ミューの母船、シャングリラは強奪した地球軍の古い船体を改造して作られたものである。
 白い優美な船体は全長をゆうに1000メートルを超え、ブリッジや機関部だけでなく、内部には居住区や子供たちの育成機関、娯楽施設までもが整っている。肉体的に脆弱なミュウたちのために幾重にも防御シールドが施され、船内は清潔かつ快適で、ようするに住むのに申し分のない環境が揃っていた。
 ジョミーはその船内を、隅々まで歩き回った。
 ソルジャーの力で、ジョミーはその場に居ながらにして船内の全てを見透すことができる。<跳ぶ>ことだって可能だ。わざわざ足を使ってあちこち出向いて回るジョミーに、長老たちやリオは首を傾げた。

『君は意外とものぐさなのにね。でも、興味を持つのはいいことだ、シャングリラは僕ら全ミュウの希望の船なんだ。気に入ってもらえれば嬉しい』

 区間を繋いでいるゲートへの通路を歩きながら、ジョミーは首を捻る。
 一キロやそこらにしては、船内が広すぎるのだ。
 シャングリラについては、つい先ほど艦長のハーレイから説明を受けてきたばかりである。
 たった一区間を横切るのにこの調子では、端から端まで歩こうと思ったら、半日は覚悟しなければならなそうだ。そんなバカな、とジョミーは思う。
 下手したら、都市まるごとひとつがシャングリラの中に納まってしまえるかもしれない。ジョミーは生まれ育った育成都市アタラクシアを思い出した。

 ……それにしても、このゲートはおかしい。

 歩けども歩けども、通路の向こう側が見えないではないか。
 無人のゲートは道幅が広く、高い天井はドーム型になっていて足音を吸収する。壁全体が薄く発光していて、ブルーの寝室──青の間と同じ、神秘的な雰囲気が漂っている。神秘的な気配は、船内のどこでも感じられた。これが思念というものなのだろう。船全体を、今は休んでいるソルジャーの気が包んでいる。護って──いるのだ。
 ジョミーは歩きながら、ぶんぶんと頭を振った。いけない。あの人のことを考えると、振り回されてしまう。
 それでなくとも、ジョミーはもうずっと彼のことを考えていた。ミュウの長、ジョミーをこの境遇に引き込んだ張本人である、ソルジャー・ブルーその人のことを。
 思念が乱れる。
 少しづつ、精神の波長を整え、力を自律することを覚えてきていた。
 ジョミーのサイオンは強すぎて、周囲にその感情が筒抜けになってしまうという。
(そんなの……プライバシーもへったくれもないじゃないか!)
 リオに対して、心を読まれて激怒したことがあった。それほど、ジョミーにとって、心を読むという行為は相容れないものだった。
 リオが意図的にしたことではないことは頭では分かっていが、強い抵抗がある。
(頭の中を覗き込まれるのはいやだ。丸裸にされるみたいだ)
 しかしミュウたちが、今までもずっとそうやってコミュニケーションを取って来たのは確かだ。
 どうしてこれほどまでに、自分の中に込み上げる感情が怒りであるのか、ジョミーはむしろ不思議に思う。
 頭の中であれこれ考えをひねり回しているうち、ようやくジョミーはゲートの終着点へたどり着いた。

「……行き止まり?」

 反対側へ通り抜けられるはずのゲートは閉ざされている。
 たしか、このゲートに続く区間は、技術者たちの研究を兼ねた施設とされていた。出掛けに船内のマップを見せてもらったから間違いない、はず。
「閉鎖されたのかな……」
 ハーレイはとくにそんなことは言っていなかった。ジョミーはそっと、閉ざされたゲートの扉に手を掛けた。ロックされている。
 ふと興味が湧いた。
 閉鎖された研究機関。あたりはひっそりと静まり返っている。ミュウの技術者たちは、なぜこの施設を廃棄したのだろう?
 ジョミーは再度手を伸ばし、ロックの解除を試みてみた。とたん、弾かれた。
 少し驚く。近頃はこんなことはとんとなかった。訓練を受けるようになってからというもの、ジョミーはめきめきと力を伸ばしていた。覚えのよい生徒だと、長老たちをはじめ艦内のクルーたちの感嘆を受け、慢心はあったに違いない。
 指先にわずかに痺れが残っていた。ジョミーは手を擦りながら、冷たく閉ざされたままの扉を見上げた。



