「……マツカ」

 エクルーの髪と亜麻色の淡い色彩の瞳が印象に残る。
  気弱な顔立ちに、きりりとしたメンバーズの軍服があまり似合ってはいず、しかしすらっと均整のとれたスタイルと長身が、アンバランスな魅力をかもしだしている。
  柔らかそうな髪と、不思議な瞳の色の彼を、猫のようだ、とシロエは思った。
  しかしシロエの上司、国家騎士団上級大佐のキースはそうは思っていないらしい。
  この、綺麗なマツカを「のら犬」と呼ぶところを、何度もシロエは見ていた。
  マツカはM、ミュータントの「ミュウ」で、シロエと同じ能力者だった。二人が能力を持つことは、お互いと、キースのほかは誰も知らない。知られてはならない秘密である。
  キースはマツカを、ジルベスター星系辺境の軍事基地で拾ってきた、らしい。らしいというのは、キースもマツカも、多くを語ろうとはしないし、シロエには二人の馴れ初めがどのようなものであったのかを知るすべがないからである。そしてシロエは自分自身の、ここ半年、つまりジルベスター7以降の記憶をしか持ち合わせていない。
  記憶のないシロエにキースは少佐の地位を与え、シロエはジルベスター関連のファイルにすべて目を通した。

 ジルベスター7でのキースの行い──
  情け容赦もない、惑星一つを壊滅に至らせたキースの行いは、シロエの眉をひそめさせるには十分だった。
  だがそのやり方も、判断も、戦術的にはこの上もなく正しい。圧倒的戦力を持って、ただ一度の攻撃で、完璧に叩き潰す。今後の憂いを完全に断つ。
  のみならず、ミュウ殲滅はグランドマザーの絶対的使命であったのだから、あのときそれを直感で行ったキースの直観力、判断力の全てが並外れていることは明らかだった。
  シロエは──正確に言えば二人目のシロエは、ジルベスター7での功績で二階級を特進したキースが、その働きによってグランドマザーより、直々に製造を許されたオリジナルシロエのクローンだ。
  オリジナルのシロエ、十四歳で教育ステーションE-1077で命を落としたセキ・レイ・シロエの体組織は、マザー・イライザのデータバンク内にそのコピーが残されていた。
  S.D体制化の社会では、人道的、倫理的理由により、人体組織のコピー、クローンの製造は全面的に禁止されている。
  人道的が聞いてあきれるが、キースがいくらメンバーズ・エリートであろうと、技術的には生前と全く同じ姿のシロエを再現することが出来ようと、本来キースの望みは適わないものだった。
  グランドマザーが何を思い、キースの願いを承認したかは分からない。
  ともかく、シロエは人類統合軍のメンバーズ・エリートとして、この世に再び生を受けた。
  キースを補佐する有能な将官として。
  その頭脳と、指揮能力を高く買われ。
  高いESP能力を、キースのために役立てるために。
  なにより、E-1077時代の、キースの失われた恋の代替として。

 意のままにならないものだとシロエは思った。


 シロエを副官に据えたのは、かなり強引なやりくちだったから、メンバーズ内でもしばらくはシロエに対する風当たりは強かった。
  が、シロエはもともと有能で、ステーション時代もメンバーズ候補生として、強い期待を寄せられていた切れ者だ。周囲のやっかみや、風当たりなど何処吹く風で、魅力的な人格も手伝って、さくさくと軍内で自分の地位を固めてしまうと、あとは気楽なものだった。

 メンバーズの軍服をしどけなく着崩して、シロエは長いすに身体を沈めている。
  キースと短時間ではあるが愛し合ったあとで、体中がけだるかった。
  複製するなら、ミュウ因子など排除してから複製してくれればいいものを。
  ミュウにとって人間との性交は苦痛が大きい。それはミュウが感応力の高い生き物で、身体が触れ合うと相手の思念や感情を増幅し、取り入れようとしてしまうからである。
  個体差はあるが、ESP能力の高いミュウほど繊細な傾向があった。
  シロエも例外にもれず、とりわけ人間として戦闘能力の強いキースとのセックスは、シロエにとっては苦痛の大きいものだった。
  自分で望んでシロエのクローンを作ったくせに、キースはまるでシロエを憎むように抱く。
  シロエはキースに、あるひとつのことを教えていなかった。
  本当はシロエは、教育ステーション時代の、オリジナルのセキ・レイ・シロエの記憶を取り戻している。
  切欠は忘れてしまったが、ふとした折にオリジナルの思念はシロエの中に入ってきた
  宇宙空間を永遠に漂っていた、自由で清廉な魂が、あるとき、ふとしたはずみに──キースをか、クローンのシロエのことをかは分からないが……哀れんで、シロエの中に入ってきたのだ。
  その瞬間、そしてしばらくの間は、涙が止まらなかった。嬉しいのと、悲しいのが半々。
  キースの傷ついた魂を思ってシロエは泣いた。時間が解決しない、癒えない痛みがあることを知った。
  多くを失い──肉体は滅んでも、精神は不滅のものだということを知った。
  シロエの思念は、とっくにキースを許している。
  シロエの肉体を損ない、体制の守護者となったキースを許している。

