Jesus, Lover Of My Soul
信仰生活の証し
 
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■自分の力では変えられない人生
50代 男性

 僕の人生にとって一番大きかったことは、司法試験なんですね。27歳から受験勉強を始めまして、みなさんには10年やったと言っているんですが、本当はもうちょっと長いんです。
 その中で、司法試験をやっている以外の友達から「お前、よくそんなに10年以上もやってきたな」と言われました。十何年も継続して勉強し続けるなんて信じられないと言われるんです。自分でも、そう言われてみれば十何年間何をやってきたのかと思えば、国会図書館に朝から言って、夕方5時か6時に帰って、夕飯を食べて、また本を読んで寝るという生活でした。
 ただ、継続的にはできませんので試験が終わったあと一定の期間アルバイトをして、三ヶ月ぐらいお金を貯めて、一年間の資金をたくわえて一年勉強をするという生活でやりました。
 それで、よく十何年もつまらない勉強をやったなといわれるのですが、こういわれること自体、僕にはよくわからないんです。というのは、僕はぜんぜん苦しいと思ったことがないんですね。試験がうからないんだと思ったこともないし、やめようとも考えませんでした。なぜか分かりませんが、必ずうかるという思いがありました。
 今思ってみると、20代の青春中の十何年間をそうやって過ごしたことに特別な思いがないのかとも考えるのですが、これは神様が与えて下さった期間じゃないかと考えざるを得ないのです。中学、高校と聖学院で聖書を勉強しましたから、神様に守られているということをまったく考えないことはなかったのですが、受験勉強をしているときはあまりその実感がありませんでした。けれども、今思うと、十何年もの試験勉強をあまり苦しまずに続けてこられたのは、神様が守り、導いてくれたからだと思っています。
 試験に失敗したときには、やはりどうしようもない気持ちになるんですね。でも、それはその時だけで、しばらくすると苦しさから希望へとかわっていくんですね。こういうことは、神様が与えて下さった恵みだと考えざるを得ないと思いました。

 試験がうかって、修習期間も終わり、13年前から弁護士の仕事をやり、5年前から今の事務所に独立しました。独立当時は、はたして生活できるのかどうかとだいぶ心配しました。最初は仕事がなかったんですけれども、どんどんと仕事が増えていきました。
 この仕事というのは嫌な事件もたくさんあるんですね。離婚だとか、借金関係だとか、生活の修羅場をふんできた人が感情を露わにしてくるのと接することがあるものですから、どうしても処理に困ることがあるんです。
 そういう場合に、じっと考えているだけではどうにもならないんですが、週一回の教会に通って礼拝に出て家に帰ると、忘れるといったらおかしいのですけれども、表現が難しいんですが、ちゃんとまとまるところに落ち着くんです。それは自分の力じゃ考えられないことでして、こういうことを通して神様に守られているんだということを実感しています。 

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日本キリスト教団 荒川教会 牧師 国府田祐人  電話/FAX 03-3892-9401  Email: yuto@indigo.plala.or.jp