「そんな施設のことは、僕も聞いたことがないな」

 青の間へは夜更けに、こっそりと忍んで行く。
 むろん、ハーレイや長老たちに気付かれていないわけがないのだが、今のところジョミーはお目こぼしを貰っている。というのも、このところブルーの体調が良く、体力のほうもベッドの上へ上半身を起こすことが出来る程度には向上しているからだ。
「自分で足を運んで、船の中をいろいろ見て回るというのは、いいことだね」
 クルーたちの、シャングリラに乗り込んでいるミュウのひとりひとりに気を配ってあげて欲しい、とブルーは言う。
 実際にブルーは、船内のすべてのミュウの顔と名前を覚えている。それは、並大抵のことではないとジョミーは思う。
 ブルーには敵わない。能力でも、ミュウたちを統率するやり方も。彼らの信頼と敬愛、長の責任と重圧をその一身に受けて、昂然と首を上げている姿がジョミーには眩しい。
 ベッドに上体を起こして、軽く小首を傾げている姿はあどけなくさえあるのに、その精神は老成していた。
 紅玉の瞳に宿っている、ある種の諦観を、今のジョミーは言葉で表すすべはなかったけれども、ここのところ強く感じることが多くなった。
「最近はどう。長老たちの言うことをちゃんと聞いている? ハーレイを困らせてはいない?」
「……もう。子供じゃないんだから」
 ブルーはくすくすと笑った。
 よかった。本当に、体調はいいようだ。
「もう少し休んだら、きっともっと良くなるから。そのうち、ちゃんと昼間起き上がって、何やかやと君の補佐も出来るようになるよ。実際、君がここに落ち着いてから随分具合がいいんだ。君の強い生命エネルギーを、分けて貰っているのかもしれないね」
 ブルーは昏睡状態にあっても、船の防御セクションへその力を分け与えている。ジョミーも、出来ることならブルーに対してそうしてやりたかった。気遣いに過ぎないかもしれないが、ブルーの言葉は嬉しかった。
「うん……。そうなれば、嬉しい」
 ブルーは羽根のように笑った。そして手を伸ばし、ジョミーに向かってすぐ枕元の、ベッドの上に座るように指でちょいちょいと差し招いた。
 陶酔と少しの気後れ。ジョミーは赦されている、半径一メートルのブルーの結界の内へ立ち入ることを。──それどころか、触れることさえも。
 ジョミーはほとんど催眠術に掛かったかのように、導かれるがままにブルーの枕元へ腰を下ろした。見上げるブルーが微笑んでくる。ジョミーの手の甲へ、そっと白い繊手が重ねられる。
 ジョミーの心臓は、口から飛び出してしまいそうなほど、ドキドキしはじめた。ブルーがいくら心を読まないようにと気を使ってくれていても、心臓の音が聞こえてしまうのではないかと、ジョミーは心配になる。


