人生の鍵

わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝します

『ローマの信徒への手紙1』7章24節

 手に入らないバナナ

 鍵のかかった檻の中にバナナを入れ、お腹の空いた猿に与えたらどうでしょうか。猿はバナナが目の前にあるのに、決してそれを取ることができません。力を尽くしてもダメ。知恵を絞ってもダメ。お腹が空いた猿は食べたくても食べられないバナナをの前で、力つきるまで苦しむことでありましょう。

 弱さを受け入れること

 どんなに頑張っても手に入らない苦しみ・・・私たちも似たような人生の悲しみを味わうことがあります。どうしたら良いでしょうか。スイスの精神医学者ポール・トゥルニエという人は、「自分の弱さを克服する第一歩は、それを受け入れることである」と言っています。別の言葉で言えば、まず自分の力でバナナを取ろうとすることを諦めることです。しかし、その時、望みまで棄ててはいけません。別の方法を捜すのです。自分にはできないということを認め、受け入れる時に、私たちは「取れない」という問題から解放されます。その時、ようやく別の解決の道に目が開けてきます。

 弱さを受け入れること

 別の道とはなんでしょうか。檻の中のバナナばかり見ていることをやめ、檻の鍵をもっている人を捜し、その人のところに行くことです。

 パウロは、努力で善い人間になろうとしたのですが、それは自分の弱さを明らかにするだけでした。パウロは自分を見つめ、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」と嘆きます。しかし、「わたしはなんと惨めな人間でしょう」とそれを認めたときに、新しい解決の道が開けてきたのです。自分ではなくキリストに目を向け、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝します」というのです。

 鍵を持つ方

 パウロは、「何をしたら救われるか」ではなく「だれがわたしを救ってくれるか」に目を向けたのです。檻の中のバナナではなく、鍵をもっている人に目を向けるようになったのです。そして、鍵はイエス・キリストにあるということを知った、それが「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝します」という讃美の言葉だったのです。

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