閑静な住宅地をキースは車を走らせる。
  この日キースは私人として訪れたつもりだったので、身に付けているのは国家騎士団の制服でも元老議員の上衣でもない。
  シロエは大人しくシートに腰掛け、飽きることなく流れる外の光景に見入っていた。

「楽しいか、シロエ」

「うん」

 キースが声を掛けると振り向いてシロエはにっこり微笑んだ。胸を突かれた。
  シロエをユグドラシルから連れ出しはしたものの、キースはシロエに対してどのように接したらよいのかが分からない。
  カナリアの少年に、失ったミュウのシロエを重ねるのは間違ったことだという自覚がある。それなのに、目の前の子供はたしかにあのシロエだという確信がある。
  事実はもはや問題ではない。
  突き詰めれば、キースは大人になったシロエの姿が見たいのだ。
  たった十四で散ってしまった、自らの手で散らしてしまったシロエの命を、いまだにキースは惜しんでいる。
  キースが背負っているものは通常人のそれとは大きく異なっている。
  自信と自覚に裏打ちされた堅固な人格。長らく揺るぐことがなかったそれが、ミュウという単語によって揺らぎだす。シロエはその鍵かもしれない。
  だから──会うのだろうか、セキ夫妻に。
  告白をしたい。
  シロエの存在が儚いことがキースには我慢ならない。シロエの養父母に、シロエの存在を確かめてもらいたい。

 目的の家の前に車を横付けると、キースは反対側のドアを開け、シロエを抱き上げた。そして民家の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。

 

「はい、どなた──」

 扉を開けた向こうで、中年の女性が立ち尽くしている。きつめの顔立ちだが、薄く化粧をほどこし、若々しく美しい。これがシロエの養母だ。

「私はキース・アニアンといいます。あなた方にお話したいことがあって伺った。セキ博士はご在宅だろうか」

「キース……アニアン……」

 夫人の目は、キースの抱いた子供に注がれている。その瞳が大きく見開かれる。
  夫人の瞳に理解を見て取る。キースの感じている、眩暈がいっそう深くなる。シロエ、シロエ、シロエ──

 私の愛するシロエ。

「シロ……エ……」

 夫人はそのままくたくたと倒れてしまいそうになった。キースはその手を取り、支える。夫人は泣き出しそうな顔で、間近に迫ったシロエの顔を見た。
「シロエ……本当に、シロエなの?」
  キースは黙って、夫人の手をシロエの小さな手に触れさせた。夫人の目からとめどなく涙が滴り落ちた。

「お前? どうしたんだい、何かあった……」

  奥の扉が開いて、ひとの良さそうな顔立ちの、恰幅のよいセキ博士が、何事が起こったのか驚いてこちらへやってくるのを、キースは視界の端に認めた。

 

「パルテノン元老院の、キース・アニアン閣下のことは存じております」

 室内へ通され、居心地のいいリビングで飲み物を出されながら、キースの表情は変わらない。

「セキ・レイ・シロエはE-1077で私の後輩だった。成人検査を受けたあとの、彼のその後について何かご存知か?」

 博士は首を振った。

「我々は成人検査を受けた子供の、その後に関与すること、一切のコンタクトを取ることを禁止されています。閣下もご存知のことでしょうが。もちろんシロエのことを片時も忘れたことはありません。ただ、今もどこかであの子が幸せでいることを祈るのみです」
  博士はキースの傍らのシロエに目を向けた。シロエは出されたソーダ水のコップを手に、ものめずらしそうに室内を見渡している。博士の目が和んだ。
「そうか。……それならば、私はあなた方に辛い知らせをもたらさねばならない」
  セキ夫人は手にしたハンカチを握り締めた。
  しばらくの間、室内には沈黙が降りた。聞こえるのは夫人のすすり泣く声ばかり。

「……どうか、仰ってください。閣下のお言葉なら信じられます」

 やがてセキ博士の声に、キースは目を閉じた。


「セキ・レイ・シロエは……十四歳のセキ・レイ・シロエは、教育ステーションE-1077にいたころ、反逆行為によって処分された。ミュウ化の兆候が見られ、ステーションの輸送艇を奪って逃亡しようとしたところを、私が撃墜した。あなた方のシロエの、それが末路だ」

「──嘘よ、嘘……」

 美しい夫人が嗚咽する。カナリアのシロエはきょとんとしている。
  テラ以降現れてはくれなくなっていた、ほの白いシロエの幽霊がその手を伸ばしてセキ夫人の頬に触れる。はらはらと流れる涙。シロエが彼女を抱きしめた。

 ──泣かないで、ママ。僕はここにいる。

 

「……どうして、今頃そんな告白をなさるのです」

 静かな、様々な感情を押し砕くようなセキ博士の声に、キースは眉を上げた。

「そうだな。理由はいくつもある。一つには──ここにも一人のシロエが居る。彼はカナリアという、テラの子供で、彼はあなた方のシロエではないが、確かにシロエでもある。シロエは……鍵なのだ」

 人類と──ミュウを繋ぐ、な。

 キースの目に、ある一縷の可能性の糸が見えはじめていた。






つづく、かもしれない


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