■ 願い求める祈りは幼稚?
祈りには、願い求める祈りばかりではなく、悔い改め、感謝、賛美、献身、とりなしの祈りなどがあります。その中で自分の事を願い求めるというのは、最も幼稚なレベルにあると考える人もいるようです。
しかし、神様のために豊かに用いられた人々は皆、決して願い求める祈りを重んじました。どんな欠乏の中にあっても、いかなる困難の中にあっても、単純に、力強く、神に願い求めることによって、生き生きとした神の愛、神の力を学び、ますます祈りの人として成長していったのです。
■ 願い求める祈りは信仰?
願い求める祈りは、信仰の祈りです。何よりもイエス様ご自身が願い求める祈りを私たちに求めておられます。そして、ご自分に願い求めて来る人々に「あなたの信仰があなたを救った」と答えてくださったのです。イエス様が、願い求めることを「あなたの信仰」と呼んでくださっていることは重要です。
また、イエス様は「願い求めなさい。そうすれば与えられる」と幾たびも教えてくださいました。願い求める祈りは、決して幼稚な祈りと軽蔑されるべきものではなく、むしろ祈りの基本として重んじられるべきものなのです。
■ 願い求める祈りによって神を知る
祈りが聞かれた! この喜びが、神様に捧げる感謝となり、愛となります。祈りが聞かれた! この明確な事実が、神への揺るがぬ知識となり、信頼となります。
祈りが聞かれた! この驚きが、神への溢れる賛美となり、あらゆる救いへの希望の源となります。
私たちは次第に自分の必要は、あれやこれやではなく神ご自身であることを悟り、それをのみ求めるようになるでしょう。また自分の為ではなく、隣人の為に祈るようになるでしょう。喜びだけではなく、苦しむことや忍耐を学ぶときが来るでしょう。
しかし、その時になっても、祈りが聞かれたという素晴らしい経験が、祈りの信仰の基本である事には変わりがないのです。
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