■ ナアマンの闘い
ナアマンは持てるものすべてを注ぎ込んで自分の病と戦ったに違いありません。あらゆる医者の診察を受け、あらゆる薬を試し、あらゆる神々の祈祷師に祈ってもらったことでしょう。しかし、何の役にも立ちませんでした。
■ 意外なところから光が・・・
ところが彼の救いの道は意外なところから開けたのです。ナアマンの家に、ユダヤ人の少女がいました。捕虜として連行され、ナアマンの妻の奴隷になっていたのです。ナアマンは、そんな奴隷の小娘が自分に救いの道を指し示してくれるとは、夢にだに思わなかったに違いありません。
しかし、どんな小さな存在でも、真の神を知る人こそ世の光となるのです。ユダヤ人の少女は、「わたしの国にはこういう病をいやせる預言者がいます」と、失望にしずむナアマンの心に、一筋の希望の光を与えたのです。
■ 神の救いを告げる教会
教会とは、この少女のような存在ではないでしょうか。平素は、教会の声や存在など誰も目に留めません。しかし、本当に困った時、人は教会に来ます。教会には仕事やパンがあるわけではありません。何にでも効く魔法の薬があるわけでもありません。しかし、教会には、誰に対しても語ることのできる希望があるからなのです。
そこに教会の存在価値があります。どんなに小さく貧しい教会であっても、「ここにこそあなたを救う真の神がおられます」と、声を大にして言える教会でありたいと願います。
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