■ 最後の望みをかけて
アラムの英雄ナアマンは、人生最大の敵と戦っていました。それは不治の病です。彼はあらゆる手を尽くしましたが敗北に終わりました。ところが、彼の家にいたユダヤ人奴隷の小娘が「わたしの国にはあなたを癒すことができる神がいる」と言ったため、ナアマンはさっそくアラム王の紹介状を取り付け、最後の望みをかけてイスラエル王のもとに来たのでした。
■ これは無理難題か?
ところが、イスラエル王はナアマンが携えてきたアラム王の手紙を読んで激怒しました。「不治の病を癒せ」などという無理難題を自分に押しつけて、戦争の言いがかりをつけようとしているのだと思ったからです。
イスラエル王が激怒するのは無理からぬ事です。しかし、それでは神の民イスラエルの名が廃るのではないでしょうか。アラムに連れ去られ、奴隷となった小娘でさえ「わたしの国にはあなたを癒す神がいます」と神の民の信仰と誇りを持っていたのです。イスラエルの王たる者が、それを言えないということに非常に大きな問題を感じるのです。
■ 預言者エリシャ登場
そのことを聞きつけて、「なぜ怒るのか。問題の男をわたしのもとに連れてきなさい」と、王に進言する者がありました。預言者エリシャです。「イスラエルに真の神がいる」と信じる者にとって、ナアマンは無理難題ではなく、真の神の栄光と救いを世に示すチャンスなのです。
私たちの教会はどうでしょうか。問題に満ちた人を、手に負えないと拒んでいないでしょうか。「ここに真の神がいる。真の救いがある」と信じる教会ならば、「その人をわたしのもとに連れてきなさい」と言えるはずなのです。
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