■ 慰めとは
「慰め」とは、悲しむ人々の側にいる者となることです。気落ちした病人、偏屈な老人、道を踏み外した若者、殻に閉じこもった子ども、やけ酒を飲む人、暴力を振るう人、怠け者、いじめる人、いじめられる人、人付き合いの悪い人、嘘つき、嫌気がさすほど自信過剰な人…。この人たちは慰めを必要としています。叱ったり、忠告したりするのではなく、ただ側にいてくれる人、「うん、うん」とうなずいて聞いてくれる人、痛みにじっと手を当ててくれる人、味方になってくれる人を求めています。
■ 苦難を通して知る慰め
「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と、神様は、あなたも、このような人々の慰めとなるように呼びかけておられます。でも、私たちに、それができるのでしょうか。パウロは言います。あなたに与えられた苦難の経験が、あなたの身近な人を慰める力となる、と。なぜなら、あなたはただ苦難を味わっただけではなく、その苦難の上に特別な神の慰めを受けたからだ、と。それが、あなたの優しさとなり、人を慰める力になるのです。
■ 慰める者になろう
あなたは、あなたのように苦しんだり、悲しんだりしている多くの魂を見いだすはずです。悲しみに沈む心、傷ついた心、罪意識にさいなまされる心、人間不信に陥った孤独な心、正体の見えない不安に怯える心、絶望した心、…これらの魂に、私たちの経験を伝えようではありませんか。私たちも同じ苦しみや悲しみの中にあったことを。イエス様が慰めて下さったことを。そして、イエス様には、あらゆる苦難と悲しみに対する慰めが備えられていることを。
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