふわりと触れた、優しい手の感触にタキオンは顔を上げる。
「……ママ」
ではない。
面ざしは母親によく似ている、黒髪のタージオンがそこに居た。
十ほどの子供の姿で。あどけない表情で、どうして泣くのかとタージオンに思念波で問いかけてくる。
タージオンの、閉ざされていない瞳の色を、初めてタキオンは知った。
タキオン自身と同じ、すみれ色と銀色の、不思議な色合いの虹彩。
──夜明け時の、ナスカの空と地平線の境界の色なのだと。言ったのは、彼の母親だったか父親だったか。
綺麗な瞳だと思った。この瞳に自分の姿が映されていないことが不思議だ、とも。
「タージオン」
頬に触れている、タージオンの華奢な手に、タキオンは自分の手を重ねた。
僕の弟。タージオン。
タージオンは困惑しながら、伸ばした手を引っ込めることが出来ずにいる。触れた手からタージオンに、タキオンの感じている悲しみや不安、そして喜びが流れ込んでいく。
タージオンの表情にいくつもの感情が動いた。タキオンは祈るような気持ちでそれを見詰めた。
拒絶しないで──
タージオンの顔に怯えの色が走る。後じさりたそうにする彼の手を捕えたまま、タキオンは待つ。
やがて、実際にはほんの数秒、タキオンにとっては永遠とも思えるほどの時間のあと──タージオンの不思議な色の瞳が長い睫毛の間に閉ざされ、掴んだ指を伝わって、思念が答えた。
(……兄さん)
その瞬間。
喜びに胸が張り裂けそうになった。
艦内はいまだ悲しみに満ちているのに、タキオンの感じているこの感情は許されるものではない。
あまりにも背徳的で、あまりにも胸を締め付ける。
この世でタージオンとタキオンただ二人。ほかにはなにもいらない。受け入れて、償わせて。君に僕の全てをあげる。
おずおずと目を開いたタージオンの瞳に、タキオンはミュウの魂を見出した。
タージオンはミュウそのもの。愛しい──同族への愛、血を分けた兄弟への愛。潮が満ちるように、いっぱいに満たされる。
タージオンが、いつも微笑ってくれますように。
君を守らせて。
水、空気、光、ナスカの空、月、花──
全部、君にあげる。