信仰生活の誤解

主をたたえよ
日々、わたしたちを担い、救われる神を。 

『詩編』68編20節

神の救いを受け取る生活

 神様は、日々、私たちを担い、救ってくださいます。信仰生活とは、その神様の愛と恵みを受け取る生活にほかなりません。それなら信仰生活は、誰にとっても喜びと慰めと満ちたものであるに違いありません。もしそうでないとするならば、何かあなたの信仰生活に問題があるのはないでしょうか。

信仰と生活ではなく、信仰による生活を

 第一に、あなたは信仰と生活を別々に考えていないでしょうか。

 信仰というのは、聖書を読んだり、祈ったり、善い業を行ったりすることだと思っている。そして、仕事をしたり、夫婦で過ごしたり、食事をしたり、趣味を楽しんだりしている時間は、信仰とは関係のない生活だと思っている。しかし、信仰生活とはそういうものではないのです。

 信仰生活とは、私たちが何をしている時であっても、神様を愛し、神様を寄り頼み、神様と共にあることを知っている生活であります。

罪の問題について

 第二に、あなたは、自分が罪深いから信仰生活を送ることができないのだと考えていないでしょうか。

 罪深い人が信仰生活を送れないとするならば、いったい誰が罪から救われるのでしょう? 私たちは、罪深いからこそイエス様を信じて生きるのです。

 もちろん、信仰生活とは、罪の生活にとどまることではありません。イエス様の救いの力によって生活が聖められていくものでなければなりません。でも、その出発点は、私たちの罪深い生活です。そこから始めさせてくださるのが、イエス様の救いなのです。

罪の問題について

 第三に、あなたは、信仰生活というのは、自分の心の問題だと思っていないでしょうか。だから、あなたの心の調子、気分によって、信仰がぐらぐらと動いてしまうのではないでしょうか。

 あなたは、自分が信じようが、信じまいが、神様の真実は変わりないし、イエス様の愛も変わりがないということを忘れてしまっています。あなたの心が変わろうと、神様は変わらないのです。しかし、信じなければ、私たちは神様がせっかく与えようとしておられるものを、自分で拒否してしまっているのです。

 その神様の御救いを確実に受け取るために必要なことは、一日一日を、いや一瞬一瞬をイエス様に寄り頼み、聖霊様と親しく交わる信仰生活です。それを妨げているあらゆる問題を、御言葉によって清めていただき、日々、主を讃美する生活をいたしましょう。

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