「今週の御言葉」の履歴
 

001 信仰生活の秘訣

「福音の希望から離れてはなりません」

(新約 『コロサイの信徒への手紙』1章23節から)

 福音とは何でしょうか。福音とは、イエス様がしてくださったことと、してくださること、この二つによって人が救われるということです。自分に何ができるかとか、他人が何をしてくれたか、何をしてくれなかったではありません。イエス様の恵みの業によって救われるのです。


002 試練の日に

「わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた」

(旧約 『ネヘミヤ記』1章4節から)

 ネヘミヤは落胆し、何もできなくなるほどの憂いに襲われ、幾日もただ嘆き続けました。しかし、人にはこのような経験も必要なのではないでしょうか。ネヘミヤの場合、この落胆が次なる人生への準備の期間であったとも言えます。


003 祈りの秘訣

 目を覚まして祈っていなさい。

(新約 『マタイによる福音書』26章41節から)

 目を覚ますというのは、第一に肉体的な覚醒を言い、第二に霊的な覚醒を言います。寝ぼけ眼で祈ることはできませんし、霊的に神の御業を見る信仰を持たずして、力強い祈りはできないのです。


004 信仰生活の秘訣

 義に飢え渇く人々は幸いである。

(新約 『マタイによる福音書』5章6節から)

 イエス様を主と信じる人の生活は、目標をイエス様においていますから、決して満足するということがありません。その代わり、いつもより良いものを求めて心が燃えているのです。イエス様は、そのような人を幸いだと言われます。


005 信仰生活の秘訣

 わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。

(新約 『ルカによる福音書』22章32節から)

 自分の信仰が本物かどうか疑っている人はいませんか。イエス様はあなたの弱さを知っていてくださいます。そして、あなたに信仰を求めておられるだけではなく、あなたの信仰の為に祈ってくださっているのです。あなたの真実ではなく、イエス様の真実によって、信仰は守られるのです。


006 悲しみの日に

 イエスは涙を流された。

(新約 『ヨハネによる福音書』11章35節から)

 イエス様は愛するラザロの死に涙を流されました。悲しいときは泣きましょう。どんなに悲しんでも、私たちは神様の御手で支えられているから大丈夫なのです。


007 試練の日に

 きっと神が備えてくださる。

(旧約 『創世記』22章8節から)

 「なぜ、愛の神がこんなことをなさるのか」「何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に遭うのか」人生にはどうしても理由が分からない道を強いて歩まされることがあります。しかし、そんな時にも神様には理由があり、試練に対する答えと備えがあるのです。


008 救いとは何か

 あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。

(新約 『コロサイの信徒への手紙』1章23節から)

 福音とは、イエス様がしてくださったことと、してくださること、この二つによって人が救われるということです。わたしがしてきたこと、わたしにできることではありません。この世が何をしてくれたか、何をしてくれるかでもありません。どうぞ、福音にこそあなたの希望をおいてください。


009 信仰生活の秘訣

「助言が多すぎてお前は弱ってしまった」

(旧約 『イザヤ書』47章13節から)

 「必ず成功する」「必ず治る」「必ず儲かる」「必ず痩せる」・・・巷にはたくさんの助言が溢れています。しかし、それらはみな私たちを迷わせるだけです。「イエス・キリストはすべてのことにおいてあなたの救い主である」どうぞ、そのことだけを信じてください。


010 愛について

 愛は忍耐強い。

(新約聖書 『コリントの信徒への手紙1』13章4節から)
 愛があるから忍耐できる。それも本当でしょう。しかし、我慢し、辛抱することが愛であるとも言えます。そして、私たちには、そういう愛が必要な時があるのです。 

011 忍耐の日に

 まず茎、次に穂、そして穂には豊かな実ができる。

(新約聖書 『マルコによる福音書』4章28節から)
 神様は何もしてくれないと嘆いておられる方はいませんか。心を強くしてください。神様は約束をお守りくださいます。神様には順番があるのです。神の時を信じて待ちましょう。

012 信仰生活の秘訣

 このことが分かり、その通りに実行するなら、幸いである。

(新約聖書 『ヨハネによる福音書』13章16節から)
 ウィンドウショッピングは楽しいですが、代価を払わない限り決して自分のものにはなりません。御言葉も同じです。イエス様は、良いと思ったならば代価を払い、御言葉の祝福を自分のものにするようにと、勧めておられるのです。

013 救いとは何か

 キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。

(新約聖書 『コリントの信徒への手紙U』5章17節から)
 お正月になるとだれでも「今年こそは・・・」と思うものです。しかし、人間自身には決して新しく歩み始めたり、心を一新する力はありません。けれども、失望することはありません。神がイエス・キリストによって私たちを新しくしてくださるのです。

014 神の祝福の中にある

 わたしはアルファであり、オメガである。

(新約聖書 『ヨハネの黙示録』22章13節から)
 聖書の「始まり」と「終わり」は大きな祝福に満ちています。初めに、神様は御子によって天地を造られ、それは「極めて良かった」とあります。そして、終わりは、御子による罪の贖い、復活、新天新地です。どうか、過ぎゆく年を御子に感謝することができますように。新しい年に御子によって希望を持つことができますように。

015 イエス・キリスト

 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

(新約聖書 『ヨハネによる福音書』1章14節から)
 私たちは常に裁かれています。たとえば仕事をする能力や収入によって、財産の有無によって、学校の成績によって、背の高さ・体重・顔によってまで裁かれています。しかし、神様のもとからきた「言」=イエス・キリストはあなたにこう語りかけています。「わたしは誰も裁きません。わたしが来たのは裁くためではなく、愛していることを伝えるためなのです」

016 神の祝福の中にある

 いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。

(新約聖書 『ルカによる福音書』2章14節から)
 「神に栄光あれ」とは、神様こそ事を為し遂げられるお方でありますように、という祈りです。「地に平和があるように」とは、私たちの諸々の戦いが終わるように、という祈りです。自分で事を為し遂げようとするから、そこに戦いや争いが起こります。私たちの戦いを神様のしてくださることにお委ねしましょう。

017 忍耐の日に

 夜明けは近づいている。しかしまだ夜なのだ。

(旧約聖書 『イザヤ書』21章12節から)
 クリスチャンでありながら、あなたは真っ暗なトンネルの中を歩いてるかも知れません。しかし、その暗さに絶望にしないでください。主は必ず来てくださいます。夜明けは近いのです。待ち望みましょう。

018 祈りについて

 祈るためにひとり山にお登りになった。

(新約聖書 『マタイによる福音書』14章23節から)
 愛をもってご自分を多くの人々にお与えになったイエス様は、時に人々を避け、誰にも邪魔されないで神さまと交わる静かな時間をもたれました。この祈りの場所から多くの人に与えることのできる豊かさをいただいていたのです。誰にでもこのような充電の時間が必要です。

019 イエス・キリスト

 疲れた者、重荷を負う者は、だれもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

(新約聖書 『マタイによる福音書』11章28節から)
 気持ちの疲れはどんなに休んでもとることができません。イエス様はそのような疲れを癒す命の水を与えてくださるお方です。イエス様からその命の水を戴いて、あなたも命をリフレッシュさせてください。

020 神の祝福の中にある

 野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。

(新約聖書 『マタイによる福音書』5章28節から)
 空の鳥も、野の花も、神様がお造りになったもので、神様の素晴らしさを映し出しています。空も、海も、山も、しかりです。人間が造ったものも確かに目を見張る素晴らしいものが多いのですが、神様がお造りになった自然にはかないませんね。時には、道ばたに咲く小さな花にも目をとめて、神様を感じてみましょう。

目次

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