■ ウィンドーショッピング
ウインドーショッピングは、何も買うつもりがなくても、けっこう楽しめるものです。けれども、それはあくまでも心の満足感であって、実際にお金を払って欲しい物を手に入れたときの幸福感ではありません。洋服やバックなどはそれでもいっこうに構わないでしょう。しかし、聖書に約束されている救いについてはどうでしょうか。
罪の赦し、永遠の命、御父の愛、必要の備え、奇跡的な助け・・・聖書の中には、私達が喉から手が出るほど欲しい恵みが並んでいます。それらのものも眺めるだけのものだとしたら、結局は「聖書には素晴らしいことが書いてある。でも、現実は…」と何も手に入れないで聖書を閉じることになってしまうのです。
■ イエス様が代価を支払ってくださった
神様は、私たちが実際に救いを受け取って喜びに満ちあふれることを願っておられます。そのために必要な代価を、つまり主イエスの血という尊い代価を、すで支払ってくださっているのです。残る問題は、私たちがそれを実際に手に入れることができるという期待をもって「それをください」と祈ることにあるのです。それが願い求める祈りです。
イエス様は言われました。「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイ7:7) ヤコブは言いました。「与えられないのは願い求めないからです」(ヤコブ4:2) パウロは言いました。「わたしたちすべてのために、御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないはずがありましょうか」(ロマ8:32) これらの御言葉は、私達に「期待を込めて祈りなさい」ということを教えています。
■ 神の恵みは、言葉だけではない
神の愛と恵みは画餅ではありません。願い求める祈りによって手に入れることができるものです。祈りによって、神の愛と恵みを現実の生活の中で味わうことができるのです。
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