「シャングリラって、≪理想郷≫っていう意味なんでしょ?」

 ブルーは少し目を見開いた後、「よく知っているね」と言った。
 気のせいだろうか? 視線の逸らし方が、ブルーにとって、あまり触れて欲しくない話題に触れたときと同じだ。
 理想郷、ユートピア。白い優美な巨大船を、やがて人間達は「宇宙鯨」と呼び習わすようになるのだが、その事実を、まだジョミーたちは知らない。
「古い、小説に出てくる架空の地名らしい。よくは知られていない。文献が、どこにも何も、残っていないからね。名付けた意図はあきらかだけど、何と言うか、あまりにも……ロマンチストだよね。そう思わないか?」
「あなたが付けたんじゃないの?」
 思わず口をついた言葉は、無言の拒絶に遭って、不機嫌の表皮を滑り落ちた。
 怒らせた。理由は分からないが、こんな風にブルーが気分を露にするのさえ珍しい。
 ジョミーはひそかに落ち込んだ。ブルーは体こそ開いてくれるものの、心のほうといえば雲を掴むようなものだ。ジョミーに委ね、全てを<視>せてくれるかと思えばこうしてすぐに扉は閉ざされる。
 引き金は、こういった些細なやりとりであったりすることが多い。単純に、ブルーが気まぐれだからとはジョミーには思えない。
 ブルーはその薄い瞼を閉じてしまい、ジョミーは所在なく、目を瞑ったブルーを見下ろした。
 長い睫毛。寝室である、青の間の照明は控えめに落とされているが、その灯りが寝台の周囲の水面にゆらゆらと揺れる有様は夢幻的である。
 瞼は蒼みがかっている。ブルーの額も、頬も、唇さえ蒼い。ジョミーはため息をついた。そして、早々に上着を着込んで横になってしまったブルーとは対照的に、上半身を裸のままでいた身に自分のソルジャースーツを身に着け始めた。
 身に着け終わって、ふと顔を上げるとルビー色の瞳がこちらを見ていた。

「ジョミー、あのゲート……、C-206付近には近づかないほうがいい」
「え?」

 それって一体、と聞き返す前にブルーの双眸は閉じらた。
 そのまま意識を落とし、あとは呼びかけにも応えない。
 C-206……意味が分からない。ブルーは最初に、ゲートのことには心当たりがないと言ったではないか。
 思わせぶりな態度、思わせぶりな言葉。腑に落ちないジョミーが残された。



 シャングリラの、船内ホログラム映像を呼び出す。レーザーの緑色のグリッドの中に立体映像が浮かび上がる。
(C-206……と、このあたりか)
 ジョミーはキーを叩いた。当該地区のデータにアクセスし、ロードする。ビープ音とともに、エラーの表示が現れる。
(なにこれ)
 長である自分に、機密などありえない。閉鎖された研究施設があることは、聞いたことがないとブルーは言っていた。C-206とは何なのか?
 ブルーを掴まえて問いただすことも、最もこの船に詳しいはずの、ハーレイ艦長に尋ねることもなぜかためらわれた。ジョミーは立体映像のスイッチを切り、デスクの上に頬杖を付いた。

 まとまらない、取りとめのない考え。
 ブルーのこと。委ねられた、ソルジャーの地位のこと。なすべきこと、なさねばならないこと。
 シャングリラ──雲海を出、賽は投げられた。

(──賽は投げられた)

「どういうこと?」

 ブルーは近づくなと言ったが、やはりもう一度自分でC-206へ足を運ぶべきだ。何故か気に掛かる、関係がないとは思えない。
 ジョミーは勢いよく立ち上がった。紅いマントを翻し、資料室を後にする。



 自分が、わざとブルーの意思に反するようなことをするのは何度目かな、と、ジョミーは反芻する。
 最初は初めてシャングリラにやってきた後で、家に帰るとごねたことだ。
 あのときの自分はなんて大人げなかったのだろう。リオやブルーの助けがなければ間違いなく、自分はあの場で命を落としていたに違いないのに、自分はごねて、不貞腐れ、不当な怒りを彼らにぶつけていた。おかげでシャングリラは地球軍の標的目標となり、長い旅路の始まりとなったのだ。
 ブルーもジョミーを救うことで、大きく体力を消耗した。ジョミーは知らなかった……ブルーの体の中で燃え尽きてしまう火のことを。ブルーは命を賭けて、ジョミーを救ってくれたのだ。
 あのとき二人で、惑星軌道上から見た宇宙。果てしない、あの宇宙のどこかに≪地球≫がある。ブルーに触れるとき、いつも強く浮かび上がるイメージがあった。
 ジョミーもフィシスに、≪地球≫のイメージを視せて貰ったことがある。同じ≪地球≫。ブルーの、≪地球≫への想いがジョミーを切なくさせる。なぜならブルーの、紅玉の瞳はいつもジョミーを素通りしている。
 ブルーのためなら何だってしてやりたい気持ちと、もっとどろどろした、正反対の何かが、ジョミーの身の内でせめぎあっている。

