救われた生活

 しもべは今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。

旧約聖書 『列王記下』 5章15節

 エリシャではなく神が救う

 ナアマンは死を身にまとった体から救われました。それはエリシャが類い希なる預言者だったからでしょうか。いいえ、エリシャは何もしませんでした。手を置いて祈ることもしませんでした。説教もしなければ、信じるように勧めることもしませんでした。そもそも、ナアマンに会うことすらしなかったのです。

 しかし、このようにエリシャが何もしなかったことによって、主こそ神であることが明らかにされました。そして、神のみ救いを経験したナアマンは、今後は他の神々に仕えることはせず、ただ主のみを礼拝して生きるということを誓ったのです。

 まことの礼拝者になる

 「まことの礼拝者」となる。これが神様への感謝の生活です。神様に救われた者の喜びの生活です。

 エリシャは、ナアマンがまことの礼拝者に変えられたのをみて、「安心して行きなさい」と祝福しました。安心、平安、平和、安らぎ…、まことの礼拝者には、大いなる安息の祝福が伴います。「神われらと共にいます」という安息です。

 それなら、まことの礼拝者となるということは、感謝の生活ばかりでなく、救われた生活をするということになるのではないでしょうか。

 神なく、望みなく生きていた者たちが、まこと礼拝者となる。これは父なる神の切なる願いです。イエス様は言われました。「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」

 父なる神は、失われた子供たちを、もう一度、御腕の中に抱きたいと願っていて下さるお方なのです。

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