 ──これほどまでに、愛してくれたんだものね。

 グランドマザーの寵愛も厚い人類至高の男が、十三年間思いつづけ、禁じられた細胞クローンにまで手を出し、成就させようとした恋。
  シロエはとうに受け入れていた。
  ──でも、今はまだ、本当のことを教えてはあげない。
  これはちょっとした罰ゲーム。罪の味はきっと、蜜のように甘いから……。


 だから、シロエの、魂のほうはともかくとして。
  可哀想なのはこの、身代わりのクローンの身体だ。
  この身体は、度重なる行為によって、もうキースなしではいられないようにされてしまった。
  苦痛ばかりが大きいのに、気が変になるほど感じ、狂わされてしまう。それはシロエがミュウで、キースが人間だから。人とミュウは混じりあわない……シロエにばかり負担の大きいこの行為が、それを証明している。
  キースのたくましい腕がシロエの脚を割り、大きく開いて抱え上げる。
  ほっそりした足首を掴んで高く差し上げる。あられもない場所をキースの目前に晒しながら、シロエは泣き声のような声を上げる。
  シロエの身体は、十三年前とまったく同じではないものの、成長の緩やかなミュウと同等に設定され、外見は十代なかばの少年のものだった。
  あのセキ・レイ・シロエがキースと同じ時間の流れで年齢を重ねていたとしたら、彼は現在二十七歳のはずだ。キースほどの長身や、力強い肉体は望めなかったにしても、きっと、その身体はしなやかな大人の男のものになっている。
  自分の身体が貧相な子供のままであることが、シロエには悔しい。
  大人になることを拒絶し、子供のままでいたいと強く願ったセキ・レイ・シロエ。
  ミュウは矛盾の塊だと、あらためてシロエは思う。
  キースの指がゆっくりと奥を馴らし、十分なぬめりを与えてから、シロエに侵入しようとする。シロエはそれを待ちきれずに、早く来てくれ、あなたのものが欲しいとあられもない哀願をしてしまう。
  やがてキースのものが入り口にあてられ、シロエは細い腰を震わせて喉を逸らす。
  痛く、つらいばかりの苦しい行為なのに──
  キースが人間で、シロエがミュウだから。先ほどの情事を思い出しながら、シロエは熱い吐息を吐き出す。

 ──ふと、ミュウ同士ならばどうなのだろう、という思いがよぎった。

 その、ちょうどいいタイミングだった。



「ちょ、ちょっと、待ってくださいシロエ! 僕が閣下に殺されます」
「キースなんて関係ない。しよう、マツカ」
「シロエ……、困ります……」

 シロエの私室に、書類を持ってきたマツカは、しどけないシロエの姿に固まった。
  シロエとキースの仲はほとんど公認みたいなものだし、シロエのこのような姿を目にするのも別に初めてのことではない。それなのに、毎回初心な反応を返すマツカが、シロエは可愛くて仕方がない。
  猫のようなマツカの細い手首を掴み、寝椅子にひっぱりこんで、困惑する彼にキスをねだる。
  口では拒否しながら、強い拒絶がないのはミュウ同士、精神感応が始まっているからだ。どちらかというとマツカは受信能力が高く、シロエの感じる感情のいちいちを、ダイレクトに彼が感受してしまっていることに、以前からシロエは気付いていた。
  だからずっと、横目で伺っていた。知らん振りして焦らしていた。
  シロエの官能を知って、マツカはもう反応してしまっている。
  感じやすいマツカの白い頬がピンク色に染まっている。可愛い、とシロエは思った。
  マツカの甘い唇を吸うと、キースのものとはまるで違った柔らかい感触がする。ちゅ、ちゅ、と濡れた音が数度響いて、すぐに少し出した舌同士が触れ合った。
  舌が絡まる。ぞくぞくする。マツカは刺激的。
  猫っ毛の髪がシロエの頬をくすぐる。くすぐったくて……思わず身を捩った。シロエも薄目を開けて見ると、マツカの不思議な色の瞳は半ば閉じられ、妖しい色香を乗せている。
  けぶる睫毛。

 ──すごい眼。

 ミュウの凄みが、マツカにはある。以前より、キースはマツカを過小評価しているとシロエは思っていた。
  マツカの、かっちりと留めた軍服の襟に手をかける。
  ホックを外し、上をはだけていくと、マツカは上着の中には何も着ていない。シロエの青白い不健康な痩せた胸とは違い、マツカの上半身は同じ白さでも微光を帯びているように美しい。ずるい、とシロエは口を尖らせた。