(──賽は投げられた)

「何なんだよ、もう!」

 先ほどから一体何なのかと、ジョミーは苛々と首を振った。何か(何者か?)の干渉を受けているのは間違いない。だが、何(誰)の? 何のために?
 確かめないわけにはいかない。もう、自分はあのとき駄々をこねた子供ではない。きちんとある物をあるべき姿に、正しく見据えねばならない。
 そうでなければ、ブルーの代わりなど、とても務まるものではない。

 迷わず<跳んだ>ゲートは、昨日と同じように閉ざされていた。
 いや、全く同じではない。昨日よりずっと、思念が色濃く立ち込めている。思念といっても、これはひどく邪悪な気だ。感応しやすいものなら、数分も留まっていたら気分が悪くなるか、それ以上の弊害を引き起こすような。ジョミーは気を引き締めた。
 不思議と、危険だとは思わなかった。
 シールドでロックされたドアを、サイオンを使って抉じ開けた。ジョミーがその気になれば、わけもないことだ。
 ただし、力の制御には細心の注意を払った。ジョミーが制御なしに力を解放したら、ゲートどころかC地区全体が消し飛んでしまう。
 ストッパーの金属が弾けて、ジョミーの体にぶつかる前にジュッと蒸発した。
 なぜか、今ジョミーが感じているのは怒りだ。

 どうして──

(どうして、シャングリラの中にこんなものがあるんだよ……!)

 内部はほとんど廃墟だったが、そこは一見、病院の病室のように見えた。
 電灯は点らなかったが、非常電源は生きていた。薄暗い青いライトアップと、赤色ビーコンの灯が、光景をより不気味なものに見せていた。
 ジョミーは埃の積もった床を、注意深く進んでいった。
 見たことのある景色だ。これは……ブルーの記憶だ。衛星ガニメデ、養育都市アルタミラ。
 だが、ここがアルタミラなわけがない。
 ジョミーのつま先が、何かを蹴った。数十センチの距離を転がっていった金属は、かつてブルーを繋いでいた電極。ジョミーはあとじさった。

「視たくない」

 だがジョミーは、ベッドの横に転がった少年のミイラを見てしまった。
 痩せこけて美しかった肌は萎れ、眼窩は陥没し、銀色の髪は抜け落ちて……
 それが起き上がって、ジョミーに向かって手を差し伸べる。


(ジョミー、ジョミー、君があまりに遅いから、僕はこんな姿に──)

(やめろおおおお!!!)



「ブルー……」

 すでにそこは薄暗い病室ではなく、ブルーの寝室だった。ブルーは……めずらしく、ベッドから起き出して、うつむき加減に立ち尽くしている。

「──C-206なんて区域はないよ、ジョミー」
「僕には……何が何だか……よく……」

 ブルーが顔を上げて、こちらを見た。彼らしくない、ぼんやりとした表情だった。
「ごめん……ジョミー。悪意はね、こごるんだよ」
 どうしてか分からないけどね、と、ブルーは独り言のように言った。
「悪意……」
 誰の。外部の、それとも内部の誰かの?
「そう、みんなの。僕自身のものかもしれない」
 口には出さなかった、ジョミーの疑問をそのまま読み取って、静かにブルーが言う。心を読まれたと分かっても、腹は立たなかった。
「光が強ければ強いほど、影も濃くなる。端的に言えば、そんなところだろう」
 ブルーは心ここにあらず、といった様子だった。ジョミーはどうにかして彼を現世に引き戻そうとして叫ぶ。
「ソルジャー! ソルジャー・ブルー!」
 駆け寄って、強く肩を揺さぶる。ブルーの細い体は簡単にくずれ落ちた。ジョミーはブルーの体を抱き寄せ、紅玉の瞳を覗き込んだ。
 すると紅玉にみるみる涙が溜まり、あれがブルーの視ている風景なのだとジョミーは気付く。
「大丈夫、……大丈夫だから」
 すがりつくようにして泣く細い体にたまらなくなった……





end

ちょっとしたおばけ話くらいのつもりだったのに何だかよく分からないものになった・・


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