セキ・レイ・シロエ。

 エデュケーショナル・ステーションE-1077時代の、下級生である。
 育英都市エネルゲイア出身のジュライ・グレードだった彼は、その能力や、優秀だった成績にもかかわらず反逆行為に走り、ステーションから脱出を図って、キースに撃墜された。
 どういうわけか──
 キースはシロエを思うと心が乱れる。今では顔を思い出すことさえ出来ないシロエを。
 キースの記憶にあるシロエは、全身でキースにぶつかってきた。何かにつけキースに対抗意識を燃やし、キースを陥れようとした。そして短い命の火を燃え尽きさせるように自滅してしまった。
 感情がゆらぐということを、相手を激しく思うということを、初めて知ったのはシロエに対してだと思う。それは友情や、恋愛といったような甘たるい、ぬるま湯のような感情とは違う。
 熱病。
 シロエとキースは違う。シロエはミュウ因子を持っていた。キースを機械の申し子だと罵り、キースに手を上げさせた。人を殴りつければ、拳は痛む。知識として、情報として知っていたそのことがキースの胸を痛くする。
 考え方も何もかも、細胞のひとつひとつを構成する物質が違う。
 それなのに、あのとき殴りつけた、シロエの切れた唇から流れる血の色だけは鮮明に、キースの脳裏に焼きついて、我らは同じだと叫んでいるのだ。
 シロエの赤く流れる血を夢に見た朝、キースは夢精した。
 初めての経験に動揺はあったものの、感情を抑え込むことは容易かった。ありふれた生理的な症状として、同性の下級生に抱いた劣情を冷静に分析、判断。その日のうちにマザー・イライザにコールを受けた。
 S.D.社会において、人類の性欲というものは著しく薄まっている。生殖行為は厳しく制限されているものの、年頃の少年少女を集めたこうしたステーションで問題が起こることもない。かわりに、精神的な交歓が推奨された。そう──それはとてもミュウ的だ。
 矛盾を感じざるを得ない、しかし、そのことにももうキースは馴らされてしまった。


 マツカを伴い、サム・ヒューストンが入院している病院に、キースは可能なかぎり足を運んだ。
 ジルベスター星系第七惑星での一件以来、幼児退行を起こし、子供のようになってしまったサムには、身寄りと言えるものがなかった。
 ユニヴァーサルでは珍しいことでもない。が、そういった者たちに対しても中央の管理は徹底している。S.D.管理下のユニヴァーサルにおいては、孤独死などというものは存在しない。
 車外へ降り立つと、頭上の太陽が目を焼いた。
 珍しいことだが、今年のアルテメシアは猛暑となった。各都市で気象の異常が観測され、磁気嵐が頻繁に起こっている。
 ミュウどもの接近の影響とみて間違いないのだが──。
 キースは、出来ることなら戦闘のあるかもしれないアルテミシアからサムを連れ出したかった。だが、おそらくは生まれ育ったアルテミシアに愛着があるのであろうサムと、サムの容態がここのところ思わしくないことを危惧した、主治医の合意が貰えない。むろん、キースが無理にでもそうしようと思えば、不可能なことなどない。キースの現在の肩書きは、地球軍国家騎士団、上級大佐である。
 キースはサムに無理を強いたくないのだ。
 全宇宙で現在もっとも多忙な男であるはずのキースが、閑静な病院のロビーを抜け、中庭に足を運ぶ。
 人工の植え込みが目に青い。日差しは強く、かっちりと着込んだ軍服の下を汗が流れた。
 サムはいつものように、中庭のベンチに座っている。手には子供だましの玩具、歌を口ずさんでいる。その姿を目に入れて、きつい、キースの目が和らいだ。
 マツカは黙って、数歩下がったところに控えていた。


 この日も、ほんの十分ほどの会話で、キースは病院を後にした。
 主治医はサムの体力が急激におとろえ、衰弱が始まっていると言う。この、猛暑が影響を与えているのだろうか。
 惑星間を移動させるにしろ、ワープ航法は患者の身体に著しい負担を掛ける。責任は持たないと主治医は言った。だがキースは手配を行った。
 頭上の太陽があまりにまぶしくて、キースは手をかざした。分厚い長衣など、着てくるのではなかった。
 手違いがあったか、回していたはずの車が正面玄関に到着していない。ちらりと横のマツカを見ると、マツカは頷いて走って行った。
 身軽に駈けてゆく後ろ姿が眩しく思えて、キースは一人苦笑した。


 ──シロエ。
 セキ・レイ・シロエ。


 振り仰いだ空に、小鳥が一羽舞う。
 市街地を住処とする野生の鳥ではない。どこかから逃げてきたのだろうか……色鮮やかなレモンイエロー。
 一瞬のことだ。小さな翼を羽ばたかせ、小鳥はすぐに視界の端から消えてしまった。
 強く、シロエのイメージが喚起された。


 熱病のような──あれは確かに恋だった。





end


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