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信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。
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新約聖書『テモテのへ手紙1』6章12節
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■ 信仰は賭け
パスカルの法則(物理)や「人間は考える葦である」という言葉で有名なパスカル(1623-1662)の一文を紹介しましょう。
「神はあるか、ないかーどっちかに違いない。私たちとしてはどっちに組みするべきだろう? 理性は、いずれとも決めかねる。無限の深淵がわれわれを隔てているのだ。この無限の距離の尽きる所で、一つの賭が行われる。さいころの表がでるか、裏が出るか。さて、君はどっちに賭けるか?」
たとえ神は存在するとしても、人間の理性では決して知り得ないことだと、パスカルは言っているのです。ですから、神の存在を信じるにしても、信じないにしても、それは結局賭のようなものだというわけです。
■ 信じるものの勝算
パスカルの文章はまだ続きます。
「神が存在するという方に賭ける場合の損得を見積もってみよう。・・・君が勝てば君はすべてを手にすることになる。また、負けても、何も失いはしない。だったら、躊躇なく、神があると賭けるがいい・・・
君は信仰に達したいと願っている。だが、君はそこへの道を知らない。君は不信仰という病を癒されたいと望んで薬を求めている。かつて君と同じように縛られていた人々、しかし、今は一切の所有物を賭けた人々、彼らを見習うがいい。彼らは君が辿りたいと思っている道を知っている人々だ。彼らは君が癒されたいと願っている病を癒された人々だ。彼らが歩み始めた道を、君も歩み始めたまえ。つまり、信じているかのように行動するのだ・・・
その道を歩んだ場合、君はどんな禍にあうだろうか? 君は忠実な、正直な、謙遜な、感謝に溢れた、おおらかな、誠実な友となるだろう。毒のある快楽や、野心を持ち贅沢にふけることはなくなるだろうし、まったく別のものを手に入れるのではないだろうか? 君はきっとこの世で得をするだろう。この道を歩むにつれて、君は自分が得をするという大いなる保証を得、君が賭けたものは無に等しく見えてくるだろう。
かくして君はついに悟るだろう。自分は確実な、永遠のものに賭けたので、損はまったくしなかったのだということを」
信仰を賭けにたとえたのは、パスカルのユーモアでしょう。しかし、それだけではなく、賭は真剣勝負なのです。信仰とは主イエスに人生を賭けて生きる真剣勝負だということも、ここから読みとれるのではないでしょうか。 |
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聖書 新共同訳: |
(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible
Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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