■ 神のお守り
私たちは神の子です。神さまの愛と力が、私たちを包み、悪しき者たちの手が触れないようにとお守りくださっています。私たちがなすべきことは、ただ一事、神さまの御守りの中に、留まり続けることです。
ところで、それは神の武具を身につけることだと、エフェソ書には記されています。別の言い方もあって、『ローマの信徒への手紙』には「光の武具を身につけましょう」とも書かれています。また、「主イエス・キリストを身にまといなさい」ともみ言葉もあります。これらはすべて同じ事を言っていると考えることができます。
■ 神の武具
さて、エフェソ書によると、神の武具には次のようなものがあります。
@真理の帯。イエス様は「わたしは真理である」と言われました。自分の体験や、この世の常識や、科学による証明よりも、イエス様こそ真理であるとする生き方が大事なのです。
A正義の胸当て。正しさというのは、戦いの力でもあります。逆に、悪い者たちは、堂々と戦うことができないのです。私たちには、自分に正しさがなくても、イエス様の義があります。
B平和の福音を告げる準備の靴。「攻撃こそ防御である」という言われますが、まさしく福音を告げ知らせるという伝道によって、サタンの力は確実にくじかれていくのです。
C信仰の盾。信仰の盾は、悪い者の放つ火矢をことごとく吹き消すと言われています。疑い、迷い、様々な誘惑を信仰によって吹き消すことができるのです。
D救いの兜。私たちは、悪しき者たちとの戦いに、失敗したり、敗れたりすることがないわけではないのです。しかし、それにも関わらず、私たちにはキリストの救いがある。救いによって、私たちは再び立ち上がることができる。決して、負けで終わることがないのです。
Eみ言葉の剣。真理も、福音も、信仰も、救いも、すべてはみ言葉によって強められます。み言葉に堅く立つこと、そしてみ言葉を断言することが、み言葉の剣です。
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