神様のご配慮

 ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾った。

旧約聖書 『ルツ記』2章3節

 ルツの勇気

 ルツは恥も外聞も捨てて落ち穂拾いに行く決心をしました。それは神の恵みを求める謙遜さの結果でした。それと同時に見過ごしてはいけないのは、ルツは自分に出来ることを、勇気をもって行ったという面です。

 ルツは外国人でした。そこは見知らぬ土地でした。未亡人でした。亡夫の母、傷心のナオミが共にいました。財産はありませんでした。頼るべき人もありませんでした。ルツは「自分には何も出来ない」と思ったことでありましょう。そんなルツに、たった一つ出来ることがあった、それが落ち穂拾いだったのです。

 前向きに生きる

 他人の畑にいって落ち穂を拾い集める、人の憐れみにすがる、そんなことは「出来た」としても「出来る」うちに入らないと思ってしまう人がいます。しかし、そういう人は、結局、出来ることすらも出来ない人間になってしまうのです。

 ルツはそうは考えませんでした。たとえ些細なことであっても、他の人のしていることに比べたら惨めなことかもしれないけれども、それが今の私に「出来る」ことだと前向きに考えたのです。だから、ルツは、確かに出来ることは他に何もなかったのですが、出来ることすら出来ない人間にならなくてすんだのでした。

 神の恵みに生きるということは、何もしないことではありません。何もしていないに等しいようなことであっても、それを通して神様が恵みによって生かしてくださるのだと信じて、前向きに生きることなのです。

 神に希望を持とう

 前回のお話しのように自尊心が高すぎると、困難の時に何もできない人間になってしまいます。しかし、神の恵みを信じ、それによって生きようとするならば、どんなことをしていても希望がありますし、そこにやりがいを見いだすことができるのです。

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