主の愛が宿る家

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

新約聖書『ヨハネの黙示録』3章20節

 ベタニア村

 ベタニア村は主が愛し給う村でありました。福音書には、主がいかにベタニアを愛し給うかを物語る四つの物語が記されています。

 第一に、主は、そこで足許に座して御言葉を聞くマリアを格別に祝福し給いました(ルカによる福音書10章39節)。これは、主が私たちの真の教師であることを物語っています。

 第二に、主は、そこでラザロを死者の中からよみがえらせ給いました(ヨハネによる福音書11章)。これは、主が私たちに真の生命を与え給う御方であることを物語っています。

 第三に、主は、そこにある重い皮膚病の人シモンの家でもてなしを受けている際、マリアよりナルドの香油の注ぎを受けられました。これは、主こそ私たちの全身全霊なる愛をお受けになる御方であることをお示しになっています。

 第四に、主は、そこで弟子たちを祝福しながら天の父なる神様の御許にお帰りになりました(ルカによる福音書24章50-51節)。これは主が人間を祝福し給う神様の御子であることを物語っています。

 このように、ベタニア村は主が格別に愛し給う村でありました。そこに住むマルタ、マリア、ラザロの兄弟姉妹の家、また重い皮膚病の人シモンの家は、主の愛し給う家でありました。

 主の愛の宿る家

 さて、今この世にも主が愛し給う家があります。それは他でもない私たち一人一人の「心」という家です。

 主は、私たちの心の戸口に立って、その扉を叩いておられます。もし、私たちが心を開き、主を喜んでお迎えするならば、主はマリアやシモンの家と同様に、あなたの心にお入りになり、あなたと親しく交わり、御言葉を教え、生命を与え、天の祝福を豊かにもたらしてくださることでありましょう。
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