「マツカはもっと、堂々としていればいい。せっかく、彫像みたいに綺麗なのにもったいないよ」
「そんな……」

 マツカの胸に口を付ける。思ったとおり、しっとりと濡れた肌は吸い付くようで甘かった。胸の尖りを口に含んで舌で転がすと、マツカは小さく声を上げた。
  さざめくようなマツカの快感がシロエの周囲でいくつも弾け、シロエも恍惚としていく。高まりあう交感。お互いの境界がどこまでか、分からなくなってしまう。引き返せなくなりそうで少しだけこわい。
  マツカの指が、シロエの耳に触れた。軽くくすぐるようにされて、びくりと身体が跳ねる。
  身体中、どこもかしこも鋭敏になりきってしまっている。先ほどのキースとの行為の残滓がまだ残っている、身体の一番奥が熱くてたまらない。
  マツカの指がシロエの形のいい耳を弄る。別の場所を愛撫するときと同じやり方で中に差し入れ、こね回す。たったそれだけで、シロエはとろとろになってしまう。
  ミュウ同士、シロエがどうして欲しいのかは、マツカに全部伝わってしまっているはず。

「マツカ……」

 シロエの群青色の大きな瞳、その目のきわを、マツカの舌が舐めた。

「シロエ……その、僕は……」

 少し舌足らずの、甘いマツカの声も少しかすれていた。ぞくぞくする、危険な遊び。
  マツカの、キースへの思いもシロエには全部分かっている。伝わってきてしまう。

 ──この思いは、共有できるものなのではないか?

 つい先刻、キースの触れたシロエの肌をマツカが辿る。背徳感はあるのに行いは正しいという確信がある。胸の飾りをマツカに摘まれて、シロエは軽く息を詰めた。

 舌を絡ませあう。繋がった場所からぐずぐずと溶けてしまいそう。
  キースに押し開かれるときとはまた違う。マツカとの行為は、快楽も苦痛も二乗なミュウの性交の、快楽の部分だけを拡大解釈しているみたいだ。
  シロエは、自分の中にいるマツカの形やその熱、マツカを締め付けている自分の内部の熱さまでをダイレクトに感じてしまう。
  確かに、これは、虚弱な者では身体が持たない。
  マツカの感じている強い快感がシロエの中に入ってくる。頭の芯が焼き切れそうだ。
  懸命に舌を動かしながら、マツカの腰に自分のものを押し付ける。ぼやけているのに異常なくらい覚醒している耳に、ゆっくりと動きはじめたマツカの繋がった部分から、出し入れされるいやらしい音が聞こえてくる。
  あまり激しくはないのに、ゆるゆる中を擦られるだけで、頭が痺れるように気持ちがいい。
  絡ませた舌も動きがぎこちなく滞りがちになり、唇から、飲み込みきれなくなった唾液がこぼれた。ちゅ、と柔らかくマツカのキスが落とされ、離れた。

「……気持ちいいですか?」
「いい……凄くいい」
「シロエの中も気持ちいい。熱くて……凄くきつくて」

 二人とも、思念波ではなく言葉を使う。あえてそうすることで、はじけ飛び、拡散してしまいそうになる己を繋ぎとめる。
  薄目を開くと、マツカの顔も快楽に顰められていて、感じているマツカはとても綺麗でそそられる、とシロエは思う。

「もっと動いて。強くして」
「ン……」

 あとは思念での睦言。


(……マツカは、どうしてキースが好きなの)

 ──彼は僕の運命そのもの。

(どうしてマツカは、そんなに自分のことをかえりみないでいられるの)

 それは……僕がミュウだから。
  或いは、そういう風に生まれついてしまったから。

(弱い──ね。でもそんなところが愛おしい)

 シロエ、あなたもね──。


 そう、変わらない。シロエはシロエの精神を持ちながら、キースの愛したセキ・レイ・シロエではけしてない。なりたくてもなれない。けして届かない。

(悲しい、マツカ──)

「シロエ」

 二人の涙が溶け合い、二人はひとつになった。




「……凄いな、ミュウ同士って」

 想像以上。
  二人がきちんと思念波シールドを張ることに長けていなかったら、艦内にちょっとした精神汚染を引き起こしてしまうところだった。

「良かったぁ〜。クセになりそうだよ、僕は」

 素っ裸でぐにゃぐにゃと長いすに身をあずけてそんなことを言う、あけすけなシロエに対し、マツカはもう起き上がって服を調えている。つとめて渋い顔を作ろうとしているが、その頬が耳まで赤くなっていてシロエには可笑しい。

「さすがの僕でも、キースに知られたらと思うとちょっと怖いな。彼には黙っておこうっと」

 当たり前です! と顔を真っ赤にして怒るマツカにむけ、ひらひらと手を振る。


「マツカのエロさのこと、黙っててあげる。だから、また……しよーね!」
「シロエのほうが余程エロいです」





end


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